ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

イスラームのここがわからん、Q&A ①

2005年12月18日 | ★イスラームって?(初級~)

 質問
  人間は死後、どうなるのですか?  

回答 
人間の魂は死にません。この体が死ぬだけです。
プレゼントをその箱から取り出すのと同じです。体(箱)は死んで、中身、魂(プレゼント)は残ります。そして、夢を見ているような状態になります。

預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、言われました。

「夢を見るように死んで、(最後の審判の日に)眠りから覚めるように起されます。」

死は、まるで、夢を見ているようなものです。夢の中で食べたり飲んだりするように、死後の墓の中の世界でもします。
   
私の祖父が亡くなった時、「金塊」を誰も知らない場所に隠していました。私の従兄弟が夢の中で、祖父がここに金を隠したから、取り出しなさいと言うのを見ました。その場所というのは、木の引き出しの底を二重にして金を入れた後、蓋をして二重底にしたもので、誰も知らず、見つけることがとても困難な場所でした。祖父は従兄弟に、ここにあるから底を壊して金を取り出しなさいと告げ、従兄弟は起きるとすぐに、その引き出しの所に行き、底を壊し始めました。

父親がそれを見て「何をしているんだ?」と言うと、従兄弟は「もうすぐ分りますから」と言って、それを壊し、本当に底に金があるのを見つけました。

このように、死んだ人達は、この世を見ていますし、魂は死んでいません。

 


 質問
なぜアッラーが、慈悲深いとわかるのですか?公正だとなぜ信じられるのですか? 
回答
アッラーの慈悲を知るには、自分自身のことを見てください。
なぜ私たちの手の指は曲がるのでしょうか?なぜアッラーは、指をまったく曲がらないように指を創らなかったのでしょうか?
なぜなら、アッラーは私たちが何かをつかむ時に、指が曲がらないと不便だと知っていたからです。

アッラーの慈悲を知るのに、たくさんのことを考える必要はありません。ただ、ご自身をよく見ることが大切です。

例えば、トイレに行くときのことを考えて見て下さい。本人以外の誰も、彼がトイレに行きたいのだ、と気付くことなく、自分だけがこっそりトイレに行きたいと感じ、一人で行って、大きな音を立てることもなく、用を済ますことができます。

食べる時のことを考えてみても、なぜ食べるたびに、喉の機能がそれを胃へ送り出すようにと、喉の壁が動いて、食べ物を運ぶようにできているのでしょうか。もしアッラーがそれをしなければ、眠っている間に、食べたものがすべて口から出てきてしまうでしょう。

アッラーの慈悲を知るための、多くのことがあります。
宇宙の事や地球や、そんな大きな事を考えずとも、ただ私たち自身をよく見てほしいのです。 
  
腎臓の機能のことを考えて見てください。その小さなそら豆のような肉塊が、血液を洗っています。二十四時間の間に、この腎臓が三十六回も血液を洗います。腎臓の病気になると、治療のため一週間に二回病院に行きますが、一回血液を洗うために、六時間の時間がかかります。この腎臓は、毎日三十六回私達の血液を洗っています。一時間に1.5回の割合です。これは、アッラーの慈悲ではないでしょうか。
  
 アッラーは、私達の目を内側に作りました。鼻を外に出ているように、目の上には眉毛を。働いて汗をかいた時に、汗が目に入らず、眉を伝って流れるようにです。これはアッラーの慈悲です。

母親と赤ちゃんを見て下さい。夜中、母乳を与えられている赤ちゃんが起きる前に、母親が起きて母乳を与えたいと思います。なぜだか分りますか?
 母親は、自分の母乳を出したいと感じます。そのため、母親が目を覚まし、目を開けると、すぐ赤ちゃんが目を覚まし、母乳を飲みたいために起きるのです。もし母親が何も感じなければ、母乳を与えるために起きずに、赤ちゃんはお腹が空いたままでしょう。アッラーはその慈悲を赤ちゃんにおかけになり、母親を赤ちゃんより先に起こします。そして、母親が赤ちゃんを抱いて母乳を与えると、赤ちゃんは母親の目を見ます。それによって、母親は母乳が出るようになり、母親の胸の中で機械が大きな音を立て作動するわけでもなく、赤ちゃんが母親を見るだけで、母親が赤ちゃんを見るだけで、母乳はどんどん出るようになります。

医学的に証明されている事ですが、赤ちゃんが一ヶ月目の時には、母乳も栄養素的に軽いものです。三ヶ月目には、もっと栄養が重いものになり、そうしてどんどん変化します。誰がそうしたのでしょうか。アッラーの慈悲です。
もし一ヵ月目の赤ちゃんの母乳が、一年目のものだったら、赤ちゃんは消化しきれないでしょう。

多くのことが、アッラーが慈悲深いことを語っています。私は、アッラーがこの空をどうやって創ったのか、雨や草は、などとは言いません。ただ、自分自身を見れば、どうやってアッラーがあなたを創られたのかを見れば、アッラーが 慈悲深い方であることが分ります。

アッラーが公正であることをなぜ信じられるかということですが、アッラーはその公正さからあの世をお創りになったのです。なぜなら、この世は不公平にできているからです。アッラーは、その公正さから、不公平なこの世だけでなく、あの世をお創りになり、この世とあの世の二つの世界において、公正になるように、世界をお創りになられました。

また、この世が不公平に出来ていても、それでも、この世にも、アッラーの公正さを垣間見ることはできます。

 例えば、実際にあったことですが、ある男の人が猫に石油をかけて、火を付け、可愛そうにその猫は焼け死んでしまいました。しかし、その数日後、彼は火事に合い、焼け死んでしまいました。この出来事は偶然ではありません。偶然ではないのです。多くのこうしたことが、この世でも起こっています。

不正を働いた人達が、何の罰も受けずに、この世で生きていることもあります。しかい彼らは、あの世で必ず罰を受けます。その義務と責任は、決してなくなるわけではありません。 

 


 質問 
なぜアッラーは、人間を善人と悪人に区別して、天国と地獄に入れたいのですか?

回答
 アッラーは人間を、同一宗教(イスラーム。キリスト教、ユダヤ教などアッラーが下された宗教は根本はどれも同じ)を信じて、協調して生きる共同体にしたいと思われ、預言者達を遣わされました。人間が自分たちで信者になり、不信者になるのです。
それをアッラーはご存じなだけです。

例えると、先生がこの学生は合格して、あの学生は合格できないだろうと知っているのと同じです。それは、悪い事でしょうか。アッラーが、人間のうちで、信者と不信者を知っているというのは、単に 結果を知っているということで、先生がその学生を合格させたり、落としたりするわけではないように、アッラーが信者にしたり、不信者にするわけではありません。
アッラーは私達全ての人間を創りました。ですから、アッラーは私達人間のことを一番よく知っています。

では、アッラーはなぜ私達をすべて善い信者として創らなかったのでしょうか?


もしアッラーがそうしていたら、人間は、木か石と同じになってしまいます。
自分の自由意思を持つことができません。人間は木とは違います。木は、人間がその実を食べるために創られましたが、アッラーは人間を、そういった他のすべての創造物とは違う存在としてお創りになられました。


人間には考えがあり、それを達成する能力があります。木や羊にはありません。アッラーが創られたそのままの働きをするだけです。
しかし人間は違います。人間は創造された後、「こちらの道は善く、あちらの道は悪いです、どちらに行くか自分で選びなさい。」と言われ、自由と尊厳を与えられ、選択する能力を与えられました。そのため、木や羊にはあの世での審判はありませんが、人間には審判があります。天国か地獄かの最終地があります。
 
もしアッラーがある人間を不信者に創り、その後で、彼を不信者だったからといって地獄に入れるとしたら、それは不正です。しかし、そうではありません。
アッラーが彼を不信者に創ったわけではなく、彼がそれを自分で選んだのです。クルアーンの中に、「アッラーは望む者に導きを与え・・・」とありますが、それは、アッラーが望む者を導く、というのではなく、アッラーは、導きを望む者を導く、ということです。決してアッラーが選ぶわけではありません。人間に選ぶ自由が与えられているのです。

また、アッラーが地獄を作ったことも、彼の慈悲です。ある男が、先生のところにやって来て、「アッラーは慈悲深いお方だというのに、なぜ地獄を作ったのでしょうか?」と質問しました。先生は男にこう尋ねました。

「では、もしあなたが家で寝ているところに、ドアをノックする音がして、ドアを開けると、2人の男が入ってきてあなたを捕まえ、家の中にあるお金とあなたの奥さんをさらい、あなたを殺して逃げてしまったら、どう思いますか?アッラーが地獄を作ったのは慈悲ではありませんか?」

すると男は、「はい、その慈悲はとても大きいです。」と言いました。
人間には何か恐れるものも必要です。

恐れる事によって悪事を思いとどまり、その結果自らを救うことになることもあるからです。

 


 質問
人間を創ったのがアッラーで、運命を決めたのもアッラーなら、それによって人間を地獄に入れるのはひどいのではないでしょうか。不信者は生まれた時から不信者と決められているのに地獄に入るのですか?

回答
アッラーは人間を不信者に創りませんでした。預言者を遣わして、善いことと悪いことを教えました。人間が、自分でどちらか選ぶことができるようにです。

現在、不信者である人もこの一瞬の間にも、信者になる人がいます。しかし、この世では何も知らず、善悪の区別も教えられずに、宗教も習わずに死ぬ人がいても、アッラーは彼らを不信者として清算はしません。

不信者とは、善悪の区別を知っていながら、この世に創造者のいることを知っていながら、それに反して、不信者でいることを選んだ人のことです。

 

イスラームのここがわからん、Q&A ②へ続く

 

関連記事: 


イスラームのここがわからん、Q&A ②

2005年12月17日 | ★イスラームって?(初級~)

→イスラームのここがわからん、Q&A① からの続き)

質問
  ムスリムがテロをするのを、アッラーはお許しになるのですか?

回答
アッラーは全くお許しになりません。イスラームは、テロに反対します。
イスラームは、平和の宗教です。慈悲の宗教です。利他主義(利己主義の反対)の宗教です。もし、私が空腹で、
食べ物を持っていても、あなたが空腹であったら、私はその食べ物をあなたに与えます。そういう宗教です。

かって、あるユダヤ人が、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の所に喜捨を求めて来たことがありました。彼は与えませんでした。するとアッラーはクルアーンを下し、注意を促しました。「なぜ与えなかったのですか。彼がムスリムであろうとなかろうと、あなたに関係の無い事です。彼は人間です。それだけで、あなたは彼に与える義務があります。」と。
イスラームは、人間の尊厳を大切にします。

またある日、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が座っていると、ユダヤ教徒の葬儀の列が通りかかりました。彼は立って、敬意を表しました。教友達が「預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)、彼はユダヤ人です。」と言うと、「彼は人間ではありませんか。」と言いました。

イスラームはテロを全く許しません。イスラームは人間の尊厳を大切にし、人間を愛します。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は言われました。
「人間は人間の兄弟です。」
それに、満足しようともしなかろうとも、全ての人間は兄弟です。ムスリムでもムスリム以外でも。

質問
もし、不当なテロの行為があった場合、なぜイスラームのトップの人達は、それがイスラームでは許されていないという見解を発表しないのですか?世界中の人がイスラームはテロをする宗教と言う認識が定着してきているのに。

回答
言っていますよ。
(Nさん 「でも、日本では聞きません。」 ) 
イラクでフランスの記者達が誘拐されたとき、ニュースでそれはイスラームでないと皆、言っていました。
(Aさん 「パレスチナの場合はどうですか?」 )
パレスチナの場合はテロではなく、自分たちを守るための行為です。毎日毎日ユダヤ教徒達がパレスチナ人の家々に入り、殺し回っています。家々を破壊し、パレスチナ人たちを殺害しています。自分達の家々を壊され、両親を殺されているパレスチナ人達に、何をしろと言うのでしょうか。自分も殺されるまで待ちなさいと言うのでしょうか。あれは、自衛のためです。パレスチナは彼らの土地ですから、テロとは違います。

シリアでは、ムスリムと共にキリスト教徒やユダヤ教徒たちが多く住んでいます。しかし、殺したりしません。彼らの尊厳を守り、一緒に仕事をしています。‘金スーク‘がありますが、あそこは、全てキリスト教徒が運営していますが、
 シリアの警察はそこを守っています。
(Aさん 「日本では、イスラエル人のバスがパレスチナ人によって壊されると、そこだけニュースで流れます。」 )
 
私は、日本人の人達のお願いします。どうか真実を探して下さい。 
ニュースで聞いたもの全てを信じないで下さい。
私達は、人々が言うように、戦争があるとイスラームのせいだと言う事には、注意を払わなければなりません。
アフガニスタンもそうでしたが、私達は、政治と宗教を混合してはいけません。
大きな問題は、宗教と政治を一緒に考えてしまう事です。
宗教はそれで、政治は、又、別の事です。

どうか、もしわからない事があったら、何でも尋ねてください。私はこれらの質問をとても嬉しく思っています。
そして、あなたが、イスラームに対して何か悪い事を聞いたり、読んだりした時には、どうか尋ねてください。なぜなら、
私は、イスラームが全てのことに於いて、良いことを確信しているからです。しかし、きちんとしたカメラで撮られた正しい写真が必要です。サングラスをつけて、なぜこの世は全て真っ暗なのか、と言っても、始まりません。
私達には正しいメガネが必要です。
真実を探し求めれば、この真実に辿り着きます。
私はイスラームが、真実の教えであることを確信しますが、それには、学ぶことが必要です。
                         2004年9月 ダマスカス、シリアにて


イスラーム関連書籍

日亜対訳 注解/聖クルアーン    ムスリム協会(℡03-3370-3476)

イスラームの日常生活              片倉もとこ     岩波新書   

日本人女性信徒が語る イスラーム案内    河田尚子    つくばね会

イスラームとは何か                小杉泰   講談社現代新書        

イスラーム入門                  森本武夫   中大生協出版社

 

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ダマス留学日記by某女子留学生

2005年12月01日 | 日常生活

イスラーム留学にはさまざまな楽しみがある。
自分の語学上達につれて増える楽しみもあれば、自分とイスラームの関係、至高なるアッラーとのつながりの深まりに伴って増えて来る楽しみもある。

例えば、大学入学当初、イスラーム入信したての頃の喜びは、大学の授業の中で預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の名が言及されるたびに、クラスのみんなで『サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)』と唱えることであった。日本の日常生活において、自分の話し相手が預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の名を会話の中で発することはまれだと思う。
従って、アッサラート・アランナビー(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム、又はアッラーフンマ・サッリ・アラー・サイイディナー ムハンマディン・ワ・アラー・アーリヒ・ワ・サハビヒ・ワ・サッリム アジュマイーン等と唱えること-アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)にはさまざまな言い方があり、それだけで一冊の本ができるほどである)を言う機会も、自分で意識して言わなければ、非常に少なくなると思う。

こちらでは、日常的にドアーやアッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、人々の会話、市場で売り買いをする人々の短い会話の中にさえ入ってくるので、アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を唱える機会は非常に多い。乗用車やバスのナンバープレートの横に、『アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を唱えなさい』と書いてあることも多い。
また、怒った人や、動揺している人、思い出せないことがある人などを落ち着かせるときにも、その人に、アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を唱えるよう促される。
宗教とあまり関係の無い会話でさえも、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の名がしばしば言及されるのだから、イスラーム法学部の講義の中では、数分おき、時には、数秒ごとに、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の名が連発される。
そのたびごとに、アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を唱えることが、心が洗われていく様で嬉しかった。
 
ご存知のように、アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、イバーダート(崇拝行為)のズィクルの一つで、クルアーンにもスンナにも、それを行うよう、またその莫大な報償について言及されている。

クルアーン
【本当にアッラーと天使たちは、聖預言者を祝福する。信仰するものたちよ、あなた方は彼を祝福し、(最大の)敬意を払って挨拶しなさい。】(部族連合章:56)

ハディース
≪わたしを一回祝福した者〈注〉には、アッラーが十回祝福を与える≫サヒーフ・ムスリム
〈注〉アッサラート・アランナビー(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を唱えた者
≪最後の審判の日に私に最も近い人は,私に最も多く祝福をした人です。≫ティルミズィー 
≪誰かが私に挨拶をすると、私がその人に挨拶を返せるようアッラーが私の魂を返してくださいます。≫

また、つい最近の楽しみは、イスラーム系衛星放送のラマダーン月中特別番組である。今回のラマダーンに特に気に入って毎日見ていたのが、次の3つだった。

1:ドバイ聖クルアーン大会
これは、イスラーム・非イスラーム世界から、何十カ国(大体60-80)を代表するハーフィズ(聖クルアーン暗誦者)達がその暗記とタジュウィードの美しさを競うもので、ラマダーン月のうち20日間毎日タラウィーフの後に放送される。
驚くのはアフリカ勢が多いことである。
カメルーン、チャド、コモロ諸島、ジブチ、モーリタニア、ニジェール、ナイジェリア、セネガル、ソマリア、ザンビア、、、などなどムスリムがいるのかと思うような国から出場してきて、しかも上位に食い込むのである。
その他にも、中央アジア諸国やインド、パキスタン、ヨーロッパ各国、ミャンマー、タイ、などなどムスリム人口の広がりを見せ付けられる。

出場者は、大体二十歳前後の学生であるが、中には7歳の子供もいる。
れっきとしたハーフィズで、自国で、自分の先生が休むときは先生の代理を務めるという。
また、アラビア語の意味がまったく分からないハーフィズも何人かいる。
彼らは丸暗記しているのだ。
特筆すべきは、国籍を問わず、出場者の殆どが、まじめで穏やかな顔つきをしていることだ。
毎日何時間もこつこつと暗記を重ね、復習を繰り返し、クルアーンを胸に刻み込んできた人々である。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)のお言葉≪あなた方のうち最も善い者は、クルアーンを学びそれを人に教えた者である≫の通り、彼らは我々イスラーム共同体の最も善い者達である。

各国の出場者の読誦を聴いていると、自ずとその人が自国でクルアーンを練習している風景が想像される。
「○○出身だって?あそこは洪水が多くて、毎年多くの人が家を流されると言う。そんな中でクルアーンを毎日勉強しているのか、、、」
「○○から来てるんだ。あそこは内戦でたいへんだときくけど、彼の家族もばらばらになっているかも、、、」
「○○なんてヨーロッパの国なのに、タジュウィードの先生はいるのかな?先進国の生活は忙しく誘惑も多いだろうに、どうやって時間を作ってクルアーンを暗記したのだろう、、、?」等等、、、。

多くの出場者が発展途上国出身だから勉強環境は決して良いとは言えないだろう。しかし、勉強は、机と椅子でするものではなく、やる気でするものだ。
先日、あるイスラーム学校の夏期講習に参加したのだが、そこの教室には机も椅子も無く、簡素なカーペットが敷いてあるのみで、皆あぐらをかいてひざを机代わりにノートをとっていた。
本やペンをじかに床に置くのは、知識を求める道具である本やペンに対する敬意を欠くので、床に寝かせておかずに、壁に立てかけていた。
自分の部屋がうるさいと、廊下に座り込んで勉強している人もいた。

そして、ハーフィズ達の出身国が世界に散らばっていても、目や髪や肌の色がちがっていても、インタビューすると、多くの出場者が-時にはアラブ人よりきれいな-アラビア語で応答する。
やはりアラビア語-クルアーンの言葉-はイスラーム世界の共通語なのだと実感する。
そしてアッラーのお言葉【人々よ、われは一人の男と一人の女からあなた方を創り、種族と部族に分けた。これはあなた方を、互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も尊い者は、あなた方のうち、最も主を畏れるものである。本当にアッラーは、全知にしてあらゆることに通暁なされる。】(部屋章:13)の真実さをしみじみと感じる。

あと二つの番組に付いては、長くなるので、次回私の番が来たら続きを書こうと思う、インシャーアッラー。

聖クルアーンの訳は、ムスリム協会編の、日亜対訳註解聖クルアーンによる
ハディースの訳は意訳です

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