創価学会体験記

選挙前になると電話をかけてくる 不思議な人達。そんな創価学会を体験してみました。(中傷と信仰賛美は 削除対象になります)

竹入義勝氏は何をしたのか?

2009-06-08 08:04:45 | 政治・公明党
メールで 竹入議員の息子さんの医療ミスの内容と、創価学会の竹入批判の原因を質問されたので、返信で伝えきれない詳細をblogに掲載。質問は今の創価学会が口コミでどういう批判を展開しているのかがよく解るので、大歓迎。ありがとうAさん。

メールでの答では、「竹入氏は公明党を引退後、平成10年8月『55年体制回顧録』を朝日新聞に出しました。その内容が創価学会に都合の悪いモノだったため、創価学会から攻撃を受けることとなりました。

それから聖教新聞に学歴詐称やご長男やご家族まで罵倒する内容が何度ものりました。そして公明党のお金を使って指輪を買ったと裁判を起こされ、地裁では「当時は衆参同日選の最中で、党トップ の竹入氏が秘書や警護官も伴わずにデパートで高価な指輪を購入するのは不自然」と指摘。 さらに、購入した指輪が特定されていないことなどを理由に、流用を認めませんでした(創価学会敗訴)。高裁では和解という形になりました。和解の条件として「互いに誹謗中傷はしない」http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20081204000404と約束しているのに、創価学会はまだやっているのですね↓
http://www.komei.or.jp/news/2008/0129/10647.html

参考資料:
平成10年8月朝日新聞『55年体制回顧録』 竹入義勝
(抜粋引用)
■ 日中の橋渡し
一番驚いたのは賠償放棄の申し出で、周首相は「中国は日清戦争で賠償を払ったが、中国民衆はいかに苦しんだか。いかに過酷であったか。日本国民にそれを求める気はない。戦争の責任は国民にはない。一部の軍国主義者の責任だ」と説明した。私は五百億ドルは払わなければと思っていたので、全く予想もしない回答に頭がクラクラした。

 周首相は「田中さんに恥をかかせませんから、安心して中国に来てください」と自信たっぷりにいった。正木良明政審会長らは「その時歴史の歯車がきりきり回るのを聞いた」とよく言ったものだが、私の頭の中は真っ白。
中国側が要求をほどんど受け入れてくれたのに、田中さんが来なかったらどうするか。そうなったら死ぬしかないな……と思った。

■百年の知己
七二年七月、田中さんが自民党総裁選に当選した直後に中国から招請状が届いた。
創価学会首脳は訪中反対をつたえてくるし、党幹部まで消極論を言い出した。理由
は、なぜ田中さんの手助けをするのか、ということなのだが、反対する気持ちがわか
らなかった。

■立党の原点
政治家になったのは、創価学会からの指示だった。委員長就任の打診があったときは、ともかく逃げ回ったが、最終的には従わざるをえなかった。(中略)

大量の入場券をかき集めた「替え玉投票事件」が発覚して、大騒ぎになった。東京、神奈川などで、逮捕者は三十人ぐらい。海外に出た人もいた。都議選では選管職員と投票所で乱闘事件を起こしたこともあった。投票の締切時間が早すぎると言って、殴り合いを始めたのだが、前代未聞の大事件だった。

 替え玉投票事件では、警視庁の幹部にも陳情に行き、さんざんしぼられた。東京地検にも行った。「二度としないので勘弁してください」と謝ったが、地検幹部から「ここへ来るとみんなそういうんだよ」とやられた。そこで「こういう事件を二度と起こさないことを誓います」と言ったら「いっぺんだけ信用しよう」といわれた。
(抜粋引用終わり)

聖教新聞寸鉄1998年12月より主なモノを抜粋
「畜生すら猶(なお)恩をほうず」学会の大恩に仇した日顕竹入、犬猫からも笑い者。
竹入夫婦は詐称だらけ。誰も知らない真の経歴。近所でも悪評の怪夫婦。
「恩知らずな男はこの世の怪物」思想家エマソン。忘恩の竹入は怪物、俗物、動物。
ニセ札で全国旅行の夫婦が御用。ニセ学歴の竹入夫婦も、世間から逃避行。
嘘ばかりで自滅した竹入は、バカより足りない“ハカ”だよと、党OB。
しかし竹入には致命的な1年だったな。もう人生は惨敗だよ。全く全く。


創価学会では日中友好の橋を架けたのは「池田大作名誉会長」と大宣伝している。実際は竹入氏が創価学会=公明党の反対を押し切り訪中してまとめてきた事だった。その功績もあり竹入氏には1997年に 勲一等旭日大綬賞を贈られた。周首相の好意や国策とはいえ、賠償放棄の言葉を引き出した竹入氏にはやはり大変な功労があると思う。その人を子供を使ってまで貶める行為は人後に落ちると、怒りを覚える。

聖教新聞は創価学会の異常性・排他性・攻撃性が解るのに非常に便利な媒体だが、聖教新聞を取っている家は「創価学会?」と見られる。まともな人は聖教新聞なぞにお金を払わないだろう。ましてや子供のいる家庭ではとてもとても子供に読ませることの出来ない文章が並ぶ。情操教育を大事に考えている親だったら、子供には見せることはもちろん、子供が触るだけで恐ろしく感じるだろう。

そろそろお義理で聖教新聞を取るのをやめたらどうだろう。
本当の勇気はこんな酷い人の道に外れた報道を止めさせることだ。

参考URL:
竹入回顧録を全文掲載するスレ
http://yasai.2ch.net/koumei/kako/1010/10100/1010020879.html

第1回 竹入義勝・周恩来会談記録 1972年7月27日
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19720727.O1J.html
第2回 竹入義勝・周恩来会談記録 1972年7月28日
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19720728.O2J.html
第3回 竹入義勝・周恩来会談記録 1972年7月29日
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19720729.O1J.html
竹入義勝・周恩来会談における林彪問題についての周恩来発言 1972年7月29日
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19720729.O2J.html

竹入回顧録攻撃 http://www.ne.jp/asahi/osaka/korishou/koumei.htm

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3 コメント

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yuuさん (free)
2009-06-11 15:44:21
すべて 聖教新聞か、創価大関係のURLではないですか?

「ペテン師竹入」とか書いてあるし。
できれば 創価学会と全然関係ないところのが読みたいのですけれど。

今までの貴方のやり方(ナリスマシだの中傷だの)を見ているともう甘い対応はしない方が良いと思われます。
返信する
皆様 (free)
2009-06-16 21:23:24
yuuさんの貼ったURLはグーグルで「日中友好 創価」と検索すると一番最初に出てきます。

こういうURLも在りました。
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/Siten/Kinnohasi/index.html
創価学会公式ホームページから日中友好の架け橋の記事が削除された理由は何でしょうね。
今、全部見てきましたが、やはりありませんでした。

ご存じの方がありましたらお教え下さい。

そうそう忘れていたのですが 同行された原島氏の暴露記事もあります。
http://www.forum21.jp/contents/contents10-1-1.html
返信する
矢野絢也著 黒い手帖 (free)
2009-06-18 16:25:39
p67名誉会長の逆鱗に触れた「竹入回顧録」
 なかでも竹入氏に対する攻撃は、同じく公明党の委員長を務めた私には、とても他人事とは思えなかった。竹入氏が創価学会から「悪党」と罵られるきっかけとなったのは、彼が政界引退後、1998(平成10)年 8月26日から朝日新聞に連載を始めた「秘話55年体制のはざまで」である。このなかの二つの記述が池田大作創価学会名誉会長の逆鱗に触れた。
一つは日中国交回復に関するくだりである。
<72年7月、田中さんが自民党総裁選に当選した直後に中国から招請状が届いた。創価学会首脳は訪中反対を伝えてくるし、党幹部まで消極論を言い出した。理由は、なぜ田中さんの手助けをするのか、ということなのだが、反対する気持ちがわからなかった>
<私は首相特使もどきのことまでやって正常化の橋渡しをやったが、いま考えても冷や汗が出る。あの時期に国交正常化できる人間は田中さん以外にいなかった。日中正常化がもたらした様々な影響を考えると、よく決断してくれたと感謝したい。正常化に微力を尽くすことができて政治家みょうりに尽きる。国民の期待にこたえたと自負している>
 書記長という立場で竹入氏とコンビを組んだ私から見れば、竹入氏の記述は何ひとつ嘘偽りはないし、素直に当時の心境を振り返ったものだった。
 だが、この部分が学会の反感を買った。学会内では日中国交回復は池田名誉会長の偉大なる功績のひとつと喧伝されていたからだ。池田氏は常々「日中友好や中ソの和平は私の尽力の賜物」と自ら吹聴している。(中略)

 池田名誉会長が本当に歴史の流れを変えたのか、詮議する気は毛頭ないし、その手立てもないが、私が知る限り、日中国交回復に竹入氏が多大な貢献をしたのは確かだ。
 だが、「日中正常化や中ソの橋渡しは私がやった。私が歴史を変えた」が自慢の池田名誉会長には、「竹入回顧録」の記述は自分の手柄の横取りとしか、映らなかったようである。
 ちなみに池田氏は竹入氏訪中のつど、池田氏と周恩来との会談をセットするよう、くどいくらい頼み込んでいたのだが…。
 それ以前に、私から見れば、一宗教団体の名誉会長である人物が、日本政府を差し置いて、国際政治に手を突っ込むことは、二元外交のようになって相手に利用される可能性がないわけではない。また政教分離の原則からいって、いささか問題があるように思えるのだが。
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実際に竹入氏が何をしていたのか近くで見ていた矢野氏の証言。

※16日にアップしていたのですが、反映されていない部分があったので、再アップします。
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