自宅近くの宇治川岸で、太閤秀吉が造った堤(太閤堤)の遺構が発見され
現地説明会が催されました。
昔、宇治川は山間を抜けると巨掠池と呼ばれる巨大な湿地池に流れ込んで
流路が一定していませんでした。太閤秀吉は伏見城を築城した際に流路を
一定化し、琵琶湖~伏見~瀬戸内海へと運搬水路を確保しました。
宇治川の左岸の堤は当時の記録もあり、昭和54年に見つかっていましたが、
右岸の堤は記録がなく不明でした。今回、堤が発見されたため、同時に右岸も
堤を造っていたことが確認されました。なおこの堤の築堤は加賀藩前田利家が
行ったようです。
ここはマンション建設予定で、その前の発掘調査です。
このような歴史的に重要な遺構は破壊されずに残して欲しいものです。
太閤堤全景(南(上流)方面を見る、右側が宇治川)
太閤堤全景(北(下流)方面を見る 左側が宇治川)
堤の上面(馬踏)
石を並べ非常にきれいに仕上げられています
石出し部(水流を押さえるため川の中に張り出しを造る)
当時の城の石垣の作りと同じでしっかりとした造りです
手前の木々は杭です
現地説明会が催されました。
昔、宇治川は山間を抜けると巨掠池と呼ばれる巨大な湿地池に流れ込んで
流路が一定していませんでした。太閤秀吉は伏見城を築城した際に流路を
一定化し、琵琶湖~伏見~瀬戸内海へと運搬水路を確保しました。
宇治川の左岸の堤は当時の記録もあり、昭和54年に見つかっていましたが、
右岸の堤は記録がなく不明でした。今回、堤が発見されたため、同時に右岸も
堤を造っていたことが確認されました。なおこの堤の築堤は加賀藩前田利家が
行ったようです。
ここはマンション建設予定で、その前の発掘調査です。
このような歴史的に重要な遺構は破壊されずに残して欲しいものです。
太閤堤全景(南(上流)方面を見る、右側が宇治川)
太閤堤全景(北(下流)方面を見る 左側が宇治川)
堤の上面(馬踏)
石を並べ非常にきれいに仕上げられています
石出し部(水流を押さえるため川の中に張り出しを造る)
当時の城の石垣の作りと同じでしっかりとした造りです
手前の木々は杭です