創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

天命

2006-03-17 21:25:23 | 仏教
五木寛之 「天命」を読んだ。以下 私の心に響いた文章を メモ代わりに抜粋させていただく。

p.24
いまの時代に、こころがうつになるのを感じ、なんとも言えない無気力感を覚えるのは、その人の気持ちがとりわけ人間的であり、繊細であり、優しいからでしょう。いわば、菩薩のこころに近いこころの持ち主ほど、いまの時代にはこころが萎えるという感覚を味わうのではないかと思うのです。


理不尽な死 p.27
同室の少女は20歳そこそこでした。癌で、抗癌剤の副作用のために、昼は何度も激しい嘔吐を繰り返していたそうです。
その少女が、毎日夜になると、窓から見える東京タワーを見ながら、しくしく泣くのだそうです。(中略)

「死は恐いんですが、それよりももっと納得できないことがあるのです」彼女は言ったそうです。どうして自分だけが。こんなにきれいな夜景のなかで、苦しまなければならないのか、その理由がわからないことが苦しく、悲しいのです。私と同じ若い人たちは、きっといまごろ、デートをしたり、コンサートに行ったり、本を読んだりしているのでしょう。なのになぜ自分だけが、抗癌治療のために髪も抜けて、吐き気に襲われながら、窓の外の東京タワーを見てなければいけないのでしょうか。私だけがそう罰せられる理由があるでしょうか。私は、自分だけが罰せられるようなことをしたと思いません。その理由がわからないことが、あまりに苦しく、悲しくて、涙がでてしかたないのです


愛されるがゆえに苦しむという論理 p.29
 この少女の質問に、どう答えたらいいのでしょうか。(中略)

 キリスト教や仏教という区別なく、世の中の宗教の論理の多くは、「病気の痛みを軽くしてあげましょう」というものではなく、「その痛みを感じていることがあなたの幸せなのだ」と逆説的な答えを用意しています。
 宗教の論理からすれば、苦しみは、天が与えた試練であるとされるからです。(中略)「善い人間がこの世で苦しむのだ」(中略)

p.35
 信仰を持ったからといって、暮らしが楽になったり、病気が治ったりすることもありません。でも、痛みや苦しみを抱えながらも、生きていく力が与えられるとしたら、その価値はあるのではないか、とその点は私も思います。
 しかし宗教によっては、荷物が軽くなり、距離も近くなる、と説くのです。私はそれは信じない。というより、似非宗教であると思うのです。

p.37
 その人の痛み、苦しみはその人当人だけのものであって、どんなに他人が同情し慰めたところで軽くなりやしない。それをいやというほど知らされました。
 そういうとき、彼女のこころのなかに生まれるものが、「悲」という感情ではないでしょうか。どうしようもなく嘆き声やため息を発する。おのれの無力さのためにつくため息。人に、何もしてやることもできないのだという絶対的事実。それが「悲」という感情です。
 
 人が、他人に対し、何かをしてあげることができると安易に信じることを、偽善と言うと思います。人は自分のためにしかできない、と思ったほうがいい。キリスト教の、人のために善いことをするときは隠れておこなえ、ということばは、ヒューマニズムの陰にいやおうなく隠された、利己心の危険性を鋭くついていると私は思います。


悲しむしかない p.46
私は、求められないかぎり(free注 東京タワーの見える病室の少女に)、何も言わないでしょう。見ているだけです。それを救うことのできないおのれの無力さにため息をつきながら。そうするしかないと思っています。(中略)
 ただ、それだけでよいのでしょうか。他に言うべきことはないのでしょうか。
 ここで頭に浮かぶのは、「歎異抄」のことです。


この後 歎異抄 法然 親鸞について 記述されていく。五木寛之氏は 「天命」の7年前に「他力」という本も執筆されている。どちらも易しい言葉で 浄土真宗のこころを語ってある 良書だと思う。宮本輝氏も こんな感じで日蓮を語ってくれないかなぁ。筆者は 戦後引き上げを経験し、お母さまを亡くされている。その地獄図の中で 生きるために 弱い者をのけ者にして 生き延びてきたという後ろめたさがある。「優しい人は 帰ってこなかった」という筆者の 言葉は 重いものであった。

日蓮④

2006-02-28 23:02:31 | 仏教
日蓮さんは 狂の人・非情の人だと思う。

龍口の法難で 小輔房は聖人から 法華経を奪い取り勘持品がおさめられている 第五の巻で聖人を殴りつけた。

「うつ杖も第五の巻、うたるべしという経文も第五の巻 不思議なる未来記の経文なり」

(第五の巻には 法華経の行者は迫害にあうと綴られており、その第五の巻で打たれたからには 自分はやっぱり法華経の行者なのね~) と打たれながら 日蓮聖人は感動し題目を唱えたという。

日蓮さんは 元寇の襲来を預言した、そこに重大な意味があると思う。元寇が襲来しなかったら 日蓮さんが佐渡から 呼び戻されることはなかったし、そのまま流刑に服し 世から忘れ去られた存在だったと思える。

 佐渡に流されたのは1年10ヶ月位だと伝承されている。だからこそ、彼は肖像画にみられるよう ふくよかであり続けたのだろう。もしも 何年も続いたのだったら もっとげっそりとして 気力もそがれたのではないか。

 佐渡に流されている間、弟子たちや信徒たちは 迫害に耐えかねて 日蓮さんの自説を曲げるように 懇願するが、その動揺を静めるために書かれた「開目抄」で、さまざまな迫害がきそい起こることこそ 法華経の行者の証と、この釈尊の教えを持ってする日蓮こそ、末法の法華経の行者として、上行菩薩の自覚をしたのです。(つまり 吾こそが法華経の行者 上行菩薩だと宣言された)

 日蓮さんが亡き後  組織は見延山久遠寺の墓塔を中心に 活動した。六老僧(日昭・日郎・日興・日向・日頂・日時)が輪番で 日蓮聖人の墓所を守っていた。
 しかし 日蓮宗への弾圧や自身の基盤を確立するために 地元を離れられず だんだんと輪番も実施されなくなった。

 日興が、見延の地頭 波木井殿と対立するにつれて、深刻となり ついに日興は見延を去って 富士の麓に移ってしまった。これが日蓮正宗の前身。日興が波木井殿と対立したのは 日蓮の言葉をかたくななまでに守ろうとした為だった。また それぞれの弟子たちも 地元を基盤にそれぞれの宗派を打ち立て かくして日蓮宗は 多々の宗派を持つようになった。

 わずか1代にして 弟子たちがそれぞれ 自分の主張をかざして おのおのの宗派を乱立する事態になったのは、日蓮さんが 人々の心のひだに通ずる 深い情愛を示せる人ではなかった為なのではないかと 私は疑っている。

                ◇   ◇   ◇

さて 私の日蓮考察は終わりにします。もっと深い内容を知りたい方は
日蓮考察
わめさんの掲示板 EnjoyLife
個人的には創価学会の方に39,41のマターリさんとleoさんのご意見を 読んでみて欲しいなぁって思います。でも 他の皆様のご意見も是非是非 読んでみて下さい。

ひゃっきまるさんのHP
膨大な量です。(まだ 全ては読めていません)
学会二世なのですが、脱会しようか揺れています
2世さんには こんなスレッドもありました。

法華経は釈迦の直説ではない

2006-02-10 17:38:16 | 仏教
 「法華経は釈迦の直説ではない」について 調べてみました。

富永仲基(とみながなかもと、正徳5年(1715年) - 延享3年8月28日(1746年10月12日))は、江戸時代大坂の町人学者。懐徳堂の五同志の富永芳春(道明寺屋吉左衞門)の3男。通称、道明寺屋三郎兵衞、号:南關、藍關、謙斎。
 懐徳堂で弟の富永定堅とともに三宅石庵に学ぶが、独特の加上説によって儒教を批判したため破門されたという。

出定後語(しゅつじょうごご・しゅつじょうこうご)は、富永仲基の主著。延享2年(1745年)に刊行された。
本書のもっとも特徴的な主張は、「加上」と呼ばれる法則の提言である。仲基によると、新しい学説は、古い学説の権威を乗り越えるため、自説をより古いものと見せかける。たとえば儒家が文王や武王を宣揚すると、これに対抗すべく墨家はより古い禹を持ち出し、さらに儒家がこれに対抗してより古い尭・舜に自説をかこつけるといった具合である。
仲基はまた、まず小乗仏教が先行し、それに対抗して大乗仏教が加上されたとし、つまり大乗仏教を後世に作られたものと断じた。このことによって本書は仏教界から攻撃され、一方で平田篤胤などはこの書を賞揚した。

大乗非仏説
【説の諸相】
大乗思想に対しては、はやくより上座部の立場より疑問が提示されていたが、近世以降の「大乗非仏説」説では、文献学的考証を土台とし、仏教が時代とともにさまざまな思想を取り入れ、変化してきたことを示そうとするのが特徴である。文献学的考証では、原始仏教、原始仏典という概念を想定し、阿含経典に最初期の教えが含まれているのではないかと想定されている

法華経の教え
法華経が成立したのは、釈尊滅後500年ほど経た紀元100年前後といわれており、さらにその一部は後に順次増補されたと見られています。実はこの年代については、明治期以降に発達した近代文献学研究によってほぼ明らかになったもので、それ以前は実際に釈尊が直接説かれたものと信じられていました。そこで問題となってきたのは、それでは法華経は釈尊の金言でもなければ仏説でもないではないかという疑問です。これは法華経に限らず、華厳経や般若経、浄土教経典など他の大乗経典にも全て当てはまります。いわゆる大乗非仏説です。そうした考えの一端は、早くも江戸時代の富永仲基や平田篤胤といった国学者からも指摘されていました。

しかし非仏ということでいえば、現在伝えられている仏教経典はどれも釈尊が直接書かれたものではなく、全て仏弟子やその後の仏教徒集団が作ったものなのです。最も古いとされている阿含経などの原始経典にしても、釈尊滅後200年頃までに逐次成立したと推定されており、これらは釈尊滅後の教団における信仰的依拠として、弟子たちがそれぞれ釈尊の言葉や教えを記録しようとした仏典でした。その意味では後の大乗経典の作成意図も同じです。ただ初期教団(上座部仏教または小乗仏教)やその経典が組織強化のために戒律重視の禁欲的傾向を強めたのに対し、より自由な仏教思想を求める様々なグループによる大乗経典が誕生したというわけです。

難信難解

2006-01-30 17:21:32 | 仏教
 この法は 「受けるのは易しく 保つのは難しい」と言います。

 それは、日蓮系宗派の排他性・他宗への攻撃性へあると思います。日蓮さんの遺文を 読んでいると、それこそ他の宗派は邪教と 信仰している者は無間地獄に堕ちると 激しいです。そしてその根拠は 法華経のみです。

 現在社会では、死後の世界の科学的研究は 一般的ではありませんし、成仏・往生も 信仰の概念としては知られておりますが、世の中の人々がそれを信じ 修行しているかというと そんなことはありません。(freeは 少しはそのような 思想が日本社会に根付くともっと良い社会になりそうだと思いますが)
 日蓮さんの残した「五義」注)を読んでも いまひとつ 理解できないし、根拠が希薄だなと感じました。

 法華経も釈迦の直説ではないという 説も有力になってきつつあります。

なぜ理解するのが難しいかは 根拠が希薄だからです。そう、創価学会の教えは根本から揺らいでいます。

注)「五義」法華経こそが末法に生を受けて、私たちの救いのために説かれた教典であることを、五つの基準に照らして明らかにする教義
 「経を知る」あまたの教典の中で法華経の教えが最も優れている事を確かめる
 「機を知る」教えを受ける衆生の機根を知る
 「時を知る」法華経から末法こそが選ばれた時と知る
 「国を知る」どの教えが国土にとって縁が深いのか知る
 「序を知る」仏法は小乗から大乗へ 権教から実教へ 深い教えが伝えられるようになっている 

日蓮③

2006-01-25 22:21:25 | 仏教
 領家の尼御前は 女人なり。愚痴なれば、人々の云いおどせば、さこそとましまし候らめ。されども恩を知らぬ人となりて、後生に悪道に墜ちさせ給わん事こそ、不便に候えども、また一つには日蓮が父母の恩をかおらせたる人なれば、いかにしても後生を助けたてまつらんと 祈り候らえ(清澄寺大衆中)

 領家の尼御前は女性ですし、物事の理非がよく判断できない愚痴の者だから、人々が強く言って脅せば、なるほどそうだわいと思ってしまうのでしょうか。人の恩を知らない人になって、地獄に堕ちてしまうことだけは、ほんとうに可哀想なことです。しかしながら、いま一つには、日蓮の父母の恩をかけていただいた人ですから、どうにかしても後生に地獄に堕ちないように、お助けして差し上げようと、お祈りいたしましょう。(日蓮 中尾堯著 p.24)

 故道善房は、(日蓮が)いとう弟子なれば、にくしとはおぼせざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはなれじと執せし人なり、地頭景信が恐ろしといい、提婆・瞿伽利(だいば・くぎゃり)にことならぬ円智・実城(えんち・じつじょう)が、上と下とに居ておどせしを、あながちにおそれて、いとおしとおもうとしごろの弟子たらだにも、すてられし人なれば、後生はいかんがと疑う。(報恩抄)

 地頭 東条景信の暴力による圧迫を恐れ、かつて釈迦に敵対した悪人の提婆や、仏弟子を誹謗した瞿伽利にたとえられるほどの 円智・実城の脅しにあって、愛おしい年頃の 弟子たちにもあざけられる人なれば、死んだ後はどうなのだろうと疑っている。(日蓮 中尾堯著 p.33 と free意訳)

 閻浮第一の太子なれども、短命なれば草よりもかろし。日輪のごとく智者なれども、夭死(ようしに)にあれば生犬(いけるいぬ)に劣。(可延定業御書)

太子であっても 短命ならば その命は草よりも軽い。日輪のように智者でも 早くなくなったら 生きている犬に劣る。(free意訳)

日蓮②

2006-01-21 22:50:38 | 仏教
 日蓮さん なぜ書けないのか それは、私が 日蓮さんを尊敬できないからだ。

 天下の名僧に名を連ねる日蓮さん せめて 尊って書かないと と色々調べているが、今のところ 誉める材料がない。日蓮ファンの方は 読まない方が良い。

 まず 意外だったのは 日蓮さんの木像や画像は かなり 頬がふっくらしていて 伊豆や佐渡 数々の法難にあった苦労もみじんも感じられなかった。粗食が常と思っていた僧侶が どうして ふくよかで丈夫そうな体になれたのだろう。

 日蓮さんは 手に入る全ての経文を読み尽くし、「日本第一の智者となしたまえ」と 虚空蔵菩薩に祈請した。日蓮さんは かなりの 智者だと思う。
 ただ 私には 彼に僧侶にあるべき 温かなぬくもりを 感じられないのだ。もちろん 御書には 温かい言葉が溢れている物もあるが、供養のお礼や 弟子たちに当てた書は いわばお礼状や 身内に対する励ましだ。

 退転者に対して「地獄に堕ちる」と書いたり 他宗を酷い言葉で攻撃し 師匠に当たる方でも こき下ろす 日蓮さんに 私は深い幻滅を感じた。

日蓮①

2006-01-06 17:48:14 | 仏教
 皆様 明けましておめでとうございます。今年は ちっとは教学に触れてみようかと思っておりますが、所詮 私なので あまり高等なことは語らず、「これはどうなのああなの」とのご質問は 調べますが、時間がかかることをご了承下さい。

 さてさて 日蓮さん、お正月時間があったので 1冊だけ本を読んでいました。^^

 本当なら 御書も制覇して 皆様の質問・愚問にばったばったと お答えしたいところですけれど、脳みそが退化しているのでそうもいかずに 蟻のような歩みで進んでおりますので、ながーい眼で 温かく見守って欲しいと思っております。^^

 日蓮さんは 1222年 2月16日 千葉県安房郡天津小湊小湊 海辺の漁村に生まれた。地図で調べたら 勝浦の近くだった。小湊には漁港はなく、海草を採るきわめて 貧しい村落だったらしい。

 父が貫名重忠で 母が梅菊であったそうだ。父が 名字を持つことから、所謂漁師ではなく、流されてきた豪族ではないかと 著者は推測している。貫名氏の息子として生まれた 日蓮は幼いときから 富木常忍(ときじょうにん)の妻の庇護を受けていた。


 

乞食行脚 良寛⑤

2005-12-25 14:47:30 | 仏教
名を争い理を争って竟に底事ぞ
なをあらそい りをあらそって ついになにごとぞ

人がこの世にいる間は指をはじくほどの短いものでまことに嘆かわしい。百年の間楽しみ続けたとしても春の夜に見る夢のようなもの。ひとたび息が絶えれば他の物に変わってしまう。身体は地・水・火・風の混成物にすぎない。この世で名誉や利益を求めたとしても つまりそれは何になるのだ。自分をすぐれているとし他人を見下して英雄のつもりでいる。人々よどうかよく見てくれ、広い荒れ野にさびしい風が吹き渡る夕暮れ時に、数多くの髑髏が根のちぎれたよもぎと争うように転がっている。

「老子」第24章に「つまさきでせのびをして立つものは、遠くまではいけない。自分自分で自分の才能を見せびらかそうとするものは、かえってその才能が認められず、自分で自分の行動を正しいとするものは、かえってその正しさがあらわれない。自分のしたことを鼻にかけて自慢するものは、何事も成功せず、自分の才能を誇って尊大にかまえるものは長続きはしない」とある。うまく敵に勝つものは敵と争わない、という「不争の徳」をすすめるのは「老子」であるが、良寛もまた相手に勝ちを譲って泰然としていたのだ。

 怨みごとに対しては恩恵で報いるし、ものを貯めこんだりはしない。すべてを他人他人に与える。それゆえかえって良寛は豊かになった。これはすべてを捨てて無一文になるから、その余徳が再び自分に返ってきて、無尽蔵に豊かになることをさけられないという「無一物中無尽蔵」(むいちぶつちゅうむじんぞう)の道徳原理なのである。

忍、是れ功徳の本
にん、これくどくのもと
「法華経」法師品に「如来の衣とは、柔和忍耐(にゅうわにんにく)の心これなり」とある。仏の着る衣とは、非常な忍耐をする心の穏やかさというものでなくてはならないとしている。

古仏の教法を留めしは、人をして自ら知ら令めんが為なり
こぶつのきょうほうをとどめしは、ひとをしてみずからしらしめんがためなり

釈迦がこの世に経文を残したのは、人が仏法を理解するための手助けとするためだったのである

人間の執着から 離れることの出来る人は、仏教の中心の意味を理解して、すぐに悟り得る人になるが、執着から逃れられない人は仏法の経文の言葉にこだわる。悟りを得ようとすれば、かえってその悟りにとらわれて迷い、迷いを迷いだとしてよくよく理解すれば、迷いはかえって悟りになる。目先にとらわれて大事なことを見失う例は昔からあれこれと言い立てられているのに、またまた同じ事が繰り返されている、と良寛は漢詩に詠んだ。

 ことさらに仏法に照らして どうとか論じる必要はない。むしろ人の心を洗う何かが感じられるとき、その行いは良寛の精神にかなう仏行なのである。
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以上 「良寛 乞食行脚」 松本市壽著 カッパブックス を紹介してみました。
実は偶然にも 松本市壽さん 良寛の精神と対極にある例として 創価学会を度々引用されています。あえて その部分は 書きませんでした。ご興味のある方は 是非 拝読されて下さい。

また良寛さんの書 「天上大風」の写真も 掲載されています。夏目漱石 田中角栄、吉本隆明が 良寛の書に格別な関心を寄せ、特に夏目漱石をして「有つまじき人が良寛(の書)を有っているような気がして少々不愉快になる位に候」とまで言わしめました。禅の素養のない 私freeには そのよさは 今ひとつ解りませんでしたけれど。

乞食行脚 良寛④

2005-12-23 20:39:17 | 仏教
仏は是れ自心の作るもの、道も亦有為に非ず(ほとけはこれじしんのなるもの、みちもまたういにあらず)
仏は自分の心が自然にそうなる状態のものであり、仏道というものもことさらにこしらえたものではない。そこであなた方にいうが、そのことをしっかりと受けとめ 、外部のものにすぎない経文の文字によって仏法を求めようとしてはいけない。たとえば 輈(ながえ)を北に向けたまま車を南の国越にむかうようにしたら、何時目的地に到着しようか

 求めて得られる仏などありはしない。仏は自分の心がそういう状態になることが肝心で、だから仏は自分の心の中にある。そのことをあれこれ 間接的に説明しようとしたのが教典だが、しかし、経文を読んで理解できれば仏道がわかり仏になれると思うのは大きな誤りだと忠告している。

僧はただ万事はいらず常不軽菩薩 の行ぞ殊勝なりける
僧侶の身にとって全ての修行が必要ではない。ただ 常不軽菩薩が自分に危害を加える者にまで礼拝し賛嘆していった行いこそめでたくすばらしい、と賛辞を惜しまない気持ちを述べたものである。

愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり
愛語というのは、人々に会うときまず慈しみの愛の心で、穏やかな言葉で話さなければならない。少なくとも乱暴であってはならない。 と道元が提唱したものである。

肝に銘じてほしいことは、愛語は慈愛の心を種に持つものであること、愛語が天をも回転させる力のあることを学ぶべきで、ただその効能を ほめるだけのものではないことである

良寛に辞世あるかと人問はば南無阿弥陀仏と言うと答えよ
良寛は 宗旨の異なる仏教宗派と進んで交流しようとした。
禅宗と浄土宗とは相容れないもので、自力達成をかかげる禅と、他力依存にとどまる浄土宗は立宗の趣旨に天と地ほとの隔たりがあるというのが 現代でも仏教界の常識である。

乞食行脚 良寛③

2005-12-22 17:22:49 | 仏教
良寛の仏教は
1.儒教の忠孝とか立身出世とは一切関係がない
2.慈愛、菩薩行道など「法華経」の徳目を中心とした大乗の立場から、民衆をあまねく救済するという祈りの態度を持ち続ける。
3.自然との調和を重んじる老荘思想の影響が大きい。

焚くほどは風がもて来る 落ち葉かな(けっして権力者に媚びない生き方)
乙子神社の庵にいた 良寛の所に弟9代長岡藩主が 巡検の帰りに乗り付け「長岡に来てくれれば寺を建ててやっても良い」と言ったときの 一句。暖を取ったり炊事に必要な燃料は 風が運んでくれますから、ささやかなれど 間に合っております。

欲無ければ一切足り、求むる有れば万事窮(きわ)まる
 欲がなければ一切が満ち足り、貪り求めると万事ゆきづまる。菜っ葉だけで飢えは凌げるし、糞掃衣(ふんぞうえ)1枚でも体は覆える。一人で出かけて鹿と遊び、高らかに歌って村の子供と唱和する。岩の下から流れ出る水で耳を洗い、峰の上の松を快く見上げることだ。

生涯身を立つるに懶(ものう)く、騰々(とうとう)として天真に任す
 うまれてこのかた 世間でいう立派な人となることには気がすすまず、自然のままに過ごしている。 頭陀袋の中には米が三升あり、炉端には薪が一束あって暮らしはこれで十分だ。迷いだの悟りだのそんな痕跡などどうでもよい、名声とか利益とかそんな塵芥など吾関せずだ。雨の降る夜は庵の中で、二本の足をのんびり伸ばす

 良寛が書いた遺墨は、日本の書道史の最高傑作である。阿部定珍(さだよし)に書き与え、今も阿部家に残るものは 国の重要文化財に指定された。

雨の降る日はあはれなり良寛坊
良寛は 書が引く手あまたになっても、代価を取らなかった。人々は何とかして良寛に書いてもらおうと 苦心した。雨の中 托鉢途中で村人に助けられ、良寛だと解ると たちまち筆を持たされる、嫌々書いた良寛の心情が隠しきれない句である。

この里に手毬つきつつ子供らと
 遊ぶ春日は 暮れずともよし

道元は 「正法眼蔵」で 「同事」という布施行について、「同事といふは不違(たがわず)なり。自にも不違なり。他にも不違なり。…同事を知るとき、自他一如(じたいちにょ)なり」と述べている。つまり「同事」という徳行は、たとえその心がそぐわないと判っていても、つつしみ深くしてさからわず、心配はしても怨みには思わないという態度をさすものである。それでこそ自分と相手が一体になる方法だとする仏徳の実践行といえる。
 この句は 自他一如の法悦境そのものと言えよう。
 しかし、ここ越後は「小児 間引かざる国柄」であった。子だくさんで 貧しい家が多い。そして ひとたび飢饉があると、売られていく運命にあった。良寛は 売られていく子どもたちの 悲惨な境遇を 知っていた。それに逆らえない 自分の無力もよくよく承知していた。

注)同時」と書いてしまいましたが、ご指摘があり「同事」の間違いです。謹んでお詫びいたします。ご指摘頂いた方より 原文の引用がありましたので 掲載させて頂きます。

 同事というは、不違なり、自にも不違なり、他にも不違なり。譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、他をして自に同ぜしめて後に自をして他に同ぜしむる道理あるべし、自他は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海なるなり。(修証義第二十四節)


freeの今の心情
「事しげき むぐらのいほに とぢられて 身をば心に まかせざりけり」 (貞)
(意味)浮き世の雑草に追われて、未熟の私はなかなか思うようにはまいりません
しかし、本を読みながら どうして間違うかのう 自分 orz


乞食行脚 良寛②

2005-12-21 21:17:58 | 仏教
「良寛禅師奇話」で解良栄重・きらよししげ はこう証言している。
「良寛さまがしばらく自分の家に来て泊まられると、格別に説教したり善行をすすめたりなさるということは なかったのに、家中が仲むつまじくなり和気が満ちあふれ、帰られてからも数日の内は 芳香がたちこめているようだった」

良寛は1758年 越後の出雲崎に 町名主 山本屋の長男として生まれた。 13歳から儒学を学んだが 18歳の頃 父の指示で塾を退学し、名主見習いをしていた。
 代官所への対応、町民との付き合いなど 人間関係の苦悩から 生家から逃れ放浪し、22歳で 大愚良寛の僧名で受戒し、国仙和尚に随い玉島の円通寺での修行におもむく。

 修行中 良寛は宗門内部の醜い争いに触れ、宗門内部も俗世間と変わらない事をしり、深く絶望したのである。
 個人と組織のはざまに立ったとき、わたしたちも どの道を選ぶかが問われる。良寛は迷うことなく、曹洞宗という巨大組織に膝を屈して寺の住職となることはできない、という固い決意のもと宗門に背を向けたのであった。

 円通寺を出てからの良寛は、どこをどう行脚したのかまったくわからない。しかし、1794年に土佐の町はずれに良寛と思われる僧がいたという記録が残っている。
 曹洞宗 開祖道元は「正法眼蔵」より他の外典(テキスト)を読む事を禁じている。また 花鳥風月などの詩歌に思いを託す文芸的表現も禁じた。また 郷里に帰る莫(な)かれと 禅僧が故郷に帰還する事も禁じていた。

良寛は 父が京都で自殺した事を知り、寺泊の漁師の塩焼小屋で 破戒僧として托鉢乞食の生活を始めた。

 スジを通し律儀にけじめをつけたつもりでも、それゆれにこの世は住みづらくなり社会に受け入れられないし孤独にもなる。となれば、よかれと思って突き進んできた人生のこれまでのすべてを懺悔して「法華経」にいう貧窮子(びんぐうじ)の生き方しか残されていない。

乞食行脚 良寛①

2005-12-20 21:43:50 | 仏教
良寛 乞食行脚(りょうかん・こつじきあんぎゃ) 松本市壽(まつもといちじゅ)著 カッパブックスを 読んだ。

 この良寛さんは 日蓮さんの仏敵 極楽寺良観さんではなく、江戸末期に生きた一禅師である。ひがな 子どもたちと毬つきをし 貞心尼と恋の歌を唱ったり 魅力ある人だと思っていたが、この本を読んで 深く感銘した。

夫れ僧伽(そうぎゃ)の風流は、乞食を活計と為す
(僧たるものの 本分は托鉢乞食の行によってのみ全うすることができる)

貧しい家であろうと 富んだ家であろうと へだてなく回って、托鉢の正しい作法による僧の態度に民家から喜捨された食料の事を、良寛は「浄命食・じょうみょうじき」と呼んでいる。
 これに反し、金持ちにへつらい 好んで美食を求めるとか、ただ一方的に何でもむさぼり求めたものは「不浄食・ふじょうじき」といって、仏道の精神から遠いのだと良寛は力説している。

 良寛は、仏道が安易な方便に流される事があってはならないとしても、だからといって僧侶が仏道にいきんでいるだけでは一般の人は近づきがたい。そこで、まず僧侶自身が仏道を伝えるのに楽しみながらする方法はないかと考えたのである。

 良寛は言葉によらず、仏の教えの意味を自分の生活全体の中にしみこませ、自分の生活から自ずとたちのぼる徳の気配として体現したのである。(つづく)


  

立正安国論プロジェクト④

2005-12-14 23:26:55 | 仏教
 立正安国論批判 より

要約つづき
(坊)「あなたが 心を翻したのは 嬉しい事です。しかし 人は移ろいやすいもの。もしも あなたが、国の安泰を欲しているのなら 謗法の者たちをすみやかに滅ぼさなくてはなりません。なぜなら「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」が起こるからです。」
「また 邪教を信じてはいけません。間違った考えがいつまでも残っているならば、早くこの世を去り、死んでのちは必ず無間地獄に堕ちるでありましょう。」
  「あなたは 今までの邪教を捨てて、法華経に帰依しなさい。」

(旅)「私が弥陀一仏を信じて他の仏をなげうち、浄土三部経だけを仰いで他の経を捨てたのは、私の考えではなく、浄土宗の先師の言葉に従ったまでであります。そのために 現世では心労し 死んで無間地獄に落ちるなど、経文から解りました。この世が安寧であるために、謗法の者たちを すぐに根絶し、他のみんなの誤りを正しましょう。

要約終わり

 読んで、愕然となった。私は 日蓮さんをあまり存じ上げないが、熱い男だなぁ位に思っていた。だが、彼は この立正安国論では念仏一派を 謗法の者と決めつけて 撲滅を指示している。

 今 この日本は 日蓮さんが 立正安国論を書いた世と 似ている。飢餓こそ少ないが、鶏インフルエンザやBSEなど 疫病がはやり、大きな地震は続き、また 北朝鮮のミサイルや 中国の圧力などが続いている。

 日蓮さんの論の 「念仏一派」を「創価学会信者」に変えても 良いのではないか?この時代は 日蓮一派は 少なく、権力に抵抗する側であった。今 創価学会は権力を手にして、弱者を組織的に壊滅させようとしている。

 日蓮さんは 法華経に帰依する者が 謗法の者ではないとしている。創価学会は本当に法華経の行者であろうか? 日蓮さんは「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで、成仏できるとしたが、実際は 法華経を信じながら 人の為に尽くして、法華経を弘めていく。もちろん、戒は 犯さないという あたりまえの約束事があるだろう。 それを拡大解釈して「あそこは 謗法だから 攻撃しよう」「正しい仏法を守っているから これくらいの事はやっても平気」「私たちはあなた達と違うのよ」となったから 今の 世間に疎まれる「創価学会」が出来あがってしまった。

 日蓮さんの 仏法を継承すると やはり しつこい勧誘、他の宗教は邪教、攻撃的な信者 と 「カルト」と認証されても 仕方ないものが出来上がるのかも知れない。(戒を重視すると 違うのだろうが)

立正安国論プロジェクト③

2005-12-11 23:30:16 | 仏教
 立正安国論批判 より

要約つづき
(坊)涅槃経大衆所問品に次のように説かれています
 仏が言うには 一闡提(いっせんだい)には 施しをしてはならない。口汚い言葉で 正法をそしり、悔い改めない者のことを一闡提と言う。

 涅槃経梵行品には
人を殺すのは 上中下ある、すなわち生き物の命を奪うのは下、人は中、父母 声聞や縁覚や菩薩 を殺す事が上、上が一番罪深く無間地獄に堕ちるのである。しかし 一闡提を殺す事はこれに含まない。
異端の教えを説く婆羅門たちは正法をそしる一闡提であるから、彼らを殺しても罪にはならないのである。
 涅槃経寿命品には 正法をそしる者があれば、みな力を合わせて徹底的に根絶しなければならない。
涅槃軽金剛身品には 正法を護る者は五戒を守らなくとも、威儀を整えなくとも、まず刀や弓や鉾をとるべきである。

このように経文に明らかです。蟻を殺した者でも必ず三悪道に堕ちるけれども、謗法の者を殺せば必ず不退転の菩薩の位に達し、仏になれるというのです
 謗法(ほうぼう)の人びとは正法を伝える人を無視し、そのうえ、法然の選択集にだまされて智恵の目を閉ざされてしまったのです。

(旅)大集経の法滅尽品には 僧であれはすべて供養を捧げなければならないと書かれています。涅槃経では謗法を禁じていますが 大集経の戒と異なりますから、謗法者を 殺すなどと信じられないです。

(坊)こんなに経文をあげたのに まだ信じられないのですか? 昔の釈尊は命を奪ったと言いましたが、今は、すなわち布施を止めろと言っているのです。

(旅)襟をだたして「仏の教えは 細かく別れて難しく 私には理解が及びませんが、法然の選択集に一切の仏も、経も、菩薩も、神々も、「捨てよ」「閉じよ」「閣けよ」「抛てよ」の言葉をもって、すべて排斥しております。ですから 日本の善神が去って 禍が起こっているのは 経文から理解できました。一刻も早く 法然一派を滅ぼさないといけません」

まだ 続きます  次はやっと最終回。