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東京復活大聖堂(1891/1929) Holy Resurrection Cathedral

   いわゆる「ニコライ堂」。JR御茶ノ水駅東口からすぐ。ニコライ・カサートキン(1836-1912)は正教会布教のため1861年来日。「ニコライ堂」はその発願が実り1891年に竣工。日本で最大のビザンチン様式の建築。1923年の関東大震災で被災(東京ニコライ堂の惨状)。1927-29年に岡田信一郎らにより修復再建(1929 施工清水建設)。第二次大戦による戦災を免れ1962年に国の重要文化財の指定を受けた。なお2000年に鹿島建設が修復工事を行っている

    いわゆる「ニコライ堂」である。ニコライとは正教会布教のため文久元年1861年に来日したニコライ・カサートキン(1836-1912)のこと。「ニコライ堂」はその発願が実り明治24年1891年に竣工。日本で最大のビザンチン様式の建築として知られる。大正12年1923年の関東大震災で被災する(東京ニコライ堂の惨状)も、昭和2年1927年-昭和4年1929年に岡田信一郎らにより修復再建された(昭和4年1929年 施工清水建設)。第二次大戦による戦災を免れ昭和37年1962年に国の重要文化財の指定を受けた。なお平成12年2000年に鹿島建設が修復工事を行っている。
 與謝野鐵幹(明治6年1873年-昭和10年1935年)與謝野晶子(明治11年1878-昭和17年1942年)は明治42年1909年に、ニコライ堂の近くに移り住んだ。その歌からは日常の風景の中にニコライ堂があることを楽しんだ様子がうかがえる。
 まず晶子から4首。
戸あくれば ニコライの壁わが閨(ねや)に 白く入りくる 朝ぼらけかな
隣り住む 南蛮寺の鐘の音に 涙のおつる 春の夕暮れ
ニコライの 高き塔より鳴る鐘の 広がる屋根に 白き雨降る
わが住むは 醜き都雨ふれば ニコライの塔 泥に泳げり
 鐵幹からも4首。
岩崎の木立を出でてNIKORAIの 壁にただよふORCHESTRAかな
小石川原町の火事をかしくも NIKORAI寺のしら壁に照る
その男NIKORAI堂のうしろてに 暫く住みて行方知らずも
灰色の空に黙(もだ)せるNIKORAIの 黒き円(まろ)屋根われも黙せる
  斎藤茂吉(明治15年1882年-昭和28年1953年)は大正2年1913年2月、巣鴨病院を早退して、ニコライ堂を訪ねて次の歌を詠んでいる。このとき茂吉が見たのは、震災前のニコライ堂である。
 きさらぎの天(あめ)のひかりに飛行船 ニコライでらのうへを走れり
 以下も茂吉の歌である。
 入りかかる日の赤きころ ニコライの側の坂を下りて来にけり
 北原白秋(明治18年1885年-昭和17年1942年)は、昭和12年1937年、糖尿病による眼底出血のため、お茶の水にある杏雲会病院に入院。クリスマスイヴを病院で過ごした。そのとき以下の歌を詠んだ。このとき白秋は、昭和4年1929年に修復されたニコライ堂を詠んでいる。
 ニコライ堂この夜揺りかへり鳴る鐘の
 大きあり小さきあり 小さきあり大きあり
 以下も白秋の歌である。
 ニコライ堂 円頂閣(ドオム)青さび雲低し この重圧は夜にか持ち越す

 交通 JR御茶ノ水駅聖橋方面出口でてすぐ
 そのほかの写真 ➵ Note#東京復活大聖堂
参考 正教会に行ってみた 2019/12/04
History of the Cathedral



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