四季おりおり

季節の移ろいの写真を気の向くままに載せています。

ネパール紀行

2008-12-29 16:20:50 | 風景
第6日目(12月8日)
今日はネパール最後の日です。朝オプションのヒマラヤ遊覧飛行に行きました。昨日までは、連日霧のため飛行機の出発時間が大幅に遅れていたようですが、今日はほぼ定刻に出発しました。
18人乗りの小さなセスナ機で山の間近を飛びますので眼前に迫るヒマラヤの山々には迫力があります。エベレスト近くになると一人一人コックピットに入れてくれて見せてくれます。初めて見る8848m最高峰のエベレストに感激です。そして8463mのマカルーの三角錐型の山容が印象的です。その他、ローツェ8516m、チョー・オユー8201mなど八千米級の山々を眺めることができました。

【ヒマラヤ遊覧飛行】
<エベレスト(ネパール名:サガルマータ)(8848m)>
エベレストからマカルーまでコックピットから一望できました。




エベレストのアップです。
エベレストには笠雲が掛かり、頂上は見えません。右手のピークは世界第4位の高峰ローツェ(8516m)、手前にヌプツェ(7855m)、エベレストとローツェと間の暗部がサウスコル(8000m)でしょうか。




<マカルー(8463m)>
世界第5位の高峰、三角錐型の雄大で威厳のある山容です。




<チョー・オユー(8201m)>
世界第9位の高峰です。チベット語で「トルコ玉の女神」を意味します。エベレストのすぐ北西にそびえ立っています。




<メルンチェ(7181m)>
テーブル型の山容が目をひきます。




<ガウリ・シャンカル(7134m)>
切り立ったピークが印象的でした。




<遊覧飛行の小さな飛行機>




【パシュパティナート】
聖なる川ガンジス川の支流、バグマティ川の川岸にあります。ネパール最大のヒンドゥー教寺院であるばかりでなく、インド亜大陸にある4大シヴァ寺院の一つでもあります。
ここには火葬場がありひっきりなしに火の手が上がっていました。ヒンドゥー教の火葬は荼毘で完全に焼いたあと、灰は川に流します。そのため火葬場は川岸にせり出して作られています。

<対岸から見たパシュパテナート寺院>
ヒンドゥー教以外の人は寺院の中には入れません。




<パシュパテナート寺院の入口>
ここから先には入れません。写真もダメです。靴もダメで、入る人達は靴を預けて裸足で入っています。




<お供え物を売る店が建ち並んでいます>




<エッカイダス・ルドゥラ>
白い仏塔が建ち並んでいます。そこに座る僧侶。




<女生徒>




<寺院に向かって礼拝する動物達>  <シバ神の乗り物の牡牛>

 


【スワヤンブナート(目玉寺院)】
カトマンズ郊外の丘の上に建つ仏教寺院。

<白いストゥーパ>
目玉が有名である。




「四方を見渡すブッダの知恵の目」




<ハリティ寺院>
小さな木造の寺院
正面からは写真を写すことは禁止されています。裏からならよいとのことで。




<巨大なドルジェ(大金剛杵)>     <猿が沢山います>
無明を打ち砕く雷で、真言宗でも      お供えを盗み食い 
使われる密教の法具。

  


【カトマンズ市内】
<カトマンズ市内は車で大渋滞です>  <三輪車のタクシー>

 


<タクシー駐車場>            <トラック野郎>

 


【ネパール料理と民族舞踊】
ネパール最後の日の夕食はネパール料理と民族舞踊で楽しみました。
<ネパール料理>
食前酒を注ぐ、小さなカップに上手く注ぎます    肉などの盛り合わせ

 


モモ:シュウマイのような料理     メイーンディッシュ

 


<民族舞踊>

 


食事の後、夕方 23:15にカトマンズを発ち、広州を経由して関空に15時無地に到着しました。

添乗員さんや世話役の方、参加者の皆様に感謝です。

ネパール紀行

2008-12-27 22:26:36 | 風景
第5日目(12月7日)
午前中、ナガルコットでヒマラヤ風景の撮影です。当初の計画ではカトマンズで市内観光をした後、ナガルコットで夕景を撮影する予定でしたが、この時期夕方は雲が出やすく山が隠れることが多く、比較的天気となることが多い、午前中の撮影に変更しました。
そして、午後はカトマンズ市内のパタン地区の撮影に行きました。

【ナガルコット】
カトマンズから専用バスで約1時間半で、ナガルコットにある「クラブ ヒマラヤ」ホテルに到着。そこから20分ほど歩いて展望台に行きます。

ナガルコットの展望台(標高2100m)に到着したが、雲が覆ってヒマラヤの山々は全く見られない。本来ならこの向こうにヒマラヤの山々が見えるはずですが。




20分ほど待つが天気は回復しそうにないため、「クラブ ヒマラヤ」ホテルで昼食とすべく展望台を後にする。
ホテルに着いた頃から、段々とヒマラヤ方面の雲が晴れだし、ヒマラヤの山々が見えだしてくる。みんな急いで展望台に行き、カメラを向ける。


<ナガルコットからのヒマラヤ遠望>
ヒマラヤの山々が見えるようになった。ネパール・ヒマラヤの中のジュガールヒマール山群の山々です。でも霞んでいて、スッキリとした写真は撮せない。
一番左奥にゴサインタン(中国名:シシャ・パンマ)(8013m)が微かに見ることができる。その右にドーム・ブランク(6830m)、すぐ右の一番高いピークがドルジェラクバ(6988m)、そのすぐ右奥に主峰のビッグ・ホワイトピーク(7083m)、ガルジュン・ピーク(6722m)、少し離れた右のピークがフルビ・チャツ(6660m)などのジュガールヒマールの山々が望まれる。なおビッグ・ホワイトピークは日本隊が1962年に初登頂した山です。1958年には今では別の意味で有名になった深田久弥の一行がこの山域を探査しています。
※なお、山の標高は調べた書類によってまちまちで、どれが正しいのか分かりません。ネパール政府発行の登山許可書や地図でも違っています。




左からドーム・ブランク(6830m)、ドルジェ・ラクバ(6988m)、ビッグ・ホワイトピーク(7083m)とガルジェン・ピーク(6722m)のアップ




フルビ・チャツ(6660m)のアップ




ドルジェ・ラクバから左に目をやると、一番左にガンチェンポ(6387m)の白い雪山が望まれる。一番右のピークがドーム・ブランク(6830m)で、そのすぐ左奥に八千米峰のゴサイタン(シシャ・パンマ)(8013m)が微かに見える。




<ナガルコットの棚田>




<柴を運ぶ女性>と<満員のバス(バスの屋根の上まで人があふれている)>
 


昼食後、カトマンズ市内に下りて、パタン地区でブラブラと歩いて撮影しました。
まず、バザールへ。

【バザール】
<八百屋の店頭には野菜が豊富に並んでいます>

 


<衣料品の売り場コーナー>

 


<果物屋も品物は豊富です> <カバンはミッキーマウスの絵が、パクリでしょうか>

 


<バナナ売り このように自転車の売り子も多い> <鍋などの金属加工も盛んです>

  


<カバンを体中にぶら下げた売り子> <魚屋もいます>

   


【マチェンド・ラナート寺院】
《寺院の起源は15世紀ですが、現在の建物は1673年に再建されたもの。
カトマンドゥのセト(白)に対して、ラト・マチェンダラナートと呼ばれる赤い(ラト)御神体が祭られている。シバの化身であるマチェンドラナートは飴雨と豊穣の神で、仏教徒にとっては観音菩薩にあたるため、ヒンドゥー教徒と仏教徒の両方が参詣する。》

<寺院全景>




<狛犬>
狛犬は四方の入口に一対ずつあります




狛犬の顔が面白い




柱には彫刻が

   


【水場】
街中の至る所に泉がわき出しており、水汲みの長い行列ができている
沢山の容器を並べて、女性達の社交場、井戸端会議場でしょうか。




【ダルバール広場】
王宮と数多くの寺院が建ち並んでいます。
建物はマツラ王朝の最盛期にあたる16~18世紀にかけて造られたもので、世界遺産に登録されています。




<旧王宮>




<ムル・チョークの中庭>
王の執務室だった所で、最も古く大きい。北側に立つ寺院には王家の守り神であるタレジュが祀られており、ダサインの祭りではここで水牛やヤギなどが生け贄に捧げられる。




<鳥人ガルーダの像>       <王宮の方を向いた王の像>
鳥人ガルーダはクリシュナ寺院の前に立ち、
クリシュナの化身であるヴィシュスの乗り物
    


<ヴィシュワナート寺院>
シヴァ神を祀った寺院
<寺院の正面入口のゾウ2頭>   <裏側シヴァの乗り物である牡牛>

 



【ゴールデン・テンプル】
金色の仏教寺院で、建立は12世紀、現在の建物は19世紀のものです。

<入口の狛犬>    <中は皮革製品の持ち込みは禁止で革靴も脱ぎます>

 


<金色の本堂>




<庭の四隅に置かれた猿>

   


<金色の本尊>            <狛犬も金色です>
柔和なお顔をしてます         ちょっと滑稽な顔をしています

 

ネパール紀行

2008-12-23 22:52:52 | 風景
第4日目(12月6日)後半
ダンプスがらポカラに下ってきて、フェワ湖に行きました。この湖からもマチャプチャレ等の山々がきれいに見えるところですが、今日は残念ながら雲の中です。


フェワ湖上からアンナプルナサウスが僅かに望まれます。




その後、山も隠れてしまいました。30分間ほどボートで湖上遊覧です。
船頭のおばさんが櫓一本で上手くこいでいきます。




ここでも「鵜」が繁殖しています。




食事の前、時間があるので湖岸を撮影のためブラブラしていると、思いがけず目の前をカワセミ(アオショウビン)が飛んで行きました。慌ててレンズのシャッターを切りました。長いレンズを用意してなかったのが悔やまれます。

アオショウビン(青翡翠、英名:White-breasted Kingfisher)は日本のカワセミより少し大きめです。どちらかといえばアカショウビンに似ています。
《体長は25cmほどで、アカショウビンと同じくらいの大きさ。くちばしと足は赤く、目は黒い。頭から脇腹、腹までは濃い茶色、英名のとおりのどは鮮やかな白、翼の芯は黒い。翼のふちと背中はあざやかな空色で、これが和名の由来になっている。
中近東から東南アジアまで広く分布する。
日本では迷鳥として、南西諸島(石垣島、西表島)において観察記録がある。》
ネパールには6種類のカワセミがいるそうです。








湖岸の沼地には水牛もいました。




昼食は日本料理屋{古都}ですき焼きでした。こんな所で日本料理が食べられるとは。
その後ポカラからカトマンズに飛行機で飛びました。来た時と同じように、ヒマラヤの山々が眼前に開けます。

今まで見てきた、アンナプスルナⅡ峰とⅣ峰とラムジュンヒマール(6986m)が望まれました。




マナスル(8163m)とピーク29(7871m)とヒマルチュリ(7983m)




マナスルとピーク29のアップ




ヒマルチュリのアップ




カトマンズ空港からホテルへ帰り、ゆっくりと風呂に入り2日間の垢を落としました。
ホテルはクリスマスの飾りで飾られていました。








そして夜は盛大な結婚式が行われていました。

花嫁に花束を架ける花婿



きれいな花嫁




先導役の男の子
花婿が現れない間、台の上で盛んに愛嬌を振りまいていました。






ネパール紀行

2008-12-22 21:19:54 | 風景
第4日目(12月6日)
今日は朝方山を撮影した後、ダンプスを下山し、ポカラに行きます。
ポカラで昼食後、飛行機でカトマンズに帰り、ホテルまでの一日です。

昨日、現地の人が言っていたように、今日は朝から見事に晴れました。雪山も暗闇
の中で見ることができます。心うきうきと早めに起床して撮影の用意を整える。
昨日と同じように、朝5時40分に紅茶が運ばれてきました。今日は気分良く紅茶
を飲み、早速裏山に登る準備を整えてみんなの集合を待つ。6時に撮影用具を持っ
て暗がりの中を裏山に出発です。今日は下山する時間が決まっているので、昨日よ
り少し下の見晴らしの良いところで撮影です。


まずアンナプルナサウス(7219m)に朝日が当たりだし、朝焼けが始まりました。
赤く染まるヒマラヤの山々に感激しきりです。




続いて、アンアプルナサウスの奥(北)に位置する、アンナプルナⅠ(8091m)
に日が差し、赤くなってきました。撮影位置が昨日の場所よりちょっと下で、手前の
山が高くなり、昨日の見られたような「ヒマラヤひだ」は鮮明に見られません。




東の方、遠くにマナスル(8163m)が微かに望まれます。
マナスルは日本隊が初登頂した山です。




西の方にはダウラギリ(8167m)が微かに望まれました。




6時半頃、アンナプルナウスが朝焼けに染まりました。
待望の朝焼けです。でも少し雲が出てきたようです。




続いて、待望のマチャプチャレ(別名:フィッシュテール(魚の尾))(6993m)
が赤く染まり出しました。こちらは険しい岩峰の朝焼けです。




アンナプルナⅡ(右)(7937m)、アンアプルナⅣ(左)(7525m)も
赤く染まります。




日が昇り明るくなってきた、アンナプルナサウス。




時間に限りがあるので、心惹かれながら山小屋に下山。小屋の近くの桜と雪山。
天気がいいと絵になる風景です。




ダンプスから眺める広角の風景
右がマチャプチャレ、真ん中がアンナプルナⅠ、左の雲がかかっているのがアンナ
プルナサウス




マチャプチャレの雄姿




段々畑とマチャプチャレ




桜の木とマチャプチャレ






ポカラに下りて来て、マチャプチャレの陰で今まで見えなかった、アンナプルナⅢ(7556m)
が見えてきた。これでアンアプルナ山塊は全て見えたことになる。




ダンプスの山小屋まで車が上がってこられるのか心配していたのですが、今日は
四輪駆動の車を用意して来たようで、問題なく登って来ました。これで、飛行機の
時間を心配することなく行動できます。しかし、登ってくる時にスリップして
登れなかった所にさしかかると、学校の遠足で来ていたスクールバスが同じように
スリップして立ち往生していた。多くの生徒が呆然と見ている。今日は土曜日で
こちらでは休日にあたるため、遠足に来ているのでしょう。我々老人クラブが歩いて
登ったくらいであるから、若い中学生ならあっという間に登れるのではないかと
思いながらも、どうすることもできず我々は下山する。

ネパール紀行

2008-12-21 14:25:32 | 風景
第3日目の早朝の山を撮影した後は、ダンプスの村内をブラブラして、撮影を行いました。
朝方、雲が晴れて見えていた山々もまた雲の中に隠れてしまいました。

<山の学校>
周りの家々とは似つかわしくない、非常に立派な建物の学校です。日本の援助で建てられたとか。
小学生から高校生までが学んでいるようです。朝礼をしていたようですが、後から
ぞろぞろと生徒が遅れてやってきていました。




ネパールは金曜日が半ドンで、土曜日が休日のようです。今日は金曜日、生徒も
早く学校から帰ってきていました。
この国は生徒・学生を非常に大切に扱っているようです。生徒の身なりも立派で、
日本の私立の学校と同じような制服を着ています。周りの人達の服装と比べると
もの凄いギャップを感じます。
学校では英語が必須のようで小さな子も英語を勉強していました。そのため若い人
はほとんど英語がしゃべれるようです。日本では英語を勉強してもしゃべれない
人が多いのに。

学校帰りの生徒達。みんな顔は明るい。




家は平らな石を積み上げた石造りが多い。冬は寒そうである。




道も石畳の道である。塀も石積みで、「石塀小路」です。




今はトウモロコシの収穫が終わり、各家でこのようにして干しています。




牛の肉をみんなで分配。きれいに等分量で集落の頭数分にわけています。




柴を運ぶ女性。ここでは柴運びは女性の仕事のようです。




籾殻をとばすお婆さん。




庭で井戸端会議の女性達。どこでも暇があれば髪結いをしてます。お洒落好きなの
でしょう。




子供にも髪結いをしています。




カメラを向けると恥ずかしそうな顔をした娘さん。




<子供達>

草原で遊ぶ




山の上で会った女の子。我々が居るのを見て下の方の家から上がってきた。
上半身は防寒対策しているが、足は素足である。




女の子




山小屋の娘。もらった飴をしゃぶっていた。




女学生。鼻のピアスはこのころからやっている。




水牛の頭に鳥が留まっていた。カラスではなさそうであるが、名前は分からない。




今日もヒマラヤの山々は雲の中で全く見えない。山の夕焼けも見えず終いである。
夕方、停電になり、手持ち無沙汰で付近をうろついていると、若者から日本語で
話しかけられた。結構上手にしゃべる。ポカラの街の文化学院で日本語を4年間
勉強したとか。日本語学科は60人ぐらいの生徒数で、日本人の講師が4人で教え
ているとの事である。今はこの村で機織りをしてるそうである。観光客の土産物用
であろうか。

この若者の話によると、この天気では明日はいい天気になり、山が見えるようになるとのことである。現地の人が言うのであるから間違いないだろうと、明日の天気を期待して寝ることとした。夜は停電で、テレビも無く何もすることがない。寝るしかないのである。至って健康的な生活である。




ネパール紀行

2008-12-20 16:32:54 | 風景
第3日目(12月5日)はネパール ダンプスで終日撮影です。
夜中から天候が気になって夜空を見上げるが星が見えない。曇り空のようである。
本来なら星が降るように見られはずである。
夜もそれほど寒く無かったので、天気は悪いように感じていたのであるが。

朝、5時40分モーニングコールの代わりにホット紅茶と洗面用のお湯を運んでくれる。
でもほとんどの人達がすでに起きて庭に出て騒いでいる。みんな天気が気になる
ようである。でもヒマラヤの雪山は全く見えない。
日本から持参したカロリーメイトと紅茶で腹ごしらえをする。寒さの中、ホット
紅茶は美味しかった。山小屋のすてきなサービスである。

早朝6時まだ薄暗い中、もう少し山がよく見える裏山にカメラと三脚を持って出発。
30分ほど登って尾根の見晴らしのいい場所に陣取る。何とか山が覗いてくれない
か期待するのであるが、山々は雲の中である。日の出は6時半頃で、早く山が覗い
てくれないと朝焼けもなくなってしまう。
6時40分頃に雲の切れ目からマチャプチャレ(6993m)が僅かに顔を覗かせる。
待望の朝焼けのマチャプチャレであるが、なかなかそれ以上に雲は晴れない。




太陽も雲の中をかなり昇ってきているようである。
東の方に目をやると、雲と光の光芒がきれいである。




1時間ほど待って、やっとマチャプチャレの西のアンナプルナサウス(7219m)
の中腹が見えてくる。段々と雲はとれてきているようである。




そして、アンナプルナサウスの奥(北側)に位置するアンナプルナⅠ峰が顔を
見せる。雲は低空にたなびいて、上空は晴れているようである。
アンナプルナⅠ(8091m)はアンナプルナ山塊では唯一の8千メートル峰である。
雪山の斜面の「ヒマラヤひだ」がきれいである。「ヒマラヤひだ」は、ヒマラヤの
雪山だけに見られるもので、ヨーロッパアルプスでも見ることができない。



望遠で引きつけた「ヒマラヤひだ」。




山の反対側(南)は眼下に棚田が広がっている。この付近2千メートルの標高であるが
急峻な山の斜面に棚田が広がっています。一部の田圃には菜の花がまだ残っていました。




急速な天気の回復がこれ以上期待できないので、心をひかれながら山小屋に戻り、
朝食とする。日本から取り寄せたというみそ汁が美味しかった。

そのころから段々と雲も晴れてきて、眼前にヒマラヤの山々が望まれだす。

山小屋からの山々の眺め。左が、アンナプルナサウス、真ん中がマチャプチャレ、
右端がアンナプルナⅣとⅡ。




マチャプチャレ(6993m)(別名:フィッシュテール、魚の尾ヒレのような格好をしている)






アンナプルナサウス(7219m)




アンナプルナⅠ(8091m)
この付近での唯一の8千米峰である。アンナプルナサウスの奥にある雪山。
下に下りるほど手前の山に隠れてくる。




アンアプルナⅣ(7525m)(左)とアンナプルナⅡ(7937m)(右)




朝食後、村内をブラブラして撮影をする。
山の中の農家。雪山がきれいに見えると絵になるのであるが。




山の斜面には棚田が続く。






桜が満開でした。
雪山が望まれると絵になるのであるが、残念。




桜と棚田




ネパール紀行

2008-12-19 21:23:54 | 風景
第2日目(12月4日)はカトマンズからポカラまで飛行機で行き、そこから
ダンプスの山小屋まで車で上ります。

今日は快晴の天気で、ホテルからきれいな日の出が見られました。
乾期の今の時期はこのような天気が続くものと確信していたのですが。




ホテルを7時に出発。カトマンズ空港に向かうにつれ霧が濃くなってきました。
空港は霧の中で飛行機の発着ができず、大幅に遅れました。
この時期はカトマンズは盆地のため霧が深く立ちこめるようです。
空港内は時間待ちの人達で大混雑です。右はこれでもポストです。

   


10時頃やっと霧が晴れてきました。まず、7時発予定のエベレスト遊覧の飛行機
が数多く飛び立って行きました。この遊覧飛行がこちらのドル箱路線で最優先です。
2回目の遊覧飛行の一団が飛び立った後、やっと我々の出発の番となりました。
左は我々の手荷物です。うず高く積み上げられているだけのようで、落ちそうです。
カトマンズ空港は小さな空港で、車で飛行機まで行きます。

   


途中にたなびく雲を突き抜けると、上は雲一つ無い快晴です。
雲海の上に浮かぶヒマラヤの山々が眼前に開けてきます。初めて見るヒマラヤの
山々に大感動です。





マナスル三山が見えてきました。
左から、マナスル(8163m)、 ピーク29(7871m)、 ヒマルチュリ(7893m)




 左:マナスル(8,163m)、 右:ピーク29(7,871m)




カトマンズから30分ほどでポカラ空港に到着。
小さな空港で、歩いて到着口へ行きます。 手荷物も荷車に積んで人が押して持ってきました。
そして人力で受け取り口に運んできます。


    


国立公園に入るには登山ばかりでなく、単なる撮影でも入山許可書が必要なようです。
ここ「ポカラツーリスト サービスセンター」で申請します。
その際、写真2枚が必要で持ってない人は近くの店屋で写真を写しました。
あらかじめ聞いてなかったので多くの人は写真を持っていません。我が家では
パスポートを紛失した時のために写真2枚は持っていくようにしており、それが
使えました。




申請時間が結構長くかかり、その間付近で時間つぶしです。
家族が日向ぼっこをしながら、遊んでいました。




男の子が犬を連れて出てきました。




菩提樹の古木




足下には守り神か。コブラの神です。
この付近にコブラがいるのでしょうか。ポカラの街ではコブラ使いがいました。
写真を写そうとするとコブラを引っ込めてしまいます。撮影するには金がいるよう
です。




入山許可書ももらい、昼食後、車2台に分譲し、ダンプスに向かいます。

途中、川に掛かる吊り橋です。長く、高い所に掛かっています。保護柵も無く、
恐そうです。




下の川に鳥が。アヒルだそうです。ネパールのアヒルは黒白の斑模様です。




崖っぷちに立つ女の子。




標高1220mのフェディからガタガタの山道に入ります。少し前まではここから
トレッキングでダンプス(1799m)まで上がったようです。今でも、多くの
人達は歩いて上がっています。

途中、竹で作ったブランコがありました。この辺りのブランコはこのようにして
作っています。



山の中で段々畑が続いています。




農作業の牛さん。作業が終わり草を食べていましたが、二頭立てで、お互い自由に
なりません。一頭はもう一頭が食べた後ばかりに引っ張られます。




この後、しばらく登ったところで、山道が急になり、水が流れ出ているところで
車がスリップしてしまい、上がらなくなってしまいました。何度も勢いをつけて
登ろうとするのですが、同じ所に来るとスリップして上がることができません。
車は日本車のポンコツで、タイヤもツルツル、四輪駆動でもなく、到底無理な
ようです。上の山小屋からポーターを呼んだのですが、手ぶらでスコップもなく、
どうすることもできません。
かなり時間も経ったので、我々は荷物を車に残して歩いて上がることにしました。
1時間ほどの登山で山小屋にやっと到着しましたが、そのころはあたりも暗くなっ
ていました。山は雲がかかり、夕焼けを見ることもできませんでした。
順調なら昼過ぎには到着する予定でしたが、今日は朝から予定外れの1日でした。

車に残した荷物はポーターが運ぶつもりだったようですが、運良く上から撮影隊の
車が下りてきたようで、その車に積んでもらい暗くなって荷物も到着しました。
しかし、ここは朝と、夕方に停電があり、8時頃までローソクの明かりで食事、
荷物の整理や寝床の用意をしました。
昔ながらの山の暮らしです。

寝具は寝袋1枚です。もの凄く寒いと聞いていたのですが、湯たんぽを用意して
くれて、朝まで暖かく寝ることができました。



ネパール紀行

2008-12-18 14:59:01 | 風景
ヒマラヤの8000m級の山々を見にネパールに行って来ました。
今は乾期の時期で天気は晴れが続いているのですが、山は雲に隠れることも
あり、快晴とまでは行きませんでしたが、何とか雪で覆われた雄大な山々を
見ることができました。

ネパールはもの凄い砂ほこりで、喉をやられまして、帰ってから風邪をひき、
咳と鼻水に悩まされています。いまだにスッキリしない毎日を送っています。


【広州】

関空から広州経由でネパールに入りました。広州までは時差1時間で、所要4時間
のフライトです。
広州白雲空港は広大なハブ空港です。関空などは比べ物になりません。ただ交通の
便は無く、離れたゲートにも歩いて行くしかなく大変のようです。2010年には
アジア大会が開かれる予定で地下鉄の建設などのインフラ整備が急速に進められています。
現地の人は間に合わないと言っていますが、オリンピックの時も何とか間に合わせた
中国です。

夕方広州に着き、翌日広州見物をした後カトマンズに向かいました。


<広州の夜景>
夜は珠江には遊覧船が走り、賑やかです。




<宿泊したホテル>
華厦大酒店(Landmark Canton Hotel)、きれいなホテルでしたが、風呂の排水
が悪かった。
39楷建ての高層ビルです。最上階が食堂で日の出を見ながらの朝食でした。




<日の出>
珠江の日の出です。




広州は最近急速に発展しているようで、きれいな高層ビルが建ち並んでいます。




<太極拳>
ホテルの前の公園では多くの人達が太極拳をやっていました。こんなグループが
なんグループもあります。




一人で剣の舞をしている人もいました。
こちらは迫力あります。




<健康器具>
スポーツジムにあるような健康器具が歩道上に並んでいます。みんなここでそれ
ぞれ好みに合わせて運動をしています。日本だとすぐに子供達が占領しそう。




<羊蹄花(紫蘇芯花)>
広州市の花「羊蹄花(紫蘇芯花)」(Bauhinia purpurea)
市内のあちこちで咲いていました。



      


《清暉園》
仏山の梁園、番禺余蔭山房、東莞可園と並ぶ広東四大名園の一つ。
中国の十大名園に入っている唯一の広東省の古典庭園で、省クラス文化財に指定
されている。
明末万歴年間の状元(科挙試験で一番の成績をとった者の呼称)、礼部尚書黄士俊
が明天啓元年(1621年)に建立。敷地面積2.2万㎡の園内は“園の中に園があり、
景の外に景が有る”と称えられ、碧水、緑樹、石山、小橋、亭、楼閣が美しく優美
な庭園である。

<清暉園入口>




<噴水>




<奇岩を積み重ねた山を背景に持つ庭>




<中国風の庭園>




<池には鯉が沢山泳いでいました>




<窓からの眺め>




<ガラス絵がきれいです>

 

  

  

  


《陳氏書院》
「陳家祠」とも呼ばれ、清朝末期の1894年に、広東省72県に住む『陳』姓の一族
が祖先を祭るとともに子孫の学習機関として創建しました。伝統的な広東式建築
の代表的なもので、屋根の上、壁、戸、などの精巧な彫刻の飾りには圧倒される。
もの凄い「うだつが上がった」建物である。
敷地は約1万㎡、9堂6院を有しています。


<陳氏書院入口>




<正面>




<屋根の彫刻>






<入口の扉の絵>
仁王様と同じ




<内陣の正面>




<内陣の屋根の彫刻>
しゃちほこ立ち






<ガラスの絵>

  


《六榕寺》
南朝梁大同三年(537年)建立。別名「花塔」と呼ばれる高さ57mの美しい舎利塔は
広州に残る古建築物の中では最も高い建物。10世紀に焼失したものを1931年に再建。

<舎利塔>









《沙面公園》
外国人居留地に面した公園。今はアベックのデート公園のようです。
公園の入口にはこのような銅像が。欧米人への風刺でしょうか。







夕食を広州白雲空港にあるホテルでとり、夕刻ネパール カトマンズに。
「食は広州にあり」と言われるように、広州の食事はどこも美味しかった。

宇治の紅葉

2008-12-01 22:09:57 | 風景
宇治の秋を散策してきました。紅葉も見頃が続いています。
連休も過ぎて観光客も少なくなってきており、絶好の時期です。

【興聖寺の紅葉】
入口の紅葉




お寺の入口
今年は赤い紅葉が少ないようです。




琴坂




イロハカエデは真っ赤に紅葉していました




【塔の島】
十三重の塔と紅葉




【宇治川の紅葉】
モミジが真っ赤紅葉しています。今が一番見頃の紅葉でしょう。










明日からネパールにヒマラヤを眺めに行って来ます。
エベレストは遊覧飛行で見る予定にしています。天気がよいといいのですが。
しばらくブログは休ませていただきます。