ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

アレッポ☆グランド・モスク

2007年08月30日 | シリア旅行ガイド
シリア第二の都市、アレッポにあるグランド・モスク

改装されたばかりでとてもきれい
新しく見えるけど、実は古いのです
建物の中には、預言者ザカリーヤのお墓があります

ザカリーヤって誰だったっけ?という方、
クルアーンの19章 マリヤム章の最初をどうぞ。

http://www.isuramu.net/kuruan/19.html

預言者ザカリーヤと全ての預言者たちに平安がありますように。

シリアさくらんぼ

2007年08月15日 | 食べ物

この 山のように盛られた シリアさくらんぼ
食べだしたら、

甘いっ!うまいっ!
止まらない・・・

夏期限定販売なので、夏にダマスカスに行った人は、ぜひ GET!
しかも1キロ 100円くらい 
たくさん食べてもだいじょうぶ

アラビア語でさくらんぼは、「カラズ」 と言います
「これちょうだい→」と指差せば、買えますね

関連記事:

シリアの写真集  第2弾  第3弾  第4弾  シリアの写真集☆第5弾  イスラーム常識度クイズ



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預言者(平安と祝福がありますように)生誕に際して@H寮(I先生の講話の訳)

2007年08月11日 | イスラーム講座(上級)
ビスミッラーヒッラーフマーニッラヒーミ(慈悲深く慈愛深いアッラーの御名において)

 じつは、この機会に、あなたたち全員とアッラーに使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛する人に吉報を伝えることが出来たら、と思います。
さて、誰がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛していますか?
(皆手を上げる)私たち全員ですね。
彼を信頼している、という意味です。
それでは、彼が自分を愛してくれていると知っている人はいますか?
誰もいませんか?
(一人だけ手を上げるH)Hだけが知っているということですか?
あなたたちは全員、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)があなたたちを愛してくれていることを知らなければいけませんよ。

 彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が、自分のサハーバ(教友)とあなたたちどちらを愛しているか知っていますか?
彼はあなたたちをより愛しているのですよ。
今から話すことに注意してください。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)がサハーバたちと一緒にいたとき、ふとこう言いました。
「あぁ、私の兄弟たちに会えることが出来たら。」と。
「私の兄弟に会えることが出来たら。」と言ったのです。
サハーバたちは、自分たちが彼の兄弟であり、教友であると思っていたので、とても驚きました。サハーバたちは言いました。
「アッラーの使徒よ、私たちはあなたの兄弟ではないのですか?」彼は言いました。
「いいえ。あなたたちは、私のサハーバ(教友)です。」

あなたに質問があります。友達関係と兄弟関係の、どちらが強いか。
(皆兄弟関係、と答える)そうですね、兄弟関係ですね。
彼は、「あなたたちは、私の教友です。」と言い、「私の兄弟たちはまだ現れておらず、彼らは私を目にすることなく、私を信じた人たちのことです。」と言いました。

アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が、どういう理由であなたを愛しているか、分かりましたか?
どのような理由で、あなたに会いたいと思っているか、分かりましたか?
理由は、このハディース(預言者言行録)の中にあります。

 彼は、私たちに会いたがってくれていますし、死の床についたときでさえ、私たちのことについて、考えてくれていました。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、「私の後、このウンマ(共同体)に何が起こってしまうのか」といつも考えていました。
するとジブリール(大天使)がやって来て、彼にアッラーがこのウンマを守ってくださることを伝えました。
そしてアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は亡くなり、ウンマを置いていくことになりました。
彼が残していったウンマがどういうものか分かりますか?
スンナ(預言者の慣行)を大切にしないウンマではありませんでした。
私たちがしなければいけないこと、そして私たち一人一人は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が何を行ってきたかを研究する必要があります。

 私たち全員は、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛し、会いたいと望みます。
そして、私たち全員は、天国で彼(アッラーの祝福と平安がありますように)と共にあることを望みます。
そして、再生の日、彼に会えることを望みます。
その代わりに私たちが何をしなければいけないか。

 預言者(平安と祝福がありますように)は、人々全ての指導者でした。
私たちは、彼がしたようなことを行います。
さて、彼はどのようにして指導者になったのでしょうか。
何を使って指導者になったのでしょうか。
イスラームのメッセージと、預言者性で、です。
至高なるアッラーは、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後も、このメッセージと預言者性を最後の審判の日まで有効にされました。
全ての男女がこのメッセージ、教えを担い、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が行ったように行っているわけです。
これこそ、スンナ(アッラーに使徒の慣行)に従っていることと言えます。
さてあなたはスンナに従っていますか?
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は何を重要としていたか?
もしあなたが、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が重要視するものを重要としていれば、あなたはスンナと共にあると言えます。
でもその逆であれば、あなたはスンナから遠ざかってしまったことになります。

 自分自身について注意してください。
今は、ラビーウ月(イスラーム暦の月の名、ラビーウは春を意味する)、預言者(平安と祝福がありますように)が生まれた季節です。
皆さん、春が季節の中でどういうものか知っていますか?
四季の中での春の役割が何であるか知っていますか?
春は、四季の中で最も美しい季節ですね。
暑くなく、寒くない。
秋も春に似て、暑くなく、寒くないですが、秋には木の葉が落ちますが、春には、花々が咲きます。
さあ、なぜ春が四季の中で最も美しいか、分かりましたか?
そして、なぜ預言者(平安と祝福がありますように)が生まれた月が、ラビーウ(春)月か、分かりますか?これは偶然でしょうか。

春は最も美しい季節であり、この季節の名を取った月に預言者(平安と祝福がありますように)は生まれた。
なぜ?なぜこの月の名は、ラビーウ(春)なのでしょう?
まるで、時間と歴史が私たちに、春が一年で一番美しい季節であるように、ラビーウ月が一年の中で一番美しく、それは、その月に人類の春が遣わされたからと、言っているようです。
人類の春とは何でしょうか。
自然の春になると、木に花がつきます。
花が散ると何が起きますか?実がなります。
まるで、時間と歴史が私たちに、ラビーウ月に春(的な存在)が生まれ、花々が咲いたと、あなたたち、イスラームのウンマ(共同体)よ、あなたたちがその実である、と言っているようです。

 ですから、私たちが、「花」であるスンナにしがみつき、それから「実」を取れば、春から益を得ることができたと言えるでしょう。
皆さんは、春の木について知っていると思いますが、この季節の木には花が咲きます。
しかし、この花すべてに実が出来るでしょうか?全てにではないですね。
実を持てるのは、受粉に恵まれたものだけですね。
そうでない花には、実はなりません。
この話から得られるものとは何でしょうか?
あなたたちは、「花」を手にしていて、今、受粉が必要なわけです。
皆さん、受粉の意味が分かりますか?
私たち一人一人が、スンナで受粉する必要があります。
この受粉が成立すると、実を手に入れることができます。

 サハーバ(教友)(アッラーのご満悦がありますように)は、預言者性の花を手にし、スンナという受粉をしたので、最も素晴らしい人々でした。
私が今言っている話は、私が作ったものではなく、私たちが歴史から得られるものです。
歴史が、最もよい人々について、どの時代が最もよかったかを教えてくれます。
サハーバの時代です。この時代に、花の実がついたのです。
そしてこの実は、私たちに歴史を通して、預言者(平安と祝福がありますように)の死後、ウンマがどのようになったかを説明してくれます。

 さてあなたは、預言者(平安と祝福がありますように)の死後、イスラームはどこにあったか知っていますか?ヒジャーズ地方のみです。
預言者(平安と祝福がありますように)の死後、シリアにイスラームは到達していましたか?ヨルダンに到達していましたか?いいえ、そうではないですね。
あなたたちの中で、陸路でウムラ(小巡礼)に行った人はいますか?
一人だけですか?それでは、インシャーアッラー、皆さんがウムラに行けるよう、祈ります。
もし行くことができたら、陸路のウムラの方が空路のよりも相応しいことがわかるでしょう。
特にこのような内容の話には。
なぜなら、イスラームの歴史を発見できるからです。
(もし陸路で旅した場合、)シリアを出るとヨルダンに入ります。
そしてヨルダンを終えると、サウジアラビアに入ります。
サウジの国境に入ってバスで6時間したところが、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)時代にイスラームが伝わったところになります。

 そしてアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後、サハーバ(教友)たちがどのように花を手に取り、実を作っていったか、あなたたちによく理解して欲しいと思います。
アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の死後、わずか50年の間に、イスラームは東にある中国に伝わりました。
西へは、フランスの国境に伝わりました。
さて、彼らの時代に、車はあったでしょうか?
バス、ラジオ、電話はありましたか?
(聴衆皆が、無かったと答える)
では、どうやってイスラームは伝わったのでしょう?
サハーバの存在があります。彼らにアッラーのご満悦がありますように。
彼らがスンナの花を受粉させたためです。
これがどういう意味か分かりますか?
アッラーの使徒の慣習を受け継ぎ、彼が行ってきたことを彼らは模倣したのです。Qiyamullayl(夜に行う任意の礼拝)、Tahajjud(一度眠った後に起き出して行う任意の礼拝)、Dhikr(アッラーのお名前を念ずること)、クルアーン読み、クルアーンが示すよい行儀を身に付けることなど。
サハーバの一人一人が、クルアーンとなって地上を行き来しました。
彼らこそが、春の花を手に取り、スンナで受粉させて出来た実を手にし、イスラームを広めました。
この時代が一番よい時代でした。多くの歴史学者が、歴史上、ムハンマドの追従者たちほど素晴らしい人たちはいないと言っています。
彼らの多くは、彼がアッラーの使徒だと知りません。
彼らはアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を、指揮者もしくは指導者のように言います。
彼らは、アッラーの使徒が最高のアラブの指導者だったと言っています。
彼らは、メッセージや預言者性について知りません。

あなたは今、あの春の追従者の一人です。
あなたに課せられたものは何でしょうか。
スンナで受粉することです。
受粉後、アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が何を考え、どのように行動していたかよく考えて、よく研究してください。
今から何をしようか、イードにはどこへ行こうか、明日は休みだからどこへいこうか、どの友達を訪問しようか、などとアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は考えていませんでした。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)はいつも、どのようにしてイスラームに貢献し、広めるかを考えていました。
マッカの人々全てがイスラームを否定し、ムスリムたちに危害を加えていた頃にも、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)はどのようにしてイスラームに貢献するか考えていました。
彼はイスラームに貢献することを望んでいたわけです。
そして彼は市場へ行き、そこで部族たちをイスラームへ呼びかけました。
これをきっかけに、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は幾人のアンサール(援助者、マディーナの人)となる人に出会い、マディーナ遷都のきっかけが生まれました。

アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の追従者の皆さん、アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)が愛する皆さん、あなたたち全員がアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を愛していることに、微塵の疑いもありません。
しかし同時に、あなたたちが彼(アッラーの祝福と平安がありますように)に対して不努力であることも言えます。

毎日、「今日は何のスンナを行えたか」と、自問自答してください。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)には、多くの功績があり、それを模範にしたサハーバは成功しました。
あなたは現在、なぜ自分自身にも勝つことができないのでしょうか?
あなたは自分自身に、イスラームに沿った正しい一日のスケジュールを課すことも出来ません。
なぜか?
なぜなら、あなたはアッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)の慣行=スンナから遠ざかっているからです。

ですから皆さん、私たちはぜひこの花を手にし、スンナで受粉させましょう。
皆さん、こうできるようお互いを励ましあってください。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)はこう言っています:

《Ushdud Adudaka Li Akhik》(あなたの腕でしっかりと兄弟を掴みなさい)、と。兄弟同士で、助け合いなさい、と。

一人で何かを成し遂げることは出来ないものです。
ムスリムは、兄弟であるムスリムと手を取り合わなければいけません。
ですから、あなたたち一人一人は、皆(寮生)をアッラーにおける姉妹とし、スンナに基づいて協力しなければいけません。
タハッジュドに起こし合ったり、キヤームッライルに立てるよう、励ましあったり。クルアーン暗記が目標の競い合いをしたり。

あなたたちは今、寮長や寮番の先生に頼る必要はありません。
あなたたちは皆で合意すればいいのです。
スンナに基づいてものごとを達成させると。
さぁ、みんな、一緒に夜、礼拝のために立ちましょう、
スンナを実行しましょう、毎日寮生の一人がイマーマとして礼拝に立つようにしましょう、クルアーンを少し覚えては、それを合同礼拝に使うようにしましょう(などと皆で頑張ってください)。
合同ズィクル、合同礼拝などを皆で一緒になって実行してみてください。
天使がやって来て、主もこう言うでしょう。

「ごらんなさい、この者たちこそ私のしもべ。ロシア、中国、マレーシア、インドネシア、ドイツからやって来ている。皆して集まっている。皆して(礼拝のために)立っている。私のためにルクーウ(立礼に似た礼拝単位)し、サジダ(額を床につける礼拝単位)している。」

どんなにアッラーがあなたたちに満足してくれることでしょう。
アッラー使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)もどんなに喜んでくれることでしょう。
ですから、皆さん、アッラーがラビーウ月に私たちに下さった最大の恩恵について、よく考えてください。
そして、この恩恵をどう使うか、そして、私たちが一緒にここ(寮なりシリアなり)にいるという恩恵をどう使うか、よく考えましょう。

どうしたらいい?

2007年08月11日 | ★イスラームって?(初級~)

ハーリド イブン アル=ワリード(Khalid Ibn AlWalid)(アッラーのご満悦がありますように)は言いました。「ある田舎者がアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)にもとにやって来て言いました。「アッラーの使徒よ、現世と来世を豊かにしてくれる事柄についてお尋ねするためにやって参りました。」アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)は、「何でも思いつくことを聞きなさい。」と言いました。

1「私は人の中で、一番の知識人になりたいです。」
「アッラーを畏れなさい。そうすれば人の中で一番の知識人になれるでしょう。」

2「私は人の中で、一番のお金持ちになりたいです。」
「何にでも納得するように。そうすれば、人の中で、一番のお金持ちになれるでしょう。」

3「私は人の中で、一番公正な人になりたいです。」
「人々に、自分に好むものを勧めなさい。そうすれば、一番公正な人になれるでしょう。」

4「私は人の中で、一番善い人になりたいです。」
「人々の役に立てるようにしなさい。そうすれば、一番善い人になれるでしょう。」

5「私は人の中で、一番アッラーの特別な人になりたいです。」
「ズィクル(念唱)を多くしなさい。そうすれば、一番アッラーの特別な人になれるでしょう。」

6「私は、自分の信仰が完結することを好みます。」
「性格を良くしなさい。そうすれば、あなたの信仰は完結するでしょう。」

7「私は、善行者たちの内に入ることを望みます。」
「アッラーをまじまじと見ているように、かれを拝みなさい。もし、あなたがかれを見ることができないとしても、かれはあなたをご覧になっています。そうすれば、あなたは善行者たちの内に入れるでしょう。」

8「私は、よく従う人になりたいです。」
「アッラーの定めた義務を遂行しなさい。そうすれば、従う人になれるでしょう。」

9「私は、罪から清められた状態でアッラーにお会いすることを望みます。」
「大汚から清まるようにしなさい。そうすれば、罪から清められた状態でアッラーにお会いすることができるでしょう。」

10「私は、最後の審判の日、光に包まれて召集されることを望みます。」
「誰にも危害を加えてはいけない。そうすれば、最後の審判の日、光に包まれて召集されるでしょう。」

11「私は、自分の罪が軽くなることを望みます。」
「イスティグファール(罪の赦しを請うこと)を多くしなさい。そうすれば、あなたの罪は軽くなるでしょう。」

12「私は、人々のなかで一番寛大な人になりたいです。」
「誰をも疑ってはいけない。そうすれば、人々の中で一番寛大な人になれるでしょう。」

13「私は、人々の中で一番強い人になりたいです。」
「アッラーにお縋りしなさい。そうすれば、人々の中で一番強い人になれるでしょう。」

14「私は、アッラーが糧を大きくしてくれることを望みます。」
「タハーラ(清潔)を保ちなさい。そうすれば、アッラーが糧を大きくしてくれるでしょう。」

15「私は、アッラーとその使徒が愛する人々の中にいることを望みます。」
「アッラーとその使徒が愛するものを愛すようにしなさい。そうすれば、アッラーとその使徒が愛する人々の中にいることができるでしょう。」

16「私は、最後の審判の日に、アッラーのお怒りから安全でいたいです。」
「どんなアッラーの創造物にも怒らないこと。そうすれば、最後の審判の日に、アッラーのお怒りから安全でいることができるでしょう。」

17「私の祈願が叶うことを望みます。」
「ハラーム(禁じられたもの)を食することを避けなさい。そうすれば、あなたの祈願は叶うでしょう。」

18「私は、最後の審判の日に、アッラーが私を覆ってくれることを望みます。」
「あなたの兄弟たちの恥事を覆ってあげなさい。そうすれば、最後の審判の日に、アッラーがあなたを覆ってくれるでしょう。」

19「私を罪から守ってくれるものとは何でしょうか?」
「涙と、追従、病です。」

20「どの善行が、アッラーの許で偉大ですか?」
「よい性格、謙譲、そして災難の際の忍耐です。」

21「どの罪業が、アッラーの許で偉大ですか?」
「悪い性格、酷い吝嗇、そして禁じることです。」

22「現世と来世において、主のお怒りを鎮めるものとは何ですか?」
「隠された施しと、親類を訪問することです。」

23「最後の審判の日に、地獄の火を消すものとは何ですか?」
「現世の災難と困難にたいする忍耐です。」

(イマーム アハマド イブン アル=ハンバルの、正しい伝承による。)

 

関連記事:

イスラームって?(初級)  イスラーム講座(上級)     ムスリムになりました(入信記、体験記)

 

「証言」① (I先生の講話の訳)

2007年08月11日 | イスラーム講座(上級)
今から紹介するハディースは、伝えられたものの中で、イスラームの定義を最も強く説明しているものです。今回はその前部についてお話します。
 このハディースの中には、多くの人が気を配らない一言があります。
そのために、は多くの人がイスラームを間違って理解してしまっています。
このハディースは、

「イスラームは五つから成り立っている」

と言い、「イスラームは五つである」とは言っていません。
この二つの表現には違いがあります。
たとえば、「この椅子は四本の足で存在している」と、「この椅子は四本の足である」という表現には違いがあるのと同じです。
「イスラームは五つから成り立っている」は、「イスラームは五要素によって存在している」という意味になります。
アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であるという証言、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼だけがイスラームというわけではなく、これらは柱であり、その下にさまざまなイスラームの要素がくっついてきます。

ではイスラームとは何でしょうか。
イスラームとは、クルアーンとスンナ(預言者(平安と祝福がありますように)の言行録)にあることを実行することです。
もちろんその前に、すでに証言、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼を実行されている必要がありますが、残念ながら、多くのムスリムたちがこのことに気づいていません。
ある人は礼拝に立てばムスリムになれたと思い、違う人は断食をすればムスリムになれたと思っています。
同様に、喜捨をし、巡礼を全うした人もそうです。
しかし、これらのことを行っただけではイスラームを実現させたことにはならないのです。
これらはイスラームの存在の証明です。
人間は、生きている全ての瞬間、ムスリムでいる必要があります。
彼は毎時礼拝や断食をすることは出来ませんが、何時でもムスリムでいなければならないのです。

 前回までに四つの要素(礼拝、断食、喜捨、巡礼)についてお話して来ましたが、今回は一番大切な要素である、「(アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であるという)証言」についてお話します。

 まず、ムスリムに求められることはこの証言です。「証言する」と「言う」には違いがあります。証言する、とはどういう意味があるでしょうか。
それは「感じる」ことです。
体の中で、心で感じることです。
「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神はない)」と言っても、言っていることを心で感じていなければ、言っていることと心にあることが一致しません。心にあることと言っていることの矛盾は偽りの信仰です。
ですから、イスラームとは心なのです。
「ラーイラーハイッラッラー」を心で感じる。
アッラーこそ、私の人生で最も重要である。

 アラビア語で、「ラーイラーハ la ilaha(神は無い)」の中にある、イラーフIlah(神)という単語は、動詞「ワラハ walaha」から派生しています。
これは、とてもとても愛することを意味します。
愛情には、階級がありますが、その中で一番高レベルの愛をワラハといいます。
ですから、「イラーフ」は一番愛される存在という意味になります。
「ラーイラーハイッラーッラー」は、一番愛される存在はアッラー以外に無し、という意味になります。
しかし、私がこの言葉を口にしながら、心の中に、アッラーよりも愛している存在があると、うそをついてしまうことになります。
ですから、ラーイラーハイッラッラーと口にする前に、よく考えてください。
真実について。
あなたはこの言葉の意味を証言するのか、あなたの心の中にこの言葉は存在するのか?
アッラーは、あなたの心の上、あなたの夫、子供、友人、食べ物飲み物、服、財産の上にいらっしゃいます。
私はじつに、責任を持たずにこの言葉を口にすることに対し、アッラーの前で嘘つきになってしまうことをとても怖れます……この思考こそ、「証言」です。

(「証言」②へ続く)

「証言」② (I先生の講話の訳)

2007年08月11日 | イスラーム講座(上級)
(「証言」①の続き)

「証言」とは、見たことに対して使う言葉です。
「誰がこのことについて証言しますか?」との問いに答える人は、「私が証言します、私は目撃しました。」と言うでしょう。
ですから、証言=目撃です。
ラーイラーハイッラッラーと証言することは、アッラー以外に愛すべき存在は無く、かれにこそ最初に目を向けるべき存在であることを、心、感情で感ずる、という意味です。

 近い将来、アッラーがあなたにアラビア語習得をお望みになり、クルアーンを完読した際、あなたは(一般)ムスリムたちの姿が、クルアーンの中にあるものと違うと気づくでしょう。
そのとき、彼らの言葉である「ラーイラーハイッラッラー」に、大きな行動が必要であることが分かるでしょう。

私が医学部に入りたいと仮定します。
必要な手続きをし、お金を払い、教科書を買い、勉強すれば、私が医学部に入ったことを証言できますが、口先だけで「医学部に入った」と言っても意味はありません。

 「私はアッラーの他に神はなく…」という言葉はとても美しいものです。
口にするだけで美しいですが、この言葉の意味を感じることのほうがもっと素晴らしいです。
アッラーはもともと私たちを幸せにするために私たちを創造されました。
そして、私たちの本当の幸せは、アッラーが私たちの心の中で一番の存在になるときです。
なぜかというと、アッラーは私たちにこの世をどのようにして生きていけばよいかを教えてくれるからです。

 時々魂は、アッラーの命ずる逆のことを私にさせようとします。
アッラーは私に「浪費しないように」と命じ、魂は「浪費しろ」と言います。
もしアッラーが私の心の中で一番の存在なら、魂の言うことを捨て、アッラーのお言葉を聞きます。
しかし魂が勝ってしまう場合、私はイスラームに対し間違いを犯すことになります。
そして口にした証言がうそになってしまい、これを正さなくてはいけなくなります。
ですからムスリムは、人生の中でいつもこの言葉に気を付ける必要があるのです。

 ここで注意してほしいのですが、「愛」には、「知ること」が必須だという点です。
アッラーを愛するためには、かれのことを知る必要があるということです。
何でも知らないものを愛することは不可能です。
そして、知らない存在について愛そうと思いつくこともありません。
しかし、知り、自分がかれ(アッラー)を必要としていると分かると、かれに執着するようになります。

小さな子供が一番愛している存在とは何でしょうか。
それはお母さんです。
それはなぜでしょうか。
答えは、この子供が彼女を必要としているからです。
子供が大きくなると、小さかったときほど母親を必要とはしなくなります。
変わるわけです。
ではなぜ、小さいときには母親が一番なのでしょうか。
それは、お母さんが、彼が必要としているもの全てを与えてくれるからです。
食事、飲み物など。彼女を必要とすることが、彼女をとても愛する、ということなのです。
そして子供は母親を不必要としないことはありません。怖いとき、一番に呼ぶ名は「お母さん」です。
よく、部屋で独りぼっちになって怖いときにお母さんを呼びますね。
ムウミン(信仰者)が、「証言」するとき、この子供のように、自分はアッラーをとても必要としているのだと感じなければなりません。
これに思考はあまり必要ではありません。
私たちが所持しているものすべては、アッラーのものです。
もちろん。
私の持っている目。
アッラーが与えてくれなかったら、私は見ることが出来なかったでしょう。
アッラーは、盲目の人を創造することがありますが、それは人々に(アッラーの恩恵を)思い出させるためのほかにありません。
この耳も同じです。
もしアッラーが私に与えてくれなかったら、私は何も聞くことが出来なかったでしょう。
この指を見てください。
アッラーは、私が何かを運ぶとき、指がこういう風に作られていると助かることをよくご存知なわけですから、私をこのように創造してくださいました。
もし指が(間接の部分で曲がらなかったり)こうだと、私は何も運べなかったでしょう。
すべて、アッラーからのものです。
私はかれを愛しています。
私のためにさまざまなものを創造してくださいました。
唇も同じです。
コップで水を飲むとき、指のようなつくりになっていたら、私は水を飲めなかったでしょう。
体の部分の中で、自在に動かせ、大きくしたり小さくしたり出来る部分は、この唇以外にありません。
これらすべてが、私にとって、アッラーを拝めたいと思う源なのです。

 病院の一室に、大きな箱型の機械があるのを見たことがありますか?
それは人工透析機(アラビア語で人口腎臓)です。
人間の腎臓の働きをするものです。どんなに大きいか気がつきますか?
私たちが今いる部屋と同じくらいの大きさの機械です。
人間と機械の間にチューブが介され、人間の血がこの機械で浄化される仕組みになっています。
この洗浄運動は大きな疲労を伴います。
そして、人間の体は、週に二度しか、血液の洗浄をこの機械ですることが出来ません。
 私たちの体の中に、この機械と同じ働きをする腎臓という器官があることはご存知ですね。
この腎臓が、一日に何度あなたの体内の血液を洗浄すると思いますか?
三十六回です。
毎日です。
その上、報酬を求めることはありません。
アッラーは決して、「あなたたちの血液を浄化したのだから、報酬を出しなさい」とは言いません。
病院で血液を洗浄するにはお金を払わなければなりません。
しかも高額です。

アッラーを愛するためには、アッラーの他に神は無いと証言するためには、かれのことをよく知る必要があります。
なんとなく語られる言葉ではありません。
人間は誰でも、何か決断を下すとき、前もってものごとについてきちんと調べているものです。
「シリアに旅行したい。」と言うとき、あなたはきっといろいろと準備をしているでしょう。
ビザやチケット、お金、泊まる場所の確保などです。
これら全てが整えば、あなたにシリア行きは可能になります。

私が、「ラーイラーハイッラッラー(アッラーの他に神は無し)」と言うとき、自分に課された責任を知っている必要があります。
礼拝や断食を行うだけではないのです。
責任とは、アッラーが私の人生で一番大切であることです。
そして、アッラーが私の人生で一番大切であるためには、かれについてよく考えなければいけません。
かれは私に何を賜ってくれたか、私に何をしてくれたか、私に何を提供してくれたか。
この熟考の末、「私に、何が求められているのか」を考えます。
「なぜかれは私を創造したのか?」と考えます。
食べ、飲むためだけに創造したのでしょうか?
羊や猫も食べ、飲みます。
いいえ、人間と動物には違いがあります。違いが。
人間はアッラーによって創造され、尊厳を与えられました。
もし人間の創造が、飲食と繁殖のためだけだったならば、ほかの創造物と区別がなくなってしまいます。
人間だけに与えられた、特別な何かがあるはずです。
この特別な何かによって、人間はほかの創造物と違っていられます。
それでは、一体この特別な何かとは何でしょうか?
それはクルアーン中のアル=アハザーブ章(部族連合章)の最後の節にあります。

「本当にわれは、諸天と大地と山々に信託を申しつけた。だがそれらはそれを、担
うことを辞退し、且つそれについて恐れた。人間はそれを担った。」

クルアーンの中には、ほかにもたくさん、人間とほかの創造物を区別する節がありますが、この説が一番はっきりと、この件について説明しています。
この人間に課せられた「信託」とは一体何でしょうか?
諸天、大地、山々が辞退し、人間だけが背負うことになった信託は、もしアッラーに服従したならば、人間は尊厳と高貴さを与えられます。
この「信託」についてアッラーは仰せられます:

「わたしの創造物全てを、あなた(人間)の役に立つようにしよう。あなたはそれら全てをわたしの服従のために使いなさい。」

(「証言」③ に続く。)

「証言」3(I先生の講話の訳

2007年08月11日 | イスラーム講座(上級)

(「証言」②の続き)

これが、人間とほかの創造物の違いです。
(ムスリム、人間は)イスラームの家族を築くために結婚し、子を設ける。
アッラーを拝めるための力を養うために、食事をする。
これがムスリムである人間の生活です。アッラーに仕えるために、生きる。
アッラーを拝めることは、信者に結婚や食事、利潤を求めることを禁じたりはしません。
しかし、それらで得るものは、アッラー崇拝、アッラーの満足のためであるべきです。
これらが、人間とほかの創造物の間にある違いです。
アッラーに仕えない人間について、クルアーンは次のように言っています:

「彼らは動物のようである。」続けてこう言っています:「いや、その上、迷っている。」

家畜の方が上であるということです。
なぜでしょうか?
動物たちは、「信託」を背負わず、人間が背負っているからです。
ですから、信託を受けた人間が、努力し成功すれば、天使を凌ぐ、一番素晴らしい創造物になれるわけです。
しかし、信託を受けず、大切にしようとしなかった場合、創造物の中で一番最低なものになります。

 本物のムスリムは、何かを行うとき、「この行動は、アッラーのために行おう」と考えます。
アッラーの満足のためです。
イスラームは、私が子持ちになることを禁じたりしません。
子供を設けることは、ほかの生き物にも共通することで、私たちにもかれらにも、子供が好きだという天性があります。
しかしムスリムはこう言います:「私はこの子達を、アッラーにお仕え出来るようになるために教育する。」
これが彼の人生の目標です。
「アッラーのために」です。
人は勉強しますが、何のためでしょうか?
博学だとか、ガリ勉だとか、頑張り屋と人から言われるためでしょうか。
いいえ、ムスリムは決してそのような目的のために勉強しません。
ムスリムは、アッラーが自分のことを満足してくれるように、と考えます。
アッラーは、私を、この世界で活動するために創造してくれたのだと。
だから、私は、ラーイラーハイッラッラーと証言し、私の行動全てが、アッラーのご命令に叶ったものになったと言います。

 アッラーが「してはいけない」と命じたことをしてしまうことは、私には不可能なことです。
アッラーが「しなさい」と命じたことを実行する。
これこそ、ラーイラーハイッラッラーの(意味の)実現だと言えます。
預言者(平安と祝福がありますように)がある日、ウマル(アッラーのご満悦がありますように)に、「あなたの信仰はどうですか?」とたずねました。
ウマルは、「アッラーとその使徒は、自分のお金と子息よりも愛している存在です。でも、自分自身以上ではありません。」と答えました。
ウマルは、アッラーとその使徒にうそをつくような人ではありません。
預言者(平安と祝福がありますように)はウマルにこう言いました。
「ウマルよ、アッラーとその使徒を、自分より愛するようになるまで、あなたは真の信者になったとは言えませんよ。」
ウマルはたくさん考えました。
そして、「今です、預言者(平安と祝福がありますように)よ。アッラーとその使徒を、自分より愛しています。」

自分自身よりも、アッラーとその使徒を愛するとはどういうことでしょうか。
アッラーとその使徒が、何かを私に命じているが、自分が違うことを求めているとき、自分の好むことを捨てて、アッラーとその使徒のご命令に従うことを言います。
これが、現在、イスラーム世界に住むムスリムたちの問題であります。
現代の(多くの)ムスリムは、こうではありません。
多くのムスリムがこの話について深く考えません。
彼らは礼拝や断食を行っていますが、間違いを犯してもいます。
もしかしたらうそをつくかもしれません。
もしかしたら他人を嫌っているかも知れません。
イスラームが、他人を愛するように諭しているにもかかわらずです。
もしかしたら時間を無駄にしているかもしれません。
イスラームは時間の無駄使いを良しとせず、活動的、生産的であることを好みます。
そして最後の審判の日、ひとりひとりが定められたものを受け取ります。
アッラーのご満悦のために人生を使った者は、来世で殉教者や預言者たちと一緒になり、天国の最上階に入ることになるでしょう。
信仰の度合いによって、受け取るものが違ってきます。

 「私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。」という、シャハーダ(証言)を構成する、後部分について。
多くのムスリムが、前者よりもこの後部分に未努力だと言えます。
「私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。」は、「預言者(平安と祝福がありますように)こそ、私が追従し、模範とする最初のお方です。」という意味を持ちます。
ただ、「彼は、アッラーに遣わされた使徒、預言者である。」という意味だけでは決してありません。
それでは足りないのです。
「彼は、私の先生である。」と言うべきです。
彼の人生を勉強し、見習わないといけません。彼が忍耐したように、私も忍耐し、彼が拝んだように、私も拝みます。
もし、預言者(平安と祝福がありますように)が行ったことと同じことを行えるようになれば、この「証言」が実現されたと言えます。
預言者(平安と祝福がありますように)の人生全ては、アッラーのご満足の中にありました。
そして彼は、忍耐、忍耐、忍耐しました。
もし可能であれば、次回、彼(平安と祝福がありますように)の人生についてお話をしていきましょう。
これはとても重要なことです。
私たちの人生の中に、預言者(平安と祝福がありますように)の生きたような人生はないのです。
アッラーは、アル=アハザーブ章(部族連合章)でこう仰っています。

「じつに、アッラーの使徒は、あなたたちにとってよい模範であった。」(Laqad Kana Lakum Fi Rasuli llahi Uswatun hasanah)

アラビア語で、(La)という句は、文章の意味を強調するために使われます。そして(Qad)は、過去形動詞の後に来ると、文章の意味を強調します。
そして、(Kana、動詞)(英語のWASに相当)過去動詞文も、文章の強調に役立ちます。
ですから、このアーヤ(節)には、三つの強調に役立つ手段が含まれています。(Fi Rasulillah)という、述語を先に持ってくる方法も強調に役立ちます。
さて、いくつの強調句が使われているか分かりますか?
(La)(Qad)(Kana+名詞文)(述語と主語の逆転)、全部で四つの強調句です。
残念ながら、ムスリムたちは(このアーヤ(節)を)実行していません。
彼らの人生は、預言者(平安と祝福がありますように)の人生と比べてどうでしょうか。
預言者(平安と祝福がありますように)の人生は、敵を友人に変えるようなものでした。
十三年間辛抱しつくした彼の敵たちについてなど……インシャーアッラー、次回から、彼(平安と祝福がありますように)の人生について勉強していきましょう。
彼(平安と祝福がありますように)は十三年間、マッカで人々から虐待を受け、罵声を浴びせられました。
折々、彼らがどのように虐待してきたか、お話していきます。
預言者(平安と祝福がありますように)は、マディーナに遷都し、その十年後に再びマッカに戻り、凱旋しました。
その際、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)には多くの信者がついており、マッカの人々は捕虜と化しました。
捕虜の意味が分かりますか?
彼らは(自分たちがどう扱われるか分からず、不安で)立ち、預言者(平安と祝福がありますように)は彼らの前に立ちました。
彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は言いました:「さて、私があなたたちをどうすると思うか?」
マッカの人々は言いました:「あなたは、いい兄弟であります。」
預言者(平安と祝福がありますように)は言いました:
「あなたたちは自由の身です。行きなさい。私は何もするつもりはない。」
こう言われた人々は皆、イスラームに帰依しました。
マッカの人々全てです。
さて、現代のムスリムは、もし不当な目に会い、加害者が手中にあったら、慈悲をかけるでしょうか?
預言者(平安と祝福がありますように)は、これをされたのです。

とても多くのことを預言者(平安と祝福がありますように)は行いました。
「私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。」と言い、クルアーンが「じつに、アッラーの使徒は、あなたたちにとってよい模範であった。」と私に言っているので、私は彼(アッラーの祝福と平安がありますように)を追従します。彼が行ってきたことを、自分も行います。
預言者(平安と祝福がありますように)は最初、お金を多く持っておらず、賞状や資格も持っていませんでした。
勉強をしたこともなく、字を読むことも出来ませんでした。
父親と母親もいませんでした。
二人は彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が幼い頃に亡くなっています。
そして彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、人類史上、最も偉大な人物でありました。
私たちは、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)がどのようにして、偉大な人物であり続けたかを、考えます。
これはムスリムだけが言っていることではありません。
「オリエンタリストたちによる預言者(平安と祝福がありますように)学」という本も同様なことを言っています。
彼らはムスリムではありませんが、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の人格について研究しました。
彼ら全員が、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が最も偉大な人物であったと認めていますが、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)が預言者であるとは言いたがりませんし、信じたがりません。
彼らの中に、「彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は偉大な軍の指揮者だった。」と言う人がい、「彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、偉大な説教者であり、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の言葉は美しかった。」と言う人がいます。
「彼(アッラーの祝福と平安がありますように)は、最も偉大な社会改善者だった。」と言う人もいます。
誰も整えることの出来なかった当時の社会を、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)だけが改善出来たからです。
各人が、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)について違うことを言っていますが、真実は、彼がアッラーの使徒であったということです。
略して、「彼はアッラーの使徒であった。」です。
しかし、彼らは理解できなかったので、そう言うことが出来ません。
宗教的に研究しなかったからです。
イスラームを勉強していないのです。
ですから、彼らの好む言葉を選んで、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)について言っているだけです。
ムスリムでない人々が、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の偉大さを認めているのです。
この偉大さはどこからやってきたのでしょうか?

私が「私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。」と言うとき、私はよく考えなければいけません。
私の証言の言葉と、クルアーンの「じつに、アッラーの使徒は、あなたたちにとってよい模範であった。」が、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)がどれほど偉大であったか、教えてくれているように、自分も偉大であるべきだと考えます。
そしてこの偉大さは、預言者(平安と祝福がありますように)の則ったものと同じであるべきです。彼(アッラーの祝福と平安がありますように)の道の上を歩けば、完璧にイスラームを実践できたと言えます。

現代の問題として、ムスリムがムスリム同士で勉強しあっていることがあります。彼女がやったように、私もやる。なぜそうするの?と言われたら、あの人がそうやっているから、と答える。
これは正しくありません。
クルアーンは、「じつに、あなたたち同士は、あなたたちにとってよい模範であった。」と言っていません。
「じつに、アッラーの使徒は、あなたたちにとってよい模範であった。」と言っているのです。
人々がやっているように、あなたもしなさい、とは言っていません。アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を模範としなさい、と言っています。
ですから、新しくイスラームに入った人に注意してもらいたいことは、イスラームを、ムスリムの姿、行動から取り込んではいけない、ということです。
クルアーンとスンナ(預言者の言行録)を参考にするべきです。なぜなら、この人は、「アッラーの他に神は無く、これらの人々はムスリムである」と言っていないからです。
「アッラーの他に神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒である」と言ったのです。この証言が、私を、アッラーとその使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)に従う気にさせるのです。
クルアーンが私に命じることを成し、スンナが私に命じることを成すとき、このシャハーダ(証言)が実現されます。
しかし、口で証言しておきながら、ほかの人々がやるようなことを行っていると、言っていることと行動が矛盾し、間違いを犯すことになります。

預言者(平安と祝福がありますように)は、イスラームで最も大事なことを教えてくれました。それはシャハーダ(証言)です。
これは、全ての行いの基礎です。
アッラーとその使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)のご満足を望んで私たちがアッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)に従うとき、彼の道しるべに従い、クルアーンに従います。

私たちの多くは、「アッラーの使徒(アッラーの祝福と平安がありますように)を見ることが出来ていたら…」と望みますが、アッラーは、彼(アッラーの祝福と平安がありますように)に従う者に、天国で彼(アッラーの祝福と平安がありますように)と同等の場所を授けてくださると、アンニサー章(女性章)で仰っています。

「アッラーとその使徒に従った者は天国で、預言者たちや、誠実な者たち、宗教的に熱心だった人たちと共にあるだろう。」

この節は、預言者(平安と祝福がありますように)がサウバーンという名の教友の顔色が悪いので、「どうかしたのか?」とたずねたときに下りました。サウバーンは言いました:「アッラーの使徒よ、私はあなたをとても愛しています。あなたと別れることなど出来ません。最後の審判の日、あなたは先代の預言者たちと共にいて、私はほかの者たちと天国に留まるとはどういうことでしょうか。」この瞬間、この節が下りたのです。アッラーと預言者(平安と祝福がありますように)に従う者には、天国で預言者と一緒に、同じ位が授けられるということです。

イスラームは、学校で出される宿題のように、義務をこなすだけではありません。生きている全瞬間に、自分がムスリムであることを証明する行動を取らなければいけません。
これこそが、イスラームです。
私の生きている間、よいことを行い、アッラーに近づくための努力をしたり、人のために役立つことをしたり。
人生がこうであれば、私は真のムスリムだと言えます。
もし、私たちがそうでないときは、アッラーの赦しを請いましょう。
アッラーがお望みであれば、赦して下さいます。
アッラーに、私たちを真のムスリムにしてくださるよう、お願いします。

(終わり)

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