創価学会員さんがよく発言されているのは「インターネットは嘘ばかり、アンチは日蓮正宗、顕正会、共産党員」なんていう刷り込み。普通の人が迷惑行為をされて 創価学会員を嫌っているとは認めたくないらしい。
最近 検索に引っかかった、投票をお知らせしよう。もちろんインターネット内のことだから男性が多いだろうし、年齢層も限られてくる。私は受付が終わった時点でこの投票を見つけたし、2ちゃんねるの創価公明板でもこのURLを見かけたことがなかったので、「アンチ」と呼ばれるネットで創価批判をしている人たちだけの意見とは思えない。
だいたい、創価学会だけが他の宗教団体と違って、このような俎上にあげられるのは それだけ迷惑行為が蔓延していると推察できる。
創価学会員に対する第一印象
少し嫌 嫌悪感 殺意を合わせると2200票中89.1%
創価学会には課税すべし
課税すべし 3342票中95.2%
公明党は政教分離すべし
政教分離していないので解散すべし792票中71.8%
もし恋人が創価学会員だったら
断る 恋人を脱会させる 投票率677票中 82.3%
さて最近の大学生は新聞よりインターネットから情報を収集するそうだ。MSNに特集記事が載っていたのだが、無精していたら今、検索できずここで紹介できない。インターネットでの情報、世論が実社会の世論とはまだ言えないが、概ね知識層の心情とかけ離れたものではないだろう。そうして、益々これからの世代、インターネットで発信される情報はより一般的な世論へと近づいてくる。
最近、私にメールを下さった 創価学会員との恋愛に苦しんでいた女性がこのようなことを仰った。
「創価のよくない部分に気づけない彼の常識のなさ。
人の空気を読めずに信心のことを語る人間力の無さ。
そこに気づくことにより、彼自身の存在が小さなものになりました。」
私は自分にメールを下さった方には自分の考えを押し付けるようなことはしないように心がけている。必要な情報を与えるようにするだけだ。それでも別れの決断を下す人が ほとんどだ。
創価の中の多くの人は現実が見えない。現実とはかけ離れた夢の世界で生きている。現実とはシビアで辛い。現実に目を向けない人たちと、そこから逃げだそうとしている心の弱い人たちとは 関わらない事だ。創価学会から脱会した人や家族に創価学会員が居る人は現実が辛くてつい、創価学会員は悪い人ではないし、創価学会がしている迷惑行為はそんなに悪いことではないと創価学会のコミュニティに擦り寄ってしまう。現実が見えない人たちと関わり続けることは、大勢の中の一人という甘えから自分の目も曇ってくるし、彼らの迷惑行為を容認していることと同じ事だ。中からは自分たちの行為は全く見えないだろうが、外から見ていると醜悪である。
インターネットで発信される創価学会による迷惑行為、嫌がらせは 私の体験から事実が多いだろう。巨額の資金をもち人脈もあり警察や司法にも創価信者は居るし、政府与党である創価学会=公明党を表立って批判することは大変なリスクが伴う。週刊誌や一部のテレビ番組で果敢に取り組んでいるところはあるがまだまだ現状では少ない。
インターネットの書き込みを全て嘘だと信じないのも自由だが、これほどの迷惑行為の書き込みがある現実を受け入れず、何の改善も出来ない創価学会には未来は無いであろうことは断言できる。
メール内容掲載を快諾して下さったNさん スペシャルサンクス
これは 創価学会体験記2のコピー記事です。
最近空気読み力テストが流行っているようです。あなたは?
最近 検索に引っかかった、投票をお知らせしよう。もちろんインターネット内のことだから男性が多いだろうし、年齢層も限られてくる。私は受付が終わった時点でこの投票を見つけたし、2ちゃんねるの創価公明板でもこのURLを見かけたことがなかったので、「アンチ」と呼ばれるネットで創価批判をしている人たちだけの意見とは思えない。
だいたい、創価学会だけが他の宗教団体と違って、このような俎上にあげられるのは それだけ迷惑行為が蔓延していると推察できる。
創価学会員に対する第一印象
少し嫌 嫌悪感 殺意を合わせると2200票中89.1%
創価学会には課税すべし
課税すべし 3342票中95.2%
公明党は政教分離すべし
政教分離していないので解散すべし792票中71.8%
もし恋人が創価学会員だったら
断る 恋人を脱会させる 投票率677票中 82.3%
さて最近の大学生は新聞よりインターネットから情報を収集するそうだ。MSNに特集記事が載っていたのだが、無精していたら今、検索できずここで紹介できない。インターネットでの情報、世論が実社会の世論とはまだ言えないが、概ね知識層の心情とかけ離れたものではないだろう。そうして、益々これからの世代、インターネットで発信される情報はより一般的な世論へと近づいてくる。
最近、私にメールを下さった 創価学会員との恋愛に苦しんでいた女性がこのようなことを仰った。
「創価のよくない部分に気づけない彼の常識のなさ。
人の空気を読めずに信心のことを語る人間力の無さ。
そこに気づくことにより、彼自身の存在が小さなものになりました。」
私は自分にメールを下さった方には自分の考えを押し付けるようなことはしないように心がけている。必要な情報を与えるようにするだけだ。それでも別れの決断を下す人が ほとんどだ。
創価の中の多くの人は現実が見えない。現実とはかけ離れた夢の世界で生きている。現実とはシビアで辛い。現実に目を向けない人たちと、そこから逃げだそうとしている心の弱い人たちとは 関わらない事だ。創価学会から脱会した人や家族に創価学会員が居る人は現実が辛くてつい、創価学会員は悪い人ではないし、創価学会がしている迷惑行為はそんなに悪いことではないと創価学会のコミュニティに擦り寄ってしまう。現実が見えない人たちと関わり続けることは、大勢の中の一人という甘えから自分の目も曇ってくるし、彼らの迷惑行為を容認していることと同じ事だ。中からは自分たちの行為は全く見えないだろうが、外から見ていると醜悪である。
インターネットで発信される創価学会による迷惑行為、嫌がらせは 私の体験から事実が多いだろう。巨額の資金をもち人脈もあり警察や司法にも創価信者は居るし、政府与党である創価学会=公明党を表立って批判することは大変なリスクが伴う。週刊誌や一部のテレビ番組で果敢に取り組んでいるところはあるがまだまだ現状では少ない。
インターネットの書き込みを全て嘘だと信じないのも自由だが、これほどの迷惑行為の書き込みがある現実を受け入れず、何の改善も出来ない創価学会には未来は無いであろうことは断言できる。
メール内容掲載を快諾して下さったNさん スペシャルサンクス
これは 創価学会体験記2のコピー記事です。
最近空気読み力テストが流行っているようです。あなたは?
創価学会員による嫌がらせを受けて迷惑している方々は、ぜひ防犯カメラを設置することをお奨めします。軽く流せば済む程度の被害の方はそこまでする必要はないかもしれませんが、かなり陰湿かつ悪質な被害を受けている方は、ご自身の精神衛生上の問題からもそのほうが良いと思います。
「誰だろ~?」
「創価かなぁ~?」
「いや、でも違うかもしれない・・・」
なんて考えて心労を蒙るぐらいなら誰の仕業なのかはっきりさせたほうが余計なことで精神的浪費をすることもないですし、何より的確なアンチ対策ができます。アンチ対策といっても別に連中と戦うとか大げさなことを言っているのではなく、自分の身と心の健康を守るために的確な対応ができるということです。
昔、私にも経験がありますが、あまりにも創価学会の嫌がらせを受け続けると、他の関係のないことまで創価の嫌がらせに思えてしまうことがあります。結局は単なる考え過ぎであったり、被害妄想に類するものであったりしたことが何度かありました。
でも、それは一方では仕方のないことであって、またそういう方向へ仕向けることが創価学会員の目的のひとつだったりもするわけですから、決して恥じることはないです。むしろ被害妄想的になってしまうのは当たり前なことなのです。
ただ、いつまでもそれでは精神衛生上あまり良くはありません。そして創価学会の嫌がらせを上手くかわすためにも憶測と事実とは明確に区別しておくことはとても重要なことです。
そしてそのための道具が防犯カメラということです。
「郵便物が何か変だ」
「誰かが車やバイクや自転車にいたずらをする」
「自分の家の前にゴミを置かれる」
など・・・。
気のせいだったり、思い過ごしであるならば、早くそうとわかってしまったほうが精神衛生上よいですし、もしも予感が図星であった場合は、今後の対策の材料とできたり、あるいは直接相手を追及する大きなカードにもなります。
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ところで防犯カメラというとかなり高額なのではないか、というイメージがあるでしょうが、調べてみると意外とそうでもありません。もちろん基本的には高価な商品なので、それなりの値段が付いているものが多いのですが、最低限必要な機能がきちんと備わっているもので、5万円程度を出せば買えるものは結構たくさんあります。24時間監視機能があり、しかもHDDに保存までできたりします。5万円が安いかどうかはその人が防犯カメラに対してどれだけの価値を認めているかにもよりますが、先ほども書いたように自分の中だけで勝手にあれこれ考え込んでいるぐらいなら、カメラを設置することで事実が明らかになって精神的に楽になれるのであれば、4~6万円という額は決して高くはないのではないかと、私は思います。被害でかなり苦しい思いをしている人であれば、多少無理をしてでも購入する価値はあると思います。何より精神的にとても楽になれますし、精神的に楽だとさまざまな意欲も湧いてきます。創価学会の問題に対してというわけでなく、自分がこれから生きていく上での意欲とか前向きな気持ちということです。
インターネットで「防犯カメラ」などのワードで検索をかけると多くのショップのサイトがヒットします。もちろん、大半は通販で購入可能です。
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それと、カメラの設置場所ですが、相手をけん制するのが目的であれば、単純に撮影したい場所の近辺で設置すればいいのですが、相手の正体を確かめたいという目的であれば、カメラの設置が気づかれない場所を選ぶ必要があります。
そのあたりの情報についてはあまり詳細にここで書くことはできませんが、ぜひ工夫して設置場所を決めてください。
最近はカメラが超小型化しているので、設置できる場所は工夫次第でいくらでもあります。考えるだけで実際に行動しない人が多いのですが、やはり、行動することは大事です。頭の中だけで考えている限り、状況は何も変わりません。行動することで、仮にそれが失敗に終わったとしても、それは失敗という結果を得ています。つまり、ちゃんと行動した甲斐があったわけです。無意味ではないのです。自分の中で選択肢がひとつ消えたわけですから、それは今後の大切な新たな指針となるはずです。
顕正会は昔 創価学会本部に殴り込みをかけております。http://www1.odn.ne.jp/~cam07270/link53.html
今同じような事件を起こしても、権力を握っている創価学会に顕正会は勝ち目がないでしょう。
顕正会は創価学会と同じ勧誘方法をとっていますが、顕正会は政界、法曹界にパイプがないためか警察沙汰がたえません。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080930/crm0809302249046-n1.htm
暴力で人の心は動きません。
宗教はそんなものではありません。
一刻も早く顕正会から退会されて、冷静さを取り戻して頂くことを切に願います。
トンネルの中だからこそ見える灯りというものがあります。普段ならばその存在にさえ気づかず、すれ違ってしまうであろう小さな灯り。
でも、突然、真っ暗闇の中に放り込まれ、気の遠くなるような状況に思わず途方に暮れる時、そのささやかな灯りはとても暖かく、そして、目が眩むほどまぶしい。
私が今、創価被害を受けて良かったと思えるのは、直面する過酷な状況に立ち向かえる強さを自分自身の中に感じられるからです。そして、それゆえに、これまでは見えなかったものが見えるようになれたからです。
あの暖かく、まぶしい3つの灯りは、今の私を力強く支えてくれているのです。もう目の前にはないけれど、でも、私の心の目には今もはっきりと見えるのです。
だから、私は何とか頑張っていかれるのです。
どんなに真面目に慎み深く生きていたとしても「根も葉もない噂」には勝てないのだと言うことを身を以て体験しました。
そして 私の今までの生き方を見て 判断することなく 「噂」に流されてしまう人のいかに多かったことを。
でも幸運なことに私にはたくさんの理解者が残りました。sz者さんにはどうだったでしょう。
辛い経験の後、ふと身の回りを見渡すと決して普段では見つけられなかった宝物を見つけることができます。自分が泥沼に陥れられ 人から見下される立場になってやっと解ることも多くあります。
もう一度同じ経験をしたくはありませんが、あの経験がない自分より 今の自分の方が私は好きです。^^
いつか面と向かってsz者さんのお話を お酒を飲みながら聞くことができることを楽しみにしております。
理想を持てない人生ほど退屈で、無意味で、生き甲斐のないものはありません。でも、理想を語る資格を持つのは、きちんと現実を直視できる人間だけであると、私は思う。
都合の悪い現実から目を逸らし、認めたくない事実には耳を塞ぎ、口を開けば自分を着飾ったキレイごとばかり並べ、そのくせ人様の批判だけは一人前…。 そのような人間の言葉に説得力など感じられるはずがないし、私ならば「偽善」と一蹴して終わりでしょう。
言葉が強い説得力を持つかどうかは、言い回しがキレイだとか、立派だとか、そういった上っ面だけの瑣末な要素が決めることではなく、言葉の背後に‘ 誠実さ ’が垣間見えるかどうか――それに尽きるのではないか。もちろん、ここで言う‘ 誠実さ ’とは、自分の弱さ・狡さなども含めた、ありのままの自分の言葉で語っているかどうか、ということ。
私がいま置かれている状況に対して、辛くないと言ったら嘘になるでしょう。でも、このサイトにおいても何度か書かせてもらいました。
「人の幸せとは、苦難を一掃することではなく、苦難と闘い続けていく強さを持つこと」
であると。そして、強さというものは、自分自身の真実の姿を直視できる人間の中にのみ宿るものと、そのように私は思います。いや、いま自分で実感していると言ったほうがいいのかもしれません。キレイごとばかりいくら積み上げたところで、そんなものは所詮は嘘の上塗りなのです。
「自分に正直になれない人間に、他人の不誠実を裁く資格などない」
私はこの言葉を胸に深く刻みながらこの創価学会問題という、間違いなくこの日本の社会が生み出した途轍もなく大きな壁と対峙していきたい。
私は、創価学会員の姿、そして、創価学会員に操られている非学会員の姿から、結果的には、人間という存在の‘ 素の姿 ’を学びました。「学んだ」と言う以上、もちろん、この経験は私のとても大切な財産ということです。
学会問題によって私が負った傷は、この先どれだけ長い時間が過ぎて行ったとしても、時の流れが解決してくれることは決してないでしょう。一生私が背負っていくことになるであろう、そういう傷なのです。
でも、その一方で、私は心から感じています。
「創価被害を受けて良かった」
と。「良かった」という言い方は、あるいは適切な表現ではないとお叱りを受けるかもしれません。全国に今なお同様の被害者が存在することを考えれば、不謹慎な言い方になるのかもしれません。でも、それでも、私は被害者のひとりとして、敢えて言いたい。
「被害を受けて良かった」
と。この表現以外に、今の私の気持ちを素直に、正確に表わす言葉が他に見当たらないのです。
私は創価被害によって、二度と取り戻すことのできない、とても大切なものをたくさん失いました。でも、私はこの被害からその何倍…、いや、何百倍、何千倍もの大切なものを、手に入れることができました。
それは金を積んで得られるものではなく、また、友情や恋愛から得られるものでもなく、人間という生き物の‘ 素 ’をこの目で見てしまった、すべての人間が内に秘めている‘ 邪悪 ’というものを見てしまった人間だけが、その地獄のような失望感と屈辱感との引き換えによってのみ得ることのできる、言葉では表現しようのない、でも間違いなく‘ とても大切なもの ’。人間が健全に生きていくために絶対に必要な‘ とても大切なもの ’。
これらはこれから私が誰かと友情を分かち合う時、あるいは将来誰かと愛情を交わす時、必ず大きな支えになってくれるはずと信じている。
創価学会員の言葉に説得力が感じられないのは、なぜだろうか?
そのいちばん大きな理由は、学会員が全く現実を直視していない、ということであろうと私は思う。都合の悪い現実から目を逸らし、あるいは認めたくない事実に対して耳を塞ぎ、自分の都合の良いようにしか社会を、人間を語っていないから。だから、我々非学会員の目には、学会員の姿が、言葉が奇異に映って仕方がないのです。
どれほど醜いものであれ、あるいは認めたくないものであれ、現実をきちんと直視するということは、人が健全に生きる上で必要なことです。だって、私たちは‘ 現実 ’を生きているのだから。なのに、現実から目を逸らしてキレイごとばかり並べていても、それは空想の中にいるのと同じです。おとぎ話の世界を現実の世界に持ち込んで不平・不満を並べても、それらが解決しないのは当たり前のことでしょう。
人は、自分の口ではキレイな言葉を並べても、他人のそれによって心を動かされることは絶対にありません。なぜなら、人は誰もが、
「人間なんてそれほど立派な生き物ではない」
というこの紛れもない現実を、他の誰でもない、自分自身の姿に嫌と言うほど見ているからです。
そして、このことは、創価学会問題においても当てはまることではないかと思う。自分に都合の悪いことを棚に上げて高見から学会員の言動を批判したところで、この問題は何も解決しないのではないか。非学会員が自分たちの恥部を隠して学会員のそれらを世間に晒したところで、それは学会員が非学会員に対してこれまで散々やってきたことと同じなのです。
私は、創価学会員による執拗な嫌がらせを受けたことによって、それまでの自分の人生観・人間観が一瞬にして崩れ去っていく様を経験しました。しかも、それは創価学会員の姿によって、というよりは、創価学会員の陰謀の手足となって(無自覚にせよ)無責任に他人の噂話に興じる非学会員の姿のほうに、とても大きな衝撃を受けたことによるものです。
その時、私は人間の‘ 素 ’を見た気がしました。
目の当たりにした光景が創価学会員のものであったなら「特殊な連中の言動だから…」と、ある意味見下して見ることができたでしょう。しかし、それが非学会員と思われる人たちによるものであったがゆえに、それまでの自分を揺るがされるほど大きな衝撃をもって受け止めなければならなかったのです。
先日、私がここで書かせてもらったコメント(2008-08-26 21:55:59)。そこで私は、根も葉もない噂話に興じて創価学会員による工作の手足となっていた連中をさして、次の言葉でコメントの最後を締めくくりました。
>証言をするということは、自分で自分の首を絞めることにもなりかねないのです。
>また、各々職場や居住地域における立場があります。
>証言をすることによって、その職場や居住地域において
>自分の居場所を奪われるかもしれないという恐怖があります。
>だから、逃げるんです。自分の犯した罪から。
>他人の人生は平気でぶち壊しておきながら…。
もちろん、ここで私は、自分が被害者である立場を利用して、なにも自分を善人に祭り上げようなどと企んだわけではないのです。何が言いたいのかというと、私はたまたま噂話を‘ される ’立場に置かれただけであって、もし仮に逆の立場、つまり私自身が噂話を‘ している ’側の人間だったとしたら、いま私が‘ 加害者たち ’に求める行動を私自身は行なっていただろうかと、そういう自問を私は何度も繰り返してきました。犯した罪から逃げる相手を深く軽蔑しながら、しかし、心の片隅で共感している自分がいるのも事実なのです。
そもそも皇太子殿下が雅子妃と結婚された経緯について、最初の時点から創価学会の目論見があったのかどうか、そこのところが私はとても気になっています。
つまり、「雅子嬢は創価学会が皇室へ送り込んだ『刺客』だったのか?」と。
悠仁様がご誕生されたことで一気に収束した感のある女性天皇(or 女系天皇)についての議論。一時期はかなり激しいバトルが展開されもしましたが、今から思えば、あの議論は愛子様の皇位継承を認めるかどうかという問題のほかにも、愛子様が皇位を継承することで創価学会が皇室を、さらにはこの国を支配する土台を形成してしまうことに対する危機感を一部の、高い問題意識を持った人たちが、皇位継承問題というテーブルを借りて訴えていたのかもしれない――と、本当、今だからなのですが、そんな風に思ったりもしています。
まぁ、とにかく、創価学会が皇室をのっとるなんてことは絶対に不可能だと私は思います。なぜなら、先日も申し上げたように、時代も、この日本の社会も、そんなことは求めてないですから。
人間は、歴史という大河の大きなうねりの中で流されていきている存在に過ぎないのです。この大河の流れを変えようなどと考えるバカ野郎は、その大河の流れに泡と消えていくのです。アーメン…。
さっそく西尾氏の記事を読んでいました。
P272に聖教新聞に報じられた皇太子様を懸念する様子が出ていますね。中国・韓国からのコントロールという記述に終始されています。
実は記事にも書きましたが週刊朝日9/12号も購入致しました。
こちらには天皇皇后両陛下と 秋篠宮家が軽井沢で悠仁様とご一緒に静養されているご様子が掲載されていました。なぜか皇太子ご一家は那須御用邸でお過ごしのご様子。また眞子様が精力的に御公務をこなしていらして 美智子妃も目を細めるほど本当に健気なご様子が書かれていました。
こんばんは。
西尾幹二氏の論文が掲載されている『WiLL』は、5,6,8月号に関しては、東京の書店でさえ現在は入手困難な状況にあります(7月号は西尾論文の掲載なし。旧皇族の竹田恒泰・慶應義塾大学教授による西尾論文への反論を掲載)。
ちなみに、『WiLL』(5~10月号)に掲載された西尾論文は、単行本として発売されています。
『西尾卓二のインターネット日録』
http://www.nishiokanji.jp/blog/wp-trackback.php?p=713
もし興味がおありなら購入されてはどうでしょう。ただ、創価問題を直接論じたものではありませんので、その点はご承知の上お読みください。
西尾幹二氏の発言すべてを正当化する裏付けがはっきりと提示されているわけではないので、氏の言葉をすべて鵜呑みにすることは、現時点では危険であることは否定はできません。
ただ、皇室関連の発言という性質上、かなりの証拠がなければあそこまで断言することは難しいと思いますし、西尾氏の言論人としての生命に関わることですから、かなり核心を突いた言説なのではないかと、私自身は考えています。
-----------------------------
>平成日本タブー大全2008 [別冊宝島]
これは、また貴重な資料をありがとうございます。m(_)m じっくり読ませていただきます。
freeさんもお元気のようで、少しだけ安心しました。では。また。
悔しいので 平成日本タブー大全2008 [別冊宝島]を立ち読みしてきました。
雅子妃・小和田家と皇室の確執が載っていました。創価のことには触れていなかったです。
2007年版の方が面白そうですね。
http://www.kajisoku.com/archives/eid1615.html
白川氏もお元気そうで何よりです。
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=736
テレビあまり 見ることができないのです。夜は夜で チビと一緒に寝ています。
今月号のwillは購入予定です。
どうしても皇室の情報は私たちにはあまり届いてきません。ですのできちんと確認されていませんが、皇太子様がブラジルで鳥居をくぐらなかったという情報もありました。
もしも 本当でしたら、やはり皇太子様は入信されているのかも知れませんね。「雅子妃 小和田家の思想コントロールを受けている」というのは あり得ます。
雅子妃及び小和田家と、天皇家との間で皇太子が板ばさみになっているというよりは、「東宮家vs天皇家」という基本的な構図があって、この構図の背後ですべてをコントロールしているのが小和田家及び創価学会である、と考えてよいと思います。
西尾論文が述べていることは、表面的にはあくまでも現在の皇室を取り巻く問題と、それを引き起こした帝王学教育の問題及び社会における戦後の皇室の位置の変化等に関してであって、一部週刊誌やゴシップ誌、あるいはネット上で語られているような‘東宮家と創価学会との関係’については、直接的にはあまり触れてはいません。
ただ、彼の主張の背後には、当然、東宮家と創価学会の関係への危惧・危機感が流れており、「(皇太子殿下は)小和田家と雅子妃にコントロールされ…」という言葉にそれは如実にあらわれています。
西尾氏が言いたいのは、今回の騒動のすべての根源は皇室自体の変化(凋落)にある、ということだと思います。‘開かれた皇室’と称して皇室が庶民化し、皇族としての権威や伝統が失われ、挙句の果てには民間人である小和田家にコントロールされてしまっている始末…と。
そして、雅子妃と中国・朝鮮系組織との繋がりを指摘し、皇太子が雅子妃及び小和田家、さらに言えば創価学会に良いようにコントロールされてしまうことで、この国自体が滅びてしまうのではないか、と。
西尾幹二氏が危惧し、大きな危機感を覚えているのはこの点であり、そうならないためにも皇室はその伝統と権威を守るべきだし、そのために帝王学教育はきちんと徹底されなければならないし(ちなみに西尾氏は論文の中で、昭和天皇が受けた帝王学教育の質を「10」とするならば、今上天皇のそれは「5」、皇太子は「1」と述べています)、皇室が庶民に開かれる必要など全くないと主張されているのです。
どこかで「皇太子様もイギリスにご留学の際、イギリスSGIの活動に参加され創価学会に感銘され、それ故、皇太子妃殿下として雅子様を選ばれた」という感じの内容が書かれていたのを見たような気がします。
いつも本当か嘘かわからない事ばかり書いて申し訳ありませんm(__)m
でも、それって有り得るよな~って私は感じてしまいます。
『朝まで生テレビ』でも真相はハッキリとは語られなかったのですね。
でも、最後の方の西尾さんのコメントでなんとなく様子がわかるような気がしますね。
最近、私は『たかじんのそこまで言って委員会』をよく見るようになりました。
あの番組は鋭い事をいう人が多いのでなかなかおもしろいです。
それから最近、ニュース番組では「公明党」と言う時に「創価学会を支持母体に持つ」という言葉を引っ付けて言う事が多くなったような気がします。(関西ローカルですが)
昨晩の『朝まで生テレビ』。
討論の中心になったのは、あくまで、
・皇室の今後のあり方
・雅子妃のこれから
といった話題であり、予想通り創価学会及び大鳳会関連の話には直接触れられることはありませんでした。
ただ、昨晩の討論のメインゲストである西尾幹二氏が番組終了直前に口にした言葉が、とても意味深であったと同時に、天皇家と東宮家との確執の本質を突いたものであったと、私は感じました。
以下、その言葉。
・「一年ぐらい以内に、妃殿下は病気がケロッと直るなんじゃないかと思います。理由は、すでに直っておられるからです。」
・「私が書いたことでいちばん喜ばれているのは、皇太子殿下、その方です。小和田家と雅子妃にコントロールされ、圧迫されている状況の中で(皇太子殿下をお救いしている文章だと信じております)」
・「皇太子殿下に近しい人から私の文章は皇太子殿下の救いになると聞いております」
※ここ数日の私の皇室絡みの書き込み。
もし本掲示板に相応しくないと管理人
様が判断される場合は、削除して頂い
て構いません。
今年は春先あたりからずっと
皇太子関連で西尾論文が論壇の話題の中心となったが、
(主に、ワックマガジンズ刊『WiLL』5~10月号に寄稿された論文)
アンチ創価にとってこれからは皇室問題も
検討必須の重要な問題になってくるのだろうか。
今夜の朝生ではこの皇室問題を討論するようです。
話題の西尾氏も参戦する模様。
尤も、創価の話題(疑惑)には触れないであろうとは思いますが。
『激論!これからの‘皇室’と日本』
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/
もし皇太子殿下・雅子妃に関する記事がすべて事実だとするならば、私は、逆に創価学会は非常に厄介なところに首を突っ込んでくれたのではないかと、つまり、アンチにとっては都合の良いことのように今朝あたりから思いはじめている。
良くも悪くも、天皇家は日本の歴史そのものである。長い歴史を経て脈々と受け継がれてきた皇統という、いわば‘聖域’の中に煩悩のカタマリのような男が、ただ自らの欲を満たすためだけに足を踏み入れれば、かならずや痛いシッペ返しを食らうであろう、と。
※ ※ ※
「織田信長が存在しなかったら日本の歴史はどういう流れになっていたか?」という議論を以前にどこかで読んだか、聞いたかしたことがある。しかし、仮に織田信長がいなかったとしても別の織田信長が必ず現れたはずだと、私は思う。なぜなら、織田信長があの時代の歴史を作ったのではなく、歴史の流れが織田信長という人物をつくりあげたと考えるからだ。
歴史を馬鹿にしてはいけない。時代が、社会が求めてもいないのに勝手に歴史の表舞台へとしゃしゃり出て来ようとする愚かな輩は、必ずや、歴史の巨大で凄まじいうねりによって捻り潰される。
これは歴史の法則である。
ほどほどのところで満足して大人しくしていればいいものを、調子に乗って自爆の道を歩みはじめてしまった創価学会(=池田大作)――そんな気がする。
許されないことでも うやむやにして 色んな権力を抱き込んで 無理を通すのが 創価学会です。
私もまさか そこまで皇室関係者は愚かではないだろうと思っていたのですが、先日 聖教新聞一面で皇太子様が池田博正SGI副会長と何人か距離があいていましたが、一緒におさまった写真を掲載されました。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1215014527/l50
不気味な影が 皇室を覆っている気が致します。
sz者さんの仰っていること理解出来ます。
総体革命とはそう言うことです。
全て 要所要所を創価学会員で押さえれば なんでも無理が利きます。
「無理を通せば道理が引っ込む」ですからこれほど、創価学会員は嫌われ 皆タブー視するのです。
でも 鶴のタブーもほころび始めました。いずれ 創価学会のしてきた悪行が白日の下に晒されるでしょう。
>神道の伝統を継承していくのが天皇及び
>天皇家及び皇室の義務なのではないのか?
>と一般的な日本人ならたいていの人はそ
>う考えてると思うのですがどうなんでし
>ょう???
私もnanaさんと全く同じ考えです。
私が法律の勉強をするようになったのは、創価学会員による嫌がらせによって、それまで描いていた人生設計がすべて滅茶苦茶にされてしまったことが、いちばん大きなきっかけでした。
私は、創価学会員たちの自己中心的で傍若無人な数々の行動からとても重大な、しかし一般的にはあまり意識・認識されていない、非常に恐ろしい事実を学びました。それは何かと言うと、
「合法的に人を殺せる」
という事実です。直接手を下して人を死へと至らしめれば、当然それは刑法上の殺人罪に該当し、最悪、極刑に処せられます。
しかし、もし直接手を下さずに人を殺せるとしたら…。そう。罪を問われることは一切ありません。そのまま何もなかったような顔で、これまでと何ら変わりのない日常を送ることができるのです。なぜなら、自分の手で相手を殺したわけではないからです。
では、果たしてそんなことが可能なのか?
――可能です。要するに、殺すと罪に問われてしまうので、本人が自分で死ぬように仕向ければいいんです。
何かすごく恐ろしいことを言っているように思われるかもしれませんが、でも、これが創価学会員の行なっていることなのです。学会員全員にそのような自覚・認識があるかどうかは別として、行なっていることの本質はそういうことなのです。
具体的に言えば、ターゲットとする相手から社会的信用・社会的立場といったものを奪うということです。そして、そのための手段が「情報操作」です。事実を穿り出してきて垂れ流すもよし、あるいは、話を勝手にでっち上げてそれをまことしやかに撒き散らすもよし。あるいは事実とでっち上げとを巧妙に組み合わせて…。
最初の一石だけ投じておけば、あとは世間が勝手に面白可笑しく話を膨らませてくれます。手のこんだ工作など必要ありません。そして噂話の輪が広がっていくと共に、責任の所在が曖昧になっていきます。
無論、こうした行為は刑法上の立派な犯罪行為です(たとえば、刑法第230条1項)。ただ、法律によって犯罪行為を裁くためには、その犯罪行為が存在することを客観的に証明しなければなりません。
つまり、まずは名誉毀損行為が実際にあったことを証明する必要があります。次に、果たしてその行為が本当にその人の人生を崩壊させる致命的な直接的原因であったのかどうか、これを証明しなければならない。
犯罪が犯罪として成立するまでのプロセス(法律的には「犯罪成立要件」といいます)を厳密に説明するとなるともっと複雑になるのですが、簡単に言ってしまえば、こういった段階をきちんと踏まえてはじめて犯罪を裁くことができるということです。
ところが、実際問題として、名誉毀損行為を証明するの非常に難しい作業です。まず、証言を得られることがなかなかありません。なぜなら、そもそもひとり人間の人生を破綻させたとなると、相当の広い範囲で噂が流れていることになりますから、大雑把に言えば、ほとんどの人が程度の差こそあれ加害者に該当する可能性があるのです。証言をするということは、自分で自分の首を絞めることにもなりかねないのです。
また、各々職場や居住地域における立場があります。証言をすることによって、その職場や居住地域において自分の居場所を奪われるかもしれないという恐怖があります。
だから、逃げるんです。自分の犯した罪から。他人の人生は平気でぶち壊しておきながら…。
私は憲法でどう定められているのかはちっともわかりませんが「皇室=神道」だと思っています。
神道の伝統を継承していくのが天皇及び天皇家及び皇室の義務なのではないのか?と一般的な日本人ならたいていの人はそう考えて思うのですがどうなんでしょう???
それが正しいかどうかはわからないですが、一個人としては神道を否定する方が天皇家にいる事はおかしいと思いますし不快感を持ちます(+_+)
※第3章を構成するのは「第10条~第40条」
そして、憲法の第3章を考える際の論点(=憲法上「合憲?or違憲?」という、主に学者の世界における議論)として、
「第3章のタイトルにある『国民』に天皇は含まれるのか?」
というものがあります。含まれるとするならば、当然第3章に規定されている各種人権はすべて等しく天皇にも保障されることになり、一方、含まれないとするならば、天皇には我々国民と同じようには人権は保障はされない、という解釈になります。
一応、現在の通説(=憲法学会において正しい解釈とされている考え方)では、天皇も人間である以上、人として誰もが生まれながらに等しく持つ人権は保障されるべきであるが、ただ、
「皇位の世襲制と職務の特殊性」
といった点から、例外的に否定されたり、あるいは一定の制約を受ける場合もある、とされています。
では、具体的にはどのような人権がこれに該当するのかというと、
(1)否定されるもの
・「選挙権・被選挙権」(15条1項)
・「特定政党に加入する自由」(21条1項)
・「外国移住・国籍離脱の自由」(22条2項)
(2)一定の制約を受けるもの
・「表現の自由」(21条1項)
・「学問の自由」(23条)
・「婚姻の自由」(24条1項)
・「財産権」(29条1項)
とされています。もちろん、学者により他の考え方を主張される方はたくさんいますが、一応、現在の憲法学会では以上が通説とされています。
レスの流れから「?」と思った方もいるかもしれませんが、そう、日本国憲法の第20条において我々国民に保障されている「信教の自由」が天皇にも保障されるのかどうか――この点に関する憲法学会の議論が見当たらないのです。もちろん、私は法律の専門家ではないので、私の勉強不足ゆえに見逃しているだけなのかもしれませんが、少なくとも私が所有する憲法関連の書籍の中には、そういった議論に触れているものは一冊もないのです。
つまり、もし世間で一部噂されていることが事実であり、ネット内での用語を敢えて使用させてもらうならば、『創価天皇』などといったものが将来のこの国に生まれ得るとするならば、
「こんなことが果たして憲法上許されるのか」
と、freeさんとnanaさんのコメントを読みながら、ふと思ったのです。
天皇の人権に関して「皇位の世襲と職務の特殊性という観点から…」という条件で否定もしくは一部制約されると既に通説によって確認されていることから、天皇の‘信教の自由’は、特に職務の特殊性の点から保障されないようにも思うのですが、私にはよくわかりません。
それに、このサイトで私は何度も何度も繰り返し言ってきましたが、創価学会は単なるカルトです。もしくは営利組織及び工作組織です。
もしこんな組織に皇太子及び皇太子妃が関わっているとするならば、…(以下省略)
これ以上はやめておきましょう。管理人のfreeさんにご迷惑をかけてしまうことになるかもしれませんから。
では。また。
「愛子様に皇位を継承させて夫として在日の方を迎え、朝鮮による天皇家の乗っ取りを目論んでいる」という内容が書いてあるのをネットで見かけました。
嘘か本当かわかりませんが本当の事であれば日本国民として私は絶対、許してはならないと思いました。
雅子妃の公務を蔑ろにしたり宮中の祭祀に一切参加しなかったりしつつスキーや乗馬は楽しまれているという行動から考えると、噂も単なる噂だけではないのでは?と感じてしまいます…(+_+)
鶴のタブーと同時進行で菊のタブーもけっこう崩壊してる気がしますが(^^;)
鶴のタブーと菊のタブーは雅子妃と大鳳会の存在で密接に絡まっています。私は雅子妃にはご病気もあり同情的だったのですが、どうも公務を蔑ろにしたり宮中の祭祀に一切参加しなかったり、天皇皇后両陛下に愛子様を会わせなかったり 意図的とも思える行動に首をかしげざるを得ません。
お父様が大鳳会メンバーで池田大作氏の海外訪問に一役買っていたという話もあり、雅子妃もやはり創価学会信者なのかと疑ってしまいますね。
>別の形でfreeさんとは繋がっていきたいと私は思っています。
私も辛かったときに色んな形で助けて頂いた方とはずっとご縁をつないでいきたいと思っています。^^
>戦友という言葉が適切かどうかは別として、ひとつの同じ志を持って共に歩んできた者同志の間には、決して目には見えなくても一生途切れることのない絆が残るものです。
私より先に創価問題をやっていらした方々の文章は色んな形で残っています。お会いしたこともありませんし交流もない方々もいらっしゃいますが、素晴らしい文章に出逢うと自然に尊敬と感謝の念が涌きます。そうやってこの問題は引き継がれてきたのです。
>>またここ1年で創価崩壊の決定的な場面が見
>>られるだろうと考えています。
>一体、何が起こるのでしょう?
少なくても政治面では確実に動きがあります。
民主党は矢野元公明党委員長証人喚問をカードに揺さぶりをかけています。自民党は公明党の応援がなければ選挙で勝てないほど地盤を無くしています。
しかし参議院選 沖縄選 大阪選 山口などなど ここぞという選挙で公明党=創価学会は勝てておりません。これは秋谷元創価学会会長という選挙エキスパートを、池田大作氏が切り自分の腰巾着原田氏に会長職に就かせたのが原因でしょう。
水面下では自民・公明に見切りをつけている方々が多いようです。森田実氏の「言わねばならぬ」でも最近、指摘されていたのですが今 その塙読めませんので(たぶん、HPリンク作成のミス)、紹介出来ません。
また矢野氏の訴訟の結果も、勝算は矢野氏にある気が致します。
公明党=創価学会は八方ふさがりです。創価学会は権力側から滑り落ちたら今までの横暴と暴力と嘘のツケを支払わねばならないでしょうね
暑い日が続いていたかと思えば、今度は雨が多くなったり…。体調のほう崩してませんか? 私も体調管理だけは気をつけてますが、どうぞfreeさんもお身体だけは大切に。
>今ひとつのらないのです。
どうぞ無理をなさらないでくださいね。
創価問題に関しては私にはテンションの波がかなりあって、長い時は数ヶ月にわたってこの問題から距離を置いていた時期も昔はありました。
でも、だからといって別にこの問題への関心や問題意識が薄れたり、無くなったりしたわけではなく、でも理由は自分でもわからないのですが、なんとなく無気力に近い感覚になったりするんです。
最近は、私はそういう時期を勝手に「充電期間」と称し、あまり自分のテンションに逆らわないようにしています。でも、それによってまたエネルギーが身体の中に充満してくるんです。創価学会員の理不尽で、身勝手で、傍若無人な言動と闘うための精神力が自分の中に湧き上がってくるんです。
>またここ1年で創価崩壊の決定的な場面が見
>られるだろうと考えています。
一体、何が起こるのでしょう?
とても楽しみです(笑)。
>私の役目はそろそろ終わったかなぁと感じて
>います。
こういうサイトが必要のなくなる日も決して遠くはないでしょう。そして、その過程でfreeさんをはじめとする、アンチサイト管理人の方々は、我々が計り知ることのできない数多くの苦悩を抱え続けてこられたことと思います。
もし将来アンチサイト管理人としてのfreeさんの役割が終わったとしても、別の形でfreeさんとは繋がっていきたいと私は思っています。
いや、私に限らずここを訪問してくるすべての人たちが同じ想いではないでしょうか。
戦友という言葉が適切かどうかは別として、ひとつの同じ志を持って共に歩んできた者同志の間には、決して目には見えなくても一生途切れることのない絆が残るものです。
freeさんは、決してひとりではありません。
みんながついてますよ。
民主党の石井議員が「この秋の国会をお楽しみに」的は発言をされていますし、確かにもうすぐ何かが起こりそうな感じがしますねo(^o^)o
>私の役目はそろそろ終わったかなぁと感じています。相談者はメールで引きもきらず いらっしゃいますが、インターネットで創価問題は充分浸透したようです。^^
freeさんのお役目が終わったとおっしゃられるとちょっと寂しいのですが…><
でも、確かに最近では創価な彼との恋愛で問題が発生する前にいろいろ模索する為にブログを立ち上げる女性がとても多いですね。
内部アンチの方のブログなどもけっこうありますしもう鶴のタブーもホントに崩壊して来ているようですね。
鶴のタブーと同時進行で菊のタブーもけっこう崩壊してる気がしますが(^^;)
メールで相談されている皆様もfreeさんのお陰で気持ちが軽くなられていると思います。
引退はもう少し先にして下さい(^人^)
自殺者や鬱病、精神疾患、家庭崩壊 etc ありますよね。
>私も約2週間ぶりの訪問です。
どうぞそのあたりはあまりお気になさらず、
ありがとうございます。私も色々と気になってはいますし、書きたい話題もあるのですけれど今ひとつのらないのです。
創価問題はこの数年で劇的に変化しました。またここ1年で創価崩壊の決定的な場面が見られるだろうと考えています。
私の役目はそろそろ終わったかなぁと感じています。相談者はメールで引きもきらず いらっしゃいますが、インターネットで創価問題は充分浸透したようです。^^
freeさん、こんばんは。
ここのところ週末は雨が多いですね。
明日、明後日も雨のようです。
ゲリラ豪雨なんてものも最近多くて…。
この間も外でいきなり雷に鳴られて大変でした(笑)。
>最近こちらのblogは全然更新せず
>申し訳ありません。
私も約2週間ぶりの訪問です。
どうぞそのあたりはあまりお気になさらず、
freeさんもfreeさんのご都合とペースでやっていかれたらどうでしょう、
と私は思っていますよ。
では。今夜はこれくらいに。
またコメントします。
おやすみなさい。
>今の創価学会には 戸田城聖氏のかならず大罰が出、ついには生命を…という現証が色濃く出ていませんか?
おおぉ!
戸田さんがそんな事をおっしゃっていたかどうかは知りませんでしたが、freeさんのおっしゃる通り事実そういう現証と思われるものが身近な所で起こっています!
怖いですね~ 創価学会…。
大村百子さん
>私を嘗めるな
貴方は何様ですか?(?_?)
最近こちらのblogは全然更新せず 申し訳ありません。しかし、閲覧数は変わらず。きっと夏休み中の方々が読んで下さっているのでしょう。
>最近の中国人絡みの数々の不祥事とそれに対する中国人の対応を観察していると、驚くほど多くの創価学会員の言動との共通点が垣間見えます。ほんと驚くほど。
http://jp.youtube.com/watch?v=CrfJC0d_Bwc
中国で同じ食品から中毒が発生していたという報道はありましたが、その後の展開をざっと検索しても出てきません。
中国から正式な謝罪は無かったのかな?
「謝罪」「反省」、「自分の罪を認める勇気」も無いところがとても似ていますね。
大村百子さん
初めまして。
>馬鹿にしたら
具体的にどの表現が馬鹿にしていると感じますか?
>呪われるからな
御本尊は自分の鏡と教えられているはずです。
呪詛をやるとご自分に返ってきてしまいますよ。現証として創価学会が「日顕撲滅、乙骨打倒 山友…」などご祈念文をかいて御本尊に祈っている結果、皆さんまだまだお元気のようですよ。
また2代会長の戸田城聖氏は
(引用)
大聖人の正しい教えを聞きたければ、大聖人より日興上人に御付嘱があって以来、富士大石寺に七百年間、連綿として血脈相承されている日蓮正宗についてのみ、日蓮宗を正しく知ることができるのである。
大聖人の御書の上からも、哲理に照らしてみても、また現証の上からも正邪の区別は判然としている。
看板のみ無断借用しているニセ日蓮宗と称するものは、大聖人にそむいているゆえに、たとえ小利益があったとしても、その後かならず大罰が出、ついには生命を弱らせたり、一家離散したりして不幸におちいるのである。
(戸田城聖発刊 折伏教典)(引用終わり)
今の創価学会には 戸田城聖氏のかならず大罰が出、ついには生命を…という現証が色濃く出ていませんか?
>私を嘗めるな
いえ、初めてのコメントの方なので、全く知らない人を嘗めたりできませんけれど?
んーと、釣りですか?
その中で、大勢のタクシー運転手がひとつの教室に集められ、先生(この人も中国人)の後に続いて全員が同じ英文を声に出して読むという授業風景が放送されていました。
・中国人教師が発音
↓
・運転手たちがそれを真似て発音
↓
・ネイティブの発音がテープで流れる
というのが基本的な流れなのですが、あるセンテンスを中国人教師が発音した時にアクセントが間違っていたのですが、当然運転手たちは間違いなどわからいので、その間違ったアクセントのまま真似て発音しました。
ところが、その後に流れたネイティブの発音から、先生のアクセントが間違っていたことは誰の耳にも明らかで、運転手たちはざわめき出します。すると、先生がひと言。
「テープが間違っているようですね」
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!
しかも、おちゃらけて言ってるんじゃないんです。本気で、マジメに、そう言ってるんです(笑)。
なぜこんなことここで書いたのかと言うと、この中国人英語教師と同じような不誠実な対応を、私は創価学会員の姿に頻繁に見かけるのです。
あくまでも悪いのは他人。自分は何も悪くない。間違っているのは他人で、自分は何も間違っていない。ウソも百回つけば事実になる。ぐだぐだといつまでも文句言ってくる奴には最後は力でねじ伏せる…。
最近の中国人絡みの数々の不祥事とそれに対する中国人の対応を観察していると、驚くほど多くの創価学会員の言動との共通点が垣間見えます。ほんと驚くほど。
と、そんなことをふと思った、「海の日」の夜でした。
freeさんは「クリアアサヒ」派でしたか。もちろん、私も好きでたまに飲みますよ。これからはこういうビール系が欠かせない季節ですね。お互い飲みすぎだけには気をつけましょう。
2世3世問題については、私は逆にfreeさんの対応に学ぶものが多いと思い、どちらかと言えば‘太陽政策’のほうへ傾いているところでした。
私の場合は、創価学会信者の活動がいかに多くの人(特に、アンチ)に酷いことをしているかをまずはきちんと自覚してもらうことが脱創価学会に繋がると信じて、このサイトでも数々の書き込みをさせてもらってきました。もちろん、今のその考え方は基本的には変わっていません。ただ、freeさんや他の方々のご意見を読ませていただいているうちに、‘北風政策’に終始してばかりでは2世3世の人たちも、そしてアンチや一般の人たちをも不幸にしてしまうような気がしてきたのです。
また、freeさんに紹介していただいた2世3世のサイトを読んで、彼ら彼女らの苦悩を知ることができたことも、私の考えに変化をもたらした大きな一因となってくれました。
ただ、私は、やはり厳しく対応すべきと思っています。それほど酷いことをしているのだと本人に自覚させるためです。殴られた人間の痛みは殴られた経験のある者にしか理解はできません。その痛みを知ることで、人は暴力からは何も生まれないということを学ぶのではないでしょうか。
私は、何も上から偉そうに創価信者を説教しようなどという意識は持っていないつもりです。しかし、間違っているものは誰が何と言おうと間違っている――このことだけは私は自信を持って言うことができます。
創価思想の矛盾に気付きながらもなかなか脱会に踏み切れないでいる2世3世に対して苛立ちや歯痒さを感じることも今も以前と全く変わりはありませんが、でも、その‘優柔不断さ’が今は少しだけ許せるようにもなりました。
でも、やはり、どこかではっきりと一線を引く強さを1日も早く身につけて欲しいとも思う。
>選挙で創価学会が力をなくしたとき、どんな
>ことが待っているのか?
>私は恐ろしい気も>致します。
この文章を読んで、私はオウム真理教による地下鉄サリン事件のことが頭を過りました。オウムがそのカルト性を社会に対して露骨に見せはじめたのも、きっかけは選挙での大敗でしたよね。
尤も、創価学会がオウム真理教と同じことをやるとは考えにくいですが、とにかく、池田大作(●作ではありません…笑)が日本の金正日になるようなことだけは絶対に避けなければなりません。これも現実問題としてはあり得ないとは思いますが…。
はいはい! いつの日か、創価問題が片づいたときにでも。
ウチは「クリアアサヒ」です。「麦とホップ」もなかなかですよね。
新参者さんには私の提案を快く受けて下さりありがとうございました。
2世3世問題は難しいです。そして今は新参者さんの提案通り厳しく対応した方が良いのでは?と考えが傾いています。
創価信者さんは強く主張する方に引っ張られる傾向がありますね。私は創価学会には長くいればいるだけ不幸になると思っています。ですから、強く退会を促した方が彼らも後々後悔が少ないのでは?と考えています。
あと社会もそろそろ創価学会への不満が押さえきれず噴出しています。もう数十年も権力で不満を押さえつけられていました。押さえつけられれれば押さえつけられるほど、人々の反動は強くなるのは道理です。また、非道な目に遭わされた人たちはそのことを絶対忘れません。選挙で創価学会が力をなくしたとき、どんなことが待っているのか?私は恐ろしい気も致します。
私はとても友人やご近所には頼めないので、●●牛乳の勧誘の方に取引を持ちかけました。
その●●牛乳の方は「いいよ~。お金も払って上げるよ。でもね、僕の同僚でやっぱり創価学会員で勧誘して仕事をクビになった人がいるんだよ、深入りしない方が良いよ」と仰って下さいました。
まぁ私も「心の奥底ではヘンだなあ」と思っていたので、無事脱会して親切な勧誘の方にも聖教新聞を取らせることなく、はがきで「いつぞやはありがとうございました。無事に退会しましたので、新聞もお願いしません。もちろん個人情報も他に漏らすこともありませんのでご安心下さい」とお礼をして牛乳は何ヶ月か取りました。^^ よかったよかっためでたしめでたし。
以前、ご主人が自営業で仕事を貰う為に聖教新聞をとらされている友人がいるとお話させて頂いたのですが、その友人がついに聖教新聞を解約しました!
【先日、その友人から来たメール】
今日はようやく聖教新聞を解約しました!今月も夫が給料降込めないというので「聖教新聞解約したらダメなの?」と聞いたら(毎月聞いてたのですが)「もうええわ。」というので早速電話しました(^_^)v
仕事上、何かあったのか?それとも相当、金銭的にやばい状態なのかと思うとちょっとコワイですが1,890円はうちのお米代約半月分と同じなんでよかったです\(^o^)/
思い起こせば聖教新聞解約の電話したのはこれで何回目だろー?
初めては25年前に付き合ってた彼氏が勤務先の上司に頼まれて断りきれず3ヶ月だけとか言われて時だったわあ。彼氏は上司に悪いからとか言って渋っていたのを3ヶ月キッカリで電話してやったっけ…。
夫と結婚してからもこれが3回目位だったと思います。自営やってるとまたこんな事があると思いますがいい加減にしてほしいですよね…。
以上、メールの内容でしたm(__)m
ちなみに仕事をエサに聖教新聞を取らせたのは公務員です。
立場を利用して業者に新聞を取らせるなんて最低だと思います。
以前の仕事仲間と話したところ、まだ学会に入会しないかと勧誘を受け続けている人がいます。
途中入社した方で人柄も良いのです。
健康診断でちょっとひっかかった事があり、この方はここに付け込まれ祈伏をしつこくされることになりました。
休日には会館に誘われ、その後に別室に通され5人くらいに囲まれてなかなか返してくれなかったのだそうです。
前にこのブログに朝日ニュース(昔のニュース)のYoutube画像を貼らせていただきましたが、まさにあのような感じなのは今も昔も何も変わっていないんでしょう。
仕事だから付き合っているのに、信仰までしつこくって本当にこのバリは嫌われています。
何よりも私がこのような経験をしたので、人事に電話をし、専務(社長の息子)にも宗教勧誘の事を話したのですがこのバリは働き続けています。
この会社は学会との繋がりは何かしらあるようです。
違う支店にいるもう一人の専務はこのバリを気に入っているそうなのです。
部長でも何でもないただの係長だった人をです。
常識のある一般の会社ならば、宗教勧誘を仕事中や職場の人にする行為はご法度です。
就業規則にだってあります。
創価学会も学会員も世間の迷惑です。
あなた方の幸せ(功徳)のためになど、入るわけなかろう!
freeさんも酒のほう結構イケる口のようですね。機会があればぜひご一緒させて頂きたいです。ちなみに最近は「麦とホップ」にハマってます。田村正和がCMをやっているやつ。あれは久々の大ヒットではないでしょうか。うちの近所でも売り切れ続出で、きのうに引き続き今日も手に入れることができませんでした。(TT)
アンチへのレスに関しては私もそれほどいつも理性的に振舞えてるわけではありません。ozawaさんへのレスの時も、freeさんのおっしゃるように熱くなってしまっている部分があったように思っています。あれから反省しました。
あれあれさんへのレスに書いたように、これからは正統派のレス(反論)をめざしていきたいと思っています。実現できるかどうか自信はありませんが…。
>だいぶ創価信者さんのこのような姿を世間も
>認知してきました。
ホント、そう思います。そしてfreeさんのサイトも大きく貢献しているのではないでしょうか。いつか2世3世やアンチ被害者が全員救済される日が訪れることを願うばかりです。
そして少し前まではそんなことは夢物語に過ぎなかった感じがありましたが、少しずつ夢物語が現実となる雰囲気が世の中に流れはじめているようにも思います。
それと、HNの件ですが、近いうちに新しいものを考えたいと思います。freeさんのおっしゃるように「新参者」というHNには私自身いつの間にか愛着を感じるようになりましたので、基本は「新参者」で、他に何か付け足す形で何か新しいものを考えてみます。
おぉ ありがとうございます。笑)
blog主も酒好きですし、気のおけない場所では呑みながらのチャットとか良くやってしまいます。そんなオーラがやっぱり出てしまうのでしょう。
>でもあらためて読み返してみるとやはりかなり熱くなってますね
色々と計算されていらっしゃったですね。それは気がつかなくて失礼しました。私はまだまだ色々と感情が波打つことがあります。そのときはコメントしないようにして時間をおいてから書き込みをしています。
【欠点があることが問題なのではなく、それを欠点とも思わない麻痺した姿が問題なのではないでしょうか。】
名言ですね。今、だいぶ創価信者さんのこのような姿を世間も認知してきました。麻痺した姿をどうやって元の状態に戻すのが、これからの課題のようです。
新参者さんはすでに古参にはいっていらっしゃると思います。もうひとりの「しんざんものさん」のお言葉も一理あると考えています。
また新参者という名前は他の人も使う場合もありますし、他の創価サイトでは同じ名前がかち合う場合もあるかも知れません。新参者さんの遠慮がちなお心がハンドル名に現れていると思いますが、良かったら新しいハンドル名も考えてみて下さいませんか?
あるいは新参者という名前に愛着があるのなら体験記の新参者さんと解る記号かアルファベットをつけて頂くと、ココを見ていらっしゃる方も見分けが付くのではないでしょうか?
先日は挨拶のみで大変失礼しました。
詳しいことは書けないのですが、友人の身にとても幸せなことがありまして、私も自分のことのように嬉しかったので、その友人を含めた4名を自宅に招き、あの夜は久しぶりに飲み明かしていた最中でして、当然私は少し(?)酔いが回っていましたので、コメントは後日ということにさせていただきました。
でも、なんで酔っ払ったらこのサイトのことが頭に浮かんだのでしょう?(笑)。不思議ですね・・・。
なんか私事を書いてしまい、ごめんなさい。
本題に入ります。
>>freeさん
>あはは、いらぬお節介でしたね。
いえいえ。こちらこそせっかく庇っていただいたのに、申し訳ありませんでした。ただ、あとあと創価信者からことあるごとにあのネタを引っ張り出されるのもシャクだったので。ホント、申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。
>怒ると相手のペースにはめられてしまいます
>ので、そんなときなクールダウンしましょう。
そんなに熱くなってました?(^^;
私としては冷静に書いてたつもりなのですが・・・。それに、ここはozawaさんを一度論破し、それを世に晒したほうがいろいろと都合が良いのではないかと思い、畳み込むようなレスを敢えて書かせてもらったのですが。いや・・・、でもあらためて読み返してみるとやはりかなり熱くなってますね(笑)。
これからは一層、冷静に、熱くならずにクールダウンという姿勢をこころがけていきたいと思います。
>>あれあれさん
>ただし、「【太】作」は多少の注意を要し、
>なるべくならばあまり使わないほうがよい
>かも。
ありがとうございます。
このサイトでは今後は使わないことにします。
私が使わなくても某巨大掲示板上では「●作」が氾濫してますし(笑)。
これからはあまり創価信者を茶化すような言葉遣いは控え、正統派(?)の主張をこころがけていきたいと思います。
>しかしながら、正直に白状しますと、これは
>実は、私あれあれの性分でもあるのです。
創価信者がその言動を非難された時に決まって口にする常套文句のひとつに 「そういう人は創価信者以外にもいる」 というものがあります。
創価信者だって要は人間なわけですから、当然、創価信者と一般人との間に共通点はたくさんあると思います。私の性格の中にも創価信者に特徴的な性格と同じものが何点かはあります。
話は少しズレるかもしれませんが、一般にアメリカ人は自己主張が激しく、日本人は控えめである、というのが世界の認識です。しかし、当然、アメリカ人でも控えめな人もいれば、日本人でも自己主張の激しい人はいます。
つまり、一般論と、ある組織にそういった人格が特徴的に見られるということとは、別の問題のはずです。
話を戻します。
人間である以上、必ず性格には(良くも悪くも)偏りは付き物です。でも、ひとつの組織の構成員の多くが同じ人格的偏りを抱えているとすれば、それはもはや個々人の問題ではなく、あきらかにその組織の問題です。
よって、同じような人は創価信者以外にもいる、という反論はまったく反論になっていないということです。
そして創価信者に特徴的な性格が自分にもある、ということで何か疚しさとか、引け目のようなものを感じているとするならば、そんな必要はないと私は思いますし、まして批判の手を緩める必要など全くありません。
それに、freeさんがおっしゃるように、通常、人は自分の欠点を恥じるものです。創価信者が普通でないのは、それに対する「恥」の感覚が欠如しているからです。
欠点があることが問題なのではなく、それを欠点とも思わない麻痺した姿が問題なのではないでしょうか。
あれあれさんの思っていることに対して、私の言葉が的外れだったとしたら、ごめんなさい。あれあれさんの言葉から、創価信者と同じ性格がご自身の中にあることにマイナスイメージを持っておられるような感じを受けたものですから・・・。
>>りょうさん
>新参者さんは、今もその学会員に囲まれてお
>仕事されているのでしょうか。
いえ。もうだいぶ昔の話です。それにその職場の人とは今は一切お付き合いもありません(当たり前ですけど・・・笑)。ただ、その職場時代の私のエピソードや連中の私に関する印象等がその後創価信者ネットワークに流されているようです。
でも、それを黙って指をくわえて見ているほど私も素人ではありません(笑)。だてにアンチを何年もやってません。
私は私で情報がネットワークに流れている状況を逆手に取って、こちらもいろいろと情報操作を行なっています。
とにかく、その他さまざまな工作が功を奏したのか、最近は昔と比べるとかなり創価信者の攻撃も大人しくなりました。というよりむこうもだいぶ私のことに関しては臆病になっているようです(スイマセンこの点あまり具体的なことは書けません)。露骨な嫌がらせは確実に少なくなりました。
そして、そういった状況を作ることができたのも、例の「私以外全員創価信者」という会社で仕事をした2年間のおかげなんです。本当に。
闘うには敵を知る必要がある、とはよく言ったもので、ホントそう思います。私はこのサイトでもよく創価信者に特有の人格とか振舞い方とか癖とか・・・そういう類のことを書きますが、そういうことをするようになったのも、あの会社で過ごした日々の影響が大きいです。
敵を知ることは本当に大事だと思う。
こちらを覗いてはいたのですが、私用がなんだか忙しくコメントできませんでした。
新参者さんは、今もその学会員に囲まれてお仕事されているのでしょうか。
ある程度の経験を得てから、可能であれば違う所に移れるようだといいですね。
ご自宅でも不思議な出来事、気持ちが悪いですね。
カメラやボイスレコーダーなど用意していた方がよさそうでしょうか。
気をつけてくださいね。
私はバリに出会ってしまって、一般の人と学会員との空気の違いをすぐに感じました。
最初は学会員だとは勿論わからなかったのですが、この空気の違いを恋心と勘違いしました。
今冷静に思うと恋心ではなく、人と違っていたので可哀そうな人と同情をしていました。(キッパリ)
そんな時、放棄宣言に書き込む前に当時の管理人であった おもいやりのこころさんにメールをしたのです。
そのお返事がとても丁寧で、適格なものだったのを今でも覚えています。
声は大きくありませんか?
人を見下すような物言いではありませんか?などなど…
学会員と出会ってしまってから、傷ついた私たちがどうやって回復していくかまで丁寧に教えてくれたのです。
考え黙っている時期があること、怒りや感情が爆発することが必要なことetcetc。
本当にあたっていて、それからは貪るようにネットで学会員のことを知ろうとしていました。
非学会員である私は、彼らの教義を勉強しようなどは思いませんでした。
教義うんぬんよりも、人として違うこの性質を知ろうと思っていました。
知れば知るほど理解のできぬ彼らの行動、言動。
そこから立ち直り、放棄するまでに2年位かかったでしょうか。
あの当時は本当に怒りと憎しみばかりでした(笑
そんな考えがぬぐい去れないときでも、学会員との悩みを卒業し日常生活で楽しむことを教えてくれるfreeさんをはじめ おもいやりのこころさん できたよさんは 私にとって最もできる管理人さんです。
私は心からこういった管理人さんに出会え、そのサイトで話し合える友もでき本当に良かったと思っています。
今はお礼奉公といった感じでしか返せませんが、このブログで悩める非学会員や2世3世が解放される日を願ってやみません。
ネットは嘘だとかいう人がいますが、
私が書いたことは嘘じゃありませんからね。
いや、おはようございます、と言うべきでしょうか…。
お返事ありがとうございます。
後日、あらためてお返事させていただきます。
>と御指摘でいらっしゃいます。
>しかしながら、正直に白状しますと、これは実は、私あれあれの性分でもあるのです。
↑ みんな持っています。
ですけれど、私たちはそれがとても恥ずべき性癖で人には見せないことを知っております。
①平気で嘘をつく
②反省や自責は全くない
③自分に都合の良いごまかしをする
④自分の悪いことは調子よく忘れて他人のせいにする
⑤権力のある人に擦り寄り、その人の力が無くなるととたんに手のひらを返す
⑥無知蒙昧な輩と徒党を組んで反対者を攻撃する
etcetc 何の臆面もなくやってのけ、周囲の人間を疲弊させます。
私たちは 弱さ故に出てくる煩悩を押さえるべく精進し成長し続けなくてはならないと 知っているのです。(仏教めいていますけれどね 笑)
ただし、「【太】作」は多少の注意を用紙用紙、なるべくならばあまり使わないほうがよいかも。
と書かせて頂きました。
多少の注意を【用紙用紙】、
むろん正しくは
多少の注意を【要し】
とあるべきところでございます。
さて敬服や驚嘆とともに新参者さんのコメント「ozawaさん」(2008-06-10 11:31:21 )を拝誦致しました。新参者さんは学会員の一般的性格について、
「自分が優位に立っているときはとても親切で、思いやりに溢れ、人に対して協力的なのですが、相手が自分にできないことを何かできると知った瞬間、あるいは、相手が周囲から褒められたり、感謝されたりした瞬間、あの人たちは急に豹変します」
と御指摘でいらっしゃいます。
しかしながら、正直に白状しますと、これは実は、私あれあれの性分でもあるのです。私の家族には学会員は幸いにして一人もおりませんが、私はいろいろな成育歴から、どうにも劣等感が強く、同様にして自尊心も強いほうであります。新参者さんが御指摘くださった学会員のこうした性分は、紛れもなく自分の体内にも紛れ込んでおります。
思うに学会は、どんな人間にも程度の差こそあれこういう性分がひそんでいることを見抜き、終戦後の価値観混乱という時勢に乗じてその勢いを強めてきたのではないでしょうか?
私が幸いにして非学会員であり、ozawa氏らが哀れにもなお学会員でいるのは、誠に紙一重の偶然があやなしたものとしか思えないのであります。
これまで3年近くにわたり、このブログに書かせていただく際にも、また、その他のサイトや掲示板に書かせていただく際にも、池田氏のことを「池田【センセイ】」と記して参りました。
この表記はもちろん私が考え出したものではなく、ともに新潮社が出している『週刊新潮』と『フォーカス』、とりわけ今はなき後者における呼称をそのまま借用したものであります。ただ、『フォーカス』自体がその青年期、カルト的な新宗教(ひとのみち教団)に加入して挫折した末に、世の中を冷笑しつつ見るようになったしまった人物(斎藤十一氏)を、その生みの親としております。
したがいまして、『フォーカス』起源の池田氏への呼称を使い続けている限り、私のコメントを読んで【動執生疑(どうしゅうしょうぎ)】してくれる2世3世を、かえって得にくいのではないか?と考えるに至りました(なお、【動執生疑】とは、これまで堅く信じ続けてきたものを「あれっ、変だぞ!」と思うこと。日蓮教学の用語)
今後はいささか時代に逆行するようですが、敢えて「池田【氏】」と書かせていただきます。決して彼をわずかでも尊敬するようになったからではなく、むろんそれなりの考えあってのことであります。
C.S.パビアというカトリックの司祭がおり、戦時中は連合軍の顧問としてオーストラリアにおり、得意な日本語を活かし、ジャングルの中の日本軍に投【降】を呼びかけるビラを多量に執筆しておりました。
「母ひとり子ひとり盆の」なんとやら
という漱石の俳句をしたためたビラを包囲された日本軍陣地へ向けて空から落としたところ、相当数の投稿、おっと、投【降】者を見たそうであります。
ほかにもパビア師のビラには傑作が多いのですが、共通点は日本軍が崇拝していた皇室への批判だけは決して書かなかったそうであります。
われわれの場合はもちろん彼とは違って池田氏を批判しないわけには参りませんが、ひとつ言えることは、われわれ批判者が誰も彼も「太作」や「犬作」を使うのでは、かえって予期していたほどの【動執生疑】を、このコメント欄を目にする方々、とりわけ心ゆれ動く2世3世の間に引き起こせないのではないか? ということであります。
新参者さんの一種独特の軽妙な文体の仲で「【犬】作」が使われると、読んでいて実に愉快、かつグイグイと引き込まれるので、このままお進みくださることを強く願っております。
ただし、「【太】作」は多少の注意を用紙用紙、なるべくならばあまり使わないほうがよいかも。池田氏の父上・子之吉さんは、彼なりの見識をこめて、赤ん坊の池田氏に
太作(たいさく)
とお名づけになってのです。ところが不幸なことには、池田家は東京の南の郊外にあり、それなりにハイカラな家の同級生も多かったため、幼少の日の池田氏は、小学校時代、あろうことか、一部の心無い同級生たちから、
「やーい、太作(たさく)
田吾作(たごさく)」
だなどと呼ばれ、いじめられたそうであります。池田氏が狂信の弟子たちをそそのかして非信徒や脱会者をいじめてきた事実の数々は、今後何度でも厳しく糾弾すべきでありましょうが、彼もまた
自分では選べない名前というもの
によって幼少期にいじめを受けた
不幸な人なのであります。わわわれは、彼の旧名「太作」について、もっと認識を得てゆくことが必要なのではないかと愚見致します。
名によっていじめを受けた者には、名によって他者を苦しめる悪しき傾向あり。池田氏は恐らく世を去られるまで自覚する機会を得られぬことでしょうが、彼が幹部の子弟の名づけ親になりたがる気持ちも、決して褒められた話ではないが、理解できないでもありません。
伸一、伸作、伸子…
大作(←これのみ要許可)
幾千人とも知れぬ【彼ら】が、創価瓦解後、納得のゆく人生を送れることを願いつつ、このとりとめもないコメントの筆を擱かせていただきます。
http://blog.goo.ne.jp/free-zu/e/239e5360fe2a918bfbc451b549487214
明日の国会中継 見逃せません。
>取らせる事には福運が関係あるのかと思っておりました~(;^_^A
財務の時は活動者会で「財務をして病気が治った」という体験談を沢山聞きましたが、新聞は直接上の方から「目標」が言われて活動家が 振り分けるのですよね。それでもノルマが達成できない場合は1ヶ月でもそのノルマ分 責任者と役職が新聞を取っていました。
そうそう婦人部総会でも折伏数目標なんて攪乱があって私は「0」で出したら「目標なんだからちゃんと数字を入れるように」と幹部に返されてしまいました。その頃から「全くやる気なす」だったのでしたが。笑)
新参者さん
>これはキーボードの打ち間違えではありません。意図的に「いぬさく」と書かせてもらいました。
あはは、いらぬお節介でしたね。
キーボード配列をにらめっこして どうやってもIとD NとIはちかくにないなと思っていました。筆記だと犬と大と太は「点を打ち間違えたって」言えますからね。
そこで思い出しましたが、池田大作氏=成太作(帰化した在日朝鮮人)は永田町ウォッチャー、冨士谷紹憲氏から出ていたのですね。http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1306/130626ikeda-naturalized.html 今頃知りました。
新参者さんばかりが俎上に揚げられるので、ちょっと出しゃばってしまいました。でも怒ると相手のペースにはめられてしまいますので、そんなときなクールダウンしましょう。
なんて 私も実は創価学会員さんとやり合うなんてつい最近のことです。昔はどうしても創価学会員さんに嫌悪感があって書いているものがまともに読めなかったのですよ。
創価臭は解りますよね。私はやっと創価学会を脱会された方がご自分に自信がないためか、創価信者さんに寄り添ってしまうのは 本当に残念に思っています。
脱会後は創価学会そのものから全く離れ、現実社会で 苦労しながらも過ごしていくとだんだんと創価臭が消えていくのになぁって。
りょうさんの話。絵が頭の中に浮かんでくるようです。なぜなら、私も同じような経験があるからです。
ここのサイトで書いたのか、あるいは他のサイトで書いたのか覚えていないのですが、私は以前に、私以外は全員創価信者という非常に強烈な会社で2年ほど仕事をしたことがあります。りょうさんと同じように派遣会社を通しての仕事でした。
そして、皮肉にもそこで過ごした日々こそが、現在の私の創価学会観というものを形づくってくれました。日常的に連中の言動が自分の周囲にあるという環境は、分析的に観察する場合とは違い、自然と創価思考が肌で感じられるという意味で、私にとっては非常に貴重な経験でした。今でも、あの2年間には‘ある意味’とても感謝しています。
ちなみに、私がその会社へ派遣されたのは、おそらく創価学会信者の思惑が背後にあっただろうと思います。派遣された会社はもちろん、派遣した会社も、とある創価系の会社だったので。
尤も、私は最初からその会社の従業員が全員創価信者であると知っていたわけではありません。派遣会社自体がその筋だということも最初は全く知りませんでした。
ただ、派遣された会社が創価系の会社であることは知っていました。だから、もしかしたら…という気持ちはありましたが、段々と「えっ…」と気付きはじめ、まさか周囲が全員創価信者だとは思いもしませんでした(笑)。
では、なぜ創価信者であるとわかったか、そのあたりの話はここではちょっと…。機会があればそのうちお話します。
りょうさんと同じように、私も最初は、創価学会信者の言動の豹変に戸惑うことがたくさんありました。「えっ…何?」「どうしたの?」「何かあった?」といった感じで。でも、私も今では大体察しがつくようになりました。そして、連中のそんな豹変ぶりを、私の周囲で何か創価信者の動きがあったことの重要なサインとして認識し、活用できるようにまで成長しました(笑)。
ちなみに、最近、日常生活において私に対して苦情的なことを言ってくる人がやたらと増えました。なぜか、最近、急に。不自然なほど突然に。。。もちろん、そうされる心当たりはあります。ただ、それがある特定の思惑に基づくものであるかどうか、そこまではまだ確信はありません。ただ、不自然なのは確かです。
それと、今朝ちょうどここに書き込みをしている時、自宅の玄関付近でちょっと怪しげなことがありました。詳細は敢えて書きませんが、とっても怪しかったです。
私にもいろいろと夢はあったのですが、結局、一生カルト信者さんたちと付き合っていかなければならないようです。
ま、これはこれで楽しい人生です。自己中心的に振る舞い、人に迷惑をかけ、虚勢を張り、ご立派な正義正論を並べちゃやってることは真反対、言い訳と嘘八百を並べ、過ちは絶対に認めず、言い訳に終始し、いつでも人から恨まれる…そんな人生よりはずっとマシだと思います。
それに、創価と闘うためにいろいろな勉強をすることも、とても楽しいです。学生時代にこれだけ勉強していたら…と思ったりします。
足を引っ張られても、有ること無いこと誹謗中傷されても、その状況に慣れてしまえば、むしろ何ら疚しさのない私の心は、毎日とても晴れ晴れとしています。
最近はそんな風に思えるようにもなりました。そしてそれもここで出会えたすべての方々と、私の周りにいる僅かな理解者の存在のおかげだと思っています。感謝しています。
もちろん、私自身、自分の本来の夢を捨ててしまったわけではありません。
全く同じです。
私はある会社に派遣されて仕事をしました。
ここでバリに出会ってしまった訳です。
このバリは顧客に仕事をもらえる様に頼んでいました。
前の派遣の方が半ばこのバリに契約をわざと短くされることがあり引き継ぎもなくやめてしまっていて後任として私が派遣されたのです。
営業でしたので顧客と電話でのやりとりをすることも多くなり、実際に顧客との打ち合わせに参加することもありました。正直派遣にそんなことまでさせるなって感じ。
そこで…
りょうさん仕事ないか○さんに聞いてよ。
社員のくせにそんなお願いがありました(笑)
ものの見事にいとも簡単に○さんからはりょうさんが担当だったらお願いするということまでこぎつけました。
バリは10年くらいの付き合いで仕事を1件も依頼されたことはありません。
それと引き換えに派遣で6か月もしない私はすんないOKの返事。
見積もりを持参して契約のことについて話がスムーズに行ったろうと思えば、顧客の○さんに私の悪口を見積もりの説明よりながなが2時間以上話すというバリ。
すぐ顧客から電話が私にかかってきました。
『なにあれ。やっぱりバリさんは駄目だね。りょうさんを担当にはしないっていうし、僕お客だよ?』ってそういう報告をいただきました。
要は新参者さんがおっしゃるように自分より勝っているとか褒められるのをみると無性に嫉妬されるんです(笑
そのあとこのバリとひと悶着あったわけですが(Yよ、お前だ!)、こんな人間と離れられて良かったと思っています。
こう思っているのはこの会社で私だけではありません。
意味がわからないのは自分に対してだけは心を開いていたと周囲も思っていたのに、何の前触れもなく 理解ができない行動や言動をとれるというのを理解するのに数か月だけかかりましたが 今ははっきりなぜだかがわかります。
なぜなら それは学会員だったから
こんにちは。
擁護のコメントたくさんありがとうございます。いつも助けてもらってばかりです。
ozawaさんが勝手に私の体調を気遣ってるようですが、私はまだまだ大丈夫です! 疲れたらまた充電に入りますし、それに今はこちらも比較的時間に余裕がありますので、精力的にアンチ活動のほうに時間を費やしたいと考えています。
もうすぐ夏ですし、ね(笑)
>えらそうな文章を長々並べているが
受け止め方は人それぞれですから、ozawaさんがそのような印象を受けたのだとしたら、それはそれで仕方のないことだと思いますが、ただ、それを言葉にして誹謗中傷のようなことをされると、私もちょっと腹が立ちます。別に偉そうに何かを言った覚えはありませんし。
どこが、どう偉そうなのか、このことについてもきちんと説明をしてください。
私は、私の体験や意見を述べただけ。もし私の書き込みの中にozawaさんを不当に誹謗中傷するような表現があったならば、それがどの箇所なのか、具体的に指摘してください。それをせずにただ偉そうと言われても、私にはその意見のほうがよっぽど偉そうに聞こえます。
>前のコメントの犬作はないだろうよ
せっかく擁護していただいたfreeさんには申し訳ないのですが、これはキーボードの打ち間違えではありません。意図的に「いぬさく」と書かせてもらいました。創価学会信者のように言い訳に終始するのは嫌なので、ここではっきりと白状しておきます。
ただ、だからそれが何んだと言いたいのですか? だからアンチは「基地外」「統語失調症」で、創価の教えは正しいと、そう言いたいのですか?
言葉の揚げ足取りで自分の立場を優位にもっていこうという、そのあなた方の常套手段にはウンザリです。本質論のところできちんと反論してください。
>新参者さんお疲れの様子少し休んでください
あなた、私に散々言いましたよね?
「自分のことよく見てモノ言え」
みたいなことを。
その言葉、そっくりそのままあなたにお返しします。「お疲れの様子」って…(笑)。そもそも、誰のせいで疲れてると思ってるんですか?
freeさんがおっしゃっていたように、私たちはこういうことには慣れっ子になっています。というか、こんなことでいちいち疲れて潰れていたら、あなた方のような常軌を逸した連中を敵にまわして闘うなんてことはできません。
ひとの体調を本気で気遣うのであれば、本当にやるべきことは他にたくさんあるのではありませんか? 以前にもこのサイトで言ったように思いますが、きれいな言葉を並べることなんて誰でもできるんです。
創価学会信者がご自身の信仰に本当に自信があるのであれば、それを堂々と主張されたらよいのでは? もし信仰が本当に正当なものであれば、アンチとて反論の余地はないでしょう? 反論されるということは、それだけ欠陥・矛盾があるということです。違いますか?
なのにあなた方は自分たちの都合の良い主張ばかりに終始し、しかも反論には一切答えず、最後は誹謗中傷をただ繰り返すだけ。
こういうことをやっているから反社会的組織と詰られるのではありませんか? 違いますか?
どうぞ、ご自身の信仰の正当性を訴える形での議論への参加を願いたい。もし、本当に信仰のなかみに自信があるのであれば、それができるはずです。
私の言ってることのどこがどう矛盾しているというのか、私には理解できません。
確かに、私は、他人の価値観を全否定する創価学会の考え方を批判しました。しかし、それと私の言動とがどう矛盾していると言うのですか? 私が何か他の方々の価値観を全否定しましたか?
はっきりと言っておきます。
幾ら多様な価値観を認めると言っても、それは常識の範疇でのことであって、当然、犯罪行為までひとつの価値観として容認することはできませんよ(笑)。こんなことまでいちいち説明させないでくださいよ。子供じゃあるまいし…。
私の考え方のどこが犯罪ですか? どこがどう法に触れるというのですか? きちんと説明してください。そしてこのサイトや他のアンチサイトで報告されているあなた方のお仲間の言動が間違っていると、反社会的行為であると、犯罪行為であると批判することのどこが「価値観の全否定」なのですか?
きちんと、説明してください。
逃げないで。きちんと。
取らせる事には福運が関係あるのかと思っておりました~(;^_^A
地区ごとに責任者が居て「先生にお答えするために」何部も取ってくれそうな人にお願いするのです。信者の世帯数×1.5倍とか。
もう新聞責任者も活動家も疲弊しまくっています。私は世帯数を減らすためにも籍だけ創価学会員は退会届を本部に出す必要があると思いますよ。
えっと聖教新聞を取ることと福運の関係は指導として見たことがありません。婦人部なんかは「先生のお手紙なんだからありがたく、功徳がある」とは言うでしょうけれどね。
学会員であるOZAWAさん、私に話し掛けないでください。
学会員は嫌いなんです。
freeさんも言っているでしょう。
親だの親孝行だの 信心たらぬなど、そういうことで悩んでいたり疑問にもつ二世三世に平気で投げかける貴方の言葉 それでどんなに相手を追い詰めているか。
貴方のような話の通じない学会員などと話す気はないんです。
だから話しかけないでください。(笑)
あなたはご自分の仲間の所へ行かれたら宜しいんじゃないですか。
そこで歓迎されるのですし、褒められますよ。
連続投稿、中傷は荒らし行為と言われます。
貴方が執拗に行っていることは荒らしです。
そうでなければずっと題目唱えてなさいよ。
主語を「世の中は」とされています。
文章を良く読んで理解されてから書き込みをされるべきです。
また前回のようなアラシ行為にはこちらもきちんと対応させて頂きます。
ozawaさんはインターネットを舐めていらっしゃいますが、不適切な書き込みは通報します。お気をつけ下さい。
新参者さんが一部 敬称を抜かしたことはお詫びします。犬作さんもキーボードが滑ったのかも知れません。私もつい代作と変換してしまいます。
被害者の方のご冥福を心よりお祈りします。
最近、このような事件が増えていますね。
子供時から、特別な存在 何をしても許される存在として教え込まれた人たち、自分は全く悪くなく原因を外へと探す人たち、どこか犯人の共通点を探してしまい 彼らのバックグランウンドが気になってしまいます。
あれあれさんがfreeが適切な言葉をかけるなどと仰っていますが、上杉達也さんが抱えて昇華していった問題を私は何も知りません。
ただただ、上杉達也さんがこれから素敵な人生を歩まれることを願うばかりです。あなたが辛くていたたまれないときに、そっとココのみんなと寄り添える存在で居られればいいかと思います。
>そういった話はしないっていう空気さえも感じ取れないんですからお気の毒ですね。<
ここってそういうサイトでしょ
ozawaさんこそ お疲れの様子ですよ。
ウチのコメント欄の面々はもう慣れていますから、どうと言うこともありません。ozawaさんこそ沖縄県議選の大敗北は痛かったでしょうね。
2世3世の自殺ですが、ozawaさんたち「何も解っていない盲信者」が「男はなよなよするな 親を裏切るな」とありもしない「恩」や「仏罰」で脅しきり、気が弱く人の言うなりに育てられてしまった彼らを追いつめるからです。
いつか ご自分達のしたことに気がつくとあまりの罪深さに愕然となるでしょうね。
さすが上杉達也さんは内部のいろんな事を見て、経験を積まれていらっしゃいますね。
「ozawaさんは活動家ではない!」そうでしょうね。活動家ではお約束で行われている戸別訪問を「どんどん告発しろ!」とは 選挙を知らない人でしょう。そうすると、公明党議員でもないのかも知れませんね。
上↑はりょう(私)です。
いつも目に見えるコメントは、いつも同じ。
いつも同じように現れて いつも同じような言葉を吐いていく。
そしていつもの、本心ではない適当なごめんなさいの後は また罵って去ったふりしてまた執拗にコメントを残していくwww
新参者さん:
>とても可哀相な人たち。
お気の毒ですよね。私笑ってますけど。
>創価学会信者の言動が正しいのか、間違っているのか、それは必ず社会が判断してくれるはずです。
世の中は政治と宗教の話は話題にしませんよね。
だってこんな話は人に勧めたりするものじゃないんだもの。
思想にかかわるものを押し付ける彼らは違う。
人が忌み嫌う話題を彼ら自身から持ち出し不快にさせていき 拒否されると 誹謗中傷だの大騒ぎしていきます。
そういった話はしないっていう空気さえも感じ取れないんですからお気の毒ですね。
新参者さんお疲れの様子少し休んでください
庶民は庶民でもお年寄りは「用済み」という事でしょうか?
創価学会に長年、身を捧げ尽くして来たというのにお気の毒な事です。
創価学会にとっては次世代を担う若者が大切なんでしょうが。
それが創価学会の先祖供養にもあらわれているように私には感じられます。
某所で学会員さんがおっしゃっていましたが、創価学会にはコレと言って決まった先祖供養の形式がないんだとか。
とか言いながら、学会の会館では故人の名前を読みあげるわけでもない短いお経を様々な学会家庭の人が集合してあげる「合同法要」という儀式があります。
まあ、気持ちの物だと思いますが気持ちだけの事であれば何も友人葬という形式を推し進める必要もなく、それを言い出したらそもそも創価学会に入信する必要も無いわけで、なんの為に創価学会が存在するのか?という話になる訳ですが…(;^_^A
究極、創価学会は日本以外の他国(池田センセイと縁の深い)の利益の為と池田センセイの名誉欲と金銭欲を満たす為に存在しているという事ですよね?
前のコメントの犬作はないだろうよ
>自分の価値観をもって他人の価値観をそのように安易に全否定できるのか――信じられません。<
あんた自身のことだろう
投稿する前によく読んで矛盾がないか確認すること
ところが、創価学会信者は決まって言いました。
「頭が固い」
「自信過剰」等々。
私には全く理解できませんでした。
私としては受け入れようのない思想について、それを拒絶することがなぜ「頭が固い」というのか。なぜ、自分の価値観をもって他人の価値観をそのように安易に全否定できるのか――信じられません。
そんなことを言うならば、他の価値観を認められずあくまで自分たちの価値観こそ絶対と信じて疑わない創価学会信者こそ、よっぽど「頭が固い」と、私は思いました。
他の価値観を認められず、自分たちの価値観を拒絶する人間を「頭が固い」と一蹴する創価学会信者こそ「自信過剰」ではないかと、私は感じました。
自分の信仰に確信があるならば正々堂々と議論をすればいいのに、議論の土俵に立とうともしない。そのくせ陰でコソコソと情報操作に奔走し、嘘八百を並べては自分たちの立場の正当化に必死。そんなことするぐらいなら議論をしろよ、と言えば「議論の余地なし」と言わんばかりにまるで人を高見から見下ろすような態度。要するに、議論になれば都合が悪いから逃げているだけの話。そして、それを言えばまた例の高見から見下ろすような態度…。ワケワカリマセンw
私は、信仰という行為自体を否定する気はありません。また、信仰を持っている方々の生き方を否定する気もありません。ただ、私自身は、信仰は持ちたくない。ただそれだけのことなのです。
別に信仰というものを端から拒絶しているわけではなく、私は今の自分の生き方で十分だと思えるからです。敢えて特定の信仰を持つメリットが今の私にはないのです。以前に言ったように「良いとこ取り」で十分だと私は思っています。そしてそれがいい加減な生き方とも思っていません。それをいい加減と思う宗教があるとすれば、私はそういうところに宗教(信仰)というものの排他性を感じてしまいます。
嫌がる相手に自分の信仰を強引に勧めるような信仰を、私は「信仰」とは認めません。もちろんそんなものは「宗教」でもなんでもありません。国家が宗教法人と認めようが、そんなことは関係ありません。オウム真理教だって国家のお墨付きの宗教法人だったのですから。
そして、「宗教」と「カルト」は違います。宗教は心の拠り所であって、カルトはビジネスです。金儲けです。宗教は信者の幸福を願いますが、一方、信者に幸福になってもらっては困るのがカルトです。コミュニティに溶け込んでもらっては困るのです。コミュニティで阻害され、信者同士で群れなして生きていって貰わなければ商売あがったりなのが、カルトです。教団への批判を無視し、あくまで教団を正当化し、コミュニティと対立することによって信者を孤立させ、行き場を無くさせ、教壇の結束を強めるのがカルトです。
カルトに入るも、入らないも、それを決めるのは他の誰でもない、自分自身です。
たった一度の、貴重な人生を私はもっと大切に生きるべきだと思います。まして他人の貴重な人生を破壊するなんて、たとえどのような理由があれ、絶対に許されることではないと思います。
苦しくても、辛くても、また、プライドが傷つけられても、きちんと現実を直視することが何より大切だと、私は強く思います。
『聖教』編集部は、主要な記事ではルビを多くし、彼らなりに読者の便宜を図っているのですが、お義母さまのように本文の字そのものが読みづらいというのであれば、どうしようもありませんよね。
「もうちょっとだけ字を大きくしてよ」
そんな投書をお義母さまが『聖教』になさり、もしも聞き入れてもらえたら、この世でのいい思い出となっただろうし、反対に相手にしてもらえなかったら、長年続けた学会信仰への大きな疑問となったことだろうし……お義母さまが『聖教』編集部へ投書なさらなかったことが、改めて惜しまれます。
さて、プロパガンダマンガ『対話の達人』では、
「恩知らずの二世信徒・二条さん」
が登場します。父母の熱心な振興のお蔭で生まれながらにして
大福運(だいふくうん)
の境涯(きょうがい)
具体的には広くて大きな家と、かっこいい外車を持っているのに、学会に感謝せず、まるで活動しない悪い奴とされております。あまつさえ、「もう一度信心しようよ」と家庭訪問に訪れた主人公2人に対し、次のように悪態をつくのであります。
「要するに創価って幼稚なんだよ! 『聖教』を見ろ、あちこちうじゃうじゃとルビが振ってあって、まるで俺たちを子ども扱いしてるじゃないか!」
我々非信徒の眼には、むしろこの二条さんの言ってることのほうが、よほどまともです。ところが主人公たちは、
「庶民を大切にする宗教だからこそ、誰が読んでもわかるように、ルビを多くしているんですよ!」
と反駁。いかにも一理ありますが、字が小さくてお年寄りには読みづらい…ということにまでは、さすがに主人公たちも思い至らなかったようですね。
こんにちは。
数日ぶりに来てみたらこんなことになっていたのでびっくりしました。私の書き込みが発端になってしまったのかもしれません。ごめんなさい。なるべく創価信者を挑発しないような書き方を心がけようとは思っているのですが…。
>もう少しで結果が出ると思っています。^^
がんばりましょう!
そして、これからもこのブログを通してたくさんのエネルギーを私たちにください。
>>りょうさん
こんにちは。
お返事ありがとうございました。
ozawa氏の発言を読みながら、あらためて創価信者の不幸ぶりを目の当たりにしました。「誹謗中傷だ!」と主張するために相手を誹謗中傷することしかできない、とても可哀相な人たち。
創価学会信者の言動が正しいのか、間違っているのか、それは必ず社会が判断してくれるはずです。いや、すでに審判は受けているのではないでしょうか? ただ、犬作さんがちょっとばかり悪知恵を持っていたばかりに、多少厄介な状況になってしまっているだけで…。
今日は、ozawaさんのコメントに対して、ひとつひとつお返事をさせて貰うことにします。
■「2008-06-08 13:33:17」のコメントに対して。
すいません。コメントの意図が理解できません。そこに引用されている「ベストアンサー」とやらが私の書き込みと思って、それに対して反論をしているのか、ただ単に引用しただけなのか、その文面からだけではozawaさんが何を言いたいのか全くわかりません。
ちなみにその「ベストアンサー」に選ばれている書き込みは、私のものではありません。
>新参者は 自らがアンチを宣言している
>確信犯であり 上記の分析からすれば
>誹謗中傷をする粘着アンチ にあたり
>過去ログでも自分は学会の経験もない部外者
>でありながら執拗にストーか行為をし
>いつどこで誰がという基本なしで誹謗中傷を
>匿名で続けている
・私は確信犯ではありません。なぜならば、私のやっていることは犯罪ではありませんから。確信犯という言葉が該当することを行なっているのは、むしろ創価学会信者のほうでは?
・私が行なっているのは「誹謗中傷」ではなく「批判」です。「誹謗中傷」というのは、あなた方の立場に拠った一方的な捉え方に過ぎず、私の立場から言えば、創価学会信者の行なっているアンチに対する言動こぞ、「誹謗中傷」に他なりません。どちらの立場が正しいかは、一般世間が判断するでしょう。それが民主主義ですから。
・私が学会経験のない部外者であることは間違いありませんが、それが学会批判をしてはいけない理由にはなりません。では、逆に質問。学会経験のない私に対して、なぜ創価学会信者はチョッカイを出したのですか? あなた方が最初に私を攻撃してきたのです。だから、私は応戦しているだけ。以前にも勇さんという創価信者の方に申し上げましたが、ここのところの順番をどうぞ間違えないでください。
それと、私はストーカー行為などしたことはありません。ストーカー行為と言うならば、創価学会信者の言動こそ、ストーカー行為だと私は思います。
・「いつ、どこで、誰が」という形での書き込みをしないのは、ここがネットという場だからです。そのくらいのことはおわかりでしょう?
>あなたがストーカして知りえた学会の犯罪が
>あれば正々堂々と警察に告訴することをすす
>める
私は、自分の立場なり、状況なりを考えながらアンチ活動を行なっています。そしていたずらに裁判を起こすことは、経済的にも時間的にも浪費が多過ぎると判断して敢えて訴訟という形は、私個人としては取っていません。
もちろん、将来的には訴訟という形にならざるを得ないこともあるでしょうから、証拠の収集等はずっと行なっています。ただ、今は、その時期ではないと考えています。裁判というものは、起こせばいいというものではありません。あくまでも自分の人生を守るために、有効に行なわなければ意味がありません。でなければ、それこそ金と時間のムダとなってしまいます。
むしろozawaこそ、人に訴訟をすすめるぐらいならば、ご自身が裁判を起こされたらどうですか? アンチの言い分に対してかなりの憤りがおありのようですから、だったら、あなたこそ裁判を起こせばいいでしょう?(笑)
裁判とは、そうものですよ。つまり、被害者が加害者に対して起こすのが裁判です。ozawaさんが自分たちを被害者と思うならば、ご自身が裁判を起こせばいいのです。被害者が、加害者に対して裁判を起こせと主張するなんて変ですよ?(笑) 創価信者はよくこの手のことをアンチに対して言いますけど、こんな妙な主張するのは世界広しと言えども、創価信者ぐらいだと思います(笑)。
■「2008-06-08 13:37:17」のコメントに対して。
>警察に告発することをすすめる
警察に告発するのにもいろいろと気を遣うんですよ。関係者には創価信者も多いですから。それにozawaさんの大好きな裁判所もそうです。東村山事件の一件が良い例ですよね。
■「2008-06-08 13:51:39」のコメントに対して。
>これって新参者あなた自身の心とぴったりっ
>て気がつかないのかなあ?
私に自己顕示欲が全くないと言ったら嘘になるかもしれませんね。でも、私は創価信者に多い「できもしないことをいかにもできるかのように吹聴する」ようなことはしてないつもりです。万能な人間なんていませんから。人にはできることと、できないことがある。それが普通のことです。
あくまで私の周囲に見てきた創価学会信者の話ですが、あの人たちは、何でもかんでも人より勝っていないと気が済まない人たちです。そして、自分が優位に立っているときはとても親切で、思いやりに溢れ、人に対して協力的なのですが、相手が自分にできないことを何かできると知った瞬間、あるいは、相手が周囲から褒められたり、感謝されたりした瞬間、あの人たちは急に豹変します。不機嫌になり、無愛想になり、そこには思いやりのかけらもなく、人に対して非協力的で、足すら引っ張り始める…。言葉や行動の揚げ足を取り、それをいちいち周囲に吹聴し、悪者に祭り上げ、あるいは笑い者に貶め…、この時の創価信者の顔にはまさに‘修羅’が取り憑いているかのようです。
最後に。
ozawa(=Unknown)さん。匿名という立場を悪用して好き勝手にいい加減なことを言ってるのは、「創価学会信者」であるあなたの方ですよ。
そのような醜態を晒してくれてむしろ「ありがとう」と言いたいくらいです。
ご冥福を祈ります。
ozawaさん
客観的に、世間一般の目からみて
同じ機関紙(聖教)を3部、4部購読は
おバカと言うんです。
世間では利用されてる学会員、
世間では洗脳されてる学会員、
と思われてるのにお願いだから気付いて。
ozawaさんが何部購読してるか分かりませんが
マンションのドア目立つから、中まで入れるよう
注意してあげて。
まさか洗脳機関紙を本気で日本一と思ってはいないと
思いますが。
日本の大学から表彰なし、チベット仏教は無視、
宗教否定の中国様から褒められた。
そんな機関紙は一般には売れません。
だから活動家は自己負担で聖教をばらまいてる。
ブログを見てる人も、無料で頼まれた人いますよ~。
ozawaさんは活動家ではないみたいね。
学会に未練があるの?
騙されていないとガンバッテルの?
仏罰はないよ!
心から仏罰を忘れて生きてごらん。
今からでもを残りの人生大切に。
大事なのは宗教、組織じゃあないよ。
あなたの人生だよ。
ええと、私いつ惚れてるって言いましたっけね?
話を適当に作る天才なのか、それとも妄想。
2世3世で自殺者が増えるっていうのは、
熱心な親が活動を積極的にやらなかったり、題目唱えなかったりしないと2世3世が親から褒めてもらえず、親から褒められたいばっかり期待に応えようとした結果に自殺者や精神の病になる人が多いだけでしょう。
原因がそこから来ているのに、病気などの現実を見つめようとしないで病気から目をそむけていっている。
魔が働いているわけでも 業が悪いからでもなんでもない。
それでもずっと信じている人はそれでずっと突き進んで行っちゃってくださいって思います。
戦いたいならずっと戦っててください。
何も言いません。
しかし それが苦痛だったり違うって思った2世3世さんは活動をすることが親孝行だのなんて考えは捨てるべきです。
子供と過ごす時間よりも活動を優先する親は子供を愛しているといえますか?
熱をだしても病気になっても信心が足らないからですか?
傍に寄り添って看病しない代わりに題目ですか?
会合や選挙活動ですか?
感の良い2世3世は気が付いています。
親は2世3世の子供たちが活動をすることと引き換えに、自分を愛してくれて(本当の意味で愛しているとは言わない)褒めてくれることを…
口で愛しているとかあなたのためを思っているのよなんてことはいくらでも言えることなのです。
肝心なのは言っていることとやっていることの言行一致なのかどうかってことです。
新聞を3部とってたって、
必要のない計量カップ3つ持っているのとおんなじ。
nanaさん:
ツールですか?
あれで理解する一般人がいるとしたら、その人とはお付き合いしないほうがいいですね。
私ならビリビリ破って感の虫抑えるのに使うと思いますが。
有料のお手紙なんだから読み手にその位の配慮をしてもよさそうなものですが。
姑が老眼鏡をかけても読み見辛そうにしていたのを思い出します。
先程、とある学会員さんのブログを拝見しました。
聖教新聞とは「先生を知ってもらい、創価学会の信心の凄さを知ってもらって折伏を前提にした理解者を作る為のツール」なんだそうです~。
学会員さん以外の人が見て凄いって思う人がいるんでしょうかねぇ?
別の意味で“凄い!”って思う人はいっぱいいるでしょうけど!
freeさんや上杉さんをはじめ、他の方々からも懇篤な御説明あらんものと存じますが…
〉新聞と信仰が何をどう考えたらイコールになるのかさっぱり理解が出来ません。
↑
会長先生からのお手紙…すなわち、『聖教新聞』なのです。そして先生との一対一の師弟関係に少しでも近づけるべく、3人家族ならば家族一人ずつ3部取っているのであります。
新聞と信仰が何をどう考えたらイコールになるのかさっぱり理解が出来ません。
〉親を裏切るな
↑
freeさんから適切なお言葉をまもなく頂けることと拝しますが、私からも一言。
ozawa氏のこの言葉は本来、先祖代々のまともな宗教を捨てて、日本の文化・伝統を損なう困った宗教に入った貴兄の御両親へ、われわれ大多数の日本人が語りかけるべき言葉でありましょう。
農村から都会へ、心のよりどころなきままやってきて今で言う3K仕事に汗を流していた大部分の創価一世のみなさまがたへ、僕は衷心より同情の意を示しとうございます。でもやっぱり、飛ぶ前に見てほしかった。頭を冷やしていただきたかった。
日本の文化や伝統を軽視しがちという欠点がある点ではキリスト教とて創価と同様でありましたが、それでも西洋2000年の文化を背負うキリスト教は、入れば入っただけのことのある宗教でありました。
「大黒様を返して!」
↑ 戦争未亡人だった母親が創価に入信したために、戦死した父親の唯一の形見だったお手製の大黒様を【謗法払い】とやらで灰にされてしまった戦争遺児の涙の叫びであります(高瀬廣居『第三文明の宗教』,1962年)。
このことについて以前僕は目つきの鋭い創価2世の活動家に「ひどいじゃないですか!」と問いかけたところ、彼が言うには
「組織の指示で灰にしたわけではなく、あくまでもその未亡人さんの意思でやったことなので問題ありません!」
との御立派なお返事。そもそも創価という教団さえなければ、大黒様は灰にならんで済んだのに…。
本来ならばさっくり削除すべきですが、証拠として残していたいと考えています。
日蓮正宗への創価学会員さんの嫌がらせ電話も相当数にならないと警察は動いてもらえなかったようです。
(引用)
業務妨害:札幌の寺院に2カ月で1123回電話した男逮捕
札幌市内の寺院に2カ月間で1123回の電話をかけて応対をさせたとして、札幌地検特別刑事部は18日、鳥取県倉吉市上灘町、パチンコ景品交換所従業員、谷口博司容疑者(52)を偽計業務妨害の疑いで逮捕した。
調べでは、谷口容疑者は04年6月1日~同7月31日、自宅から札幌市中央区の日蓮正宗系寺院に繰り返し電話をかけ、僧侶に宗教論争を持ちかけるなどして業務を妨害した疑い。同地検によると、谷口容疑者は日蓮正宗と対立する団体の会員という。
谷口容疑者は「電話をかけた事実は認めるが、迷惑はかけていない」と話しているという。【真野森作】「毎日新聞(MSN-Mainichi)」(引用終わり)
また 私のblogは創価学会員との恋愛に悩む方や創価学会員に勧誘された方が検索で 創価学会を調べるために 訪れることが多いのです。
ozawaさんや友森さんのような創価学会員をご覧になり、このような方が大勢居る組織との関係を躊躇するだろうと考えています。
--悩んで訪問下さった方へ--
「創価学会員になる」と言うことは、このような人たちになってしまうと言うことです。「創価学会員と結婚する」と言うことは、このような人たちが親戚になり家庭に介入してくることです。
忘恩の輩 (ozawa)
2008-05-16 22:01:57
いやー私に比べれば竹入さんや矢野さんは カワイイもんだ 学会さんもわかってほしい
政治の世界ではどれだけ裏切ったかで価値が上がる
と書き込みされています。公明党議員と読んでも良い内容ですね。
>学会に問題があれば 臆せずどんどん告発なり裏世界でなく表に出せべきでそれが人のため世のためになります
インターネットでドンドン告発しているのですが、何か?
>こんなつまらないサイトに出会ってしまって悩み freeがいうように何人の3世が自殺に追い込まれたことか?
全くの創価脳ですね。創価学会を悪く考えることが出来ず湾曲し、トンデモナイ方向に批判先を向ける。笑)
創価学会の問題は自分たちの都合の悪いことを隠蔽し、信者には嘘を教え込み、彼らは現実のギャップに苦しんでいるのです。やはり、ozawaさんの周りでも自殺者が増えているのですね。
私を潰しても大勢の私に続く人が現れます。
問題は創価学会にあるのですから。
今も創価学会は被害者を作り続け、アンチを大量に作り続けています。
原因を改善しないと、私ごときのblogを攻撃しても何の解決もならないでしょう。
創価学会の犯罪はどんどん告発されていますよ。ozawaさんが知らないだけです。
http://www.asahi.com/politics/update/0608/SEB200806080002.html
(引用)
沖縄県議選、自公過半数割れ 高齢者医療への反発響く 2008年06月08日23時43分
沖縄県議選(定数48)が8日投開票され、県政与党の自民、公明は公認、推薦を合わせても過半数に届かなかった。後期高齢者医療制度などをめぐる有権者の反発が激しく、支持を広げられなかった。就任から1年半を迎える仲井真弘多知事は厳しい県政運営を強いられることになり、米軍普天間飛行場の名護市移設など基地問題にも影響が出るのは必至だ。
自民、公明両党の公認、推薦候補は各選挙区で苦戦。改選前は27議席を占めた与党系は、定数の 半数(24議席)に達しなかった。一方、改選前20議席だった野党系は順調に票を伸ばし、初めて公認候補を擁立した民主も議席を獲得した。
投票率は57.82%で、前回の58.72%を下回り、過去最低だった。 (引用終わり)
創価学会員の犯罪も
http://www.e-obs.com/obs-news/genko/DD06070006133.html
墓地公園工事で詐欺。グループ逮捕 [17:08]
日田市天瀬町にある墓地公園建設をめぐり、土木建設会社から現金5000万円をだまし取ったとして栃木県の会社役員の男ら3人が詐欺の疑いで逮捕されました。
逮捕されたのは栃木県宇都宮市の会社役員小野勝麻呂容疑者ら3人です。
小野容疑者らは日田市天瀬町にある創価学会の墓地公園建設をめぐり、2005年4月、墓石のコーティング事業に参入できると嘘の情報を持ちかけた上で、日田市の土木建設会社から事業参入の協力金名目に現金5000万円をだまし取った疑いが持たれています。
警察の調べによりますと小野容疑者らは創価学会の全国の墓地公園についても墓石のコーティング事業を元請業者として受注したかのように装い、「創価学会から下請け業者の選定を任されている。協力金を払えば全国の墓地で事業に参入できる」などと説明していたということです。
これって大分の乱のことかしら?
連続投稿や、このお前の母ちゃんデベソみたいなコメント読んでると頭痛より笑いが込み上げてくるのは何故なのでしょう。
嫉妬深いのは嫌われるわね。
男はなよなよするな 親を裏切るな 新聞3部くらいでビビるな 男ぞ達也
ここに書き込みがなくなったときですか????
匿名の世界で常識とはお笑いです
ここは 学会裏サイト 多くの人を不幸に落とし込むいやなサイト
あなたの過去ログを見る限り常識という一線を大きく超えたブログです
何度も繰り返しているあなたの
公明党(創価学会員)の戸別訪問は選挙違反です
どうか告発なり対処してください
日本の法律は庶民をたたくためでなく行政や上の人にしっかり監視せよとの法律です
あなたが告発しなければ いつになっても罰せられません 勇気を出しておかしいと思ったらどんどん告発しょう このことには大賛成です
アンチ学会には仕方ないかと納得します
新参者など比較にならぬ有識者であることは他のサイトの活躍を見ればすばらしいの一言に尽きます
あなたさまの書き込みにはひとつひとつ納得しています
これも年を経たお方の見解とお見受けはしていますが しょせん学会大嫌いというゼンテイの意見 最初から視点が色眼鏡では仕方ありません
三類の強敵 をあらわすにはそれなりの覚悟が必要です
行動することなく裏サイトでとやかく騒ぎ立てることは決して仏法ではありません
学会に問題があれば 臆せずどんどん告発なり裏世界でなく表に出せべきでそれが人のため世のためになります
こんなつまらないサイトに出会ってしまって悩み
freeがいうように何人の3世が自殺に追い込まれたことか?
人助けのつもりが多くの人を陥れるこんなサイト1日も早くつぶれるのを願うばかりです
過去ログを見ればお恥ずかしい限
よくもこんなに長く続いたもだ 驚くばかり
あれあれさん
すりはんどく
信仰に知識は不必要とはいいません
行動のない知識は後ろ髪を引くだけです
人生の最後 しっかり動き悔いのなきように
仏法を極めたお方の更なる精進を願います
↑
僕もまったく同感です! 「冬来たりなば春遠からじ」って真実だと思います。
し、しかしfreeさん、福子さんによっては「結果が出る(or出ない)」という言葉でフラッシュバックを起こす人がないとも限らず、また僕みたいに「萌え」てしまう一般人もいないとも限りません。
パパがやらなきゃ【結果は出ない】
しっかりしてよと励まされ
決然立った男意気
(「パパさん音頭」1番)
飽谷(=秋谷栄之助氏)、馬鹿、【結果を出せ~】
(慧妙編集室『劇画天魔の野望:実録人間革命』、1996年,晩聲社)
前者は今でも信濃町で売っている学会歌の冒頭部分。駄目人間の「パパさん」が学会に入信して真人間に生まれ変わるまでを描く感動の歌物語です。
後者は正宗系の人々が出した学会内実暴露本の一節であり、池田氏が秋谷氏を無能と決め付けていじめる場面の名文句(?)であります。
「結果を出す」……なんでもない日本語表現のようですが、我々のあまり知らぬ間に学会色がついているとは悲しいし、残念です。そうそう、「常勝」だとか「師弟」なんて言葉も最近は注意が必要になり、いやな気分ですよ。でも大丈夫、「結果はもうすぐ出ます」。ああっ、僕も言っちゃった!
ネチネチ粘着質よりも男気あっていいと褒めれば、嫉妬心一杯でケチつけてくる人など相手にする価値ありません(笑)
いいえ、既に学会員である時点で私には必要のない人間なのです。
学会員がどこまで卑劣か知っています。
そんな人を相手にして遊んでいる暇など私にはないし、彼らに腹を立てる期間はもうとうの昔に終わっています。
新参者さんには 沢山助けて頂きました。
私も心が折れそうなことは何度もありました。
でも、何も言わなくても解り合える人たちが私を支えてくれています。新参者さんもそのひとりです。
何が間違っていて 何が正しいのか それを決めるのはとても難しいですけれど、今 私たちのやっていることは2世3世の苦しんでいる人たちや、心ならずも創価学会に関わってしまった普通の人たちの為には間違っていません。
もう少しで結果が出ると思っています。^^
インターネットといえども、常識を越える嫌がらせは法律で罰せられます。もちろん、私たちが知りうる犯罪行為は警察に通報するのが市民の義務ですね。
公明党(創価学会員)の戸別訪問は選挙違反です。読んでいらっしゃる皆さんも ozawaさんのお薦め通りどんどん警察に通報をお願い致します。
ただ、私たちは(りょうさんを含め)もう 創価信者さんのこういう粘着には慣れっこになってしまいました。理論的な反論が出来なくなると人格攻撃、誹謗中傷に終始する、これは聖教新聞の影響(創価学会の教え&先生のお手紙)が出ていると考えています。
少なくても創価学会の看板を背負って発言される以上、もうちょっと良識のある行動を取られればよいのですけれど。こんな方が与党公明党に関わっているのですから もう少し日本人は危機意識を持たなくてはなりませんね。
裏サイトとはよく言ったもんだ
そしてそのために一生懸命に「俺は(私は)凄いんだ」みないな話を吹聴して。自慢話をひたすら続けて。で、他人の姿に自分にはない優越性を見るや否や異常なほどの嫉妬心を露骨に露にして、相手の話にいちいちケチをつけたり、裏で足を引っ張ったり。
これって新参者あなた自身の心とぴったりって気がつかないのかなあ?
回答日時: 2008/5/24 23:50:12 編集日時: 2008/5/25 00:02:12 回答番号: 50,759,765
アンチは「反~」という意味ですが、いくつか種類があります。
・テレビや雑誌で見ることを嫌うが、それ以外はどうでもいい普通のアンチ。
・主にネット上で、掲示板や知恵袋の「嫌いなアーティスト」「売れてる理由がわからない芸能人」といったスレッドに積極的に書き込んだり、誹謗中傷をする粘着アンチ。
・「~のファンは気持ち悪い」などの書き込みや発言を行う、いわゆるファンアンチ。
新参者は 自らがアンチを宣言している 確信犯であり 上記の分析からすれば 誹謗中傷をする粘着アンチ にあたり 過去ログでも自分は学会の経験もない部外者でありながら執拗にストーか行為をし いつどこで誰がという基本なしで誹謗中傷を匿名で続けている
告発され起訴されれば 個人を特定することは容易である
あなたがストーカして知りえた学会の犯罪があれば正々堂々と警察に告訴することをすすめる
言ってることが小さい 全然笑えないよ
それと、言ってもムダだとは思うけど、りょうさんに失礼ですよ。常識人を標榜する‘天下の創価学会員’ならば、きちんとりょうさんに謝ってください。
創価学会員であるあなたの今後の対応を全国の、いや世界中の人たちが、このサイトを通じて見守っています。
お返事ありがとうございます。
創価信者の悪行を説明しても理解して貰えない。この気持ち、ほとんどのアンチが経験しているのではないでしょうか。私もこれまで何度も悔しい思いをしてきました。
でも、被害を訴え続けていると、少しずつではあるけれど理解を示してくれる人があらわれてきますよ。もちろん、被害を訴え続けるということ自体、とても難しいことではありますが。
でも、最近は昔と比べるとかなり状況はアンチにとって良い方向へ向かってきているように感じませんか? 昔は、私自身アンチでいることが凄く辛く思えたことが長くありました。でも、変な言い方かもしれませんが、最近はアンチでいることに清清しささえ感じることがよくあります。もちろん、アンチでいることは辛いこともたくさんあるのだけれど、でも、今はそればかりではありません。
理由はいろいろとあるのだろうと思いますが、自分の中にアンチ活動をしていることに対する疚しさがない、ということがいちばん大きいように思います。
昔はアンチをしている自分に迷いや不安、あるいは時に疚しさ(?)に似たような感覚がどこかしらにあったように感じます。でも、今はそういった類の感覚が全くありません。
『創価学会体験記』という、freeさんのこのブログに出会えたことも、自分の中の迷いや不安を払拭してくれた大きな原動力のひとつです。そして、ここでいろいろな方々とお話をする機会を得られたことが、アンチとしての私を強く育ててくれたと思っています。
多くのアンチの方々の創価学会観、被害体験、あるいは、たまの創価学会信者乱入による醜態晒し(笑)…などなど、これらに触れることで私自身、アンチとして一皮も二皮も剥けたような、今はそんな想いです。
「自分は間違っていないのだ」
そう確信させてくれたのが、ここで出会った方々の存在であり、皆さんの書かれたたくさんの言葉でした。本当に、感謝の気持ちでいっぱいなのです。
>書く文章は説得力のある新参者さんと、
>ただ思いのままに書く私とは違うのに
>考えが似ている。
説得力のある…なんて言われると嬉しいと思うと同時に、とても気恥ずかしいです。というのも、私、感情的にキーボードをバタバタ凄い音させながら書いてたりすることが結構多いものですから(笑)。
創価のことになるとどうしても熱くなってしまうのです。あとから読み返して、書き直したり削除したくなることはしょっちゅうです。
それに、りょうさんの文章、私好きですよ。もちろん他の方々の文章も。それぞれその人の個性が出ている感じで、実際のお姿を想像しながらいつも読ませて貰ってます。
これからも、たくさんの自信と勇気をいっぱい貰いたいと思っています。
新参者さんに男気を感じてしまいます。
書く文章は説得力のある新参者さんと、ただ思いのままに書く私とは違うのに考えが似ている。
彼らは創価学会と題目がないとブレてしまうと思います。
唱えていないと、活動していないと不安で 焦燥感で一杯なはずです。
彼らの中に本当の心や優しさを感じることは出来ません。
被害に合っていない方に、自分たちがされた理不尽な行いをいうとそんなに酷いものなのかな?
なんて思われたり、事実の事を知らない人もいれば 説明しても調べようとする人があまりいないです。
なんだかお返事にもなっておらず、ごめんなさい。
お返事ありがとうございます。
基本的に人というのは、きっと何か特定の思想が自分の中に背骨として一本通っていないと心が不安定になるのだろうと思います。「自分はこう生きるんだ」という信念のようなものがないと、自信が持てないのだろうと思います。
だから、人によっては、それが特定の信仰へと繋がっていくのではないでしょうか。ただ、日本人の場合は、多くの場合、宗教というものに対して‘いかがわしさ’に似たものを感じがちなため、特定宗教に入信するというケースが少ないのでしょう。「日本人には宗教がないから社会が不安定になる」と、田原総一郎がよく言っていますが、一理あるように私は思います。
私は、幸福なことに、自分の中に‘背骨’が一本通っているので、他の思想にすがる必要は今のところありません。「自分はこう生きるのだ」という確固たる信念が、私の中にはあります。
そして、その信念は、皮肉にも創価学会信者との対立の中で形成されていきました。創価学会信者の傍若無人な振る舞い、また、それに操られる一般世間の人たちの滑稽な姿…等々。それらを目の当たりにしたことが、今の私の人生観・人間観を形成したと言っていいと思います。
私の信念が絶対的で、すべて正しいなどと言う気はもちろんありません。ただ、少なくとも私の信念は、私という人間の奥深くに、しっかりと根をはっています。私自身が悩み、傷つきながら少しずつ形つくっていった信念ですから。どこかのカルト教団の信者が、座談会での受け売りの、切った張ったの付け焼刃な思想を語るのとはワケが違います。
自分自身でいろいろなことに悩み、考え、己を見つめ、やがて自分自身の中に共存する価値観同士の矛盾に直面し、その矛盾は何に起因するのかを考え、悩み、苦しみ…と、そういった葛藤を何度も何度も繰り返しながらひとつの思想は形になっていくものです。
創価信者の語る思想が、そういった経緯を経ていないことは、創価信者の反論を聞いているだけですぐにわかります。このサイトでも何人かの信者と何度か議論をしたことがありましたが、1人として最後まで反論のできた信者はいませんでした。
そこで自分自身と正面から向き合い、考えることのできる人はやがて創価学会という組織のおかしさに気付けるのだろうと思いますが、残念ながらそのような誠実な方と出会うことは今のところありません。要するに、都合良く逃げて行った方ばかり。
結局、そうやって人生でも逃げてばかりいるのでしょう。巨大な組織を背景に虚勢ばかりはって、決して自分自身の弱さを直視しようとはしない。自分には甘く他人には厳しく。強気を助け弱きを挫く。上っ面だけのボランティア活動に精を出しては、まるでそれを免罪符とするかのように他方では悪事に勤しむ。偽善行為をアリバイにしては勝手に善人になりすまし、創価学会批判を必死にかわそうとする。
言葉巧みに他人を騙すことはできても、自分自身を騙すことは絶対にできません。不幸の原因は外側にあるのではなく、自分自身の中にあるのです。幸福とは、不幸を一掃することではなく、苦難と闘い続けていく強さを持つこと。人知れぬ疚しさこそが、自分の心を少しずつ腐敗させていく。
このことを私に教えてくれたのは、創価学会信者による、数々の非道極まる言動でした。私に言わせれば、創価信者は皆、自分で自分を不幸にしています。しかも、そのことに信者自身が全然気付いていない。そしてその姿に私は大切なことをたくさん教えて貰った。無神論者の私が。おかしいですよね(笑)。
私は キリスト教も仏教もイスラム教も「根本的に言いたいことは一つなのではないか?」と思っています。長い年月社会や政治に関わり、問題が起こったときに戒律や教えが変わってきたのでは?
私たち無宗教は特定の宗教に染まらなくても、人として大事なものを持って、一人でも苦難に立ち向かっていける強さがあると考えています。
「獅子吼」とか「一人立つ」とかかけ声だけは勇ましいけれど 仲間との依存関係、指導からの無思考の従属を断ち切れなく 社会生活や身体・精神に異常をきたした気の毒な人たちを沢山見てきました。「こだわり しがらみをきっぱり捨てた方が楽になるのに」と考えています。
解りました、良く読んだら人口の3分の1でしたね。3割×3だと あと1割残りますものね。いい加減なことを書いて申し訳ありませんでした。
さりげなくフォロー下さって本当に助かります。
上杉達也さん
>両親は騙されたままでもいいかなと思います。
そうですね、幸いなことにインターネットはご両親世代はご覧にならない方が多いですし。
人生の終わり近くになって「創価学会の現実」を突きつけても 「受け入れられない」でしょう。薄々気がつかれていらっしゃるかも知れませんし。
>私のソースは5・6年前のチョンガーさんとSGIさんだったと思いました。
SGIさん 私は直接交流はありませんでしたが、素晴らしい論客でしたね。創価学会に関する資料も少ない中で、たくさんの資料を提供下さり、たくさんの事を学ばせて頂きました。
上杉達也さんも もしかして「創価学会を考えよう」出身のどなたかも知れませんね。
客観視できない、洗脳されておかしいと思わな
い。本部にバカされている両親に涙が出ます。
普段の活動は完全に休眠ですが、選挙になると
スイッチが入ります。
外部(懐かしい言葉)の人に10・20人頼んでも
笑顔の裏の同情・哀れみ・早く帰って!を
まったく気付かない、おバカな創価学会員です。
でも最近は学会関係の話はスルーして、小遣い、
小旅行など親孝行をしています(たまにですが)。
「舎衛の三億」これも懐かしい。私も本気で思った時期がありました。しかし参議院選挙の得票数
あんなに一般の人に迷惑かけてるのに、ここ40年ずっと700万(病)前後。いいかげん騙さ
れてるのに気付けよ!
といいつつ、両親は騙されたままでもいいかな
と思います。今頃、騙されてるのに分かったら
後悔しながら亡くなって逝く。
人間としてどちらが幸せか悩みます。
freeさん、私のソースは5・6年前のチョンガーさんとSGIさんだったと思いました。
1週間前知人に無料でいいから聖教頼むと言われました。「ノルマのある新聞勧誘は宗教とは
言わない自分の生活を守れ」とアドバイスしました。
自称発行部数550万(?)を仮に信じるとして
活動家の人達は一人何部負担しているのか・・・
創価学会員は哀れです・・・
鬼嫁の皆様はそういう風に有効活用されているのですか~。
でもですね、当時の私にはアレ(もちろん“聖教新聞”)を触るのは犬の糞を手で触るのと同じくらい汚らわしい事だったので紐で括って資源ゴミに出すのが精一杯でした(+_+)
今はアレをちょっと興味本位&元夫の思考を探る為に読んでみたいと思うようになりました。
ここまで回復出来たのはfreeさんをはじめとする皆様のおかげです。
素晴らしい分析ですね。コメント内容も説得力があります。ありがとうございました。
ところで私も創価学会の信者数に興味があったので、情報を集めていました。
(巨大掲示板より引用)
選挙での公明党の絶対得票率
http://www5.tok2.com/home2/sudati/setaisu.html
http://blog.livedoor.jp/sgt/archives/51036000.html
それは信者が減り続けているからです。
財団法人 宗教情報リサーチセンター
http://www.rirc.or.jp/index.html
http://www.rirc.or.jp/data/output.cgi?id=98101304
a.国内の信者数
300万人以上
b.国外の信者数
50万人以上
157 :×××:2008/03/15(土) 10:51:20
>>153 さん
多めに見積もって、200万世帯・400万人に届かないあたりが関の山でしょう。
ある程度の活動歴があったり、選挙の際に得票集計をされていたり、都道府県レベルで複数の地域を経験された会員さんであれば、むしろ外部以上にこれらの数字を身を以って実感されていると思います。
>>156 さん
ありますね。統監の扱いも地域や担当者によってそれぞれですので。
実働会員数の把握は過去にも行われたことはありますが、それが報じられることはありませんでした。
正確な数字を上げる地域、面子にこだわって適当な数字を上げる地域と様々ですが、本部では一応は 集計された結果を把握しています。が、聖教紙上などで発表される際にはまったく違っています。
"公称値"の決定は、以前は故・野崎(勲)氏が担当されていましたが、今はどなたなのでしょうね。(引用終わり)注 ×××は有名なコテハンドルが入っていましたが、ご迷惑になるかもと伏せさせて頂きました。×××様 勝手に引用申し訳ございません。m(__)m
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-677.html博士の独り言より
(引用)
創価学会公称の会員世帯数は、821万世帯(平成15年)だが、選挙票の推移(減少)や本部幹部クラスの脱会者の実態証言、聖教新聞の購読部
数などから類推すれば、活動している会員はすでに200万世帯を切り、多く見積もっても100万台の前半にまで実存世帯数は落ち込んでいる、との分析がある。
海外のSGIについても百数十万人としているが、これはすでに脱会した人 口も含めた数値であり、実質的な数は40万人にも及ばないものと推計されている。(中略)
たとえば、インドネシアやガーナでは、組織ごと創価学会から脱会して日蓮正宗に帰属。スペインでは、責任者と活動メンバーの大部分が脱会し、同じく日蓮正宗に帰属。その他、40数ヶ国にわたって脱会者が相次ぎ、台湾のように、創価学会がほぼ壊滅状態にいたった国々も増えているそうだ。(引用終わり)
新参者さん
>『池田大作なき後の創価学会』(宝島社)にその数字が載っていたような気がします 。
ソースを出して頂いてありがとうございました。いずれ時間が取れたら読んでみます。
nanaさん
鬼嫁さんの間では、大作氏の顔の部分で生ゴミを包んだり ペットの汚物の処理に使ったりして溜飲を下げているようです。ココだけの話。
鉄格子もうまいです!
私もfreeさんが宗教を信じている人の記事をネットで読んでいました。
この信じている人って信仰を強くもっている人たちにしか該当しないんじゃないかなんて、妄想していました(笑
私も新参者さんと同じ意見です。
人がもつ信仰は自由であっていいと思っています。
それに祈って叶ったと思うのも、冷たい言い方をすればその人の勝手なので。
ただ、私にしてみると宗教や信仰することは必要ではなく、逆にそれにすがる気はさらさらない。
バリ創価上司に嘘をついて勤務時間内に平和会館に連れて行かれ、ようやく解放された20分後歩きながら どうだった? と聞かれ、【宗教にすがりたくありません】 と言ったのですが帰ってきた創価上司は すがってなんかない! と。
私にははっきりと宗教にすがっている様にしか見えませんでした。
>もし本当に神が存在するならばタダじゃ済みませんよ(笑)。
これ本当にそう思います。
だって神様がいるとしたら平気で嘘をつく人や、自分の利益などのために人の気持ちを平気で踏みにじるような人を許しておくわけがありませんものね
>「日本人」で、何かの宗教を信じている人は
>26%にとどまり、信じていない人が72%
>に上ることがわかった。
私はその72%に該当する1人です(笑)。
結局は、ひとつの思想に縛られてしまってるようにしか見えないんです。私には。創価学会に限らず、宗教を信仰してる人たちの姿を見てると(尤も、私は創価学会を宗教とは認めていませんが…)。もっと自由に、いろんな人の生き方や考え方の‘良いとこ取り’しちゃえばいいと私は思うんですよね。信仰を持たれてる方からするといい加減に聞こえるのかもしれませんけど。もちろん、私はいい加減に言ってるわけではありません。それに、信仰を持たれてる方が、そうでない方よりも明らかに幸福ならば私も何か信仰を持つかもしれませんが、そうは見えないんですよ。どうしても。最初に言ったように、むしろ凄く窮屈そうな生き方してるように見えるんです。
と言っても、私は宗教という、人間が作り出した‘概念’が歴史を通して人々の精神に大きな影響を与え、今なおたくさんの人たちの心の拠り所となっていること自体まで否定するつもりはありません。
ただ、神という存在までは私は信じません。宗教とは、あくまで人間が作り出した方便に過ぎないと思います。だからこそ、どこかのカルト教団のように、神という存在を悪用することもできるわけで…。もし本当に神が存在するならばタダじゃ済みませんよ(笑)。
>150万人
私の記憶だと、確か『池田大作なき後の創価学会』(宝島社)にその数字が載っていたような気がします(確かではないので間違っていたらゴメンなさい。でも、150万という数字はどこかの活字に確かに載ってました)。
>>りょうさん
>なかなかうまいこと仰いますね♪
>私もそう思います。
ありがとうございますm( )m
でも、私的には「鉄格子」のほうが上手かったかなぁ…なんて勝手に自画自賛しております(笑)。
全く見もせず資源ゴミの日まで積み重ねて置いておくだけなんだそうです。(あ!過去の私と一緒だ!)
上杉達也さんがおっしゃっていますが本当にあれは資源の無駄ですね。
あ~もったいない!
>非創価のお医者さんに一度診て貰ったほうが
よろしいかと。
なかなかうまいこと仰いますね♪
私もそう思います。
皆様:
なにかにつけ人の弱みとかにつけこみ(例えば肝臓が悪いと心がちょっとばかり弱く健康面、仕事でうまくいかないとかetc)宗教を押し付けるだけでなく機関紙も押しつけてくる。
断れない人が良い人は、学会員に機関紙を代金は払うからとってくれと頼まれる。
私は元モルモン宣教師が古くからの友人(学会員)と職場の上司(バリ学会員)二人に機関紙をとってくれとせがまれるという愚痴を聞いた…
宗教 F票 会合 座談会 おまけに新聞かよ!
断れない人はそろそろお人よしはやめて、ごめん無理!って言っていこ~。
5・6年前のチョンガーさんか誰かの分析に
創価新報130万・大百蓮華200万の発行
部数を参考にするべき、とありました。
中立な発行部数監査団体の報告は分かりませんが
実際に読まれてる数字は学会員の配達員がシビアに理解してると思います。
マンションのドアポストに入りきらない聖教新聞。
3ヶ月分無料でいいから入れさせてとか。
さらに熱心な学会員は4・5部は暗黙の了解です。
実売部数ではなく学会の発行部数を信じると
創価新報・大百蓮華が参考ですが。
世間一般の人々は創価学会を嫌ってますが
選挙を標準に婦人部はいろいろアプローチ
しています。20人、30人と個人訪問していますが
投票する人は理解層、家族、親類含めて
平均3人が妥当と思います。
活動家150万人、選挙だけ学会員100万かな。
今の発行部数は分かりませんが
若い人にネット情報を活用してもらい
聖教NO!新報NO!公明NO!創価NO!
若い人ほど目が覚めます。
〉池田大作氏の指導……
「舎衛(しゃえい)の三億」と呼んでくださいっ! 意味はお書きくださったとおりです。舎衛とは、インドにかつて存在した大国でありますが、うち1億が釈尊の教えを信じ、1億は信じないけど敬意は表し、残る1億が我々みたいな感じだった~という故事であります。
創価学会では「文底(もんてい)読み」しまして、国民の3分の1が学会員、3分の1が非学会員だが公明党支持者、残る3分の1が我々となったときが、【広宣流布】と定義しております。亡き祖父にもらったあの『創価学会を斬る』(藤原弘達氏)に詳しく書かれておりますよ。
「釈迦仏法は腐った御飯」のはずなのに、都合のいいところだけ利用しちゃうなんて、モウ!
2008-05-31 19:31:55
最近、ちょっと留守にするとコメント欄が凄いことになっておりますね。皆々様方 申し訳ありません。
ところで、「籠の中の鳥」うーん、情報を隔離するとなりうる事態だと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1013307975
面白い 質問を見ました。
ところで、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080529-00000063-yom-soci
(引用)
「日本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上ることがわかった。(引用終わり)
池田大作氏の指導 日本人の3割が創価学会を嫌い 3割が中立 3割が理解者という話ですが、最近中立・理解者が少なくなって創価学会脱会者も増え、創価学会員&理解者は日本人の1割にも満たなくなっている気が致します。
上杉達也さん
150万人ですか? 今までインターネット上で見た数で一番少ない数です。250~550万人だろうと言われておりましたが、最近ではネットで見る限り退会者が増えており新会員も少なくなっている状態だと推察致します。
聖教新聞という機関紙ばかり読まないで。
機関紙(聖教新聞)も洗脳工作ですよ。
聖教の内容信じてたら、笑われてしまいますよ。
日本の人口1億3千万
創価学会員 150万
学会員のポスト毎日3,4部入ってます。
「ご自由にお取り下さい」には10部置いてます。
ozawaさん資源を大切にしたいですね・・・。
僕が創価大学の教授たちを「籠の中の鳥たち」と決めつけたことがお気に触ったようでごめんなさい。
この表現は実は、丸山照雄さんがその著『創価学会・池田大作自滅の構造』(東京白川書院)の中で、60年安保闘争で夭折された樺美智子さんのお父さまが晩年創価大学教授となられたことを批判された際に用いた表現なのです。
でもね、当の創価大学の教授たち自身も、自分たちがどうもやましいことをしているという意識は、さすがインテリなだけあって持っているようなのです。 ↓ ↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku1088.html
ここに登場する創価大学教授・新井直之氏は、夫婦別姓の奥さま・樋口恵子女史ともども、大きな活躍をなさったけれど、やはり生涯最大の過ちは創価大学教授就任だと思います。
「私は創価学会員ではありません。とにかく、まずは私の仕事を見てください」
↑ ↑ 年齢は全然違うけれど、僕は創価大学の某教授とは、共通の恩師をもつ関係です。その彼の言葉がこれです。以前一度だけ、彼を実物で見たことあり。たしかに温厚な好人物でした。でもね、彼の存在は喩えていえば、帝国主義日本の大学である
京城帝国大学や
建国大学(旧満州国)
の大学教授が、個人としては敬愛すべき人物であっても、集団としては、彼らの存在そのものが、日本による東アジア植民地支配の不動の証明であることと同様でありましょう。
個人としての彼らの優れた人格はしかし、組織としての大日本帝国の1930~40年代における罪業を、いささかも低減はしてくれますまい。
僕は日本のいわゆる植民地統治が一から十まで大悪業ばかりだったなどというつもりは毛頭ありません。しかしながら上記2大学のうち、特に旧満州国の建国大学は、日本の植民地支配を100パーセント正当化するための欺瞞的組織であったことを指摘せざるを得ません。創価大学の役割も、似たり寄ったりではないかしら。
創価が大国ですか…(^^;
非創価のお医者さんに一度診て貰ったほうが
よろしいかと。
そーやって‘大国’の庇護のもとで
虚勢張るのは勝手ですけど、
あんま調子に乗ってると
あなたたちこそ籠の中に入っちゃうよ。
もちろん、鉄格子のアレですけど(笑)。
こんばんは。
お返事遅くなって申し訳ありませんでした。
その後、いろいろと情報をお知らせ頂いていたようで、ありがとうございます。確たる証拠があるわけではありませんし、freeさんのおっしゃるように「魔女狩り」のようなことは褒められたことではないので気をつけたいとは思いますが、私の身近にいるとある学会員がプッシュしていた人物なので、今後も注意深く見ていきたいと思っています。
本当、たくさんの情報ありがとうございました。
てんつくマンさんが製作をお志しの映画は、そのタイトルを「天国はつくるもの」というようですね。正統派日蓮宗や創価、正宗を含む日蓮思想の共通用語
娑婆即寂光
(しゃばそくじゃっこう)
を分かりやすい現代語で表現すれば、まさにこのタイトルのようになりましょう。
てんつくマンさんが本当に創価学会員でいらっしゃるかどうかはしばらく措(お)き、このような思想をいだき、かつそのことを公言している人が、近い将来、『第三文明』や『潮』の目にとまり、グラビアページを飾るという可能性は、極めて大きい、と言うべきでありましょう。
ただし、てんつくマンさんが今現在おいだきの思想は、平和問題にせよ環境保護問題にせよ、かつての革新政党の思想に近いものあり。この点、彼が現に創価学会員であるにせよ、今後入信するにせよ、しだいしだいに肩身の狭さや、相容れなさを感ずるに至るのではないかと危惧されます。
てんつくマンさんがもしもまだ単なる「シンパ」であって正式に入会していらっしゃらないのであれば、まず今後数年、あの石坂啓女史がどういうふうに自己の思想(『週刊金曜日』編集委員)と信仰(創価学会)との間で翻弄されるかをよくよく御覧になったうえで、お決めになったほうがよろしいのではないかと存じます。
単なる「籠の中の鳥」である創価大学の教授たち(信徒も非信徒も含む)が今後どうなるかよりも、僕は石坂女史がどのような人生をお歩みになるのか、そちらのほうに遥かに大きな関心を寄せております。
http://blogs.yahoo.co.jp/waiting_matsu/29808460.html
ざっとネットで検索してみると
詐欺やマルチの噂も多いですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/i.cgi/travel/334/1189491278/21-
それでしたら、そのことを書いてみられたらどうでしょう。?さんのように 創価学会を恨んでいらっしゃる方は多いです。
でも罵倒するだけでは何も変わりません。
何故創価学会は危険なのかを訴えることで 少しずつ変わっていきますよ。
?さんが辛く苦しく 創価学会に怨みを持つ気持ちは 創価学会員に酷い目にあった経験のある人たちは皆 共感しています。
小豆島ではてんつくマンアンチの方が増えているらしいですよ。
http://ameblo.jp/national-kid/entry-10058118928.html
小田和正氏は明確なソースはありません。
私は「創価学会員ではない」と感じます。
彼の解散時のエピソードがちらっと掲示板に書いてありましたが、小田氏は入会を迫られて解散したようなことも書かれていました。
自分の好きなタレントが創価学会員だったりするとがっかりして残念に思いますが、好きな部分は応援しています。でも無理な折伏や啓蒙をやっていると出てきたら自然と気持ちが離れてしまいます。
とにかく、ヤバイ組織であることには違いはありません。創価学会は。
「妙法のおまわりさん」や「妙法のNTTさん」もこわいが、今ひとつ、「妙法の法務省職員」も忘れてはなりますまい。私こと10数年以上も昔、法務省のノンキャリア職員と交遊しておりました。
「私のパスポートの色が違っていても?」
とは、あの仲間由紀恵さんが演じた在日3世女性が涙ながらに自己の出自を彼氏さんに告白する際の名せりふですが、僕の友人だった彼は、独特の色をしたそういうパスポートを、どんな芸能人がお持ちでいらっしゃるのか、ニヤニヤ笑いながら列挙してくれました。
『噂の真相』ほか、一部の雑誌が、「この人も在日…」と報ずるはるか以前のことです。あとになってその手の雑誌を見るに、いかにも彼の言ったとおりだったので、背筋を冷たいものが走りましたよ。彼はまた、オフコース解散の裏事情と称するものをも確信をもって語っておりました。
日本の警察も法務省も、時折問題は起こせど、諸外国のそれに比すればはるかに優れた組織であると信じております。ただ、こうした官公庁が、われわれの想像している以上にわれわれの個人情報を所有していること、そして、もしもそういう情報の管理者を創価の狂信者が担当することになれば、そりゃあとんでもないことになるだろなぁ…ということは、強調させて頂きとうございます。
上で私が貼り付けたURLですが、
特に創価と確定しているわけではありませんので、
もし何らかの支障があるようであれば、
コメントまるごと削除していただいて構いません。そのあたりの判断はfreeさんにお任せします。
>やはり臭いですよね。
そーですよね。
ただ、臭いというだけで、何も確証がないもので…。どーしても気になったのでここに書き込んでしまいました。
ところで、小●和正って創価なんですか?
昔はよく聴いていたので、もし事実なら何かがっかりというか…。青春を返せ!って感じですかね(笑)。まぁ、青春を返せというほど聴き入ってたわけでもないんですけど。
オフ●ース解散の理由は、やはり非学会員のメンバーとのトラブルとかでしょうか? サザンの桑田さんは事実上、大森を排除しましたけどね。他にもミュージシャンで創価信者いるんでしょうか? 自分がよく聴いていたのが創価とかわかると、本当、凹みます。騙された感というか、何というか。
僕もくだんのサイトを覗いて見ました。なかなか尻尾を出しませんねぇ…ただ小豆島に住まいながら、島内いたるところにある真言宗の霊場のことにひとことも触れていないのは、やはり臭いですよね。うーん何とか尻尾を出させる方法はないものか。
今いるその場で勝利者に!
こういうスローガンも学会関係の出版物でよく見かけます。僕は生長の家と並んで、創価学会はドメスティックバイオレンスの二大温床ではないかと危ぶんでおります。生長の家では
「たとい夫が荒れ狂っていても、その奥底に眠る実相をおがみましょう」
とか説いている。創価にせよ、生長の家にせよ、人間性に内在する崇高なものを尊ぶ心は素晴らしいが、妻が踏まれても蹴られてもぎりぎりまで我慢した末に、DV夫に撲殺されてしまったら、いったい誰が責任をとってくれるのでしょうか。
終わりに、僕はあの小●和正さんの面前で声たからかに
「本尊模刻!」
と叫び、小●さんの反応を確かめられる機会が与えられるのなら、モウ死んでもいいとさえ思っております。
オフ●ース解散の本当の理由というのも、実は学会関連のことがからんでいる…という噂が根強く流れているものですから、この一言をかつてのリーダーである小田さんの面前で叫べば、彼の示す反応しだいであるいは……。
もちろん、どんな状況にあっても前向きに生きるという姿勢はとても大切です。何もせずに愚痴ばかりこぼしていても何も変わりませんから。
でも、自分を取り巻く悪状況を批判することも、前向きに生きることと同じくらい大切なことだと私は思います。いくら自分が前向きに努力しても、状況がそれらをすべて壊してしまうようならば、その状況を変えない限り努力はひとつも報われませんから。
「どんな悪い環境の中でも自分自身が変われば…」という思考パターンの創価信者って、すごく多い気がします。確か、人間革命でも「周囲を批判するのではなく、自分自身が変わることが大事」みたいなことが言われていたような…。
要するに、これってカルトの典型的な洗脳パターンです。
「自分自身を変えなければならない」
とは、裏を返せば、
「体制批判(教団批判)はするな」
ということですから。
こうやってすべてを自己責任に帰すよう仕向けていく。外部批判は恥ずかしいこと、悪いこと、という意識を巧妙に信者に植え付ける。そうやって教団へさまざまな矛先が向けられることを回避する。
洗脳されている信者の姿を見ていると痛々しいです。
とある創価学会員がこんなサイトを紹介してました。
http://tentsuku.com/
私としては限りなく創価臭がするんですが、どうなんでしょう? HPも不自然なほど3色で彩られてますし。
このてんつくマンという方が創価と無関係ならば申し訳ないのですが、「どんな悪い環境の中でも自分自身が変われば…」という感じ、創価信者によくある姿勢ですよね。
名前とは自分を表しています。変なハンドルも ドリアンさんもご自分のことを言っていることになります。
ドリアンとは「果物の王様」といいながらその異常な臭気のために手を出す人は少ないですよね。でもはまる人ははまります。まるで創価学会のようです。異常な臭気のために「みんな臭い臭い 近寄るな迷惑だ」と言っているのに「いやこれは果物の王様だ、食べたら絶対美味しいから」と薦める人たち。
私は匂いも味の一部だと思いますから、絶対いやですね。そして「その果物 もう腐っているよ」(事実もう腐臭しかしません)って教えて差し上げたくなっちゃうのです。
私はふざけていません。いつも真剣です。
引用する物も 気をつけています。ふざけていると感じるのは どのあたりですか?
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/jiken/kenkyo/jiken.htm#181129
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/haiteku/haiteku31.htm
ということで証拠のためにこのコメントは削除しません。他の方はこの件に関しては書かないで下さいね。
最近は「創価学会ではない」と言って中傷の書き込みをされる方が多いので、「あぁまたか~」と読んでいる人たちも思っています。
もちろんあなたは創価学会の方ではないかも知れませんが、パートナーやご両親が創価学会の方でしょうね。あなた方が書き込めば書き込むほど「創価学会は益々嫌われる」というループに入っています。
私のblogは折伏されたり恋人が学会員だったりで検索して情報を集める「創価学会に詳しくない人たち」が大勢見ています。
ところで中傷については
http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/220.html
嫌がらせ電話で実刑になった創価学会信者さんもいらっしゃることですから、安易にやって人生を棒に振ってはいけませんよ。笑)
宗教は自由
すがるのも自由
どんな宗教でも
迷惑な宗教はある。
この世は自由よ。
あなたの心こそが
創価のような糞な人間よ。
ところで「練馬創価学会の真実」ってどんな団体なのでしょう。ぐぐって見ましたが今ひとつ解りませんでした。
できればコメント欄にはsawasさんの感情や被害、親記事への感想などを書いて下さると嬉しく感じます。
搬送先決定まで15病院拒否 東京・小平の61歳女性死亡
東京都小平市の女性(61)が14日、救急搬送中に15病院に受け入れを拒否されて心肺停止状態になり、約3時間半後に死亡していたことが19日、分かった。
東京消防庁などによると、14日午後5時35分ごろ、女性の容体が悪くなったことから、家族が119番通報。8分後に救急車が到着したところ、女性は意識があり、呼吸や脈は安定していた。救急隊員が搬送先を探したが、15病院が「ベッドが満床」「処置が困難」などを理由に受け入れを拒否したという。15病院の中には女性が同日まで検査入院していた小平市の公立昭和病院も含まれていた。
搬送先が決まり、午後7時25分ごろに出発したが、女性の容体が急変。心肺停止状態になったことから、救命対応ができる立川市内の病院に搬送したが、午後9時すぎに死亡したという。
公立昭和病院は「当直医が重症の入院患者の治療にあたっていたため、受け入れができなかった」としている。
(産経新聞2008.2.19 12:03)参考のため転用しました。
このように、人権を無視し、助かる見込みがある人まで見殺す病院が増えことは、小平市の行政の不備であり、首長の怠慢でもあるのではないか。人の命の尊さは小平市にはないのか。肝心なことを議論・審議せず「反日特定団体」の思惑に振り回された結果が、人権無視、見殺しではないか。(練馬創価学会の真実)
nanaさんは、お変わりになりましたね。
法華経はそう説いていらっしゃいますよね。
私のことまで気に懸けて下さってありがとうございます。
>「ひや~、15万円の翡翠のネックレスだって」なんて家族で笑ってみていましたよ。
お元気そうでよかったです。ちょっと安心しました(^。^;)
私もはねるのとびら見てましたがうちではセラミックのネジの方が話題になりました。アレ、歯科医でもない人が持っていても使いようがないですからね~(^^;
「貧乏男子」見たかったなぁ…。でも「あしたの喜多善男」とかぶってしまったからなぁ…(x_x;)
名無しのロムラーさんからコメントが入ってましたね~。
私も同じ気持ちです。
このところ放棄宣言ではfreeさんのお姿がなく寂しいです。“〇〇のないコーヒーなんて…”という昔あったコーヒーに入れるミルクのコマーシャルみたいに“freeさんのいない放棄宣言なんて…”っていう感じで物足りないような気が致しております。
「ひや~、15万円の翡翠のネックレスだって」なんて家族で笑ってみていましたよ。
「貧乏男子」http://www.ntv.co.jp/binbou/ 主人公が「そりゃないだろう」と言うほどのお人好しで笑えましたよ。
nanaさんが分別がつかないなんて事は全くありませんよ~。
私が‘nana’というハンドルネームを使い始めたのは2006年ではなく2007年からでした。失礼しました。
>こちらに書き込まれた勇気、正直言って頭が下がりました。とてもきつかったと思います。お気持ちは充分伝わりました。ありがとう。
と言って頂いた事で大分、私の気持ちは救われました。
本当にありがとうございますm(__)m
他にも申し上げたい事もありますが、今は何がどうなると事態が改善や悪化させてしまう事になるのか分別のつかない私は発言を控えさせて頂きます。
とにかくfreeさんのお心とお体の健康をお祈りしております。
私が‘nana’というハンドルネームを使い始めたのは2006年の11月からです。
freeさんからあなたの存在は教えて頂いたのですが、私はあなたとは真逆の方向で創価学会の事について書かせて頂いているので、書いている内容を見た人から紛らわしさはそれほどないかと思い‘nana’というハンドルネームで通させてもらっています。
不愉快でしたら申し訳ありません。
またどこかでお目にかかる事もあるかと思いますが宜しくお願い致します。
貴方のblog等あれから拝見しておりませんでした。
創価学会の場合 その活動がどうしても「人から厭われやすい」ものです。でも創価学会員の方はそれをみて「試練だ、信心が試されているとき」と益々がんばっちゃうんですよね。そうして心が壊れていっちゃう。
まずは、日蓮と自分だけを考えて 活動を休まれることを信者の皆様には私はお薦めしたいです。
ハンドル名はnanaさんの方が先であると言うことが解っていますし、ウチにいらしているnanaさんには 有名な?創価学会員のnanaさんがいらっしゃることをお伝えしています。
私は2005年6月からこのハンドルネームを使っているのですが、その方はいつからでしょうか・・・?いずれにせよ、おわびいたしますが、長い間このハンドルネームであり、ブログも持っていますので、ハンドルネーム変更は勘弁いただけないでしょうか?
お気付きのように、このブログや創価学会放棄宣言では既に貴女と同じハンドルネームの非会員、それも創価のためにひどい目に遭われた方がお書き込みです。【仏法は、人の振舞がすべてですものね】と分かっておられながら、どうしてこういう非常識なことをされるのでありましょうか?
これもモウお気付きのように、放棄宣言では目下、
兄弟(けいてい)墻(かき)に
鬩(せめ)ぐ
状況であります。僕はその第一の責めを負う者であるだけに、freeさまや関係者各位に対し、自分で自分の頭をポカポカ殴りたい思いで胸がいっぱいであります。しかしながら、この小さな紛議は、我々一人ひとりの理解と包容とにより、既に解決に向かいつつあります。
相手の家族や所属組織にちょっとした揉め事があると、折伏の好機とばかりヘラヘラと現れるハイエナのようなカルト…僕は怒りとともに、多少の哀れみをさえ催しつつ、貴女と貴女の所属する集団を見ておりますよ。
free様はじめ、皆様お元気そうで何よりです。
こちらの皆様の書き込みを見て、もっと私も頑張らなければと思いました。
仏法は、人の振舞がすべてですものね。もっと人様の幸福を祈り、アンチの方の意見にも耳を傾けて、人間として素晴らしい振舞をしていかなければなりませんよね。
それでは、寒さ厳しきおり、お体ご自愛くださいませ。
えぇ またいらっしゃっていますよ。まとめブログに。うーん「都合の悪いことを一切見ないように」されているので、話が続かないのですよね。(泣
blogをはじめた頃はそんな彼らがどうしても「許せない」と思っていたのですけれど、最近は彼らの悲哀も解ってきました(微苦笑)
友森氏へのコメントに春田の蛙さんの文章を引用させて頂きました。m(__)m
学会問題について共感し合える方とやりとりが出来て、私のほうこそ救われていましたよ。本当にありがとうございます。(深々)
本年も、新参者さんとやりとりが出来る機会を楽しみにしています。m(__)m
ハヌマーンさん、あれあれさん、今年も宜しくお願い致します。
レンジャーは……どうなんだろう? そういえば年末にお城の掃除にかりだされてましたね。自衛隊のレンジャー隊員が。(笑)
日本の場合、常設のレンジャー部隊というのは無いですが。更に関係ない話ですが、グリーンベレーやスペツナズなんかも俗称であって、本当の部隊名とかではないですしね。
freeさん、何か色々なのがまとめブログのほうに来てたんですね……年末年始のご多忙な時に、本当に重ね重ねお疲れさまでした。(涙)
私こそ、助けられているのです。本当にありがとうございました。
変わらずコメント下さった方々にも、私は本当に幸せ者です。今年一年、ありがとうございました。m(__)m
ご無沙汰しております。
新参者です。
しばらくこちらからは足が遠のいておりましたが、freeさんは元気にお過ごしでしょうか。私のほうは毎日元気にやっております。そして相変わらず創価学会員との闘いに精を出している毎日であります(^^)V。
今年は大変お世話になりました。私の他愛のない書き込みを毎回きちんと読んで頂けたこと、また欠かさずお返事を頂けたことなど…、freeさんの存在は私にとって心の大きな支えのひとつでした。心が折れそうになった時にこのブログに助けていただいたことは数えきれません。
本当に、ありがとうございました。
きょうは本年お世話になったお礼を申し上げたく、コメント欄を利用させていただきました。
またしばらく日時を置いて、あらためて書き込みのほうも再開させて頂きたいと思っています。
freeさん。春田の蛙さん。そして皆様方へ。
「どうぞ、よいお年を」
#春田の蛙さん
私も時間ガッツリ取れたら春田さんのサイトを読みたいと思います。
なぜか子どもの頃から仮面ライダーよりなんとかレンジャーの方が好きでした。
なんとかレンジャーのレンジャーって、陸軍からきてるのかしら。ふと思ったり。
#あれあれさん
褒めすぎですよー(照)。
照れるけど、気分イイものですね(笑)。
主体性ゼロって的確な一言ですね。
それだ!私の、カレの不満な部分って!
と読みながら、ピンコーン。
#freeさん
携帯からだとリンクが出ないので、また改めてパソコンから再掲記事、読みたいと思います。
>freeさん、以上あくまでも
敵ながらあっぱれ!
という思いも多少こめて筆を執りました。御不快にお感じになったらお許しくださいませ。以後慎みますから。
創価学会の宣伝行為でなかったら全く不快になりません。あれあれさんは私にやんわりとご忠告下さったのかも知れませんね。
ところで、創価学会放棄宣言復活しました。これはあれあれさんと春田の蛙さんのやりとりを拝見していて、自分に何かできることは?と考えた結果です。
あれあれさんもご協力下さいね。
お名前を間違えて恥ずかしがっているハヌマーンさん、とても可愛かったです。
ちなみに私は特撮物も結構好きです。そちらのブログにも、時間が取れたときに是非コメントさせて頂きますね。ありがとうございます。
>あれあれさん
>人間ドラマは人間ドラマとして評価すべき点もあるけれど、やはり学会にはこれ以上大きくなってもらっては困る。排撃すべきは排撃せねばならぬ。そんな思いでおります。
一言一句同感です。私は2chで、まさにそのような思いで書き込みをしております。
そのために、今はネットでの時間を大きく取られておりますが、そちらが落ち着いたら、
また親鸞会被害家族掲示板でのあれあれさんの活動にも、ご一緒させて頂けたらと希望しております。
さて、本題。創価学会で御利益があった! 感謝! とひしひし感じている人もいることでありましょう。そうでなければとっくの昔に信濃町はゴーストタウンと化していることでしょう。
昨年11月末日の『聖教新聞』御利益特集記事で「彼」を見かけ、学会嫌いは学会嫌いのままに、元気な「彼」の今を嬉しく思いました。自分で起こしたクリニックでは生来の謙虚な人柄が発揮され、強引な折伏は決してやっていないようであるし……。
1982年、青年医師の、しかしわずか20歳にして頭がつるっぱげになった「彼」は、創価学会信者の医者ばかりが寄稿した文集で、
「何も要らない。ただ髪の毛だけが欲しかった!」
と名言を吐いております。突如、つるっぱげになった名古屋市大医学部生20歳の「彼」は、一時は自殺も考えたけれど、実の兄上に勧められて学会へ入信。
毎日ずうっと南妙南妙しても髪の毛は全然生えてくる様子なし。ところが「彼」は、
「禿げは禿げでいいじゃないか!頭が禿げても俺は俺、だ。日蓮大聖人がおっしゃった【桜梅桃李】のみ教えが、ひしひしと実感されました。学会よ、センセイよ、ありがとう!」
こうして「彼」は、癌で死にそうな青年を折伏…おおっ、いけませんね~。しかし、彼の手記を読んだ限りでは、困った人の足元を見るような宗教押し売り行為は、これだけのようです。
↑ ↑ 狂ったように南妙しても、駄目なものは駄目ということをはっきり明記している点で、「彼」の手記にはまだインテリらしい、医師らしい良識と理性とが認められます。ただ、その彼にして、救われた喜びを死にそうな患者の青年へ医者の立場を悪用し、押し売りしている。
人間ドラマは人間ドラマとして評価すべき点もあるけれど、やはり学会にはこれ以上大きくなってもらっては困る。排撃すべきは排撃せねばならぬ。そんな思いでおります。freeさん、以上あくまでも
敵ながらあっぱれ!
という思いも多少こめて筆を執りました。御不快にお感じになったらお許しくださいませ。以後慎みますから。
おふたりのお返事を自分のブログで書きました。
もしよろしければ、そちらで語り合えればと・・・。
ハヌマーン
深津絵里さんが先般、女性の身で三蔵法師を演じたので中国では反感を買いましたが、『ラーマヤーナ』も、外国人がへんな演技をするとインド人が憤慨するそうであります。主人公の王子王女のみならず、【ハヌマーン】についても同様であります。ハヌマーンさん、名前負けせぬようしっかり!
東佑介さんという方が京都の平楽寺書店さんから出した『大石寺教学の研究』という薄いけど高くて難しい本あり。
彼女さんが創価学会信徒で、なんとか恋を成就させようと頑張ったものの別れる結果となり、その涙の中から、創価学会の教義の基礎をなす日蓮正宗について、いろいろ研究なさったものです。創価学会といい、日蓮正宗といい、どうも信用のおける歴史や教義をもっていないということが、彼の出した結論であります。
この本の内容は、決して分かりやすいものではありませんが、序文が泣かせます。どこか大型の図書館で見つけてここだけでもコピーしてください。きっと励みになりますよ。
貴女の恋、楽観は許されません。御不興を買うかも分かりませんが、本当のことを申します。しかし貴女ならば結果がどうなっても、自己の血肉となさることと存じます。頑張らない程度に頑張ってくださいね。心より御健闘を念じ上げます。
わわー。お返事があるー。嬉しいです。
春田さんのレス読んでお返事で書きたくなったことがワサッと出てきたので(笑)、自分のブログで書くことにします。
(なんとなく他人のブログで長いやり取りになるのが苦手なんです)
あと、名前の由来についても、書きます。
っていうか・・・
私、わたくしっ!自分の名前を間違って記述してますわっ!
はずかしー。はずかしー。
伸ばす部分はマとンの間。ハヌマーンです。
なんじゃ、ハヌーマンって(汗。
なんとか戦隊ハヌーマン!みたいじゃないですか!
ハヌマーン
言われるインドの神様ですね。素敵なHNだと思います。
>そんな中で私が「こういうスタンスでモノが書ける人ってイイナ」と思った、最初の出会い人がfreeさんでした。
>このブログは私の出発点です。
>出会えてよかったです。
このお言葉を拝見して、何だか自分のことのように嬉しく感じました。
そうなんですよ、なのに酷いバリアンチみたいに言う人が居て、私は悔しかったのです。
ハヌーマンさんのように分かって下さる方がいて、横から見ている私も救われた心地がします。
そちらのブログ、ちょっと拝見しましたが、早速瓦解さんがコメントされてますね。
創価瓦解さんは、頼りになる方ですよ。よかったですね。
……それにしてもあの人、学会関連のブログのチェック本当に素早いなぁ。(汗)
はじめまして。
私は2世の男性と出会い、なんとなーく仲良くなってきていて、
そこで「創価学会」について自分なりに考えてみよう、と悩んだり葛藤したりしている女子です。
しばらくは
「創価学会と聞くと沸き起こる自分の感情について自分で素直に向き合おう」
という作業をしてたのですが、
最近、その男性となんだかギクシャクしてて、変な状況が続いて、
それで
「これはもう自分の感情うんぬんだけでは対処できない!」
「本腰入れて創価学会について調べてみよう!」
と思ってネットで探し始めて、freeさんのブログに出会いました。
ただただ創価学会を糾弾するような掲示板やブログは私の性に合わなくて、叩き合いしているやりとりを見るのが辛くて、
そんな中で私が「こういうスタンスでモノが書ける人ってイイナ」と思った、最初の出会い人がfreeさんでした。
その男性とギクシャクしている要因が創価学会なのかすら、今の私にはよくわかっていません。
ただ、一緒に居る時、創価学会はいつも彼の後ろに見え隠れしてたし、私たちの関係に横たわっていたことは、わかります。
「創価学会のことをこんなに調べたところで何になるんだろう?」
と思うこともあります。
「私なりの見解が言語化できるようになれたらいいな」、
と思いながら、私も文字で表現することを選んでみました。
freeさんのこのブログを私のブログでリンクはらせて頂いてもよろしいでしょうか。
ここにコメントしてよかったかな?
これからも読み返しにきます。
このブログは私の出発点です。
出会えてよかったです。
ハヌーマン
しかるに大作センセイの場合は、洗脳された信者がうっとりと聞き惚れている。ここに大きな問題ありと存じます。
私には詩心は全くないのですけれど、彼の詩は「よくわかんなーーい」と言う感想しかありませんでした。
金の扇子を振りながら機械体操のように踊るセンセイは微笑ましいですけれど、それに心酔している方々のお顔を拝見すると「やっぱり怖い」と感じます。
シェンケビッチの傑作「クオ・ヴァディス」の終わりのほうの一節であります(映画にもなっている)。日本をめちゃくちゃにしながら、平然と詩のようなものをがなり立てている大作センセイはまさに現代に甦った暴君ネロではないでしょうか。ああっ。
創価学会は世界支配を企んでいたというのは同意します。ただ、米国SGIは力を無くしております。
米国副大統領になった人が SGI信仰を持っていたという事はあり得ますが、池田大作氏の密命を秘めてアメリカに渡って副大統領に「意図的に」なることは難しいと感じます。もちろん、そんな策謀はあり得ます。
我が愛すべき創価学会はけっこう 色んな事がへたくそです。^^ もっと洗練され上手くやる術を持っていたらすでに世界は彼らの手中にあるでしょうね。噂や憶測に過ぎませんがフリーメンソンのように。
創価学会、公明党にNOは同意ですので、自分の出来る範囲で声をあげていきます。
世界を支配しているのはアメリカである。
↓
アメリカの権力者は大統領だ。
↓
大統領を実質的に動かしているのは副大統領だ。
↓
アメリカ創価学会から副大統領を出せ。
という池田大作の命令が出ているとのことです。
日本のみならず、世界支配をたくらんでいるようです。
宗教の仮面をかぶった、極悪全体主義集団の暴走を止めなくてはなりません。
日本の平和、世界の平和のために池田創価学会の資金力、労働力を断ち、
この団体を衰退させることが本当に必要となってきました。
創価学会、公明党撲滅のために皆さん、立ち上がりましょう。
>よく観察されていらっしゃいますね。^^
別に観察しているわけではないのですが、他の人たちなら普通の対応をされるのに、創価信者に限って急に黙り込んでしまったり、いかにも関心なさそうな表情を露骨にしたりするので、それまであまりにも饒舌だった分余計に目立つのです。^^;
あと、私がアンチだということを知っているから特別そんな反応をするのかもしれませんが…。
とにかく、あの人たちは付き合い辛いです。また、それ故に創価信者同士で群れるしかないといった面もあるのかもしれません。
あ すみません、誤解させてしまいました? 何回かメッキという言葉で創価批判をされているのを見たと言うだけです。せっかくの詩に 水を差すように感じられたら本当に申し訳ないです。新参者さんの詩には 現社会で我慢させられ押さえつけていた感情のほとばしりを感じておりました。
>自分の知らない話を他人がしはじめると、どういうわけか劣等感を刺激されるらしく、すごく不機嫌な表情をする人が多いです
よく観察されていらっしゃいますね。^^
なるほど劣等感がいろんな引き金になりますよね。
>、「創価学会にもいろんな人が…」「一部の信者の言動のみから…」といった反論は、創価学会信者に圧倒的な確率でこの類の人間が多いことの説明
いい人が居るから批判を控えろっていう切り口でアンチを攻撃する人がいますが、「創価にもいい人が居る」と「創価学会の迷惑行為」は全然別の事柄です。
そして彼らが「いい人」というのは、「自分たちに害を為さない人、攻撃しない人」の意味なのです。
本当の意味の「いい人」は その人にとって悪いことは攻撃しても非難しても やめさせるだけの強さがある人なのですけれど。
彼らも法華経を持たせるために少々手荒なことをしても良いという「方便」を使っているのに、そんな初歩的な人間考も出来ない人が多いですね。(ため息
今日はとても天気が良いですね。それだけでも何かすごく気分が晴れ晴れとします。
ところで、
「メッキ」という言葉は、一般にニセモノの代名詞として使われているので、私はそれと同じ意味で創価学会信者に対して使用しただけで、アンチの間で創価学会信者を指す言葉として一般的に使われているのかどうかは、私はよく知りません。
創価学会信者を見ていると、「自分をやたらと大きく見せたがる人」がとても多い気がします。たとえば、自分の人間としての大きさが「5」だとしたら、それをいかにも「30」であったり、あるいは「100」であったりするかのように見せたがる…というか。
そしてそのために一生懸命に「俺は(私は)凄いんだ」みないな話を吹聴して。自慢話をひたすら続けて。で、他人の姿に自分にはない優越性を見るや否や異常なほどの嫉妬心を露骨に露にして、相手の話にいちいちケチをつけたり、裏で足を引っ張ったり。
基本的に創価学会信者の人って、自分の話は得意げにするくせに他人の話にはほとんど関心を示しません。
特に、自分の知らない話を他人がしはじめると、どういうわけか劣等感を刺激されるらしく、すごく不機嫌な表情をする人が多いです。
で、当然そんなことが続けば相手から嫌われるわけですが、なのに創価信者は自分の言動を反省するどころか、あくまで悪いのは自分を嫌う相手の方、というスタンス。相手を悪者に祭り上げるために「揚げ足取り」「レッテル貼り」といった工作活動に精を出しはじめます。
ホント、不幸な人たち…(^^;
創価に対する批判としてこういう話をすると、信者は金太郎飴のごとき(おそらくマニュアルか何かがあるのでしょうか?)お決まりの反論。
「創価学会にもいろんな人がいる」
「一部の信者の言動のみから全体を決め付けるな」
確かに、創価学会は非常に大きな組織ですからそりゃいろんな人がいるだろうと思います。そして創価信者ではなくても同様の人間はたくさんいるでしょう。
でも、あくまで私の周囲にいる創価学会員を見た限りでの判断に過ぎませんが、上に書いたような人間が創価学会信者には圧倒的に多いです。
よって、「創価学会にもいろんな人が…」「一部の信者の言動のみから…」といった反論は、創価学会信者に圧倒的な確率でこの類の人間が多いことの説明(言い訳)には全くなっていません。
あの人達ってメッキって言われますよね。
何回かこの表現を使って 創価を語る人を見たことがあります。
私は「真剣」で「覚悟」があり「責任」を取れる人が好きです。それ以外の人はどうでもいいやって思っちゃいます。
メッキで自分を金ぴかに飾り立てたい人とは 付き合うのが面倒だと思っています。
またメッキをメッキって見抜けない人ともね。
春田の蛙さん
お疲れ様です。
>freeさんが道を照らして
こ これは とんでもありません。私はインターネット界の他の方々から教えられて やっと後ろをついて行っていると思っています。(汗
「彼 彼女の信仰を尊重しろ。信念を語らせろ」って言われますが、「それは信仰ですらない」「あんたらの信念って 私はいい人だよ~人気者だよと宣伝したいだけだろう。真剣にやっている私らには邪魔なんだよ。【自分達だけでやっている分には自己満足で関係ないけれど】わざわざこっち側にまで来て巻き込むな」っていうのがワタクシの本音です。はい(笑
>うわ、2chでのことも、ご覧になっておられたんですね。(^^ゞ
いえ 流れが速いし前スレ読んでいませんし、いろんなコテが錯綜しているので良くわからない!のですけれど、結局誰かが自殺したらしいだのそれは ○○さんの粘着叩きが原因だと。でもよ~く見てみると 自殺しましたと宣伝する人の嘘が原因で創価信者さんが それを一生懸命擁護して○○さんを叩いているだけに見えました。そこにはウラでの 信者さん達のメールやオフでのネットワークが存在していて まぁあの方々は良くつるむこと。(^^;
多くいる方が正しいように見えるけれど、本当に読解力がある人たちはそんなことには騙されないのですけれどね。
ですね。大方問題の根は出尽しましたね。同感です。
>2chでも鋭い人や創価問題を見てきた人たちは気がついてきています。同じような問題も見ますね。
うわ、2chでのことも、ご覧になっておられたんですね。(^^ゞ
私はあっちのスレッドにも少し関わっていますが、本当に同じ種類の問題だと思いました。
ちなみに◆Bwr5tJDUMcさんの書き込みを、ご紹介頂けてここでも読めるのが私も嬉しいです。
本当に、いつも的確なご意見に感服させられますよね。
頼もしい論、鋭い視点とユーモアにも惹き付けられます。
ちなみに◆Bwr5tJDUMcさんとは、「空気を読まないゲテモノネタ」のゲテモノ同志だと、勝手に自認しております。(笑)
そんなそんな、そう言われてしまうとこちらの方が、何とも身の置きどころが無いほど恐縮ですよ。
これはむしろ、私自身の償いやケジメのためにやっていることであって、
それが孤独な作業で無いのも、道を見失わずに済んでいるのも、freeさんが道を照らして下さっているお陰なのですから。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1168911339/939-
とりあえずの取っ掛かりとして、まず↑を書かせて頂きました。
まだまだ不十分ですけど、彼らがよく振りかざす「信仰を尊重しろ」という決まり文句に対し、
皆さんが一方的に悪く感じたり黙る必要は無いということは、分かり易く書けたのではないかと思います。
これ、おそらくみきさんやプルートさん、他にも創価学会員との恋愛や結婚問題に悩まれた方が、もう散々言われてイヤな思いをした部分じゃないかと思うんですよね…。
一見正論に聞こえるから、とっさに反論出来ないし。そういう事で悩む自分が悪いのか…心が狭いのか…と思わされて、苦しみを吐き出すことも出来なくされてしまう。
ですからまずその部分から、書かせて頂きました。
これを準備してる間、実はみきさんが、最近こちらや「創価学会体験記2」に残しておられたコメントは、気持ちの支えでしたよ。みきさんも本当にありがとうございます。(深々)
で、こちらを覗いてみると新参者さんのナイスタイミングなコメントが。そうそう、メッキなんです。
私は↑のリンク先のテキストで、「彼らがダイヤモンドだと言ってるのは、実はキズモノのビー玉」という表現を使ってますが、同じことが言いたかったんですよ。つまりは偽物、紛い物ですね。
たくさんの人に迷惑をかけて、同じ過ちを繰り返す。そんなことをいくら繰り返しても満たされない。そして満たされないから繰り返す。
不幸の悪循環を撒き散らす彼ら自身が、本当は一番不幸。おっしゃる通りだと思います。
所詮、メッキはメッキ。
巧みな話術や集団の力によって
周囲を上手く欺けたとしても、
それでメッキが純金に変化したわけではない。
所詮、メッキはメッキ。
豪華なメッキを塗りたくったところで、
所詮、メッキはメッキ。
他人は欺けても、
自分自身を欺くことは絶対にできない。
だから、
一生、晴れぬ心のまま生きていく。
自分を、
そして創価学会を批判する人の人生を潰しても、
また幾つもの恨みを買っただけで、
自分の心の闇が消えるわけじゃない。
他人を欺くことはできても
自分自身を欺くことは絶対にできない。
所詮、メッキはメッキ。
世界でいちばん不幸な人たち。
人生を潰され、
夢を奪われ、
悪評を立てられ、
好奇の目で見られる人よりも、
実はその何百倍、何万倍も不幸な人たち。
所詮、メッキはメッキ。
健全な心を持った人間には勝てない。
春田の蛙さん お忙しいのに、またまた大変な思いをさせてしまいました。スーパーマンのように頼ってしまいがちですが その陰で蛙さんがどのような努力をしているか考えると、色んなお願いをして縋ってしまった私は悔やみます。
けれど、私はもうゴールは近いのではないかと感じているのです。膿は出尽くした感があります。2chでも鋭い人や創価問題を見てきた人たちは気がついてきています。同じような問題も見ますね。
◆Bwr5tJDUMcさんの発言ですけれど(勝手に引用)
>攻撃すべきは層化本体だろが。MCで苦しんでいる奴ばかり言動責めてどうすんの?
「バリ活」とか「バリ会員」と呼ばれるような、もう創価こそ絶対正義!みたいな人はカルトの 尖兵のようなものですから、組織の悪い面を体現しているようなバリ会員のレスが批判されるのは 当然だと思います。バリ会員のような高いテンションではなく、組織にいろいろ疑問を抱いている (特に大きな疑問をたくさん)状態の信者が「MCで苦しんでいる奴」ということになるのかもしれません。その場合、組織に対する批判を見聞きするとカルトスイッチと言いますか、疑問から 目を背けてカルト側に逝っちゃう場合もあるでしょう。そうなると言動(の一部)がバリ会員に 似てくるわけですよ。その信者は信仰心とカルトに対する疑問との狭間で苦しんでいるのかもしれません。
その苦しみを考慮したり、カルトから抜け出す過程を見守ったりすることも大切なことだと思いますし、 どんな場合でも必ず批判しなければならないというわけではないとは思いますが、構成員あっての組織ですし「組織に対する疑問を抱いていること(或いはそれに苦しんでいること)」が免罪符に なるわけでもないので、やはり問題ある言動は批判されても仕方ないのではないかと。その批判の度合いや内容をどうするべきなのか、これはとても難しい問題だと思いますよ。(勝手に引用終わり)
キヨさん、お読み頂いてありがとうございます。m(__)m
freeさん、ご紹介ありがとうございました。私もちょっとバタバタしておりまして、
こちらにも顔を出せずご無沙汰してしまい、申し訳ないです。(深々)
この問題については、freeさんをはじめ大変に迷惑を被り、深い傷を負わされた方がおられ、
たとえ被害者側の立場からであっても、個々の事情に触れて蒸し返すことは躊躇する、深刻な問題です。
そしてむしろ加害者側の方が、創価学会的な思考の特徴やその影響から、
平気でズカズカと相手の傷口に踏み込むことが、更に問題を深刻に根深くさせています。
ですが、freeさんの仰っておられる通り「何が問題なのか?」、そして「何故そうした問題が起きるのか?」
については、個々の事情を離れた一般論として分析し、明らかにすることが可能です。
またそれは、創価学会問題と言われるものの核心でもあり、あちこちで深刻な問題を引き起こす元凶でもあります。
私も少しずつではありますが、その分析を準備中です。
そして個々のリンク先が読めなくても、問題の本質を分かり易く掴めるよう、内容を工夫しているところです。
私も時間を掛けて書いていく予定ですので、freeさん、皆さん、宜しくお願いします。m(__)m
謝って頂きかえって恐縮です。スミマセン
キヨさんは前向きで元気な素直なお嬢さんですね。
創価問題をずっと扱って汚濁にまみれた私にはちょっと心配です。キヨさんの創価問題を語り尽くしたら 創価学会から距離を置いた方が幸せになる気が致します。
URL見て頂いたのですね。いろんなリンク先に飛び 時間もたっておりますので解りにくいでしょう。一度きちんと総括しなければなりませんが、まだ私も立ち直っておりませんし、火の粉が再燃するかも知れませんのでまだまだ難しいです。
ただ、「何が問題なのか?」は きちんと訴えていく必要があると思います。時間をかけて書いていく予定です。
先日は丁寧なコメントありがとうございました。
リンク先読ませて頂きました。
まだ大まかにしか事態を把握できていないのですが
(そのゴタゴタを引き起こした方の過去のブログが見れないため)
freeさん方のお気持ちお察しできず相互リンクを依頼してしまい
申し訳ありませんでした。
>キヨさんもblogをはじめて、色んな苦悩をこれから味わうかも知れません。
>そんな時は遠慮無くなんでも仰って下さいね。力不足でしょうが、
>私を含めて数々の先輩達がコメントを寄せて下さると思います。
はい、ありがとうございます^^
私も学会を止めた身ですが、これから様々なことがあるかもしれません。
いつでも冷静に対処できるよう、真剣に考えていきたいと思っています。
まきさん
体験記2にもコメントを頂きありがとうございました。
まきさんが苦悩し傷ついた心を 発散し癒すために良かったらなんでも書き込んで下さいね。
彼らはテーブルの下で足を踏み続けて「足を踏んでいますよ」と注意しても「あれ 足を踏みましたか?」と言いながらまだ 足を踏み続ける図太さがあります。そうして「足踏んでいるんじゃ、いいかげんにしろよ」って怒ったら ここぞとばかり「あの人って怒ってばっかりいて、アブナーいい」と周りに宣伝することがとても上手いですね。たくさんの事例を知っております。
そんな傷ついた方々の憩いの場になればいいと思います。
新参者さん
私が居ない間に、まきさんにもお言葉を書けて下さり本当にありがとうございました。^^ また新しい絵文字があったのですね、私よりgoo詳しくなっていらっしゃいます。
あいさん
少しずつ変わっている気が致します。
まだまだ芸能界は創価学会が強いのかも知れませんが、インターネットでは 「創価学会にNO」を言い続けた結果、確実に変わりました。
ご自分を信じて芸を磨いて下さい。今創価に頼ってテレビに出まくっている人はもう、淘汰されるでしょう。心から応援しています。ご自分が創価に入信しなかったからとチャンスを潰されても、それでも自分のを信じて芸を自分を 高めて下さい。汚いことずるいことそれを見て それに流されず強く生きる あいさんに絶対マイナスにはなりません。強い意志と強い心が絶対に外に現れます。
心から応援しております。
わたしは将来、芸能系の仕事に携わりたいと思っておりますが、創価を拒むということは人生を捨てると同じことだ、という事実を突き付けられ、今の日本が信じられなくなりました。
自分の夢にも突き進むことが出来ないなんて。。
信じられませんね。
まきさん、はじめまして。
新参者と申します。
>創価の人は平気で人のいやがることをできるよう
>です。宿毛の人にだまされました。御荘出身です
>が。
>でも、奴等には、それは”勝利”なので、相手の
>ことなどどうでもいいのです。
人の不幸が勝利だなんて、ホント、どう考えても異
常な人たちです。
私の身の回りにもいます。そういう素振りを見せる
信者が。
私がアンチなのを知っているから普段は露骨に無愛
想な態度を取るくせに、ある日突如、もの凄く愛想
良く振舞ったりするのです。
で、そういう時は大抵、私に何か災難があった時と
か、相手が陰で何か操作をしてこちらに何らかの損
害を与えた時です。決まってそうです。
そういう信者の様を見ていると、ホント、心の貧し
い人だなぁ…と感じます。とても嫌な気分になります。普通の感覚を持った人ならば自己嫌悪に陥ると
思うのですけど。
最近の風潮として金さえあればいい、金儲けするためなら何をやってもいい、金を持っていれば偉いんだ、といったものがありますよね。
でも、幾ら金持ちになったところで、周囲には友達ひとりいない、人間関係はすべて利害関係、挙句の果てには悪事を暴かれ刑罰を受け、社会的制裁を受け…。これじゃあ、とても幸せとは言えませんよね。
創価学会の信者たちの、自分さえ良ければ他の人間がどうなろうが知ったこっちゃない、というスタンスにはこれと同じものが垣間見えます。
心が無いです。
創価の人は平気で人のいやがることをできるようです。宿毛の人にだまされました。御荘出身ですが。
でも、奴等には、それは”勝利”なので、相手のことなどどうでもいいのです。
行動原理が創価思想にあるのがよくわかりました。
心が汚いです。
祈っていれば願いが叶うそうです。だから題目を唱え、日蓮正宗を呪っていて、その結果、正宗の代表は苦しんでいるそうで、それが創価の力だとか、仏法はすごいと言っていました。
さぞ勇気がいったことでしょうね。キヨさんもblogをはじめて、色んな苦悩をこれから味わうかも知れません。
そんな時は遠慮無くなんでも仰って下さいね。力不足でしょうが、私を含めて数々の先輩達がコメントを寄せて下さると思います。
それから上のurlはこちらの方が良いかもしれません。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1168911339/
何が問題なのか? No927位から話しております。
もしもキヨさんが気づかれた点がありましたらご遠慮なく、ここでもURL先でもコメント下さい。
せっかくの相互リンクと言うことですが、私は今しばらく遠慮させて頂きたいと思います。というのが 昨年末から色々とゴタゴタがありまして、そのゴタゴタの原因を引き起こした方がキヨさんのリンクに貼られていらっしゃいます。私はたくさんの深刻な悩みを抱えた方の相談を聞いてきました。それらの方々にはもうこれ以上傷ついて欲しくありません。
キヨさんにはまだお解りにならないかも知れません。
http://jbbs.livedoor.jp/study/5753/#10
を参照下さい。
私は「創価学会の私と無宗教の彼」というブログをしております
キヨと申します。創価学会の私、とのタイトルですが、
私は現在完全な無宗教です。本日は相互リンクのお願いに参りました。
私も現在は情報を得るのはほぼ100%インターネットです。
新聞(聖教新聞は親が払ってとっていますが、全然読みません)も
テレビさえも見ません。テレビは朝、天気予報を知るために見るか、
本当に見たい番組でしかつけません。
ニュース・調べ物・料理のレシピ探しなど全てネットです。
(単純にネットサーフィンが好きな性格です(^_^;))
>益々これからの世代、インターネットで発信される情報は
>より一般的な世論へと近づいてくる。
私もそう思います。
ネットはリアルタイムで情報を取り出せますし、
そこには生の声がとても入っています。
これからはネットの情報の価値(一般的な世論へと近づいてくる)
は益々上がってくるでしょう。
>インターネットの書き込みを全て嘘だと信じないのも自由だが、
>これほどの迷惑行為の書き込みがある現実を受け入れず、
>何の改善も出来ない創価学会には未来は無いであろうことは断言できる。
そうですよね~・・・
それに大事なのは、その情報が正しいか、正しくないかを見極める力
でもありますよね。信憑性が無い情報もいっぱいありますし・・・
でも、「迷惑だ」と感じてブログを立ち上げた人々が、
全員嘘を言っているなんて、絶対に有得ないですよね。
(むしろブログを書いてゆく労力を考えると、
ほぼ全員が本当に迷惑だと感じていると言えます。)
学会員の方は、認めたくなくても認めざるを得ないと思います。
>相変わらず、言葉が足りない私ですが
そんなことはありませんよ。
なんとなく、自分を追いつめてしまう発言が多い気が致します。ですが、みきさんは今のままでとても素敵で勇気ある誠実な、魅力溢れる人ですよ。
私はみきさんを心から信頼していますし、できたよさんにみきさんが贈って下さった最後の言葉をとても嬉しく感じていました。
ではちょっとにやってしてしまった話を
ちょっと前から有名な脳内メーカー http://maker.usoko.net/nounai/
「池田 大作」の脳内は?
全部 お金でした。
相変わらず、言葉が足りない私ですが
freeさんがほとんど的確に表現してくださいました。
関わった方が、罪悪感にかられたり、無力感に悩む
展開が繰り返されています。
>「放棄宣言」も「考える」
>みんなで語り合えるブログが、今春以降、どんどん少なくなってしまい
おもいやりのこころさん、シナプスさんのお気持ちは 聞いております。私も大変残念でしたが、お二人の掲示板管理の大変さを思うと引き留めることは出来ませんでした。
ブログが少なくなったこと、あまり他の方のblogまでは拝見しておりませんでしたので、認識しておりませんでした。
ブログという性質上、自分の事を語り終えたら自然と更新が滞ります。私もそうでした。
そうなると、コメント欄が掲示板化していきます。
これは、掲示板管理能力がない方がblog主だと悲惨な状態になってしまいます。淘汰されていくでしょうね。
また自分のことを語り終えると、いつまでも創価学会にこだわっていることが馬鹿馬鹿しくなります。余暇を実生活の勉強や趣味に充てていくことで充実した人生を歩むことを選択される方々もいらっしゃいます。
あれあれさん、私も創価問題OBときさくに話し合えるサロンのようなところがあればいいと思いますが、創価を卒業した人たちがいつまでも創価学会を引きずらなくても良いかとも思っています。
>現在以上ににぎやかに、しかもバリバリさんからの妨害が格段に減った状況で、皆さんと創価を語れるときが来ることでしょう。静かに心の火を燃やして参ります。
この「体験記」が妨害もなく そのような場所になりましたら嬉しいのですが、管理人がイジワルですから「にぎやかに」は難しいところです。(笑)
私情を捨てて、認識できれば前に進めます
私情を捨てることができれば、「そんな人とは別れなさい」で済むのですけれど、みんな柔らかな心を持った人間ですからね。病気になるほど食事も睡眠も取れないほど、考え泣き暮らしてしまう人が多いです。
「どうして私の言葉が通じないのか」「私が創価学会員になれば彼を引き留めることが出来るのか」「創価学会なんて無くなればいいのに」ぐるぐる、ぐるぐる考えてしまいますよね。
「愛した人が創価学会員」その不安、何故創価だと嫌なのかを真剣に考え、共有してくれる恋人だと希望がありますけれど、「創価の素晴らしさを解らないお前が悪い」と切り捨てる方もまだまだ 沢山いらっしゃいます。
「私情を捨てるため」にみんな、【必要以上に】苦しみます。「私の偏見のためだろうか? 私の選択は間違っているのだろうか」と。
そんなことは決してないのです。それはその苦しみを乗り越え、光が差した時に「自分の選択は間違っていなかった」と確信できるでしょう。
みきさんへと書きながら、創価学会員との恋愛に苦しむ方々へのメッセージになってしまいました。(^^)ゝ
本当におなつかしい限りです。まずは元気で過ごしております。「放棄宣言」も「考える」も、僕の人生の貴重な一部です。もちろん、ここ「体験記」も。
みんなで語り合えるブログが、今春以降、どんどん少なくなってしまい、本当に残念です。今はしかし、たとえていえば、ベルリン陥落直前のナチスか、硫黄島玉砕直後の大日本帝国といったところでしょう、あちらさんは……。
やがて、現在以上ににぎやかに、しかもバリバリさんからの妨害が格段に減った状況で、皆さんと創価を語れるときが来ることでしょう。静かに心の火を燃やして参ります。どうか今後ともよろしく。
お久しぶりです!
コメントありがとうございます。
しんどかった時に的確な声をかけてくださる
蛙さんやfreeさんに随分助けられました。
(freeさんコメント欄お借りしました)
言葉足らずで、ご心配をおかけしてしまいました。
今回の記事、とっても頷けるんです。
特にNさんの仰る事は、創価学会員と向き合うと
嫌でも大なり小なり感じる無力感です。
freeさんの仰るように、できるだけ忘れて
関わらない事が最善の対処です。
創価学会員の現実を認識する能力の低さを
私情を捨てて、認識できれば前に進めます。
蛙さんがいて下さったら、もっとNさんのお気持ちをほぐせたのにな と残念に思いました。
彼女が苦悩の末 出した決断、そしてそのメールのこの文章を読んだ時に、私の心を強くゆさぶりました。
そこに至るまでに、現実を見ない彼の分まで、二人分の辛い現実をNさんが見ることになったのだろうなぁと感じてしまいます。
あちこちで、何度も何度も繰り返された悲劇ですね…ただただ「お疲れさまでしたね…」と、それしか申し上げられません。
ところで取り急ぎですが、みきさん! 本当におひさしぶりです。
お元気ですか? ご無沙汰しております。m(__)m
Nさんと同様の道を、みきさんもきっと歩まれたのでしょうね…
こうした記事を読んでも、「本当に反省すべき人たち」は何のかのと言い訳をしてしまうのに、
その分みきさんのように自分自身を振り返って、反省してしまわれる方がいるのは、何だか不公平だと憤りさえ感じます。
ご自分を責めていませんか?
みきさんのこと、とても心配です。
何か辛いことがありましたら、何でも書き込んで下さいね。みきさんが色々と背負わなくて良いのです。
出来るだけ忘れて 幸せになって下さい。
記事でご紹介したNさんもblogをはじめると仰っていたのですが、この問題に真っ向から取り組むと非常に傷つき、Nさんの傷が深くなるだけだと言ってしまいました。
久々にPC開けてみました。
今回の記事、ありがとうございます。
私も、曇ってました・・・。