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Entrance for Studies in Finance

Tourists Spots in Tokyo

東京的秘密  東京の名所・史跡 何を見て何を記憶するか

Old Tombs in Metropolitan Area
都区内の古墳(4世紀から7世紀)

Akihabara Area 秋葉原エリア  

Asakusa Area 浅草エリア
 →浅草から東武伊勢崎線で西新井下車 さらに大師線で大師前下車
 西新井大師(826) 弘法大師空海(774-835)が諸国行脚の途中、悪病がはやっていたこの地に立ち寄り自ら十一面観音菩薩像を彫り、それを土の中に埋めて庵を建てて悪病退散を祈願したとされる(826年)。後に村民は、大師が地中に埋めた観音像を掘り出し祀ったのが始まり。この掘り出した穴(加持の井)が現在も境内に残る。西にある新たな井戸で当地の地名、西新井である。江戸中期の欅造りの本堂が第二次大戦の空襲を生き延びていたが、1956年5月の火災で失われた。その翌1957年には谷中の五重塔が心中放火事件で焼失。この顛末は1950年の金閣寺の放火焼失とともに無常を感じさせる。現在の本堂は1972年5月の再建。建物の多くは消失したが、入り口の山門は江戸末期のもの。また左手奥に朱塗りの三重宝塔は天保年間に立てたものを1883年に改築したもの。交通 東武伊勢崎線大師前下車。東京都足立区西新井。

Gokoku-ji Edogawabashi Area 護国寺江戸川橋エリア 
Gokoku-ji 護国寺(1681)  地下鉄有楽町線護国寺下車すぐ。
   音羽護国寺について in Note
鳩山一郎旧邸(鳩山会館)(1924)  有楽町線江戸川橋駅から徒歩7分
 椿山荘庭園について in Note
 永青文庫・肥後細川庭園 in Note  

Gotanda Area 五反田エリア
池上本門寺五重塔(1608)  関東現存4基中最古。三間五層塔。総高31m 塔高29.37m 重要文化財。平成13年2001年に全面修復工事終了。

Harajuku Omotesando Area 原宿表参道エリア
Meiji Jingu 明治神宮 JR山手線原宿駅あるいは地下鉄千代田線明治神宮前下車
Nezu Museum 根津美術館 地下鉄表参道駅下車徒歩10分

Hibiya Tokyo Station Area 日比谷東京駅エリア
法務省旧本館(1895築) TK
日比谷公会堂(1929築) TK
銀座和光(1932築) TK
第一生命館(1938築) TK
明治生命館(1934築) TK
東京国際フォーラム(1996) 設計 Rafael Vinoly
丸の内OAZO(2004) 設計 日建設計
Tokyo Station 東京駅(1914/2012) 東京駅の設計は辰野金吾と葛西萬司が共同して設立した竜野葛西建築事務所。赤レンガに白い石で横縞模様を配した辰野式フリー・クラシック。日本銀行旧本館とともに辰野の代表作。工期1908年-1914年。皇居に対面して延長335m。創建当初は3階建てで南北にドーム室があった。1945年5月25日の空襲で大きな被害を受け、その後の復旧工事で形状を変化させた。なお東京駅のモデルとしてオランダ、アムステルダム中央駅が挙げられることがあるが、近年はこれは俗説で誤りだということになっている。東京駅復元改修工事(2007-2012)について
日本銀行本店旧館(1896完工)
三井本館(1929築)
三越百貨店本店(1927築) TK
野村證券本社(1930築) TK

池袋エリア Ikebukuro Area
自由学園明日館(1921)   池袋駅メトロポリタン口から徒歩5分
 →池袋より西武池袋線石神井公園駅下車徒歩15分
 豊島山道場寺(1372開基) 1372年、練馬を支配していた豪族豊島氏の豊島耀時(鎌倉の北条一族出身で豊島氏に養子に入った)が建長寺の大覚禅師を招いて開いた(曹洞宗)。豊島氏 の墓が残る。伽藍は近年のもの。山門右手に鎌倉時代の様式の三重塔。正面奥左手の本堂は唐招提寺金堂をまねたもの(天平様式)。右手の鐘楼は 安土桃山様式。これはそれぞれ御仏の姿、教え、声を表す。石神井公園駅から石神井池に向かい三宝池裏手に道場寺を見出せる。なお三宝池は 戦国の昔からある池だが、石神井池は1933年に水田をやめて造った人造池。石神井の名前は井戸を掘ったとき出てきた石の棒をご神体とする石神井神社の縁起による。交通 西武池袋線石神井公園駅下車徒歩15分。東京都練馬区石神井。
 鬼子母神堂と目白不動 in Note

神宮外苑エリア Jingu Gaien Area
国立競技場National Stadium 大江戸線国立競技場駅下車すぐ あるいはJR千駄ヶ谷駅徒歩5分  2019年12月対報道関係者公開時映像
    聖徳記念絵画館 in Note

駒込エリア Komagome Area
古河虎乃助邸(1917築) 古河財閥を起こした古河市兵衛(1832-1903)の長男、古河虎乃助がジョサイア・コンドル(1852-1920)に依頼して1917年に竣工した建物を中心に敷地1万坪。戦後、占領軍から返還後も長く放置され建物内部は一時荒廃。幸い6年の修複工事を経て1989年より建物も公開。建物の主構造はレンガ造り。外壁に野面石。内部は和洋折衷。古河家が転居したあと、古河財閥の迎賓館として使われ、第二次大戦後一時は占領軍将校の宿舎とされた。交通 駒込駅から徒歩12分。東京都北区西ヶ原。
六義園(Rikugi-en) 駒込駅から徒歩7分
   東洋文庫 in Note 
   駒込富士神社 in Note
The Big Budda of Kichijo-ji 吉祥寺大仏(1722) 
   吉祥寺の大仏と経蔵 in Note
江戸の三大大火 (学研科学創造研究所) 明暦の大火(明暦3:1657) 目黒行人坂の大火(明和9:1772)   丙寅(ひのえとら)の大火(文化3:1806)
このほか宝永地震(1707)  宝永の富士山噴火(1707)  富士山噴火史 天明の大飢饉(1782-1788) 安政江戸地震(安政大地震1855) などの天災があった。

こんにゃくえんま(18世紀半ば) 1624年に伝通院三世定誉は隠居の場所としてこの土地を徳川秀忠に賜り源覚寺を開いた(浄土宗)。ここには鎌倉末期と推定される閻魔大王があり、崇敬を集めていた。宝暦年間(1751-64)に至り、老婆が目を患い閻魔様に快癒を祈願したところ平癒したものの、閻魔様の右目が黄濁していた。老婆がお礼にコンニャクを供えたことから、眼病を患うものが閻魔様にコンニャクを供える慣わしができた。同様に境内にある塩地蔵は歯を患うものが、塩を供える慣わしがある。1690年鋳造の鐘楼の鐘は、1937年供出されてサイパン島南洋寺の鐘として使用され、1944年のサイパン玉砕を経て、所有者のアメリカ市民の好意で1974年に源覚寺に返却されたもの。交通 地下鉄後楽園あるいは春日より徒歩3分。東京都文京区小石川。
心光寺石仏 in goo 心光寺へは都営三田線白山が近い。
   心光寺石仏について in Note 

目黒エリア Meguro Area
浅香宮邸(1933)(東京都庭園美術館)  目黒駅から徒歩7分
五百羅漢寺(1695開基 1908現在地へ)in goo  目黒駅から徒歩12分
円融寺(853年 円仁による開基) 

Nagatacho Area 永田町エリア
国会議事堂(1936築) TK
山王日枝神社(1659現在地に移転)・赤坂溜池(赤坂桐畑)

Nezu Hongou Area 根津本郷エリア
Nezu Jinja 根津神社 (1706) 
 根津神社について in Note
旧岩崎久弥邸(旧岩崎邸庭園)(1896完工)

Nogizaka Roppongi Area 乃木坂六本木エリア
国立新美術館 火曜休館 地下鉄千代断線乃木坂6番出口 国立新美術館(2006) 設計 黒川紀章
サントリー美術館 火曜休館 地下鉄都営大江戸線六本木7番出口

Ochanomizu Area 御茶ノ水エリア
Yushima-seido 史跡湯島聖堂(1797/1935) 湯島聖堂大成殿(1935再建)
     湯島聖堂について in Note
Nikolai-do 東京復活大聖堂(1891/1929) ニコライ堂(1891完工)とNARU
    ニコライ堂について in Note
関東大震災の写真(1923) 国立科学博物館
    カトリック神田教会 in Note

芝公園エリア Shiba Park Area
Zojo-ji  増上寺(1598) 地下鉄都営三田線芝公園下車徒歩5分
    芝増上寺について in Note 
Tokyo Tower(1958) 東京鉄塔

Shibuya Area 渋谷エリア
SHIBUYA109(1979) 基本設計 竹山実
 → 渋谷から井の頭線駒場東大前下車徒歩15分
 旧前田家本邸(旧前田利為侯爵邸 前田家駒場本邸 1929) 前田侯爵家とは旧加賀藩前田家を指す。現在の東京大学本郷キャンパスにあった本宅が東大との土地交換で駒場に移ったもの。洋館(1929)と和館(1930)とがある。洋館は地下1階、地上3階。延べ面積3000㎡。戦前の個人の洋館として国内最大。塚本靖の設計監修・高橋禎太郎(1892-1970)の設計。竹中工務店施工。チューダー様式を取り入れた後期ゴシック様式。廊下や階段の大きさは、貴賓を迎えたパーティに備えたもの。第二次大戦中、前田家16代当主の前田利為侯爵の不慮の死があり、侯爵邸は中島飛行機の手にわたり同社本社として使用された。第二次大戦後は占領軍により接収され空軍司令官官邸に使用された。1957年に接収が解除されたあと敷地は国に買い取られ、整備を経て1967年に東京都駒場公園として解放されるとともに、洋館は2002年まで東京都近代文学館として使用された。1975年から駒場公園は目黒区に移管されたが、洋館はなお東京都の管理のもと、月・火・年末年始を除いて公開されている。2013年5月重要文化財の指定。交通 小田急線東北沢あるいは井の頭線東大駒場前から徒歩15分。東京都目黒区立駒場公園。
 →渋谷から井の頭線西永福下車 徒歩7分
 Ohmiya-hachimangu 大宮八幡宮(1063)
 →渋谷から東急田園都市線で三軒茶屋。三軒茶屋から東急世田谷線。
 大場家住宅(18世紀半ば) 彦根藩世田谷領(2300石余)の代官職を務めた(1739から幕末)大場家の住居(1737から1753年の間と推定)。江戸中期の上層農民の暮らしをうかがわせるものとして貴重。母屋が70坪ほど。国の重要文化財。交通 東急世田谷線上町(かみまち)下車。東京都世田谷区世田谷。
 松蔭神社(1882創建) 吉田松陰(1830-1859)を祭神とする神社。山口県萩市にも松蔭神社がある。松蔭神社の場所にはかつて長州藩別邸があった。安政の大獄(1858-59)で刑死した松蔭はこの地にひそかに葬られた。1882年に松蔭を慕う人々によって松蔭神社が置かれた。神社の左手に松蔭ほか松蔭縁故の7人の墓がある。社殿は1927年の創建。社殿右手に松下村塾の建物を模した建物がある。交通 東急世田谷線松蔭神社前下車、徒歩5分。東京都世田谷区若林。
 豪徳寺仏殿(1676-77建立) 世田谷線宮の坂下下車すぐ。
 →渋谷から東急東横線で祐天寺おりてすぐ
 祐天寺(1718)  
九品仏本堂・三仏堂(1698) 東急大井町線で九品仏へ

Shinagawa Area 品川エリア
原美術館(Hara Museum 原邦造旧宅)(1938築) 横浜正金銀行頭取を勤めた原六郎の息子の邦造が、1938年に建てたバウハウス方式の邸宅を1979年から現代美術専門の美術館として公開しているもの。設計は渡辺仁(1887-1973)。渡辺の設計は、岡田信一郎の鳩山一郎邸(1924)から大きく変化している。原邸は、装飾を排除し曲線、直線、垂直線などのラインの対比が横溢するモダニズムの傑作。洋風の庭に臨むレストハウスも得がたい空間である。交通 品川駅から徒歩15分。あるいはタクシーで5分。東京都品川区北品川。

Shinjuku Area 新宿エリア
十二社熊野神社(1403勧請) 中野長者と呼ばれた鈴木九郎が1403年に熊野三山の十二社権現を祀ったのが始まり。享保年間(1716-1735)に八代将軍徳川吉宗が鷹狩りの機会に参拝したことを契機に大池や大滝もあることから景勝地として賑わうようになったとされ、言われは王子の飛鳥山と似ている。大正期から昭和にかけて行楽地としてまた花街として賑わった。現在は滝も池も姿を消している。交通 地下鉄西新宿五丁目から徒歩5分。東京都新宿区西新宿。
東京都新都庁舎(1991) 設計 丹下健三
  新都庁舎の老朽化 補修経費問題
モード学園コクーンタワー(2008) 設計 丹下都市建築設計(丹下憲孝)
伊勢丹百貨店本店(1933築) TK
 →新宿あるいは高田馬場より西武新宿線新井駅下車4分
  林芙美子邸1941(林芙美子記念館)


Tsukijii Area 築地エリア
Tsukiji-honganji 築地本願寺本堂(1934) もともと江戸の本願寺は京都の西本願寺(浄土真宗)の別院として浅草近くの横山町に建設されたもの(1617年)。しかし1657年の振袖火事(明暦の大火)で焼失。幕府は区画整理のためとして旧地での再建を許さず、八丁堀の海上を下付した。そこで佃島の門徒が中心となり海を埋め立てて土地を築き、本堂を再建した(1679年)。しかし1923年の関東大震災によりこの本堂も焼失。伊藤忠太(1867-1954)の設計により再建されたのが現在の本堂である。施工は松井組。1931年の起工。1934年完工。外観はインド様式石造り。内装は桃山様式。自由に中に入れ椅子式になっているなど教会を思わせる。交通 地下鉄築地から徒歩1分 東京都中央区築地。

整理待ち(東京都区内分)
Odaiba (opened around 1995) jgc
Kasai Rinkai Park (1989) jgc
東京の温泉
旧島津邸(清泉女子大学)(1915) TK
金剛寺(1180開創)・音無川 源頼朝(1147-1199)は伊豆で挙兵後、一度敗退して安房に逃れるが再起して兵を鎌倉に進める前の1180年にこの地に陣を張り、弁天堂を祀った。それが金剛寺の縁起である。また弘法大師が創建したという説もある。一帯は近くの石神井川(音無川)に向けて大滝が注いでいたこともあり、江戸時代末には江戸近郊有数の景勝地。交通 王子駅から徒歩15分。東京都北区滝野川。

東京都郊外
Mitaka City, Tokyo東京都三鷹市
山本有三旧邸(三鷹市山本有三記念館)(1926築)  JR三鷹駅から徒歩12分

Choufu City, Tokyo東京都調布市
深大寺(733年) 京王線調布駅から34番バスにて10分

Fuchu City, Tokyo東京都府中市
大国魂神社(111年) 古代において武蔵国の中心 京王線府中駅から徒歩2分

Kokubunji City, Tokyo東京都国分寺市
武蔵国分寺(741年に建立の詔) 武蔵国分寺薬師堂まではJR国分寺駅から徒歩15分

Hino City, Tokyo東京都日野市
Takahata-hudo-son 高幡不動尊(平安初期)  高幡不動尊   京王線高幡不動駅から徒歩5分

Hachioji City, Tokyo東京都八王子市
高尾山(744年) 聖武天皇(701-756 在位724-749)の勅命により行基上人(668-749)が東国鎮護の祈願寺として744年に開基。その後、室町初期の永和年間(1375-78)に京都の醍醐山から俊源大徳が入山して不動明王とともに飯綱(いづな)権現(不動明王の化身とされ長野県飯綱山にあり、平安時代から信仰されている)を奉って中興した。以来、神仏を融合した山岳宗教の霊場となる。明治に入り、醍醐寺系から離れ真言宗智山派別格本山。山上の大本堂は明治期の1901年の再建にとどまるが、大本堂安置の木造地蔵菩薩像は藤原期のもの、不動明王座像は室町末期など本山の伝承を裏付ける仏像がみられる。本堂から階段をあがると1729年建立の権現造りの薬王院飯綱権現堂が現れる。さらにその上には江戸初期の宝形造り奥之院不動堂があり、その堂内には室町初期の不動三尊像がある。交通 京王線高尾山口下車。徒歩5分にて高尾山ケーブルカーにて高尾山駅。さらに徒歩20分。東京都八王子市。

参考 東京都隣接県など
Kanagawa Prefecture神奈川県
Kawasaki City, Kanagawa Prefecture神奈川県川崎市
Kawasaki Daishi Heikeiji Temple 川崎大師平間寺(1128開創) 諸国流浪の末にこの地に住み着いた平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が夢枕に出た高僧の話にしたがって海に出て網を投じたところ弘法大師の木造の尊像(厄除け弘法大師像)を引き上げた。これを手厚く供養していたところに、高野山の尊賢上人が立ち寄りこの話に感銘を受けて兼乗とともに平間寺(へいけんじ)を1128年に建立した。この寺の本尊はこの厄除け弘法大師像。真言宗の間では、成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに関東三本山の一つ。1945年4月15日未明の川崎大空襲で本堂(1834年建立)ほかの建物を焼失し現在の建物はいずれも1960年代以降のもの。本堂は1964年の再建。交通 京浜急行線川崎大師駅下車。徒歩10分。神奈川県川崎市川崎区。

Yokohama City, Kanagawa Prefecture神奈川県横浜市
赤レンガ倉庫(1913完工) 設計は官庁営繕の大元を勤めた妻木頼黄(よりなか)(1859-1916)。施工期間は1911-1913年。妻木は官庁営繕にあって横浜正金銀行(1904)の設計でも知られる。煉瓦造り3階建て。非常用水道管、防火壁、コンクリートを打った防火床構造などに特徴。出入り口には二重の鋼鉄製折り戸又は引き戸。荷役用エレベーター設置。1923年の関東大震災に耐えたことで注目された。東京駅の鉄骨煉瓦造りに対し、碇錬鉄構法の代表として知られる。ともに煉瓦造りから、煉瓦に鉄骨を使用している点で鉄筋コンクリート造りへの移行期の作品。1945-56年の間は米軍が接収して港湾司令部として使用。1992年に横浜市が国から土地建物を取得して、補強改修工事を経て2002年4月から商業施設・ホールなどを納めた施設として再生された。交通 関内駅あるいは桜木町駅から徒歩15分。神奈川県横浜市中区新港町。
神奈川県立歴史博物館 (横浜正金銀行本店1904完工) 設計は妻木頼黄(よりなか)(1859-1916)。ネオバロック様式。青銅のドームが印象的。ドームの尖塔の高さは地上36m。1899年に着工して1904年に竣工している。1969年に重要文化財の指定を受けているが、近代建築としては最も早い段階の指定であることからも建築史上の重要性が伺える。交通 関内駅北口より徒歩8分。神奈川県横浜市中区南仲通。神奈川県立歴史博物館建物紹介関東大震災時に猛火に包まれた横浜正金銀行
横浜市開港記念会館(1917完工) 1909年に横浜市開港50周年を記念して市民の寄付により公募設計の図面で建設が始まったもの。1917年6月に竣工している。1923年の関東大震災では外壁を残し屋根と内部を焼失するという大きな被害を受けた。1927年に再建されたもののドーム部分は省略された。1945-58年の間は米軍に接収された。1978年に修理。1989年にドーム部分を復元し重要文化財の指定。1999年に補強工事。2000年1月に再開館した。宇野沢辰夫製作のステンドグラスが残る。この時計塔はジャックとよばれる。県庁本部をキング、横浜税関をクイーンと呼ぶ。施設利用者の妨げになるため団体見学は不可だが個人が自由に内部を見ることは可能。交通 関内駅南口から徒歩8分。神奈川県横浜市中区本町。
Gumyo-ji 弘明寺(721/738) 弘明寺観音
金沢文庫(称名寺)(1275頃)

Kamakura City, Kanagawa Prefecture 神奈川県鎌倉市
Kamakura Museum of Literature 鎌倉文学館 (前田利為侯爵旧鎌倉別邸)(1936) ここに前田家が別邸を初めて建てたのは1890年のこと。その後1899年に改築されるが1923年の関東大震災で大破し1936年に洋風に全面改築した。設計は渡辺英治。施工は駒場本邸と同じ竹中工務店。塩害に強いチーク材を使用。地上3階木造一部鉄筋造り。延べ面積1411㎡。鎌倉は1887年に東海道線が国府津まで開通してから別荘地・保養地として開発が進んだ。1910年には江ノ電(藤沢・鎌倉間)が開通。この邸宅を佐藤栄作氏(1901-1975 首相在職1964-1972)が1964年から亡くなるまで借用して週末の保養地とした逸話がある。1983年に前田家から鎌倉市に寄贈され、内部を補修後、1985年11月から鎌倉文学館として一般公開。交通 江ノ電由比が浜下車徒歩7分。神奈川県鎌倉市長谷。
ENGAKUJI円覚寺(1282開創)円覚寺は1282年に北条時宗の発願によって無学祖元(仏光国師)が開いた臨済宗の寺。度重なる火災により一時衰微したが江戸時代に再興された。入って正面に山門(1783年築)。楼上には観世音菩薩と羅漢が安置されている。その奥の仏殿は1964年の再建と一段と新しい。本尊は宝冠釈迦如来。左手奥に舎利殿(国宝)があるがその公開時期は限られており、通常は遠景をみるのみ。もともとの舎利殿を焼失して大平寺仏殿を1563年に移築したとされる。したがって建設時期が明確でないが、正福寺地蔵堂(1407)との酷似から室町前期と推定されている。山門右手の山中には洪鐘(おおがね)がある。北条貞時が1301年に寄進したもので高さ250.5cm、径142cmの大きなものでこれも国宝である。交通 北鎌倉駅から徒歩2分。神奈川県鎌倉市。
Great Buddha of Kamakura, Kamakura Daibutsu鎌倉大仏(1252鋳造開始)
高徳院阿弥陀如来像。銅造、漆箔。もとは金箔でおおわれていたとされる。高さ11.387m(なお奈良の東大寺大仏の座高は14.98m)。国宝。もともとは1243年に開眼した木造の大仏があった。これは3代執権北条泰時(1183-1242 在職1224-1242)のときで、泰時が支援したことも記録に残る。現在の銅造りの大仏は、1252年に鋳造が始まったとされる。ただ不思議なことに誰がこの大仏を発願したのか、いつ完成したのかなど肝心な点がわからない。ときは第五代執権の北条時頼(1227-63 執権在職1246-56)の時代。また当初は真言宗の寺で木造の大仏殿があったことはわかっている。1495年の津波により堂宇が倒壊して以降、露座になりまた廃寺同様に荒れ果てたとされる。江戸時代に入って、浄土宗の祐天上人(1637-1718)が正徳年間(1711-1716)に浄土宗寺院として再興した。交通 江ノ電長谷駅より徒歩8分。神奈川県鎌倉市長谷。
HASE KANNON, HASE TEMPLE 長谷観音(736年)縁起では721年に徳道上人が楠の霊木で2体の十一面観音菩薩像を造り、一体を奈良県の長谷寺に納め、もう一体を海中に投じたところ、736年に相模国三浦の長井の沖(葉山)に漂着した。それを当地に移し祀ったとされる。現存の尊像が当時のものとは言いがたいがそれではいつ製作されたかはわかっていない。1264年に寺が再興されたことが梵鐘の銘により判明する。1342年に足利尊氏が金箔を押し、1392年には足利義満が光背を新造したとされる。近年の調査で像には1485年の修理札があったので、1485年より前に製作されたことは確定している。3丈3尺(9.18m)の観音像は、国内では有数の大きさの像である。このほか室町期と推定される阿弥陀如来像も伝わる。交通 江ノ電長谷駅より徒歩3分。神奈川県鎌倉市長谷。

Isehara City, Kanagawa Prefecture 神奈川県伊勢原市
大山寺(755年) 東大寺初代別当を務めた良弁僧都(689-773)が、東大寺大仏建立の事業(747-752)を終えたあと755年に創建したとされる(華厳宗)。聖武天皇(701-756 在位747-752であるので天皇を退いたあと)の勅願寺。その後、第二世住職を行基上人の高弟光増和尚が務めた。820年には弘法大師(774-835)が第三世住職として当山に入った(真言宗)。879年の大火で伽藍を焼失するも884年に再興。その後、再び荒廃。願行上人は1264年に不動明王・二童子像を鋳造、山上に安置し山上に伽藍を整えた。これらの像は大山中腹の不動堂に伝えられている。その後、大山寺について徳川家康は1609年に修行僧の下山を命じて弾圧を加えたが、徳川家光は一転して再興をはかり、江戸時代を通じて高幡不動、成田不動とともに関東三大不動の一つとして参拝客を集めた。しかし江戸末期の1854年に全山焼失の大火。さらに1868年の廃仏毀釈の中で寺宝を多くを失った。1876-84年に山腹に不動堂を建設して山上に安夫利神社を残して山腹に移り現在に至る。交通 小田急線伊勢原駅からバス20分。大山ケーブル「不動前駅」下車徒歩3分。神奈川県伊勢原市大山。
日向薬師(716年) 716年に行基上人(668-749)が開創。本尊は行基上人が彫ったとされる鉈彫りの薬師如来。表参道を進むと階段があり、その上に仁王門(1833年建立)。さらに苔むす道を登ると山上の茅葺の本堂に達する。本堂は寄棟造り、茅葺の七間堂。江戸時代に入り1660年に再建されたもは1688年と1744年に修理したことが判明済み。奥深い山中にこのような大きな建築があることは興味深い。右手にある1763年建立の鐘堂も茅葺。その銅鐘には1340年にあたる刻印がある。また本堂左の宝物館には、平安期とされる鉈彫りの薬師如来三尊のほか、 鎌倉期の薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、月光菩薩立像、十二神将立像、四天王立像。さらに南北朝期とされる厨子がある。厨子中の鉈彫り薬師如来三尊以外は 通年で拝観できる。交通 小田急線伊勢原駅よりバス20分。徒歩10分。場所:神奈川県伊勢原市日向。

Odawara City, Kanagawa Prefecture神奈川県小田原市
報徳二宮神社(1896創建)

Saitama Prefecture埼玉県
Kawagoe City, Saitma Prefecture埼玉県川越市
喜多院(830年)喜多院については、奈良時代に仙芳仙人が法力でこの地の入り江の海水を取り除き尊像を安置したことを始まりとする伝承もあるが、天台三代座主円仁(794-864)が830年に勅願により伽藍を創建したことをここでは始まりとする。その後1205年の兵火で荒廃するが、1296年に伏見天皇が尊海僧正に再興させて以降、慈恵大師を祀り関東天台の中心となった。その後1537年に兵火に会い再び荒廃。時を経て1599年に比叡山より天海が来訪し、堂宇を修理し寺勢を再度回復。1617年に東照宮がまつられ、1633年には社殿も造営されたが、1638年の川越の大火で山門を除く堂宇・東照宮を焼失した。徳川家光の命により江戸城紅葉山より別院を移築しては再興された。1640年には東照宮も再建(仙波東照宮)。境内にその後、1782年から50年かけて五百羅漢像が作られた。なお上野寛永寺本堂(根本中堂)は彰義隊とともに上野戦争(1868年7月4日:旧暦では5月15日未明から夕刻まで)で火炎に包まれ焼失。1877年に喜多院の本堂(1638年建立)が上野寛永寺根本中堂として移築された。交通 川越駅から徒歩20分 埼玉県川越市

Chiba Prefecture千葉県
Urayasu City, Chiba Prefecture千葉県浦安市
Tokyo Disneyland (1983) Wikipedia

Ichikawa City, Chiba Prefecture千葉県市川市
Nakayama-Hokekyo-ji 中山法華経寺(1260)
     中山法華経寺について in Note

Narita City, Chiba Prfecture千葉県成田市
成田山新勝寺(940開基)

Ibaraki Prefecture茨城県
Sakuragawa City, Ibaraki Prefecture茨城県桜川市
楽法寺(587年) 雨引観音 Amabiki Kannon
小山寺(735年) 聖武天皇(701-756 在位724-756)の勅願により行基上人(668-749)が735年に開基。行基上人自作とされるケヤキ一本造り鉈彫刻の木造十一面観音像が秘仏として伝わる。このほか慈覚大師円仁(794-864)が後年立ち寄って造ったとされる木造不動明王像、運慶(12世紀半ば-1224)作とされる木造毘沙門天像などが残る。建築物として関東で最古の三重塔(1465年建立)。江戸期再建の本堂(1696年)、仁王門(1732年)など。交通 水戸線岩瀬駅下車。車で10分。茨城県桜川市。

Tochigi Prefecture栃木県
Utsunomiya City, TochigiPrefecture栃木県宇都宮市
大谷観音(810年)

Nikko City, Tochigi Prefecture栃木県日光市
中禅寺立木観音(784年)
輪王寺三仏殿(1645建立)

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