ダマスカス留学生有志による情報ブログ

ダマスカス留学生有志とそのOBがアラビア語やイスラームについての情報をお送りします。

ムスリムになりました Q&A

2010年03月17日 | ★イスラームって?(初級~)

質問
入信したばかりで、一日の礼拝5回がとても大変です。どうしたらいいですか?

回答
今日、ちょうど尊敬する先生の勉強会があったのですが、先生がこう言われていました。
ムスリムになったばかりの人は、一日5回の礼拝をするだけでも、今までまったくしていなかったところからのスタートなので、いきなり5回するのは、大変で、そのせいで、イスラームが嫌いになってしまったり、大きな負担を感じてしまうくらいなら、一日1回でも、自分のできる範囲で礼拝をして、少しずつ、5回にしていけば、いいんですよ、と。

あなたが、礼拝が好きになることがまず、大事で、私たちがなぜ礼拝するのか、ということを知ることがまず一番最初に、 大切なことです。
アッラーは、あなたのことが大好きで、大好きで、だから、あなたをムスリマにしてくださいました。
あなたのことが、大好きなアッラーは、あなたに、一日に5回アッラーと一緒にいる時間を持ってほしい、と思っていらっしゃいます。
アッラーは、一日に5回、あなたに直接会って、あなたの言葉を聴いて、あなたと一緒にいたいと、思っていらっしゃるんです。

礼拝は、アッラーと直接お会いして、お話しすること、アッラーの御手の間に立つことです。
また礼拝は、人が死後、あの世で、最後の審判の日に、アッラーの御前に立つ練習をする場です。
最後の審判の日には、誰よりも、もっとも公正で、慈悲深いアッラーの前に立って、この世でしたことを、すべて問われます。
その練習が、この世でする礼拝です。

アッラーは、本当に、どんなに悪いことをしても、殺人をしても、盗みをしても、その人が、そのことを後悔して、アッラーに許しを乞い、二度と同じことをしないと決心し、悔い改めるだけで、すべてを許してくださいます。
アッラーのご慈悲は、とてもとても深く、広く、すべての創造物に注がれています。

預言者様(彼に平安と祝福がありますように)のハディースにこんな話があります。
アッラーは、地上から天に帰った天使たちに、尋ねました。「人間たちは、私に何を祈願しているのかね?」と。
天使たちは、「彼らは、あなたの天国とあなたのお許しを祈願しています」と言います。
するとアッラーは言われました。「彼らに伝えなさい。私はすでに、彼らを許しているのだよ、と。」

私たちは、すでに、アッラーに許されています。
アッラーは本当に寛大な方です。アルハムドゥリッラー。
ですから、アッラーの寛大さに、疑いを持ってはいけません。
必ず、アッラーは、お許しくださいます。
アッラーは、ご自分の99のお名前の中に、「許すもの」という名前があります。
この名前をご自分で付けられたアッラーは、私たちを許したいのです。

また、アッラーほど、忍耐強いお方はいません。
アッラーは、人間をお創りになり、善いことと悪いことを教え、善いことをするようにと命じましたが、悪いことをする人間にも、彼が飢えないように、食事を与え、健康を与え、彼が、いつかは、アッラーに気がついて、彼のところに帰ってくれるのを、待っています。

アッラーは、完璧です。
それに比べて、私たち人間は、まったく不完全です。
どんなに崇拝行為をたくさんしても、どんなにアッラーのことを考えても、アッラーが私たちに与えてくださる愛情の、ほんの一部もお返しすることはできません。
私たち人間は、不完全なのです。

もし私たちが、すべてを持っていて、お金も食べ物も不自由なく、何かをしたいと思ったら、すぐにできる能力があり、アッラーに対する崇拝行為も、すべて完璧にできる存在だったとしたら、いつ、アッラーにお願い事をするのでしょうか?
アッラーの僕(しもべ)だ、ということを、いつ感じることができるでしょうか?

アッラーは、私たちを、完璧にはお創りになられませんでした。
なぜなら、アッラーは、私たちに、アッラーに向かって、お願い事をして、私たちが彼の僕(しもべ)だ、ということを、私たちに感じてほしいからです。
それを、私たちに、現してほしいからです。
私たちは、完璧でないからこそ、アッラーにお願いすることができ、アッラーに、懇願することができます。
ですから、私たちが、間違いを犯したり、自分にできないことがあったりすることは、まったく自然のことで、それは、まったく問題ではありません。

問題は、間違いを犯したときに、または、自分にできないことがあったときに、せっかく、アッラーに、自分がアッラーの僕(しもべ)だということを、確認するチャンスをもらっておきながら、それを生かして、アッラーにお願いしたり、許しを乞ったりしないこと、これが、大きな問題なのです。

ですから、礼拝に限らず、何でも自分にできないことがあったときは、アッラーのことを、思い出すチャンスで、それも、アッラーからの恩恵だということを思い出してください。
全てできてしまったら、私たちはアッラーを必要としなくなってしまうでしょう。
ですから、アッラーは、私たちをそういう風には創られなかったのです。

もしあなたに、イスラームにおいてできないことがたくさんあって、罪悪感を感じることがあるとしたら、それはすばらしいことです。
そういうときには、アッラーにすべてをお任せして、お願いすることが大事です。
私達ができないことがあるのは、当然で、それは、アッラーが、私達に、彼の方を向いて、彼に祈願してほしいと思われているからなんです。
「どうかできるようにしてください。」と、アッラーにお願いしてほしいから、アッラーは、私達にできないことをお与えくださるのです。
ただ、それだけです。
できないことがあることを、自分のせいだと、罪悪感に思わないでください。
アッラーは、そんなことは、百も承知です。
私たちが、すべて完璧にできるなんて、アッラーは、まったく期待していません。

アッラーがお望みなのは、できない私達に、アッラーのことを、思い出してほしいだけなんです。
それが、私たち人間の存在理由なんです。
なぜならば、私たち人間が存在する目的は、2つあり、そのひとつは、「アッラーを崇拝すること」で、二つめは、「この世界をアッラーの代わりに代理人として、治めること」です。
アッラーを崇拝するということは、私たちが、アッラーの僕(しもべ)だ、ということを知るということです。

アッラーのことを、考える時間をもっと作るといいですよ。
目を瞑って、じっくりアッラーのご慈悲、自分をお創り下さったアッラーの偉大さ、をゆっくり考えてみてください。
ファジュルの礼拝の、前か、後に、静かなところで、じっと座って、ゆっくり、私達のことを大好きでいてくださる、アッラーのことをどうか考えてみてください。
そして、アッラーに、「どうか、あなたのことを教えてください。私をあなたに近づけてください。」とお願いしてみてください。
アッラーは、きっとあなたのお願いに応えてくださるでしょう。


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