ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

第1回イスラームコンクール作文の部入賞作品発表(体験記)

2005年06月29日 | ムスリムになるって?(入信体験記)
私とイスラームの出会い

参加青年にイスラム国が多いなあ。アメリカからも参加する青年もいるのだからディスカッションのテーマ「テロリズム」・・・。どういうことになるんだろう。
世界青年の船に参加することが決定し、参加国などの資料をおくられてきたときに最初に持った感想はそのようなものでした。
乗船してから配布されたプロフィール記入用紙に「religion」の項目に「Non」と記入をしながら私はまた今までのように外国の人から同じような質問をされる光景を思い描いていました。
本格的な国際交流の事業に参加するのはそれが初めての体験でした。
それまでに、「国際交流」と胸をはっていえるくらいの活動をしていたわけではなくタイに一週間程度の観光兼ボランティアの活動に参加したり、在籍していた会社のフィリピン人
たちと仲良くしていたという程度のものでした。

そういう場でいつも私が外国人に質問されていたのは「どうしてあなたは神様のことを考えないのか」ということ。仏教国のタイで熱心に祈る僧侶、出張中の日本でも日曜礼拝へ行くことを切望していた敬虔なカトリックのフィリピンの友人たち。神様、私にはいないなあ・・と彼女らの姿を見て思いました。
「ケイコさんは、つらいとき、どうするの?神様に祈らないの?」
「そうだなあ、私は自分の力でなんとかしてきたよ。」
そう答える私に、「じゃあ私が祈ってあげるね。」彼女らはそういって笑顔を見せました。
運転手として教会まで行った私が、牧師さんの導きで中に入りともに礼拝をさせてもらい賛美歌を見よう見まねで口ずさみました。
何か自分が汚れたもののように感じられ、隣で祈る友人たちが羨ましく思えました。信じるものを持っている人は強い、こういうことをいうのかと思いました。なにかキラキラした
カタマリの隣りにいるような感じでした。
プロテスタントの大学に通い、三年間キリスト教の授業を受け、義務の礼拝をこなしていただけの不信者の自分を恥ずかしく思いました。

私は集団行動が嫌いです。嫌いというか苦手です。小さい頃から苦手でした。幼稚園の頃に列を組んで歩くのが嫌で、登園拒否をしたほどですから三つ子の魂なんとやら・・で大人になってからも苦手です。
集団は時として個人の意思を奪います。
私の中の「集団」のイメージは「みんなで協力してガンバロー」というものではなく、北朝鮮国家のマスゲームや、ナチスドイツの集団心理を利用した迫害、現代社会におけるいじめの構造・・・などとにかくマイナスイメージなのです。足並みをそろえた軍隊の列などをテレビでみているだけで吐き気を催します。
そこには個人など存在していません。集団のコマとなった弱い人間のカタマリです。なぜそんな風におもってしまうのか、別に私はいじめにあったことも、集団で暴力を受けた経験もないのですが小さい頃から集団をそんな風に捕らえていました。
宗教というものもある意味、そのような思想の足かせの中で人間をしばりつけるもの、そのようにとらえていた部分もあったかと思います。
世界青年の船に参加せず、ムスリマの友人たちと出会わなければ一生そういう解釈でいたと思います。

ヒジャーブをした彼女たちに出会ったのは代々木の国際オリンピックセンターでした。初めて言葉を交わしたのはバーレーンの女性でした。
穏やかな雰囲気の彼女は覚えたての日本語で私に挨拶をしてくれました。
食事のこと、お祈りのこと、男性とは隣の席にならないように注意してあげること、彼女らを守ってあげないといけないと私は変な使命のようなものを感じていました。
デリケートでナイーブなんだろうから守ってあげないといけないと思っていたような気がします。
ところが、守ってもらっていたのは私のほうでした。
乗船中、私にとって彼女たちはよりどころでした。あまりの人の多さに「船酔い」ではなく「人酔い」をして心のバランスを崩してしまった私に真っ先に手を差し伸べてくれたのはムスリマの友人たちでした。
レセプションパーティの人の多さに気分が悪くなり、すみのほうでぐったりしていた私に水を持ってきてくれ、隣で背中をさすってくれたのも彼女たちでした。

彼女たちとは言葉も違う、文化も違う。だけどこの心地のよさは何なんだろう?
今まで生きてきていろいろな人と出会ってきました。
大好きなフィリピンの友達の笑顔と同じ空気感がそこにはありました。
中学生のときに気のあう友達と一緒にいるときの安堵感と同じものを感じていました。
可愛い子犬をきゅっと抱きしめたときのあの感じ。
それに似ている・・だけど、ムスリマの友人といるときにはその反対でした。
そう、抱きしめられているのは私。私よりも大きな存在、そういう風に感じました。

今までの私の貧困な情報の中で得ていたイスラムのイメージ。
決してプラスのものではありません。それは多くの日本人が抱いている偏見とそう変わりません。
得たいの知れない人たち、という一くくりで捕らえそれ以上をみようともせず興味もありませんでした。
煙のようなアラビア語も、布をたくさん巻いた女性の姿も、すべてテロや破壊の景色の向こうに存在していました。
自分とはまったく遠い世界のものだと思っていたのです。

それが、どうでしょう。
何の警戒心もなく、私は彼女らを受け入れ心が穏やかになってしまっている。
そう、それが「サラーム」という心の状態であると後になって実感しました。
私に欠けていて、ずっと欲しかったものがそれであったと思うのです。
いろいろなものを求めてもがいてきたけれど、失っていたものは心の平安。
私が彼女らにみていたものはそれでした。

世界青年の船という事業はとにかくいろいろなイベントが青年たちの手で行われるので、参加青年によっては殺人的なスケジュールで日々過ごすことにもなってしまいます。
あらゆる活動において、きっちりこなそうとおもうと日々走り回って過ごさなければなりません。
あの活動、この活動、誰に連絡をして、ここの場所の予約を入れて・・・とにかくばたばた日々が過ぎていきます。
私は当初、自分のペースもわからなくて周りに翻弄されて戸惑ってばかりいました。
誰のために何をがんばってるのかわからなくてデッキを歩いていると、ムスリマの友人た
ちがクルアーンを詠んでいる光景に出くわしました。
最初、「いいなあ余裕があって。私は本を読む時間なんてないわ」と思っていました。
神様と向き合う時間、イスラムでは神様と自分とが直接向き合えるのよ。
食事をしながらそんな話をしたことを覚えています。
偶像崇拝をしないこと、礼拝をすること、豚肉やアルコールなどは口にしないこと、世界史の教科書に書いていたような内容が頭をよぎりました。
ムスリムの人たちに配慮して、礼拝の時間には行事をいれないとか、ブッフェでの豚肉は別な場所に設置するなどの措置がとられていました。
断食をする人たちのために、日が暮れてからの食事なども用意されていました。
「明日の早朝、集団礼拝があるから見に来ない?」
そんな誘いに二つ返事で答えた私は、翌朝とても綺麗なものを見ることになります。
それはあの日に、教会でみたキラキラしたものと同じものでした。

翌朝、集団礼拝の場所へ何を着ていけばいいのかわからず、とりあえず黒い長袖のワンピースを着てストールを頭に巻いて大ホールへ入りました。
男性と女性が別な場所で礼拝をすることもそのとき初めて知りました。
「へえ、銭湯みたいだな」と思いました。
ムスリマたちの場所へ着くと、皆が一方向に向かい手馴れた順序でサラートが始まりました。
「コメツキばったのような体勢になったりもするんだなあ」と呑気な感想を持ちながら一連の儀式をみていたのですが、サラートが終わったあと彼女たちは今までよりも一段と輝いた笑顔になり頬にキスをしたり、抱き合ったりして何かを喜んでいるようでした。
それは特別な何かではなく、今ここにいること、ここにともにいることを喜んでいるのです。
その光景をみていたら私は目頭が熱くなり、胸にさあっとそのきらきらが流れ込んでくるような気がしました。
なにかとてもいいものをみたような気分になりました。
胸の澱みが消えるのを感じました。
そして、集団の嫌悪がまったくないのが自分でも驚きでした。
気持ちがひとつになって同じ方向を向いている、それが強制ではなく自発的に同じ方向を
向くことの奇跡を目の当たりにした瞬間でした。
うまく説明ができなかったけれど、私は朝食の場でエジプトのムスリマの友人にこのことを話しました。すごく綺麗なものを見たような気がする、ありがとうと感謝を述べると彼女も私の話に心を開いてくれました。
そして、真顔になって言いました。
「こぐちゃん、こぐちゃんは早く神様を決めなければいけないよ。」
私がきょとんとしていると、彼女は言いました。
「人生は短いから。神様を決めないとあっという間に終わってしまうから。」
私はそのときはその意味がよくわかりませんでした。
正直今もよくわかりません。わからないから下船してか約一年、イスラムやアラビア語を勉強したり日本にいるムスリマにあって話を聞いているのだと思います。
知っていったからどうなるのか、私にもわかりません。
信仰したいのか、それともただの好奇心なのか、それはインシャーアッラー、神様にしかわかりません。

アッサラームアライクム。あなたがたの上に平安が訪れますように。
何年も前から初詣や神社に行くと私が祈っていた言葉、「世界が平和でありますように」
私の中の「平和」とは戦争がないということだけではなく、一人ひとりの心から、葛藤や迷いや恨みなどの暗いエネルギーが消え、心が平和になるようにという願いだったのです。
私の心の奥の祈りが、挨拶の言語、アラビア語をもっと学びたいと思っています。
そして私が見て感じたことが形となり、日本社会とイスラム世界の架け橋になるように貢献できたら素敵だなと思っています。