風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

寒川神社

2012-01-03 12:43:23 | 古代史
相模国の一之宮、寒川神社に詣でました
神門には迎春干支ねぶた、開運・五行の龍、
「青森ねぶた大賞」を受賞した千葉作龍氏が制作とのこと


本殿、1997年竣工と新しいですが、大きいです
行ったことないですが、出雲大社みたい?

祭神は寒川比古命と寒川比女命となってますが、
公式サイトの説明を見ても
相模国を中心に広く関東地方をご開拓になられ、
衣食住など人間生活の根源を開発指導せられた
関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。
何者かが分からず、この説明では納得できないですね

最近、「現代語訳 神皇紀 」という本を読みだしてるのですが、
相模の人々が信じている歴史はコレだったんだと思わせる内容です

寒川毘古命を中心に系図を書いて見ました

寒川毘古命=大山祇命(オオヤマズミ)です。
イザナギの男子直系、アマテラスより正統です。
娘のコノハナサクヤ姫は、ニニギとの間にホホデミを産み、
ウガヤフジアワス51代を経て神武天皇に直結しています

ウガヤ王朝が51代も続いたというのは信じませんが、
九州に遷都する経緯や、大和に遷都する物語は具体的でリアリティを感じます

上に示した上下がどうなってるか、にしてみました
タカミムスビの前は天之神7代、火高見神15代の世があります。
古事記のようなエロい神話はなく、日本に渡来する前の位置づけです

農佐比古(クニサヅチ)は附島(対馬)、休通島(隠岐)、分「佐」(若狭)、
「佐」渡、賀家、田路場、稲場、飛太、記祖路、三河、住留家(駿河)を通って、
2つとない山である不二(富士山)の麓に居住します。
富士山を眺めると、不二という名前がふさわしく思えてきます

山中湖から秦野のあたりは「佐賀見」と書かれてますが、
農「佐」比古が見た土地という由来だと思われます。
寒川も「佐」が見た土地の川という意味かも知れません。
なお、山中湖から流れだす川は大月町、相模湖を通って相模川となります

ウガヤフキアエズの後は、九州で51代の王朝が続きますが、
即位式はずっと山中湖の北にある阿祖山太神宮で行われました。
この太神宮の総司令は、大山祇命の子孫が務めました

大和地方で起こった反逆に対して、ヤマトオや神武天皇が奮戦、
長髄彦を倒して大和に遷都、人皇の世が始まります。
伊勢神宮はヤマトオが葬られた地に遷宮したということです

という訳で、寒川神社が一之宮とされた根っこの理由は、
このような伝承が信じられていたからだと思われました

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神皇系図 | トップ | 強羅の温泉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古代史」カテゴリの最新記事