先日 アップした 「感動した!」に いろんな方からのコメントを頂いた。ぽむぽむさんの コメントにしかし、自然体というのはなかなか難しいです。
自然体でいようと強く思うと、また、それに執着してしまったり。
どれが本当の自分?どれも本当の自分。
何が言いたいのか訳わかりませんね。
いえいえいえ 解るのです。今年のお正月 読んだ 秋月龍氏「般若心境の智慧」に似たことが解りやすく書いてありました。
p.55 「座禅しても 無念無想の心境になれない」という人に対して、無念無想になろうとすることが念であり想なのですから、それでは念を念でなくそうと言うことになって、前の念はなくなっても、後の念がくっつくわけですから、いつまでたっても念はなくなりません。(略)
「ヒトー」と呼いて(はいて)「ツー」と吸う、ところに、そこに全身心を打ち込んで、三昧になっていく。「一生懸命」になる、一つの所に命を懸けるのです。呼吸を呼いて吸う、その一息一息に、その出る息入る息に、一心不乱になりきっていくのです。
ですから、音楽をやっている子どもたちが ただ無心に 良い音を出そう、周りと一体化しようっとしているのでしたら、無念無想だと思うのです。そこに「一位にならなくては 先生に申し訳ない」と思ったり、一位になったことにより 少し他を見下したりしないように、創価学会の子どもたちの指導者は心を砕いて欲しいかなと 思ったのです。どうも「勝ち負け」にこだわると 陥りがちな事だと思ったのでした。
自然体でいようと強く思うと、また、それに執着してしまったり。
どれが本当の自分?どれも本当の自分。
何が言いたいのか訳わかりませんね。
いえいえいえ 解るのです。今年のお正月 読んだ 秋月龍氏「般若心境の智慧」に似たことが解りやすく書いてありました。
p.55 「座禅しても 無念無想の心境になれない」という人に対して、無念無想になろうとすることが念であり想なのですから、それでは念を念でなくそうと言うことになって、前の念はなくなっても、後の念がくっつくわけですから、いつまでたっても念はなくなりません。(略)
「ヒトー」と呼いて(はいて)「ツー」と吸う、ところに、そこに全身心を打ち込んで、三昧になっていく。「一生懸命」になる、一つの所に命を懸けるのです。呼吸を呼いて吸う、その一息一息に、その出る息入る息に、一心不乱になりきっていくのです。
ですから、音楽をやっている子どもたちが ただ無心に 良い音を出そう、周りと一体化しようっとしているのでしたら、無念無想だと思うのです。そこに「一位にならなくては 先生に申し訳ない」と思ったり、一位になったことにより 少し他を見下したりしないように、創価学会の子どもたちの指導者は心を砕いて欲しいかなと 思ったのです。どうも「勝ち負け」にこだわると 陥りがちな事だと思ったのでした。
この人の、この著書が、臨済宗の特徴を示しています。
臨済宗は、「仏」と言う媒介を使わず、「法」にダイレクトに直結します。
秋月龍は、この「法」を「超己」と言う言い方をしていますね。
己を忘れる事によって、「超己」なるものと一体になる。
この「法」「超己」と言う所が、自然であると思います。
座禅によって、忘己の境地に入り、自然に到ろうとするわけです。
しかし、それは理屈であって、なかなか生易しい事ではありません。
ですから、「自然」(法)と「己」との媒介として、仏に帰依すると言う思想があります。
道元も、自力的な臨済宗を否定し、他力的な曹洞宗を打ち立てます。
しかし、「仏」と言う概念を持ち出すと、どうしても、理知的な人は否定します。
ですから、無宗教者にも受け入れ易い臨済宗も有効だと思います。
(御質問があれば、わしのHPまでどうぞ。)
チョンガーさん、
ぽむぽむさん、こんにちは。♪
質問する程 頭良くないのですけれど、臨済宗の 有名なお寺と、世間に公開法話とかされているのですかね。一応 ご存じならと言うことで。。 ご存じなかったら 暇なときに ネットで調べます。
ぽむぽむさん しずくさん 新企画を考えていますから、良かったら ご参加下さい。
企画できたら、参加させてくださ~い。^^
http://www.myoshin.com/menu.html
ところで 寿命の件ですけれど。計算式もわかりませんし、チョンガーさんの生活様式も解らないので、何も言えませんが、ご自愛下さい。
チョンガーさん
体調を崩しているのですか??
ちょっと気になります。。。
寿命って、寿命って・・・
まだまだ インフルエンザはやっていますね。皆様もお大事に
のほほん喫茶室のアドレスがどこかに行ってしまって
最近見れなかったのです。
あ、freeさんのリンクにあった^^
良かった~行ってみます
すんまそん