ビスミッラーヒッラーフマーニッラヒーミ(慈悲深く慈愛深いアッラーの御名において)
じつは、この機会に、あなたたち全員とアッラーに使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛する人に吉報を伝えることが出来たら、と思います。
さて、誰がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛していますか?
(皆手を上げる)私たち全員ですね。
彼を信頼している、という意味です。
それでは、彼が自分を愛してくれていると知っている人はいますか?
誰もいませんか?
(一人だけ手を上げるH)Hだけが知っているということですか?
あなたたちは全員、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)があなたたちを愛してくれていることを知らなければいけませんよ。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が、自分のサハーバ(教友)とあなたたちどちらを愛しているか知っていますか?
彼はあなたたちをより愛しているのですよ。
今から話すことに注意してください。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)がサハーバたちと一緒にいたとき、ふとこう言いました。
「あぁ、私の兄弟たちに会えることが出来たら。」と。
「私の兄弟に会えることが出来たら。」と言ったのです。
サハーバたちは、自分たちが彼の兄弟であり、教友であると思っていたので、とても驚きました。サハーバたちは言いました。
「アッラーの使徒よ、私たちはあなたの兄弟ではないのですか?」彼は言いました。
「いいえ。あなたたちは、私のサハーバ(教友)です。」
あなたに質問があります。友達関係と兄弟関係の、どちらが強いか。
(皆兄弟関係、と答える)そうですね、兄弟関係ですね。
彼は、「あなたたちは、私の教友です。」と言い、「私の兄弟たちはまだ現れておらず、彼らは私を目にすることなく、私を信じた人たちのことです。」と言いました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が、どういう理由であなたを愛しているか、分かりましたか?
どのような理由で、あなたに会いたいと思っているか、分かりましたか?
理由は、このハディース(預言者言行録)の中にあります。
彼は、私たちに会いたがってくれていますし、死の床についたときでさえ、私たちのことについて、考えてくれていました。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、「私の後、このウンマ(共同体)に何が起こってしまうのか」といつも考えていました。
するとジブリール(大天使)がやって来て、彼にアッラーがこのウンマを守ってくださることを伝えました。
そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は亡くなり、ウンマを置いていくことになりました。
彼が残していったウンマがどういうものか分かりますか?
スンナ(預言者の慣行)を大切にしないウンマではありませんでした。
私たちがしなければいけないこと、そして私たち一人一人は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が何を行ってきたかを研究する必要があります。
私たち全員は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛し、会いたいと望みます。
そして、私たち全員は、天国で彼(アッラーの祝福と平安がありますように)と共にあることを望みます。
そして、再生の日、彼に会えることを望みます。
その代わりに私たちが何をしなければいけないか。
預言者(平安と祝福がありますように)は、人々全ての指導者でした。
私たちは、彼がしたようなことを行います。
さて、彼はどのようにして指導者になったのでしょうか。
何を使って指導者になったのでしょうか。
イスラームのメッセージと、預言者性で、です。
至高なるアッラーは、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後も、このメッセージと預言者性を最後の審判の日まで有効にされました。
全ての男女がこのメッセージ、教えを担い、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が行ったように行っているわけです。
これこそ、スンナ(アッラーに使徒の慣行)に従っていることと言えます。
さてあなたはスンナに従っていますか?
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は何を重要としていたか?
もしあなたが、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が重要視するものを重要としていれば、あなたはスンナと共にあると言えます。
でもその逆であれば、あなたはスンナから遠ざかってしまったことになります。
自分自身について注意してください。
今は、ラビーウ月(イスラーム暦の月の名、ラビーウは春を意味する)、預言者(平安と祝福がありますように)が生まれた季節です。
皆さん、春が季節の中でどういうものか知っていますか?
四季の中での春の役割が何であるか知っていますか?
春は、四季の中で最も美しい季節ですね。
暑くなく、寒くない。
秋も春に似て、暑くなく、寒くないですが、秋には木の葉が落ちますが、春には、花々が咲きます。
さあ、なぜ春が四季の中で最も美しいか、分かりましたか?
そして、なぜ預言者(平安と祝福がありますように)が生まれた月が、ラビーウ(春)月か、分かりますか?これは偶然でしょうか。
春は最も美しい季節であり、この季節の名を取った月に預言者(平安と祝福がありますように)は生まれた。
なぜ?なぜこの月の名は、ラビーウ(春)なのでしょう?
まるで、時間と歴史が私たちに、春が一年で一番美しい季節であるように、ラビーウ月が一年の中で一番美しく、それは、その月に人類の春が遣わされたからと、言っているようです。
人類の春とは何でしょうか。
自然の春になると、木に花がつきます。
花が散ると何が起きますか?実がなります。
まるで、時間と歴史が私たちに、ラビーウ月に春(的な存在)が生まれ、花々が咲いたと、あなたたち、イスラームのウンマ(共同体)よ、あなたたちがその実である、と言っているようです。
ですから、私たちが、「花」であるスンナにしがみつき、それから「実」を取れば、春から益を得ることができたと言えるでしょう。
皆さんは、春の木について知っていると思いますが、この季節の木には花が咲きます。
しかし、この花すべてに実が出来るでしょうか?全てにではないですね。
実を持てるのは、受粉に恵まれたものだけですね。
そうでない花には、実はなりません。
この話から得られるものとは何でしょうか?
あなたたちは、「花」を手にしていて、今、受粉が必要なわけです。
皆さん、受粉の意味が分かりますか?
私たち一人一人が、スンナで受粉する必要があります。
この受粉が成立すると、実を手に入れることができます。
サハーバ(教友)(アッラーのご満悦がありますように)は、預言者性の花を手にし、スンナという受粉をしたので、最も素晴らしい人々でした。
私が今言っている話は、私が作ったものではなく、私たちが歴史から得られるものです。
歴史が、最もよい人々について、どの時代が最もよかったかを教えてくれます。
サハーバの時代です。この時代に、花の実がついたのです。
そしてこの実は、私たちに歴史を通して、預言者(平安と祝福がありますように)の死後、ウンマがどのようになったかを説明してくれます。
さてあなたは、預言者(平安と祝福がありますように)の死後、イスラームはどこにあったか知っていますか?ヒジャーズ地方のみです。
預言者(平安と祝福がありますように)の死後、シリアにイスラームは到達していましたか?ヨルダンに到達していましたか?いいえ、そうではないですね。
あなたたちの中で、陸路でウムラ(小巡礼)に行った人はいますか?
一人だけですか?それでは、インシャーアッラー、皆さんがウムラに行けるよう、祈ります。
もし行くことができたら、陸路のウムラの方が空路のよりも相応しいことがわかるでしょう。
特にこのような内容の話には。
なぜなら、イスラームの歴史を発見できるからです。
(もし陸路で旅した場合、)シリアを出るとヨルダンに入ります。
そしてヨルダンを終えると、サウジアラビアに入ります。
サウジの国境に入ってバスで6時間したところが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)時代にイスラームが伝わったところになります。
そしてアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後、サハーバ(教友)たちがどのように花を手に取り、実を作っていったか、あなたたちによく理解して欲しいと思います。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後、わずか50年の間に、イスラームは東にある中国に伝わりました。
西へは、フランスの国境に伝わりました。
さて、彼らの時代に、車はあったでしょうか?
バス、ラジオ、電話はありましたか?
(聴衆皆が、無かったと答える)
では、どうやってイスラームは伝わったのでしょう?
サハーバの存在があります。彼らにアッラーのご満悦がありますように。
彼らがスンナの花を受粉させたためです。
これがどういう意味か分かりますか?
アッラーの使徒の慣習を受け継ぎ、彼が行ってきたことを彼らは模倣したのです。Qiyamullayl(夜に行う任意の礼拝)、Tahajjud(一度眠った後に起き出して行う任意の礼拝)、Dhikr(アッラーのお名前を念ずること)、クルアーン読み、クルアーンが示すよい行儀を身に付けることなど。
サハーバの一人一人が、クルアーンとなって地上を行き来しました。
彼らこそが、春の花を手に取り、スンナで受粉させて出来た実を手にし、イスラームを広めました。
この時代が一番よい時代でした。多くの歴史学者が、歴史上、ムハンマドの追従者たちほど素晴らしい人たちはいないと言っています。
彼らの多くは、彼がアッラーの使徒だと知りません。
彼らはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を、指揮者もしくは指導者のように言います。
彼らは、アッラーの使徒が最高のアラブの指導者だったと言っています。
彼らは、メッセージや預言者性について知りません。
あなたは今、あの春の追従者の一人です。
あなたに課せられたものは何でしょうか。
スンナで受粉することです。
受粉後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が何を考え、どのように行動していたかよく考えて、よく研究してください。
今から何をしようか、イードにはどこへ行こうか、明日は休みだからどこへいこうか、どの友達を訪問しようか、などとアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は考えていませんでした。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)はいつも、どのようにしてイスラームに貢献し、広めるかを考えていました。
マッカの人々全てがイスラームを否定し、ムスリムたちに危害を加えていた頃にも、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)はどのようにしてイスラームに貢献するか考えていました。
彼はイスラームに貢献することを望んでいたわけです。
そして彼は市場へ行き、そこで部族たちをイスラームへ呼びかけました。
これをきっかけに、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は幾人のアンサール(援助者、マディーナの人)となる人に出会い、マディーナ遷都のきっかけが生まれました。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の追従者の皆さん、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が愛する皆さん、あなたたち全員がアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛していることに、微塵の疑いもありません。
しかし同時に、あなたたちが彼(アッラーの祝福と平安がありますように)に対して不努力であることも言えます。
毎日、「今日は何のスンナを行えたか」と、自問自答してください。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)には、多くの功績があり、それを模範にしたサハーバは成功しました。
あなたは現在、なぜ自分自身にも勝つことができないのでしょうか?
あなたは自分自身に、イスラームに沿った正しい一日のスケジュールを課すことも出来ません。
なぜか?
なぜなら、あなたはアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の慣行=スンナから遠ざかっているからです。
ですから皆さん、私たちはぜひこの花を手にし、スンナで受粉させましょう。
皆さん、こうできるようお互いを励ましあってください。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)はこう言っています:
《Ushdud Adudaka Li Akhik》(あなたの腕でしっかりと兄弟を掴みなさい)、と。兄弟同士で、助け合いなさい、と。
一人で何かを成し遂げることは出来ないものです。
ムスリムは、兄弟であるムスリムと手を取り合わなければいけません。
ですから、あなたたち一人一人は、皆(寮生)をアッラーにおける姉妹とし、スンナに基づいて協力しなければいけません。
タハッジュドに起こし合ったり、キヤームッライルに立てるよう、励ましあったり。クルアーン暗記が目標の競い合いをしたり。
あなたたちは今、寮長や寮番の先生に頼る必要はありません。
あなたたちは皆で合意すればいいのです。
スンナに基づいてものごとを達成させると。
さぁ、みんな、一緒に夜、礼拝のために立ちましょう、
スンナを実行しましょう、毎日寮生の一人がイマーマとして礼拝に立つようにしましょう、クルアーンを少し覚えては、それを合同礼拝に使うようにしましょう(などと皆で頑張ってください)。
合同ズィクル、合同礼拝などを皆で一緒になって実行してみてください。
天使がやって来て、主もこう言うでしょう。
「ごらんなさい、この者たちこそ私のしもべ。ロシア、中国、マレーシア、インドネシア、ドイツからやって来ている。皆して集まっている。皆して(礼拝のために)立っている。私のためにルクーウ(立礼に似た礼拝単位)し、サジダ(額を床につける礼拝単位)している。」
どんなにアッラーがあなたたちに満足してくれることでしょう。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)もどんなに喜んでくれることでしょう。
ですから、皆さん、アッラーがラビーウ月に私たちに下さった最大の恩恵について、よく考えてください。
そして、この恩恵をどう使うか、そして、私たちが一緒にここ(寮なりシリアなり)にいるという恩恵をどう使うか、よく考えましょう。
じつは、この機会に、あなたたち全員とアッラーに使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛する人に吉報を伝えることが出来たら、と思います。
さて、誰がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛していますか?
(皆手を上げる)私たち全員ですね。
彼を信頼している、という意味です。
それでは、彼が自分を愛してくれていると知っている人はいますか?
誰もいませんか?
(一人だけ手を上げるH)Hだけが知っているということですか?
あなたたちは全員、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)があなたたちを愛してくれていることを知らなければいけませんよ。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が、自分のサハーバ(教友)とあなたたちどちらを愛しているか知っていますか?
彼はあなたたちをより愛しているのですよ。
今から話すことに注意してください。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)がサハーバたちと一緒にいたとき、ふとこう言いました。
「あぁ、私の兄弟たちに会えることが出来たら。」と。
「私の兄弟に会えることが出来たら。」と言ったのです。
サハーバたちは、自分たちが彼の兄弟であり、教友であると思っていたので、とても驚きました。サハーバたちは言いました。
「アッラーの使徒よ、私たちはあなたの兄弟ではないのですか?」彼は言いました。
「いいえ。あなたたちは、私のサハーバ(教友)です。」
あなたに質問があります。友達関係と兄弟関係の、どちらが強いか。
(皆兄弟関係、と答える)そうですね、兄弟関係ですね。
彼は、「あなたたちは、私の教友です。」と言い、「私の兄弟たちはまだ現れておらず、彼らは私を目にすることなく、私を信じた人たちのことです。」と言いました。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が、どういう理由であなたを愛しているか、分かりましたか?
どのような理由で、あなたに会いたいと思っているか、分かりましたか?
理由は、このハディース(預言者言行録)の中にあります。
彼は、私たちに会いたがってくれていますし、死の床についたときでさえ、私たちのことについて、考えてくれていました。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、「私の後、このウンマ(共同体)に何が起こってしまうのか」といつも考えていました。
するとジブリール(大天使)がやって来て、彼にアッラーがこのウンマを守ってくださることを伝えました。
そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は亡くなり、ウンマを置いていくことになりました。
彼が残していったウンマがどういうものか分かりますか?
スンナ(預言者の慣行)を大切にしないウンマではありませんでした。
私たちがしなければいけないこと、そして私たち一人一人は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が何を行ってきたかを研究する必要があります。
私たち全員は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛し、会いたいと望みます。
そして、私たち全員は、天国で彼(アッラーの祝福と平安がありますように)と共にあることを望みます。
そして、再生の日、彼に会えることを望みます。
その代わりに私たちが何をしなければいけないか。
預言者(平安と祝福がありますように)は、人々全ての指導者でした。
私たちは、彼がしたようなことを行います。
さて、彼はどのようにして指導者になったのでしょうか。
何を使って指導者になったのでしょうか。
イスラームのメッセージと、預言者性で、です。
至高なるアッラーは、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後も、このメッセージと預言者性を最後の審判の日まで有効にされました。
全ての男女がこのメッセージ、教えを担い、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が行ったように行っているわけです。
これこそ、スンナ(アッラーに使徒の慣行)に従っていることと言えます。
さてあなたはスンナに従っていますか?
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は何を重要としていたか?
もしあなたが、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が重要視するものを重要としていれば、あなたはスンナと共にあると言えます。
でもその逆であれば、あなたはスンナから遠ざかってしまったことになります。
自分自身について注意してください。
今は、ラビーウ月(イスラーム暦の月の名、ラビーウは春を意味する)、預言者(平安と祝福がありますように)が生まれた季節です。
皆さん、春が季節の中でどういうものか知っていますか?
四季の中での春の役割が何であるか知っていますか?
春は、四季の中で最も美しい季節ですね。
暑くなく、寒くない。
秋も春に似て、暑くなく、寒くないですが、秋には木の葉が落ちますが、春には、花々が咲きます。
さあ、なぜ春が四季の中で最も美しいか、分かりましたか?
そして、なぜ預言者(平安と祝福がありますように)が生まれた月が、ラビーウ(春)月か、分かりますか?これは偶然でしょうか。
春は最も美しい季節であり、この季節の名を取った月に預言者(平安と祝福がありますように)は生まれた。
なぜ?なぜこの月の名は、ラビーウ(春)なのでしょう?
まるで、時間と歴史が私たちに、春が一年で一番美しい季節であるように、ラビーウ月が一年の中で一番美しく、それは、その月に人類の春が遣わされたからと、言っているようです。
人類の春とは何でしょうか。
自然の春になると、木に花がつきます。
花が散ると何が起きますか?実がなります。
まるで、時間と歴史が私たちに、ラビーウ月に春(的な存在)が生まれ、花々が咲いたと、あなたたち、イスラームのウンマ(共同体)よ、あなたたちがその実である、と言っているようです。
ですから、私たちが、「花」であるスンナにしがみつき、それから「実」を取れば、春から益を得ることができたと言えるでしょう。
皆さんは、春の木について知っていると思いますが、この季節の木には花が咲きます。
しかし、この花すべてに実が出来るでしょうか?全てにではないですね。
実を持てるのは、受粉に恵まれたものだけですね。
そうでない花には、実はなりません。
この話から得られるものとは何でしょうか?
あなたたちは、「花」を手にしていて、今、受粉が必要なわけです。
皆さん、受粉の意味が分かりますか?
私たち一人一人が、スンナで受粉する必要があります。
この受粉が成立すると、実を手に入れることができます。
サハーバ(教友)(アッラーのご満悦がありますように)は、預言者性の花を手にし、スンナという受粉をしたので、最も素晴らしい人々でした。
私が今言っている話は、私が作ったものではなく、私たちが歴史から得られるものです。
歴史が、最もよい人々について、どの時代が最もよかったかを教えてくれます。
サハーバの時代です。この時代に、花の実がついたのです。
そしてこの実は、私たちに歴史を通して、預言者(平安と祝福がありますように)の死後、ウンマがどのようになったかを説明してくれます。
さてあなたは、預言者(平安と祝福がありますように)の死後、イスラームはどこにあったか知っていますか?ヒジャーズ地方のみです。
預言者(平安と祝福がありますように)の死後、シリアにイスラームは到達していましたか?ヨルダンに到達していましたか?いいえ、そうではないですね。
あなたたちの中で、陸路でウムラ(小巡礼)に行った人はいますか?
一人だけですか?それでは、インシャーアッラー、皆さんがウムラに行けるよう、祈ります。
もし行くことができたら、陸路のウムラの方が空路のよりも相応しいことがわかるでしょう。
特にこのような内容の話には。
なぜなら、イスラームの歴史を発見できるからです。
(もし陸路で旅した場合、)シリアを出るとヨルダンに入ります。
そしてヨルダンを終えると、サウジアラビアに入ります。
サウジの国境に入ってバスで6時間したところが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)時代にイスラームが伝わったところになります。
そしてアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後、サハーバ(教友)たちがどのように花を手に取り、実を作っていったか、あなたたちによく理解して欲しいと思います。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後、わずか50年の間に、イスラームは東にある中国に伝わりました。
西へは、フランスの国境に伝わりました。
さて、彼らの時代に、車はあったでしょうか?
バス、ラジオ、電話はありましたか?
(聴衆皆が、無かったと答える)
では、どうやってイスラームは伝わったのでしょう?
サハーバの存在があります。彼らにアッラーのご満悦がありますように。
彼らがスンナの花を受粉させたためです。
これがどういう意味か分かりますか?
アッラーの使徒の慣習を受け継ぎ、彼が行ってきたことを彼らは模倣したのです。Qiyamullayl(夜に行う任意の礼拝)、Tahajjud(一度眠った後に起き出して行う任意の礼拝)、Dhikr(アッラーのお名前を念ずること)、クルアーン読み、クルアーンが示すよい行儀を身に付けることなど。
サハーバの一人一人が、クルアーンとなって地上を行き来しました。
彼らこそが、春の花を手に取り、スンナで受粉させて出来た実を手にし、イスラームを広めました。
この時代が一番よい時代でした。多くの歴史学者が、歴史上、ムハンマドの追従者たちほど素晴らしい人たちはいないと言っています。
彼らの多くは、彼がアッラーの使徒だと知りません。
彼らはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を、指揮者もしくは指導者のように言います。
彼らは、アッラーの使徒が最高のアラブの指導者だったと言っています。
彼らは、メッセージや預言者性について知りません。
あなたは今、あの春の追従者の一人です。
あなたに課せられたものは何でしょうか。
スンナで受粉することです。
受粉後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が何を考え、どのように行動していたかよく考えて、よく研究してください。
今から何をしようか、イードにはどこへ行こうか、明日は休みだからどこへいこうか、どの友達を訪問しようか、などとアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は考えていませんでした。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)はいつも、どのようにしてイスラームに貢献し、広めるかを考えていました。
マッカの人々全てがイスラームを否定し、ムスリムたちに危害を加えていた頃にも、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)はどのようにしてイスラームに貢献するか考えていました。
彼はイスラームに貢献することを望んでいたわけです。
そして彼は市場へ行き、そこで部族たちをイスラームへ呼びかけました。
これをきっかけに、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は幾人のアンサール(援助者、マディーナの人)となる人に出会い、マディーナ遷都のきっかけが生まれました。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の追従者の皆さん、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が愛する皆さん、あなたたち全員がアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛していることに、微塵の疑いもありません。
しかし同時に、あなたたちが彼(アッラーの祝福と平安がありますように)に対して不努力であることも言えます。
毎日、「今日は何のスンナを行えたか」と、自問自答してください。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)には、多くの功績があり、それを模範にしたサハーバは成功しました。
あなたは現在、なぜ自分自身にも勝つことができないのでしょうか?
あなたは自分自身に、イスラームに沿った正しい一日のスケジュールを課すことも出来ません。
なぜか?
なぜなら、あなたはアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の慣行=スンナから遠ざかっているからです。
ですから皆さん、私たちはぜひこの花を手にし、スンナで受粉させましょう。
皆さん、こうできるようお互いを励ましあってください。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)はこう言っています:
《Ushdud Adudaka Li Akhik》(あなたの腕でしっかりと兄弟を掴みなさい)、と。兄弟同士で、助け合いなさい、と。
一人で何かを成し遂げることは出来ないものです。
ムスリムは、兄弟であるムスリムと手を取り合わなければいけません。
ですから、あなたたち一人一人は、皆(寮生)をアッラーにおける姉妹とし、スンナに基づいて協力しなければいけません。
タハッジュドに起こし合ったり、キヤームッライルに立てるよう、励ましあったり。クルアーン暗記が目標の競い合いをしたり。
あなたたちは今、寮長や寮番の先生に頼る必要はありません。
あなたたちは皆で合意すればいいのです。
スンナに基づいてものごとを達成させると。
さぁ、みんな、一緒に夜、礼拝のために立ちましょう、
スンナを実行しましょう、毎日寮生の一人がイマーマとして礼拝に立つようにしましょう、クルアーンを少し覚えては、それを合同礼拝に使うようにしましょう(などと皆で頑張ってください)。
合同ズィクル、合同礼拝などを皆で一緒になって実行してみてください。
天使がやって来て、主もこう言うでしょう。
「ごらんなさい、この者たちこそ私のしもべ。ロシア、中国、マレーシア、インドネシア、ドイツからやって来ている。皆して集まっている。皆して(礼拝のために)立っている。私のためにルクーウ(立礼に似た礼拝単位)し、サジダ(額を床につける礼拝単位)している。」
どんなにアッラーがあなたたちに満足してくれることでしょう。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)もどんなに喜んでくれることでしょう。
ですから、皆さん、アッラーがラビーウ月に私たちに下さった最大の恩恵について、よく考えてください。
そして、この恩恵をどう使うか、そして、私たちが一緒にここ(寮なりシリアなり)にいるという恩恵をどう使うか、よく考えましょう。
初めてこちらのサイトを見ました。
預言者ムハンマド(SAW)がどれぐらい私たちを愛してくださっているか、このハディースは知ってはいましたが、兄弟と友達の違い!には気がつきませんでした。感動でぼろぼろと涙が出てきました。