創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

難信難解

2006-01-30 17:21:32 | 仏教
 この法は 「受けるのは易しく 保つのは難しい」と言います。

 それは、日蓮系宗派の排他性・他宗への攻撃性へあると思います。日蓮さんの遺文を 読んでいると、それこそ他の宗派は邪教と 信仰している者は無間地獄に堕ちると 激しいです。そしてその根拠は 法華経のみです。

 現在社会では、死後の世界の科学的研究は 一般的ではありませんし、成仏・往生も 信仰の概念としては知られておりますが、世の中の人々がそれを信じ 修行しているかというと そんなことはありません。(freeは 少しはそのような 思想が日本社会に根付くともっと良い社会になりそうだと思いますが)
 日蓮さんの残した「五義」注)を読んでも いまひとつ 理解できないし、根拠が希薄だなと感じました。

 法華経も釈迦の直説ではないという 説も有力になってきつつあります。

なぜ理解するのが難しいかは 根拠が希薄だからです。そう、創価学会の教えは根本から揺らいでいます。

注)「五義」法華経こそが末法に生を受けて、私たちの救いのために説かれた教典であることを、五つの基準に照らして明らかにする教義
 「経を知る」あまたの教典の中で法華経の教えが最も優れている事を確かめる
 「機を知る」教えを受ける衆生の機根を知る
 「時を知る」法華経から末法こそが選ばれた時と知る
 「国を知る」どの教えが国土にとって縁が深いのか知る
 「序を知る」仏法は小乗から大乗へ 権教から実教へ 深い教えが伝えられるようになっている 

メールマガジンの紹介

2006-01-26 19:44:06 | 政治・公明党
 中国に視線が集まっている今日、興味深いメールマガジンを見つけたので ご紹介する。

頂門の一針 かつて創価学会担当記者もなさった事があるそうだ。

周恩来さんとの 創価学会の関係を気にされている読者もあったので、一部 記事をご紹介する。


小泉は花道引退へ
━━━━━━━━━ 渡部 亮次郎    2005.07.13


結局は小泉純一郎首相が郵政民有化法案の成立と引き換えに引退し、後任
を福田康夫とする、というのが13日現在、舞台裏で進行している筋書きで
ある。
中略…
「公明党がこの筋書きに乗った」というのが、この情報の強みである。こ
のところ公明党は日中国交回復の先駆党としてのイメージを回復するため
に、中国政府との距離感を縮めることに狂奔してきた。おかしなことであ
る。

当時、私はNHK政治部の総理官邸担当の記者だった。それ以前は創価学会
担当記者という変則的な記者だった。若造ながら会長(当時)にも取材が
直接出来る立場だった。
中略…
そこでその時、創価学会は「日中国交回復」を謳っていたか。いなかった。
田中角栄と福田赳夫による佐藤栄作後の後継争いが、ニクソン米大統領の
日本頭越し訪中で総裁選の争点に確定したあたりから公明党の北京詣でが
本格化したのだ。

日中国交回復そのものを回顧する時、竹入公明党委員長の訪中団の果たし
た役割の大きさは誰も否定できるものではない。何しろ「戦時賠償を要求
しない」などのちの日中共同宣言の原文を周恩来首相からじかに受け取っ
てきたのだ。

歴史は竹入文書の通りとなって進行する。昭和47年9月29日、北京の人民
大会堂で「日中共同声明」が調印、発表された瞬間、公明党、学会ほど晴
れがましいとの思いに浸った人々は居なかった筈だ。

しかし、かねて創価学会担当記者を経験した私は、そんな感慨には浸らな
かった。竹入氏は結果として歴史の大道を歩いたが、それは上部団体創価
学会の歩く道と少し違う道だった。「成功するとわかっていれば名誉は会
長に帰するべきだった」。

それが学会の本心だったのだろう。やがて竹入は学会から除名に等しい処
分を受けて歴史の外に棄てられた。哀れである。軽井沢駅の転轍手が「出
世」したのは学会のお陰だったのに、恩を忘れたと非難されている。


中略…
今の胡体制にとって根本的な敵は法輪功という宗教団体である。徹底的な
打撃を加えている。世界の人権団体がいかなる抗議をして来ても「聞く耳」
は持っていない。

「蟻の穴から堤も崩れる」ことを知る共産主義は、法輪功こそは反革命の
尖兵との認識から極限的な弾圧を展開しているのである。引き換えて学会
に法輪功と異なる何があろうか。共産党にとって宗教団体は「阿片」以外
の何物でもない以上、特別扱いをされるわけはないのである。

公明党はここ何年か自民党を支配してきた。ことの善悪はともかく自民党
の前途はすべからく公明党に左右されて来たから、公明党が小泉退陣に同
意した、というのであれば、小泉退陣は必至なのであろう。

それにも拘わらず公明党はこの期に及んで胡体制の鎮撫を図るべく政局の
主導権を獲り、党勢の拡大を図るべく小泉退陣を利用しようとしている。
ちょっと頓珍漢である。(了)2005.07.13

日蓮③

2006-01-25 22:21:25 | 仏教
 領家の尼御前は 女人なり。愚痴なれば、人々の云いおどせば、さこそとましまし候らめ。されども恩を知らぬ人となりて、後生に悪道に墜ちさせ給わん事こそ、不便に候えども、また一つには日蓮が父母の恩をかおらせたる人なれば、いかにしても後生を助けたてまつらんと 祈り候らえ(清澄寺大衆中)

 領家の尼御前は女性ですし、物事の理非がよく判断できない愚痴の者だから、人々が強く言って脅せば、なるほどそうだわいと思ってしまうのでしょうか。人の恩を知らない人になって、地獄に堕ちてしまうことだけは、ほんとうに可哀想なことです。しかしながら、いま一つには、日蓮の父母の恩をかけていただいた人ですから、どうにかしても後生に地獄に堕ちないように、お助けして差し上げようと、お祈りいたしましょう。(日蓮 中尾堯著 p.24)

 故道善房は、(日蓮が)いとう弟子なれば、にくしとはおぼせざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはなれじと執せし人なり、地頭景信が恐ろしといい、提婆・瞿伽利(だいば・くぎゃり)にことならぬ円智・実城(えんち・じつじょう)が、上と下とに居ておどせしを、あながちにおそれて、いとおしとおもうとしごろの弟子たらだにも、すてられし人なれば、後生はいかんがと疑う。(報恩抄)

 地頭 東条景信の暴力による圧迫を恐れ、かつて釈迦に敵対した悪人の提婆や、仏弟子を誹謗した瞿伽利にたとえられるほどの 円智・実城の脅しにあって、愛おしい年頃の 弟子たちにもあざけられる人なれば、死んだ後はどうなのだろうと疑っている。(日蓮 中尾堯著 p.33 と free意訳)

 閻浮第一の太子なれども、短命なれば草よりもかろし。日輪のごとく智者なれども、夭死(ようしに)にあれば生犬(いけるいぬ)に劣。(可延定業御書)

太子であっても 短命ならば その命は草よりも軽い。日輪のように智者でも 早くなくなったら 生きている犬に劣る。(free意訳)

日蓮②

2006-01-21 22:50:38 | 仏教
 日蓮さん なぜ書けないのか それは、私が 日蓮さんを尊敬できないからだ。

 天下の名僧に名を連ねる日蓮さん せめて 尊って書かないと と色々調べているが、今のところ 誉める材料がない。日蓮ファンの方は 読まない方が良い。

 まず 意外だったのは 日蓮さんの木像や画像は かなり 頬がふっくらしていて 伊豆や佐渡 数々の法難にあった苦労もみじんも感じられなかった。粗食が常と思っていた僧侶が どうして ふくよかで丈夫そうな体になれたのだろう。

 日蓮さんは 手に入る全ての経文を読み尽くし、「日本第一の智者となしたまえ」と 虚空蔵菩薩に祈請した。日蓮さんは かなりの 智者だと思う。
 ただ 私には 彼に僧侶にあるべき 温かなぬくもりを 感じられないのだ。もちろん 御書には 温かい言葉が溢れている物もあるが、供養のお礼や 弟子たちに当てた書は いわばお礼状や 身内に対する励ましだ。

 退転者に対して「地獄に堕ちる」と書いたり 他宗を酷い言葉で攻撃し 師匠に当たる方でも こき下ろす 日蓮さんに 私は深い幻滅を感じた。

優しさの考察(散文っす)

2006-01-19 19:31:24 | 徒然に
 「優しい」と言われた。ひゃぁ 嬉しいと思うけれど、やはり複雑。言って下さった方々には ホント感謝しております。(複数人 メール等で励まして下さいました)

 優しさってなんだろって 思う今日この頃 皆様いかがお過ごしですか(きっこ風)

 優しさって 強さと思う。

 明日死ぬかも知れぬ 極限の状態で 手をさしのべてくれる人が 究極の優しい人。飢餓に苦しんでいる人に 無償でご飯を運ぶ人は 菩薩行をやっているだろう。(そこに 袖の下・不正行為が存在しようとも)

 本当に苦しいとき 何も言わず側にいてくれる人が やはり優しい人だなと思う。死のうかと思うときに「でも あなたが居てくれるだけで 私は嬉しい」と言える人は やはり良い人なのだろう。私も 苦しいとき辛いとき あの人たちが居るから 死ねないなと思う。私が死んだら 死ぬほど苦しむ人達が 両手に足りないけれど、居る。

 ホリエモンさんは 今 究極の状態。六本木族は手をさしのべないのかね。明日は我が身かも知れないのに。そう、蟻さんのように甘い蜜に吸い寄せられ 株を買った人達が また ウリに殺到する。それを見て 私 株を買ってみようかとも思うが、やはり 「比例は公明へ」と どれだけ苦しんでいる人がいるか知っている堀江さんが 言ったことをこだわっていて 捨て銭はしない。^^

 「情けは人の為ならず」間違って 解釈している人もいるけれど、情けは回り回って 自分に戻るのだそうだ。

 創価学会も 「あなたのためだから」と折伏するが それは「教育ママごん」的 優しさだなと思う。自分の敷いたレール以外は受け入れない。折伏して 他の人を 創価学会に入れる宣伝マンになる以外は あなたの幸せはないのよと。

 私はまっぴらごめんだ。自分の幸せは自分で見つけますヨン。

 私の地区は ホント風も強く 吹雪も多く この季節 悲惨だ。だからこそ 数々の名僧たちが 流されてきたのだろう。滑りやすい道をバイクに乗ってくる 郵便配達人たち。きっと それが義務だから 仕事だからと 何の気負いもなく 来るのだろうけれど、私は そんな方々になりたいなと思う。 ま とは言ってもこの文は「優しいね」て言って下さった方へ そうは言ってもねという 照れ隠しなのかも知れないなと 思うけれども。

もう くそったれなんだから

2006-01-14 18:33:41 | 体験記
 いやー きょうこさんに トラバ頂きました。

 解っているんだよん。辛い気持ちも。
でもさぁ あなただから 出来るから 悔しいし惜しいし、ジタバタしてしまうねん。ネットで力強い言葉を紡げるのは、ホントに苦しんでいる人だけだし、説得できる文章を書けるのは ホンの一握りの人です。

 コメントして頂いた皆様も ありがとん。わかっているのさ、温かい気持ち。

 熱い涙 流してるねん。ここは yazawa風に。
きょうこさんが 復活して、ネットでもばったばったと 色んな事切り倒してくれる日を願っております。
 リアルでも 頑張る気持ちは 尊重しますけれど、リアルではホント一握りの人しか 接せられない。ネットはネットで良い面悪い面 利用しながら 活用すればいいのさ。ネットだから信じられないって言う人達は、10年後同じ言葉を言ってろって思うのだよ。

 ネットで顔も見られない人達が どれだけ温かいか、それは体験したことない人達には 解らないヨン。

かっこ悪くても

2006-01-11 18:14:18 | 体験記
 申し訳ございません。日蓮さん 読んでいて 構想もだいたいまとまっているのですけれど、全然blogに更新できません。
 日蓮さんは 私には ほとんど身近に思えず、距離があるためと思われます。

 ところで、めざせMCanalystが 今月いっぱいで削除されるそうです。残念ですね。

 イヒカさんのbar イヒカズハートも ほとんど記事が削除されているし。orz

 私のような全然 頭も良くない酒飲みの記憶が飛んでしまう奴でも 恥かきながら 細々と続けているのに、カッコ良く全て 消して居なくなってしまわないで欲しいと思います。一人でもあなたの 書いたことで 助かるのでしたら、そのまま その時の気持ちを残しておいて欲しいと 切に思います。

 かっこ悪いことを続けていくことは ホントかっこ悪いけれど、かっこ悪いことを 何年も静かに続けていくことは ホント頭が下がるほど格好いいことです。
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と 一日空いて、私の我が儘だなぁって 冷静に思って、この記事削除しちゃおうかしらって 思ったら コメントついているので そのままにしておきます。^ ^

 blogって 自分の内面を吐露するので 残しておきたくない気持ちも 充分理解しております。そうして、こうやって 人に干渉されるのも 負担になるのですよねん。言葉で私の気持ちを伝えることは難しいですけれど、私は「お疲れ様」なんて 言わないヨン。

日蓮①

2006-01-06 17:48:14 | 仏教
 皆様 明けましておめでとうございます。今年は ちっとは教学に触れてみようかと思っておりますが、所詮 私なので あまり高等なことは語らず、「これはどうなのああなの」とのご質問は 調べますが、時間がかかることをご了承下さい。

 さてさて 日蓮さん、お正月時間があったので 1冊だけ本を読んでいました。^^

 本当なら 御書も制覇して 皆様の質問・愚問にばったばったと お答えしたいところですけれど、脳みそが退化しているのでそうもいかずに 蟻のような歩みで進んでおりますので、ながーい眼で 温かく見守って欲しいと思っております。^^

 日蓮さんは 1222年 2月16日 千葉県安房郡天津小湊小湊 海辺の漁村に生まれた。地図で調べたら 勝浦の近くだった。小湊には漁港はなく、海草を採るきわめて 貧しい村落だったらしい。

 父が貫名重忠で 母が梅菊であったそうだ。父が 名字を持つことから、所謂漁師ではなく、流されてきた豪族ではないかと 著者は推測している。貫名氏の息子として生まれた 日蓮は幼いときから 富木常忍(ときじょうにん)の妻の庇護を受けていた。