http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091030/stt0910302309012-n2.htm
産経新聞に「よ党?や党?それとも「ゆ」党?…公明に民主は冷淡、自民は不信」の記事が出ている。
もはや国政での公明党の存続は危うい状況。
地方ではまだ議員数を確保出来ているが国会議員が埋没するなか
存在感を示せない地方でもその力は縮小していくことだろう。
公明党が無くなると創価学会の力にも益々かげりが出てくる。
創価学会員は一過性のモノと小さくなって嵐を過ぎ去るのを待つつもりかもしれないが、これは一過性のモノではない。
これから創価学会は縮小弱体化の一途をたどる。
そうなった時に今までやってきたツケを一気に被るだろう。
今が逃げ時、すでに大量脱会者も各地で出ている。
泥の舟に取り残されるのは愚か者だけだ。
産経新聞に「よ党?や党?それとも「ゆ」党?…公明に民主は冷淡、自民は不信」の記事が出ている。
もはや国政での公明党の存続は危うい状況。
地方ではまだ議員数を確保出来ているが国会議員が埋没するなか
存在感を示せない地方でもその力は縮小していくことだろう。
公明党が無くなると創価学会の力にも益々かげりが出てくる。
創価学会員は一過性のモノと小さくなって嵐を過ぎ去るのを待つつもりかもしれないが、これは一過性のモノではない。
これから創価学会は縮小弱体化の一途をたどる。
そうなった時に今までやってきたツケを一気に被るだろう。
今が逃げ時、すでに大量脱会者も各地で出ている。
泥の舟に取り残されるのは愚か者だけだ。
家庭、健康、仕事においても、さらには精神面に影響がでている方々も多いかもしれませんね。
そこで気がついて、正法に思い切って、潔く飛び込んでほしいです。
親がどーとか、学会員2世、3世の方々の20代、30代の方々は、法華講員の言うことに耳を傾けて、「日蓮大聖人様の仏法」に巡り会って欲しい。
http://hkstyle.seesaa.net/
私は創価学会の芸者トリミング事件や聖教新聞での法主やお坊さんへの攻撃を見て、正宗には同情的ですが、創価学会脱会者に正宗を勧めるわけではありません。退会者が一時的に正宗に縋ってもそこからも離れた方が良いと思っています。
正宗もとても創価学会に似ていると思っています。御本尊も創価学会のはニセモノと攻撃しますが、板御本尊もニセモノ疑惑は古くから出ています。創価学会を破門する前の一連の報道合戦を読みましたが、お金に汚くどちらもどちらのようです。正宗が創価学会を生み出した責任は重いと感じております。
どうして宗教って宗派とか教団同士で攻撃をし合うのでしょう? 宗教って何なのでしょう?個々人の幸福のためにあるのではないですか? そして個々人が幸福になればそれはやがて世界中の平和へと繋がるのではないですか? そしたら個人がどの信仰を持とうが、それは個人の自由でしょう? どの宗派であれ、あるいは教団であれ、個人が心の拠り所とすることができるならば、それで良いのではないですか? どの教団が正しいとか、優れてるとか、そんなこと争って何の意味があるんですか? 信者がその信仰を持つことで幸福ならば、それで良いじゃないですか? 他人の信仰がどうだの、他の教団がどうだの、いちいちケチつける必要なんかあるんですか? 自分が自分の信仰によって幸福ならばそれを続ければいいことで、他人の信仰のことをとやかく言うのは違うでしょう? 他人はそれで幸せなのだからその信仰に口出しする必要なんかないと思う。
信者の幸福とかいうことよりも、教団という組織同士の競争、潰し合いにしか私の目には映りません。要するに、単なるビジネスですよね。だから、私は特定の教団というものを信用しないのです。宗教そのものが社会や人類に不要なものだなんて言うつもりはありません。ただ、教団同士で罵倒し合うような活動が宗教とは私には思えないし、人間に幸福をもたらすとはとても思えない。日々そのようなことばかりを繰り返している人たちの心に、平穏とかゆとりといったものが果たして宿るのでしょうか?
私もfreeさんに一票です!
正宗の教えと創価学会という組織の狭間をさまよっている学会員はたくさんいるのでは?と思っています。
創価学会と日蓮正宗。
どちらに知名度があるかと言えば学会に軍配は上がるでしょう。
(一応)伝統宗教である日蓮正宗という宗派の御旗があった故にまともな仏教だと信じ学会に入信してしまった学会員も多くいると思います。
そうして人々を騙し騙し会員を集めて行った創価学会の暴挙を押さえられなかった日蓮正宗の責任は重いと思います。
が!その日蓮正宗の教えも仏教全般からすると常軌を逸していると思います。
youtubeなどを見ていると、法華講の方と思われる方の「創価ネガティブ」の動画をよく見掛けますが…。本尊の真偽まで分かりませんけど、
少なくとも同じような?「お題目」を上げている事を指摘しておきます。
freeさんも申しております通り、日蓮正宗と創価学会は似ていると思います。
もっと言うなら「クローン」と感じてしまう
時があります。
上のコメントで私は、
「自分が自分の信仰によって幸福ならばそれを続ければいいことで、他人の信仰のことをとやかく言うのは違うでしょう?」
という言い方をしましたが、これはあくまでその信仰が“まとも”であるということが前提です。私が特定の教団を指して“まとも”という条件は、いわゆる“カルト”の定義に当てはまらない教団ということです。
以下、定義の具体例のひとつです。(Wikipediaより引用)
1.精神の不安定化
2.法外な金銭的要求
3.住み慣れた生活環境からの断絶
4.肉体的保全の損傷
5.子供の囲い込み
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み
よって、創価学会の信仰を私は信仰とは認めません。要するに、批判の対象ということです。私は、まともな信仰を持ち、それによって幸福を得ている人の信仰を批判するつもりはありません。
しかし、多くの宗教法人は他教団の批判を繰り返します。そういった姿を見て私はその信者さんたちが幸福とはとても思えません。私に言わせれば単なる“ミニ創価学会”です。
freeさんの静かな文章を久しぶりに拝見すると
柔らかく癒していただいたあの頃を思い出します。
浮かんでいるのかも定かでない泥の船。
かろうじて浮かんでるのなら、
誰も何も飲み込まず、静かに沈んでいって欲しいですね。
寒くなるので、くれぐれもお大事にお過ごしくださいね。
もう10時をすぎたのでチビを寝かしつけないと。maxさん、sz者さん みきさんへのおへんじはまた明日。ごめんなさい。このコメント明日書き直します。取り急ぎm(__)m
特定の「宗教」に属する事で、視野が狭くなっていた時期を思い返しております。
「他宗派」は敵、鳥居を跨げないなど…。
更に「寄付金」の多さでご利益が大きくなるなど今では「馬鹿馬鹿しい」としか感じなくなりました。私自身、個人で「事業仕分け」を
行って、恩賜財団や社会福祉法人などへ
出来る範囲で寄付をするように変更しました。
お金は大切なものです、しかしお金では得られないものも多くあります。
一度しかない人生ですから、「宗教」と言う
狭い世間で過ごすのは無駄だと思って日々を
過ごしています。
忙しいというのは能力がない言い訳でして、とほほほ。
なつかしく自分のホームの放棄宣言過去ログをざっと流し読みしてきました。
「嫌いでいいやん」できたよさんの言葉です。
創価学会と向き合うと自分で自分を傷つけているような気になりますよね。そんな時、あの仲間達の存在は大きいものでした。彼らはもう創価問題を卒業して自分たちの幸せの為の時間に使っています。
みきさんも放棄宣言の仲間でした。そして今もたまに言葉をかけて下さる。なんとも心温まりまた立ち上がろうかなと言う気になります。