2004年7月
転勤で浜松に単身赴任となり、BLOGを始め、今年で20年になる。goo BLOGも今年が20周年だ。
最初のタイトルは「浜松での一人暮らし」だった。
初めて暮らす浜松で、街、生活、海、歴史、文化など感じたことを、メモ代わりに記録した。
自転車に乗り、写真はデジカメ。ガラケーの小さな写真も載せる等にした。
2006年7月
転勤で沖縄に単身赴任となり、タイトルは「沖縄での一人暮らし」に変わった。
予想外の連続単身赴任で、しかも飛行機に乗らないと自宅に帰れない。自炊して沖縄の食材と調理を覚えた。
沖縄の自然や生活文化は、自転車で廻ると興味深く、素晴らしい。特に暮らした北部地域は沖縄らしさがたくさん残っていた。
肝心の仕事は、連日、大変な状況だった。
2年経ち沖縄から離れる際、ブログを閉じようと思った。
2008年7月
転勤で横浜勤務となった。
ブログのタイトルと過去の内容が一致せずに困ったが、「浜松・沖縄・横浜での暮らし」に変えた。
横浜のことを書くが、過去記事に沖縄や浜松のことが書いてあるという整理だった。
自宅から職場までの長い通勤時間では、ハリーポッターシリーズを原書で読んだ。その後映画化されたDVDを観て違和感を感じたところを「ハリーポッターシリーズ 原作と映画の違い」に書いた。今でも、再放送があるとアクセス数が急に増える。
2010年9月
転勤で永田町勤務となった。
仕事が一段と忙しく、気分転換でブログを書いたり、過去記事を読んだりしてた。クールビズの期間は、かりゆし姿だった。総理官邸や議員会館にもかりゆし姿で、堂々と出かけた。
通勤電車でハリーポッターの原書を読んだ。子供向けの本で会話が多いから読みやすいはずだが、魔法など難解なところはスルー。それでも1日10ページ読めれば良い方だった。
2014年7月
転勤で再び、沖縄勤務となった。「沖縄での一人暮らし」が再び始まった。
6年間の沖縄生活は、土日もない超多忙な時と、沖縄の自然文化をじっくり探求できる時が、交互に来た。
大きな手術2回、小さな手術3回。仕事のストレスが原因。
自宅から自転車で伊江島へ行くのが楽しみだった。本島北部も良かった。
コロナ感染が拡大し、観光客が激減して街の風景が変わった。政府から頂いた10万円で、沖縄そばの店を試食した結果を100以上の記事に書いた。
2020年8月
退職して帰宅。大きな手術をして、リハビリして、好きなように生きる生活が訪れた。
時間はたくさんあるはずだが、なぜか、時計は進み、月日の経つのが早い。
平均寿命とお金も意識しながら、今年、今月、今週、今日は何をしようかと考えながら生きてる。
2024年
ブログ20年の内訳は、浜松2年、沖縄8年、横浜2年、東京8年だが、記事の内容は沖縄が圧倒的に多い。
そのこともあって「沖縄での一人暮らし」のタイトルが今も続いている。
スマホが主流になって、リアクションなどが表現されるようになってきた。
20年近く前からコメントをくださる方も、数少ないがいる。不思議な存在だ。
亡くなった方のブログは息子さんによって残されており、今でも生きているように感じる。
自分も20年後には生きているかどうか怪しい。このブログはどうするか、課題だ。
最初にコメントを頂いたのは、某国におられたときでしたね。40年前の新婚旅行が某国だったので、noRiさんの記事の某国との大きなギャップが新鮮な驚きでした。
滞在した土地の自然や文化、感じたことをブログに記録すると、後から容易に思い出すことが出来るし、訪問された方のコメントで思い出が豊かになりますね。
2005年からブログを続けているとは、ほぼほぼ20年。お引っ越しや名前の変更は迷いますね。
でも日記代わりと思えば、とても便利ですね。いずれ親元を離れていく子供が何を感じどんな言葉を残したのか、書き留めるとしたら、ブログが適していると思います。
おっしゃるように、ご縁が続く限り、こちらこそよろしくお願い申しあげます。
ブログの歴史・・・というか、
forever-greenさんの歴史を、感慨深く読ませて頂きました。
私がこちらにお邪魔させて頂くようになったのは、
沖縄そばのお店をアップされている頃で、
懐かしく感じてました。
私は2005年にgooブログとは別の場所でブログをはじめ、
2006年にgooにお引っ越ししました。
名前も何回かしれっと変更してました笑
帰国後継続するか、新規開設するか迷いましたが、
時間が空いたにも関わらず、こうやってまたご縁が続いていること、
嬉しく思っております。
これからも楽しみにしています♪
家康が薩摩の琉球侵攻を許可した結果、中国に加え日本の沖縄支配も始まり、尚寧国王(沢田研二)と弟の具志頭王子が、江戸上りする途中で隠居した家康に駿府城で謁見。
亡くなった王子の墓を沖縄が見える方向に作らせたのは家康で、清見寺は幼少期に住職から教育を受けた場所だったと。
病の王子は、長旅の道中、相当なストレスだったのでしょうか。
家康は駿府城を完成させた建築家・造園家の小堀氏に「小堀遠州」の名前を与え、城を構えた遠州(浜松)地方を治めさせた。
日本史赤点の私に印象的な史実でした。
香港バイヤーやシンジケートと噂されたこともあります。正体不明ですね笑。
清見寺、良く覚えていてください
ましたね~。
新聞記者、なるほど政治部記者
ですか。それもアリですね(笑)
ありがとうございます。(*^-^*)
いつもハッとする気づきのコメントをありがとうございます♪
浜松の時からずいぶんと経ちました。
ブログ更新が滞ると、気にして下さり、コメントいただきました。ここまで続けてこれたのもフーミンさんのおかげと感謝しております。
琉球王国の具志頭(ぐしちゃん)王子が江戸上りの途中、静岡で亡くなり、看病の上琉球が見える方角にお墓を建てて頂いたことを書いたら、直ぐに清見寺に出かけたフーミンさんの行動力に驚き感動しました。
20年前のことは手帳もあるので直ぐに甦るのですが、20年後となると想像つかないですね。心と体の健康をどうやって維持するか漢字の練習が日課です。
文章が下手な記者だった説はどうですか?笑
よろしくお願いします。
長いお付き合いになりましたね。そしてお互い年を重ねました。
お仕事が激務でお体を壊されたんですね。大病を乗り越えられて本当に良かったです。
ブログもいつか終わるときが来ます。私もその時のことを考えます。アドバンスは解約しました。家族がパスワード🔑とか困るだろうとか、いろいろ考えて。でも、お互い60代まだまだ先の話しと思いたいです。
永田町、総理官邸、議員会館
もしかして官僚さんをなさっていた?私は大学の先生?かな、なんて思っていましたが?
ハズレですねー(笑)
これからの20年も゙よろしくお願いいたします🙇