小学生の頃、裏の空き地(屋敷跡)には空襲で焼け残った金庫が、そのど真ん中に陣取っておりました。
三角ベースで野球をやっていた仲間やその家族が、いくらかずつ出し合って他人の土地を整地してもらったわけです。
勉強なんてどうでもいいと、日ごろ思っている僕です。
学校から帰ると、空き地を囲っている塀に軟球をぶつけておりました。
書いてあるストライクゾーンめがけてピッチング。
返ってくるゴロの捕球、一人でも結構練習できるのです。
そのうちに一人、二人と集まって試合が始まります。
立ち止ってそれを眺め、時間を潰している大人たちもおりました。
やはり応援する球団は ジャイアンツ です。
ぼくは ギッチョ なので 背番号7の与那嶺選手 の熱烈なフアンでした。
当然、僕の背番号も 7 です。
後楽園球場には 巨人 対 広島 のダブルヘッター を一度見にいっただけです。
入れ替えなしで、小学生は ¥30 だったと思います。
もちろん外野席です。
その試合で与那嶺選手がホームランになるはずの飛球をジャンプして捕球したのです。
あまりの格好よさに、その光景を幾度も真似したものです。
革製のスパイクなんて高根の花でした。
全員、布製をはいておりました。
あれから何年、与那嶺選手、ご冥福をお祈りいたします。
三角ベースで野球をやっていた仲間やその家族が、いくらかずつ出し合って他人の土地を整地してもらったわけです。
勉強なんてどうでもいいと、日ごろ思っている僕です。
学校から帰ると、空き地を囲っている塀に軟球をぶつけておりました。
書いてあるストライクゾーンめがけてピッチング。
返ってくるゴロの捕球、一人でも結構練習できるのです。
そのうちに一人、二人と集まって試合が始まります。
立ち止ってそれを眺め、時間を潰している大人たちもおりました。
やはり応援する球団は ジャイアンツ です。
ぼくは ギッチョ なので 背番号7の与那嶺選手 の熱烈なフアンでした。
当然、僕の背番号も 7 です。
後楽園球場には 巨人 対 広島 のダブルヘッター を一度見にいっただけです。
入れ替えなしで、小学生は ¥30 だったと思います。
もちろん外野席です。
その試合で与那嶺選手がホームランになるはずの飛球をジャンプして捕球したのです。
あまりの格好よさに、その光景を幾度も真似したものです。
革製のスパイクなんて高根の花でした。
全員、布製をはいておりました。
あれから何年、与那嶺選手、ご冥福をお祈りいたします。
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