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福光了良(あきよし)
ハイベロシティCEO 福岡県出 早大院修後ソニー 起業2004
ハイベロシティ(東京都港区白金台)
福光明(あきら) 石川県輪島市立門前中学教諭
福光亮(あきら?→りょう に仮置)
福光一七(かずしち) ジャパンシルバーフリース(大阪府大阪市西区)代表取締役
福光 大輔 福光 道太 と言った人が周辺にいる。大輔氏はジャパンシルバー
フリースの大株主。道太氏は大阪府大阪府柔道連盟会長在職中に亡くなる。
福光和紀(かずのり)
光和堂整骨院院長 1984開業
福光一葉(かずは) ファーリーアーズ所属装蹄師 島根出身
開星 学習院馬術部
福光和洋(かずひろ) 広島修道大学卒 倉本産業勤務
福光克明(かつあき) テクノソルートラボ(山口県山陽小野田市) 代表取締役
福光可奈子(かなこ) Adroaig所属 声優・ナレーター
福光佳奈子(かなこ) 「イエノミライフ」運営 薬用酒レシピ開発 札幌生れ
福光花蓮(かれん) 2014年ホノルルマラソン最少年齢7歳で完走 小学校時代各種の絵画コンクールなどで多数の入選歴 中学時代 バドミントン部
2021年7月 聖火リレーで再び注目される福光甘斎(かんさい) 理化学研究所研究員 京都大学DC 生命科学
2023年4月より 藤田医科大学医学部生理学助教 包括脳ネットワーク
福光恭子(きょうこ) 大塚歯科(埼玉久喜市)矯正歯科医 徳島大+岡山大院
福光慶子(けいこ) 神戸で活動していたジャズピアニスト。結婚して須藤に改姓。現在は石川県能登で農業、
音楽教室など。
福光敬子(けいこ) 書家敬祥(けいしょう) 元大阪外国語大学(大阪大学)非常勤講師(2003/04-2021/02) 奈良教育大卒
スーパーキッズの会代表
留学生の書道授業から見えて来るもの 2022/03/21福光敬子 佐賀県佐賀市在住
郵便局絵手紙で入選福光圭輔(けいすけ) 開業医(熊本県熊本市) 循環器内科
福光啓太(けいた) 歯科開業医(福岡県大野城市) 九州大学歯学部卒
福光剣(けん) 京都大学付属病院勤務。京大医学部1999卒 博士2010 厚生省に出向2014~2015 再生医療 薬事行政に詳しい 2022/12同病院を退職。
2023年2月現在 京都桂病院消化器センター外科副部長。
福光健(けん)
警固ヒフ科クリニック院長 福光賢治(けんじ) 2019ベネッセを辞め北海道仁木町で就農 香川出身
福光賢治 さんのFacebook 香川三本松高校 同志社卒
福光健二(けんじ) 群馬県畜産試験場勤務
福光健二(けんじ) 三菱UFJ信託銀行勤務 証券アナリスト
福光賢祐(けんすけ) 徳島文理大学教授 徳島大学工学部1984卒
2023年専任教員名簿で確認できず。退職と推定。
福光研介(けんすけ) 名古屋市立大学呼吸器医師 三重大2007卒 兵庫出身
福光研太(けんた) 山口テニスアカデミー所属 誠英高校2年
その後、名古屋経済大学に進学してテニスを継続
令和6年度第84回東海学生テニス選手権 329福光弘次(こうじ?) 中古自動車販売士 店舗は佐賀県鳥栖市(とすし)
有限会社コスモス代表取締役
2023/09 久留米市倫理法人会会長 (→ひろつぐ?)
福光孝介(こうすけ) 2021に九州大学システム情報科学府に在籍
福光恒星(こうせい) サクスフォーン奏者 名古屋音楽大学卒
2022/12/18のコンサート 福光恒星 さんのFacebook福光左近(さこん) 書家
幽石 奈良教育大評議員 同大を1975年卒
福光幸(さち) 宮崎県立宮崎北高等学校教諭
福光聡(さとし) 日本製粉イノベーションセンター主幹 筑波大学客員共同研究員
福光聡(さとし) 小泉(株)取締役 コイズミクロージング(株)社長
福光賢己(さとみ?) 山口県立山口農業高等学校教諭
福光早苗(さなえ) 市民セクター政策機構 理事
福光三郎左衛門進 豊前福光派古術(福岡県田川郡) 風門館館長
豊前福光派古術について 美作(みまさか 岡山県北東部)福光氏の末裔が江戸時代初めに豊前(ぶぜん 福岡県南東部)に転地の上、帰農させられた。その豊前福光氏に伝わる古術である。この伝承から美作福光と豊前福光との関係を確認できる。
福光佐和(さわ) 富山大学付属病院消化器腫瘍総合外科秘書
福光爽良(さわよし?) 北海道札幌東倫理法人会サブリーダー
福光純平(じゅんぺい) JFE 2021卓球で記録あり 明治大学卒と同一?
福光翔一(しょういち) 2022年に練馬区立光が丘三中二年 100m走欠場
福光湘太(しょうた) 山口県立柳井高等学校二年
福光伸一(しんいち) アニメ編集技師 音響監督など
福光真二(しんじ)
開業医(京都府京都市) 消化器内科 京都府立医科卒
弁護士登録 2015/01
福光誠(まこと) 歯科開業医(東京都練馬区) 新潟大学歯学部卒
福光聖雄(まさお) 1979- プロの麻雀士 千葉県柏市出身
福光正樹(まさき) (株)ティムコ 勤務 アウトドア、フィッシング用品販売
福光真人(まさと) 東京工業大学応用科学系院生D2(2023) 2023に確認
福光正尚(まさなお) 阪急百貨店勤務 お父さんは阪急百貨店社長会長を務めた故福光尚次氏。
福光正行(まさゆき)
東和透析クリニック院長 元佐野市民病院長 東大医卒
2023年東和透析クリニックでの在籍を確認
日本交通医学会監事 日本医学会医学用語委員会委員
福光正幸(まさゆき) 長崎県立大情報システム学部准教授 東北大情報科学DC2014 岩手大 2023年長崎県立大学での在籍を確認
北海道情報大を経て長崎県立大情報システム学部情報セキュリティ学科 暗号理論 長崎県立大学2022年度暗号数理特論シラバス福光真澄明(ますあき) あずさ監査法人 公認会計士
2023年あずさ監査法人での在籍を確認
福光松太郎(まつたろう)
福光屋第13代当主 1950生れ 慶応大学経済1973卒
2023年社長としての在籍を確認
福光学(まなぶ) 行政書士(広島県呉市)
福光衛(まもる) 「
タイスケ」(品川区五反田)副社長 ポリグロッツ オウケイウェッブ取締役 同志社卒1964生れ
福光保之(やすゆき)
歯科開業医(福岡県福岡市)
福光由布(ゆう) 書家 大阪大学 橘大学などで講師
広島大学で学位(2015?) 福光優一郎(ゆういちろう)
新居浜工業高専准教授 東北大院(文学)卒
福光裕次(ゆうじ) 2022年3月広島県世羅郡甲山中学校長を退任
福光裕介(ゆうすけ) 札幌市在住の起業家 整骨院 ヘルスケア事業など
物故者(逝去を確認できた人々)
福光家慶(いえよし) 神戸大学法学部教授(経済法)を勤める
福光於菟三(おとぞう) 九州大学総合理工学部教授を務める
福光尚次(しょうじ) 1922-1996 阪急百貨店社長・会長 福岡県出身 1947慶應義塾大学経済学部卒 正尚の父
福光博(ひろむ) 1924-2004 福光屋会長 松太郎の父
福光道太(みちた) 福光一七(かずしち)を見よ。2019大阪府柔道連盟会長に就任。その後、2年の任期中に亡くなる。
福光文次郎(もんじろう)輪島塗沈金師(玉峰) 満穂の父
福光洋一(よういち)
-2014 84歳 衣笠でソーシャルワーカー20年福光廉平(れんぺい) 京都帝国大学医学部微生物学教室に勤める
福満しげゆき 1976年生まれ 漫画家
福満隆貴(ふくみつ たかき) 1992年鹿児島生まれ Jユナイテッド千葉所属プロサッカー選手
参考
福 光一(ふく こういち) 行政書士(大分県中津市)
福 光太郎(ふく みつたろう) 1898-1965 写真家
cf.
芹髙郁子「福 光太郎 調査報告」参考
安藤 福光(あんどう よしみつ)兵庫教育大学准教授
坂尾 福光(さかお ふくみつ)京都府立医大出身 医療英語のプロ
① 石川県輪島市 奈良時代の人名「藤原福光」
② 富山県南砺市 平安時代の地名「福満」
③ 島根県太田市 鎌倉時代の地名
④ 広島県世羅郡 鎌倉時代の名主の名前
⑤ 岐阜県岐阜市 戦国時代の地名
全国の地名における福光 北から
① 石川県鳳珠(ほうす)郡能登町福光
太田文(おおたふみ 大田文)鎌倉時代に作成されたこの文書から北能登には町野荘、
若山荘(わかやまのしょう)などの荘園が存在したことが分かる。若山荘は全国的にみても規模が大きい荘園として知られる。
能登の福光氏 町野川の下流域に珠洲郡下町野荘、町野川の上中流域に珠洲郡町野荘が久安元年1145年に成立。鎌倉時代末の正応六年1293年に町野荘が九条家領に。おそらく下野町荘も同様と推定される。本家が九条氏。領家が日野氏。その下町野郷きっての旧家福光がある。九条家の荘園であった下町野荘に領家日野家の一族が荘官となり開墾して定住し、その名田経営の名主として成長したのが伝承で日野家の兄弟筋にあたる福光家と考えられる。(資料:『奥能登と時国家 研究編1』平凡社1994年pp.38-39, 129-131)
この地に入ってきたのが、いわゆる時国家である。平清盛の妻の弟である平の時忠が、壇ノ浦の戦い(寿栄4年3月24日:1185年4月25日)のあと、奥能登に落ち延びる。その時忠の息子が時国でこの奥能登で、その子孫は時国家として土豪として成長して、やがて繁栄することになる。都から落ち延びてきた時国の一族と、在地の福光家とがどのような関係を結んだかは不明であるが、福光名があったとされるところに、現在は時国家の屋敷や庭園が広がっている。
明治22年1889年珠洲(すず)郡木郎(もくろうむら)成立
昭和23年1948年珠洲郡松浪町(まつなみまち)成立。
昭和29年1954年字松波、上、田代、駒渡の各一部が開拓され字福光が成立。
昭和33年1958年松波町が内浦町に改称
平成17年2005年に珠洲郡と鳳至郡が統合し鳳珠郡が成立。また旧内浦町は合併により能登町になる。
② 富山県南砺市福光
参考
石黒荘(いしくろのしょう) wiki 参考 福光町 明治22年1889年から平成16年2004年まで存在。
戦国時代 越中福光城が存在、石黒氏の居城だった。
③ 岐阜県岐阜市福光東
参考 稲葉郡福光村 明治7年1874年から明治30年1897年まで存在した。この地域は江戸時代は長良三郷とよばれ、上福光村、中福光村、真福寺村に分かれていた。現在、岐阜市福光東、福光西、福光南町など。ということは、この地の福光も江戸時代前におそらくさかのぼれる。
④ 島根県太田市温泉津町福光
参考 邇摩郡福光村 明治8年1875年から昭和26年1951年まで存在。
江戸時代 幕府の直轄領として「福光本領」と呼んだ。
戦国時代 石見福光城が存在。元々は福光氏の、やがて吉川
氏の居城として使われた。この地は室町後期から福光美
濃守兼国の所領になる。永禄2年1559年福光氏がその所
領を吉川経安に差し出し家臣となったことから、吉川氏
の居城になる(福光氏の祈願寺だった楞厳寺(りょうご
んじ)のHPによる)。
福光小三郎 吉川経安とともに転戦。天正9年1581年の豊臣秀吉に
よる鳥取城攻めに際して、毛利方の命により、経安とと
もに鳥取城に入る。兵糧攻めにあい、使者として和議申
し入れ。その後、経安は鳥取城で切腹、小三郎はほかの
厳島神社社領注進状 応栄4年1397年の注進状に福光の地名あり。
新出周布文書 貞応2年1223年 藤原兼定に対し大宅庄内福光村地
頭職、当知行安堵の関東下知状あり。また正治年間
(1199-1201)に兼定が当地に城を築いたという話もある
(「益田氏系図の研究」p.35)。
石見の福光氏
安貞2年(1238年)2月6日関東下知状によれば 福光を周布氏領とする
龍雲寺周布氏系図によれば 周布三代時兼の弟兼俊が福光の祖とある
福屋氏系図によれば 福屋氏三代兼親の弟 兼継が福光の租とある
→ 兼俊に子がなく兼継を養子とした可能性がある(推測)
建武3年(1336年)7月22日付け足利尊氏感状(益田家文書)では
「福光三郎太郎兼継」とある(岩崎建「物不言城(福光城)『Ladiesますだ』297号2010年5月pp.18-19)
以下も参照
岩見福光氏の衰退(戦国日本の津々浦々)⑤ 福岡県朝倉市福光 なお久留米市にも福光の地名がある。
参考 下座郡福光村 明治11年1881年ー明治22年1889年まで存在。
明治11年 四郎丸、古江、坂井、城力の各村合併して福光村。こ
れより福光の地名が遡れるか継続調査中。
参考 古保利(こおり)薬師(広島県北広島町) この薬師堂はこの地の豪族だった凡氏宗家の氏寺福光寺の廃寺跡に建っているとのこと。凡氏(おおしし)は平安後期に領地を厳島神社に寄進したことが知られている。その後、吉川氏の祈願寺でもあったという。
残されている仏像から福光寺が平安初期の9世紀までさかのぼれることが明らかになっている。
2022年9月28日up 逐次確認と補充の作業を実施中