書写をしていたら足がしびれたので、寝転んで天井を見る。大きな木の年輪のもようになっている。生まれ育った家の天井にも年輪の模様があって、それは、鳥下立女図屛風のように、女性を思わせるような年輪の模様が沢山あって、子供心に面白いなと思った。6畳間で、普段は家族4人が8畳間に寝ていたから、風邪をひいたりしたときに、一人寝かされた部屋。ステレオが窓辺にあって、窓には、古い旅館の窓のように手すりがついていた。父の部屋で、カメラや本などが並んでいた。
その家は、裏の中学校の今の正門のあたりにあって、今のところに、引き屋と言って、引いてきたもので、中学の時に石炭を取りにゆくと、こづかいさんが「あんたんところは一晩校庭の真ん中にあったよ」と言われたりした。同級生には、「お前の家は、今の便所のあたりにあったんだろう」などと、解剖したカエルを埋めながら言われたこともある。
要は、中学校を作ることになって、そこにあった家が動くことになったので、数軒が移動したらしい。私の本籍は中学と同じだったが、私は独立宣言後に旧姓にもどり新戸籍を作ったので、現在の住所が本籍になっている。
その家、私が生まれた家は、八王子大空襲で、市内が全部焼けてしまったあと、鰹節問屋の祖父が建てた家、高台の八王子市内が見渡せる場所。中央線と甲州街道が走って、子供のころは電車の音がよく聞こえていた。いまでも静かだと聞こえるけど。
天井の木の模様から、私の育った家のことを思い出したので、今の家は高校生の時に父が建てた家です。そろそろ寝ようかな。