四季おりおり

季節の移ろいの写真を気の向くままに載せています。

エジプト紀行(Ⅹ)

2008-03-17 12:45:10 | 風景
第9日目 (3月1日)

今日はエジプト最後の日です。
飛行機が午後遅くの出発ですので、午前中にルクソール西岸のメムノンの巨像、
ハトシェプスト女王葬祭殿そして王家の谷の見学を行いました。
王家の谷では出発前に旅行社に問い合わせたところ、ツタンカーメンの墓に
入る余裕はないとのことでしたが、現地では時間があり入ることができました。
墓の中の玄室は狭かったですが、きれいな壁画が残っていて感激でした。ツタン
カーメンのミイラも見ることができラッキーでした。

15時10分ルクソール発の飛行機でエジプトを離れました。
待望のピラミッド、ツタンカーメンの黄金のマスク、ツタンカーメンの墓の見学
ができ、天気も良く、事故もなく、楽しい旅ができました。



メムノンの巨像

アメンヘテプ3世の像で、高さが15.6m、台座が2.3mあります。
像の後ろには葬祭殿があったようで、現在発掘中です。



         


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ハトシェプスト女王葬祭殿


エジプトで初めての女王、ハトシェプストがアメン神、父トトメス1世、そして
自らのために造営した葬祭殿です。
岩山の前に建つ秀麗な姿の葬祭殿です。巨大なテラスが3段になっています。
葬祭殿へは観光バスが入れず電気自動車に乗り換えて行きます。




  <端正のとれた葬祭殿>          <ハトシェプスト女王の像が並んでいます>
      


第2テラスに描かれた壁画は彩色も残ってきれいです。

      


<第2段テラスから第3段テラスへの傾斜道にあるハヤブサ>          
 


<第3段テラスにあるハトシェプスト女王の像>
男に見られるように付けひげをしているが、顔は女性の顔である。
  


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王家の谷

トトメス1世以降の新王国時代の歴代の王がここに墓を造っています。
緑のない荒涼とした砂漠の中の岩山の至る所に墓が造られています。
墓の中はカメラ撮影禁止で写真を撮ることはできませんでした。残念!

一枚の入場券で3つの墓に入ることができます。ガイドさんがお勧めの墓を推奨
してくれていたのですが、手持ちの地図もなく墓がどこにあるか探し回るのに苦労しました。
観光時間も少なく、有名な墓には多くの人が集中して列を造っているため、時間が
かかり慌てました。ゆっくりと壁画を鑑賞するためには、ここでの観光時間が
長いツアーを選ぶべきでしょう。

ここでも観光バスは手前で降りて、電気自動車に乗り換えて谷に入っていきます(左図)。
墓見物の起点です。後方の山は三角形でピラミッドのようです(右図)。

     

山の上にトトメス1世の墓があります。時間が無く、行けませんでした。




ツタンカーメンの墓は別料金で80LB(約1600円)払って入ります。
エジプト政府は内部保存のために入場制限を打ち出したのですが、観光会社が
すでに墓に入ることをうたい文句に募集しているため約束違反になり問題と反対
したため制限が延期されているようです。いづれ入場制限されていくのでしょう。

墓の内部は他の王達のものに比べ狭く、小さいです。入ったところにミイラが
展示されています。当然ながら顔は黄金のマスクの美しさにはおよびもしません。
奥の玄室には壁画が残っています。こじんまりとしたものですが、きれいな色が
残っています。でもよく見るとカビがポツポツできているように見えます。早く
対策を打つ必要があるのではないでしょうか。
エジプト考古博物館で見た棺を入れた部屋がよくこの狭い玄室に収められていた
ものだと感心させられます。部屋一杯のようです。どのようにして収め、また
運び出したのでしょう。


ツタンカーメンの墓の入り口の説明板

   

ツタンカーメン入り口の看板




<ラムセス2世の墓の案内図>         <ラムセス3世の墓の案内図>
    


ラムサセ3世の墓の入り口です。どの墓の入り口もこのような格好です。
ここの壁画は有名で、きれいに残っているため長蛇の列でした。




エジプト旅行も最後となりました。ルクソール空港から帰路につきます。
ルクソール空港は非常にきれいでした。到着したアレキサンドリアの空港に比べると
雲泥の差です。外国からの観光客が多い空港はきれいにしているのでしょう。


エジプト紀行(Ⅸ)

2008-03-17 09:44:48 | 風景
2月29日午後からはルクソール東岸のカルナック神殿とルクソール神殿の見学です。

カルナック神殿

マメン神は古王国時代はテーベという地方の小都市の神でしかなかったが、
中王国時代にテーベが発展すると共に第12王朝の時代、太陽神ラーと統合し
マメン・ラー神となって国家最高の神の存在となった。
カルナック神殿はこのアメン神を祭るアメン大神殿を中心に、歴代の王が次々と
神殿を増築し、エジプトでも最大規模の神殿となりました。

入り口から入ると、眼前に巨大な門が迫ってきます。これが第1塔門です。
この第1塔門は第22王朝のシェションク1世が造営したもので、幅113m、
高さ43mと巨大なものです。
 
<第1塔門>



その前の参道には左右40体の羊の頭を持つスフィンクスが並んでいます。

    


第1塔門をくぐると第1中庭に出ます。幅103m、奥行き84mの広さです。
ここもシェションク1世が造営したものです。
ここにも牡羊の頭を持つスフィンクスが並んでいます。
大理石製のツタンカーメン似のかわいいスフィンクスも目をひきます。

    


第1中庭にはセティ2世の神殿があります。さらに中庭の南側から入れるように
ラムセス3世が造営した神殿があります。神殿の左右にはラムセス3世像が並んでいます。

  <ラムセス3世の神殿>              <ラムセス3世像>
    


第1中庭を抜けると第2塔門があります。第2の塔門は第18王朝ホルエムヘブ王
が着工し、ラムセス2世が完成させたものです。
その前にラムセス2世の巨大像が左右に立っています。



     


第2塔門を抜けると巨大な石柱が林立する大列柱室です。その数134本です。
中央2列に並ぶ12本の開花式パピルス柱(左図)が最も高く約21mあります。
その他の閉花式の柱(右図)は高さ約15mです。ここは第18王朝アメンヘテプ
3世が着工し、ラムセス2世が装飾の大部分を完成させたものです。

 <頭が開いた開花式柱>           <頭が閉じた閉花式柱>
     


大列柱室を抜けるとアメンヘテプ3世が造営した第3塔門です。ここから2本の
オベリスクが望まれます。手前右側のオベリスクはトトメス1世のオベリスクで、
奥の左側のオベリスクはハトシェプスト女王のオベリスクです。




トトメス1世のオベリスクは同王が造営した第4塔門の前にあり、
高さ19.5m、重さ約130tあります。
右側の1本のみが残っています。




ハトシェプスト女王のオベリスクはトトメス1世が造営した第4塔門と第5塔門の
間に立っています。女王の威厳を誇示するためにトトメス1世のオベリスクより高く、
高さ29.56m、重さ約323tもあります。
左側のオベリスクは立ったままの状態で残っていますが、右側のオベリスクは
倒れた状態で残っています。
これらのオベリスクはアスワン産の赤色花崗岩で制作されたもので、アスワンから
ナイル川を下って運ばれたものです。

   


倒れたハトシェプスト女王のオベリスクの側にケプリ神を表す巨大なスカラベ
(フンコロガシ)の大理石像があります。ケプリ神は創造神として太陽神ラー
と同一視されたものです。
後方に見えるのはトトメス1世のオベリスクです。




第5塔門から奥にはプトレマイオス時代の至聖所が望まれます。
その奥にはこの神殿の基である、中王国時代の神殿跡があります。
さらにその後方にはトトメス3世の祝祭殿があるそうです。
時間が無く、最奥部までは行かれませんでした。




 <プトレマイオス時代の至聖所>          <梁や天井の彩色がきれいに残っています>
       


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ルクソール神殿

ルクソール神殿は中王国時代にはこの地に建設されていたと言われており、その後
新王国時代の第18王朝アメンヘテプ3世、第19王朝ラムセス2世が現存する
大部分の神殿を作り上げました。
この神殿は、カルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として建立
されたもので、アメン大神殿とは約3kmの参道でつながっていた。この参道は
年に1回、アメン神がルクソール神殿に訪れるというオペトの大祭のために造られた
ものです。

ルクソール神殿に入ったのは日も暮れた18時頃でした。古神殿のライトアップは
きれいでしたが、写真は撮りにくかったです。できれば、明るい内に訪れて写真を撮り、
夜に三脚を持って再度訪問しライトアップを楽しむ余裕が欲しかったです。
また夕日が落ちたのは17時45分頃で、もう少し早く入っていれば、神殿の柱の
間に沈む夕日や夕焼けが撮せたのにと悔やまれます。写真に興味のないガイドでは
致し方ないのでしょうが。

第1塔門は幅65m、高さ24mあり、レリーフにはラムセス2世とヒッタイト軍
が戦った「カディシュの戦い」が描かれています。
第1塔門の前には高さ25mのオベリスクが1本、ラムセス2世の座像、立像が
あります。



入り口の左右ににラムセス2世の座像があります。傍らにある立像は4体の内、
1体だけ残って他は壊れていますが、頭部だけが残っていました。ライトアップ
で照らされていました。

    


オベリスクは左右2本ありましたが、右側の1本は1833年、フランス パリに
運ばれ、1836年にコンコルド広場に立てられています。右図はオベリスク基台の
ヒヒの像です。

   


第1塔門を抜けるとラムセス2世の中庭に出ます。2列の閉架式パピルス柱で囲まれて
います。柱と柱の間にラムセス2世像が立っています。
この中庭の一部に場違いと思われるモスクが建設されています(右)。
神殿が埋まっている間に建てられたもので、1243年に亡くなったイスラームの
聖人、ユーセフ・アブー・エル・ハッジャージを偲んで建てられたものです。

    


中庭の南側、第2塔門の入り口にラムセス2世座像があります。
その奥には巨大な柱が並ぶ大列柱廊が続いています。

   


大列柱廊は高さ約19mの巨大な開花式パピルス柱が2列14本並んでいます。
この大列柱廊から奥(南側)はアメンヘテプ3世が造営したもので、アメンヘテプ
3世が造営した部分は、北側のラムセス2世が造営した部分に対して主軸が東に
10度傾いています。

     


大列柱廊の入り口にツタンカーメン王の大理石の座像があります。
王妃アンケセナーメンと仲良く並んでいます。仲の良さが偲ばれます。




大列柱廊を抜けるとアメンヘテプ3世の中庭に出ます。柱のライトアップがきれいでした。

    


アメンヘテプ3世の中庭の南側には32本の列柱室があり、この奥にはローマ人
によって皇帝崇拝の場に改築された広間があります。

壁はキリスト教の壁画に塗り直されています。

さらにその奥にアレキサンダー大王の間がありますが、暗くて写真になりません
でした。

エジプト紀行(Ⅷ)

2008-03-15 00:46:39 | 風景
第8日目 (2月29日)

今日はかなりハードなスケジュールで4ヶ所の遺跡を巡ります。
午前中はコム・オンボのコム・オンボ神殿、エドフのホルス神殿、午後からルクソール
東岸のルクソール神殿とカルナック神殿の見物です。

アスワンからコム・オンボ、エドフまでは昨日と同様に警察に守られての移動です。
出発の時間が決められていて、コム・オンボの見学時間も1時間と時間厳守です。
遅れることは許されません。


アスワンの日の出

ホテルから眺める日の出です。今日もいい天気で、気温が上がることでしょう。




コム・オンボ神殿

コム・オンボとはエジプト語で「金のある所」という意味だそうです。
ナイル川のほとりの小高い丘の上に造られており、ナイル川が眼下に見下ろされます。
コム・オンンボ神殿は新王朝時代にトトメス3世が造った神殿の跡地にプトレマイオス6世
が建てたものです。
こちらの神殿は、二重構造で全く左右対称に造られています。出入り口も2つあり、
至聖所も2つあります。向かって左がホルウェル神(ハヤブサ)、右がセペタ神
(ワニ)をそれぞれ祭っています。両神は兄弟でホルウェル神が兄にあたります。
柱や天井の石組みもかなりよく残っています。ワニのミイラも保存されています。




左側(ホルウェル神)の入り口



天井の太陽神を象徴する有翼日輪の彩色もきれいに残っています。



ファラオと神々のレリーフ
左はセペタ神(ワニ)とファラオ、右はトト神とホルウェル神からアンクを注がれるファラオ。

  


      当時の暦                    出産の図
  


ナイル川の雄大な流れが眼下に見下ろされます




ホルス神殿

ホルス神殿はハヤブサの形をしたホルス神を祭る神殿です。かなり保存状態がよく建物もよく残っています。
プトレマイオス朝時代のもので、紀元前237年に着工し、約2世紀をかけて完成
したものです。

正面の塔門は幅79m、高さ36mあり、ファラオがホルス神とハトホル女神に
生け贄を捧げている様子が彫られています。



塔門のホルス神



塔門を入ると列柱に囲まれた広い中庭に出ます。
神殿の入り口にはホルス神の像があります。きれいに残っています。

  

   至聖所に祭られた聖なる船          ホルス神、右は母親のイシス神
  



道ではロバの荷馬車によく出会います
農村風景です。

  

   




エジプト紀行(Ⅶ)

2008-03-14 00:37:35 | 風景
第7日目 (2月28日)

今日は、アブ・シンベル神殿の夜明け鑑賞をした後、ホテルで朝食後、昨日と
同様に、警察に警護されてアブ・シンベルからアスワンに戻ります。
アスワンではアスワンハイダムを見物後、ファルーカでナイル川をセーリング
しました。そして昨日行く予定であった、イシス神殿を観光後ホテルに入りました。


アブ・シンベル神殿の夜明け

夜明けを待つため早朝からアブ・シンベル神殿に入りました。これで3度目の
アブ・シンベル神殿です。
最高の天気で、ナセル湖から昇る朝日は感動的でした。




「朝焼けのアブ・シンベル神殿」
大神殿、小神殿を一望です。
朝陽が神殿に当たり真っ赤に染まります。感動的な瞬間です。



「大神殿のラムセス2世像の朝焼け」




「小神殿のラムセス2世像と王妃ネフェルタリの像の朝焼け」



「至聖所に朝陽が入って」
神殿の最も奥に至聖所が祭られています。太陽神ラー・ホルアクティ、神格化
されたラムセス2世、王の守護神アメン・ラー、宇宙の創造の神ブタハの4体の
神が祭られています。毎年2回、2月22日と10月22日に太陽が差し込んで
神々の像を浮かび上がらせます。移設前はラムセス2世の誕生日である2月21日
に朝陽が差し込むようになっていたそうですが、移設後は1日ずれて22日に
差し込むようになってしまったようです。天文学的に検討され移設したはずですが
1日ずれてしまったとか。3000年前の天文学の方が技術が高かったのかな。

その中のラムセス2世(右)とアメン・ラー(左)に朝陽があたりました。


    ラムセス2世像と月           太陽神ラー・ホルアクティ
  


アブシンベル神殿の上を舞うハヤブサ
10羽ほどのハヤブサが上空を舞っていました。ハヤブサは古代エジプトでは
ホルス神として祭られるほどで昔から生息していたのでしょう。
なおアスワンの方にはトキも生息しているようです。トキもトト神として祭られています。
また、エジプトの本屋でエジプトの鳥の本があったのですが、表紙はヤマセミの
写真が載っていました。エジプトにもヤマセミがいるようです。カワセミはいるので
しょうか。




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アスワンハイダム

1964年に建設された長さ約3600m、高さ約111mのロックフィル式ダムです。
砂漠を潤す農業用水と電力の確保が目的です。
このダムは軍事的な機密になっており、軍隊が管理しているそうです。カメラ撮影
も望遠レンズでの撮影は禁止されているそうです。

   
    上流のナセル湖方面             下流のナイル川方面


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ファルーカによるナイル川セーリング

ファルーカ(帆掛け船)でナイル川を1時間セーリングしました。頬をなでる風が
爽やかでした。

   


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イシス神殿

イシス女神を祭った神殿です。プトレマイオス朝から古代ローマ帝国時代に建設
されたものです。この神殿もダムの建設により一度は沈んでしまったものを他の
島に移したものです。船に乗って神殿の島まで渡ります。

湖上から眺めるイシス神殿全景




ネクタネポ1世のキオスク
柱の列と第1塔門。14本の柱には牛の耳をしたハトホル女神の装飾がされている。



第1塔門にはイシス、ホルス、ハトホルに生け贄を捧げるファラオが描かれている

  

   
     柱 列                   神殿の入り口


トラヤヌス帝のキオスク
ローマ風の建物です。

   


アスワンの町の夜景
ホテルのベランダから望む夜景。ナイル川の方面です。

   

エジプト紀行(Ⅵ)

2008-03-13 00:21:21 | 風景
第6日目 (2月27日)

今日はアスワンで古代の石切場を見学した後、砂漠の中をアブ・シンベルに行きます。
その後アブ・シンベル神殿を観光した後、ホテルに帰り夕食後、再度アブ・シンベル神殿
で「音と光のショー」を鑑賞です。


寝台特急ナイルエキスプレス(1等車)でカイロからアスワンに向かいました。
こちらの列車は1時間や2時間の遅れは常であると言われていたのですが、カイロ
は30分遅れで出発しました。
朝6時半、ルクソール駅を出たところで日の出となりました。しばし、列車の中から
日の出を鑑賞です。


アスワン駅には9時12分に到着、予定より約30分の遅れでしたが、こちらでは
上出来の部類でしょう。ちなみに、翌々日、アスワンからコムオンボ、エドフに
バスで行く途中、線路脇を走りますが、寝台列車に会ったのは12時頃でした。
ものすごい遅れです。この時間ではアスワンからアブ・シンベルに集団で行く時間
には全く間に合わず、特別に警察の警護を頼む必要があるとのこと。

アスワン駅に到着しスーツケースを下ろす        アスワン駅
  



古代の石切場

当初の予定ではイシス神殿の見学予定でしたが、時間が間に合わないため、翌日
行く予定だった「古代の石切場」の見物になりました。
古代からアスワン周辺は良質な大理石が大量に産出されるため、ピラミッドや
神殿の建設や色々の像やオベリスクを作るためにここから切り出され、ナイル川
の氾濫時に運ばれていきました。その石切場跡が残されています。切りかけの
オベリスクが残っています。切り出しの途中でひびが入ったため、そのまま放置
されたもののようです。

  
     古代の石切場                切りかけのオベリスク


砂漠の蜃気楼

アスワンからアブ・シンベルまで約3時間、砂漠の中を走ります。この間は前後を
警察に警護され、集団で移動していきます。途中で止まることもできません。
これに送れると危険を承知で走るか、自前で警察の警護を雇って行かねばならない
ようです。

途中、きれいな蜃気楼が見られます。まるで海の側を走っているようです。



   

砂漠の風景もきれいでした。遠くに見えるのはピラミッドではありません。



アブ・シンベル神殿

遅い昼食後、アブ・シンベル神殿の見学です。
この神殿は新王国時代19王朝の紀元前1250年ごろにラムセス2世によって
建造されました。岩山をくり抜いて造られた岩窟神殿です。
この神殿は本当は下の方にあったのですが、アスワンハイダムの建設により湖底に
水没する危険性が出たため、この場所にそっくり移築されたものです。
ここも残念ながら神殿の中は撮影禁止でした。

大神殿の前のラムセス2世座像。4体あるが、左から20代、40代、60代、
80代の姿とか。そして一番可愛がった王妃とその子供達の像を足下に造っています。



ラムセス2世像のアップ             神殿内のラムセス2世のオシリス柱
    


入り口の上にある太陽神              足下の王妃と子供の像
    

神殿入り口のレリーフ(戦場で捕らえた捕虜たち)    台座のカルトゥーシュ
    

小神殿
小神殿はラムセス2世が第1王妃ネフェルタリのために築いた神殿です。
入り口を中心に2体のネフェルタリ像と4体のラムセス2世像が交互に立っています。



ナセル湖の夕景

ナセル湖の彼方の砂漠に沈む夕日がきれいでした。(ホオテルから撮す)



アブ・シンベル神殿の音と光のショー

夜8時よりアブ・シンベル神殿で「音と光のショー」が催されました。
ラムセス2世の治世を映像で語っていきます。2回目のショーは日本語で行われ
ました。これは来訪者が日本人が2番目に多かったからだそうです。

大神殿のラムセス2世像のライトアップ




小神殿のライトアップ


ラムセス2世が最も愛した王妃ネフェルタリ
   




エジプト紀行(Ⅴ)

2008-03-11 23:04:36 | 風景
第5日目 (2月26日)
今日はカイロ市内の観光でした。
エジプト考古学博物館、聖ジョージ教会、モハメド・アリ・モスク、ハン・ハリーリ・バザールを見学しました。
その後、夜行寝台列車でアスワンに向かいました。


エジプト考古学博物館



建物の正面の額に掲げられている彫刻
    


博物館は1853年、フランス人考古学者マリエットによって建設されました。
ここには12万点におよぶエジプトのコレクションが展示されています。
エジプトで発掘された色々な埋葬品やミイラが展示されていますが、やはり最大の
見せ場はツタンカーメンの副葬品でしょう。墓に収納されていたほとんど副葬品が
ここに展示されています。
残念ながら博物館内は写真撮影が禁止されており、写真にすることはできませんでした。
見学時間は2時間でしたが、ガイドの説明の時間が長く、ゆっくりと見る時間が
ありませんでした。もう少し時間が欲しかった。


ツタンカーメンの秘宝

<黄金のマスク>
黄金のマスクは昔京都の美術館に来たことがあります。長い列を並んで見学しました。
それ以来の対面です。黄金に輝くマスクに会えたのは改めて感激です。

<黄金の内棺、外棺>
棺は3重になっていましたが、一番内側とその外側の棺が展示されています。
内棺は黄金製で、外棺は木製に金箔を張った物です。
素晴らしい彫刻が施されています。

<黄金の玉座>
ツタンカーメンとその王妃アンケセナーメンが彫刻された玉座です。
仲の良い二人を表したもので、よくテレビなどでも紹介されています。

<石棺が収められていた部屋>
石棺は7重の部屋に収められていたそうです。その5つが展示されています。
一番外側の部屋は墓の石室いっぱいいっぱいではないかと推測されます。

その他、<カノボス櫃とカノボス容器><アヌビス神>など沢山の貴重な副葬品を
見ることができます。


博物館の前庭に展示されてる埋蔵品です。

   

   

   



聖ジョージ教会

オールド・カイロにある聖ジョージ教会はギリシャ正教の教会です。
小さなドーム状の教会ですが、内部は立派でした。

<

  


モハメド・アリ・モスク

十字軍から守るため1176年に丘の上に城塞を建設しました。
その一角に1824年ムハンマド・アリがビザンチン(オスマントルコ)様式の
モスクを建築しました。ドーム型の天井からは多数のランプが吊されています。
中庭の時計台はムハンマド・アリがフランスにルクソール神殿のオベリスクを
贈った時のお返しとして贈られた物で、バロック様式の美しいものですが、贈られて
すぐに壊れてしまって動かないそうです。



時計塔(フランスにオベリスクを贈った代わりに贈られた)  貯水槽
    

  内部の祭壇                   天井から吊されたランプ
   

  中庭の柱列                       城 壁
   


ハン・ハリーリ・バザール

沢山の店屋が並んでいて賑わっています。この地区は観光客用の店で価格は若干高いとか。
決められたルート内は警察の警備も厳重で一応安心して買い物ができるそうです。
でも絶対にそこから外れて変な路地に入らないようにと念を押されました。

  

   



カイロ市内

カイロ市内はいつも大渋滞です。ガソリンは日本の暫定税率の値段ぐらいで安く、
古い車が多いのですが一応走っています。

 渋滞の車の中を人は歩きます       信号はほとんど無く警察官が交通整理します
  

店屋はこのように商品を店頭に並べています
        果物屋                      肉 屋
   

エジプト紀行(Ⅳ)

2008-03-10 15:27:02 | 風景
第4日目(2月25日) 午後

午後から、オプションツアーでダハシュールの屈折ピラミッド、赤のピラミッド、
サッカラの階段ピラミッドコンプレックスおよびメンフィスの遺跡の見学です。
ギザから南に車で約1時間ほどの位置にあります。


屈折ピラミッドと赤のピラミッド (ダハシュール)

 「砂漠の中の屈折ピラミッド」

         
屈折ピラミッドはクフ王の父親スネフル王が建設したもので、表面を覆う化粧石も
きれいに残っています。四角形の一辺が188m、高さ105m(現在は97m)、
傾斜角度が下部は54°、上部は43°となっています。最初は54°で造って
いたのですが、建設中に傾斜がきつすぎ、高くなりすぎて崩れる危険性があること
がわかり途中から角度を緩くしたためこのような格好になりました。
しかし、建築中は周りに土を盛っていて分からなかったのですが、土を取り除くと
屈折していることがファラオに見つかり、格好が悪いと造り直しさせられたのが
近くにある赤のピラミッドです。

 「赤のピラミッド」

            
赤のピラミッドは使われた石が赤味を帯びているためこのように呼ばれています。
四角形の一辺は220m、高さ105m、傾斜角度は43°で、一面が美しい
二等辺三角形をした「真正ピラミッド」です。しかし、傾斜が緩いため、ギザの
ピラミッドに比べ若干迫力に欠けます。

  
赤のピラミッドも中に入ることができます。入り口は斜面を登った中腹にあります。
ここから狭く、背の低い通路を中腰の状態で下ります。長い下りで腰が痛くなり
ます。その後、少し広くなった上りの通路を登ると石室があります。中には石棺
も何もなく、強いアンモニア臭が鼻につきます。昔、見学で中に入った人達が
ここで小用をしたためだとか。


 「黒のピラミッド」


ダハシュールには他に3基のピラミッドがあるそうですが、崩れてしまっていて、
わずかに形が残っているのがアメンエムハト3世の黒のピラミッドです。
中王国時代の建築ですのでギザのピラミッドなどに比べると、かなり新しい物なのですが。  

        

階段ピラミッド (サッカラ)

 「階段ピラミッド」


古王国第3王朝のジョセル王が建設した世界最古のピラミッドです。
このピラミッドを設計したのはジョセル王の宰相のイムホテプです。最初は従来型の箱形のマスタバ墳で造ったのですが、見栄えをよくするためさらに2度も上に
積み重ねこのような階段状のピラミッドとなったそうです。これがその後のピラミッド
の原型となりました。設計者のイムホテブはその後神格化されたそうです。


ここのピラミッドはピラミッド・コンプレックス(複合体)がよく残っています。
ピラミッドの東側にヘプ・セド祭殿が造られており、今の南東の入り口から入り、
柱廊の中を進んでピラミッドの前の広場に出ます。

  
  ヘプ・セト祭殿の入り口             柱列


  
天井が残っているところもあります(丸太の列)      壁のコブラの列


  
周りの発掘現場        遠くには赤のピラミッドと屈折ピラミッドが望まれる


  
近くの壊れたピラミッド(貴族の墓)       遠くにも色々ののピラミッドが望まれる


メンフィス遺跡

メンフィスは土地神であるプタハ神を祭ったプタハ神殿の遺跡があるところですが
現在は柱の基礎部分など一部が残るのみです。
ただ、新王国時代のファラオであるラムセス2世の巨大像が残っています。




「ラムセス2世全体像」足首から下の方は破損している

  
右手にはカルトゥシュの入った印鑑を握っている    肩にもカルトゥシュが



アラバスター(大理石)製のスフィンクス


端正な顔立ちです


   
 ラムセス2世の立像             裏に刻まれた文字


   
聖牛アピスの解剖台(プタハ神に奉納されたミイラを作る台)   大理石の石棺



ナイル川ナイトクルーズ

ディナーを食べながら、ショーダンスを楽しみながらのナイル川のクルーズです。
約2時間クルーズしました。

ナイル川の夜景風景です。
  


  


エジプト紀行(Ⅲ)

2008-03-09 17:41:07 | 風景
第4日目(2月25日)
エジプトといえば、ピラミッドです。
エジプトでは現在108個のピラミッドが見つかっているそうですが、その中でも
ギザの三大ピラミッドが有名です。ちょうどピラミッドの建築技術が成熟した時期
に建設され、美しい四角錐の形が当時のまま残っています。


パノラマポイントから三基のピラミッドが望むことができます。左から、クフ王、カフラー王、
メンカウラー王のピラミッドです。メンカウラー王のピラミッドの右に見える小さな
ピラミッドはその后のピラミッド(三基)です。


クフ王のピラミッド

   

クフ王は古代エジプトの第4王朝のファラオで、紀元前2589年~紀元前2566年の在位。
クフ王のピラミッドは三基の中で最も大きく、一辺230.3m、傾斜角度51.50°、高さ146.6mあります。


   

クフ王のピラミッドは内部見学が可能ですが、一日300人までと制限されているそうです。
左図の左上の入り口が正式な入り口ですが、現在は閉鎖されており、右下の盗掘抗
から入ります。カメラは持ち込み禁止で入り口に預けて入ります。
狭い回廊を腰をかがめながら登ると、大回廊に出ます。大回廊は高さ8.7m、
通路の長さは46.7mでかなり傾斜がきつい通路です。そこを抜けると王の玄室
に出ます。花崗岩で作られた広い部屋の中に石棺が一つ置かれています。

右の図はピラミッドから見たギザ市街です。ピラミッドは砂漠の中に築かれている
のかと思っていたのですが、以外に町の近くです。


カフラー王のピラミッドコンプレックス



カフラー王はクフ王の子供で、第4王朝の第4代のファラオです。
ピラミッドは本来は、付近に葬祭殿、参道、ナイル川の川岸に建てられた河岸神殿
そしてそれらをぐるっと囲む周壁などで構成されています。これらを合わせて、
ピラミッド・コンプレックス(ピラミッド複合体)と呼ばれています。
ここカフラー王のミラミッド・コンプレックスはよく残されています。

カフラー王のピラミッドは父クフ王のピラミッドより少し小さく、一辺が215m、
傾斜角度53.10°、高さ136.4m(建設当時は143.5m)です。
四角錐の頂上部分には石灰岩の化粧石が残っています。

  
カフラー王のピラミッド正面      クフ王のピラミッドからみたカフラー王のピラミッド


スフィンクスもピラミッドと並ぶギザのシンボルです。
全長57m、高さ20mと巨大な物で、エジプトのスフィンクスの中では最大で、
最古のものです。

  


河岸神殿は、ナイル川が氾濫した時神殿のすぐそばまで川の水が押し寄せ、石材を
運んできた船着き場があったことからこの名前が付いています。

今は巨大な柱のみが残っています。
  


クフ王、カフラー王のピラミッドとスフィンクス





メンカウラー王のピラミッド

メンカウラー王はカフラー王の子供で、父、祖父に遠慮してピラミッドは一番小さなものです。
基底部は102.2m×104.6m、傾斜角度は51.20°、高さ65mです。

ピラミッドの南側には王妃達のピラミッドが三つ並んでいます。






ピラミッドはエジプトのシンボルです。街中を走っていてもよく見ることができます。



エジプト紀行(Ⅱ)

2008-03-07 00:31:25 | 風景
第3日目(2月24日)

今日はアレキサンドリアの市内観光です。
アレキサンドリアはアレキサンダー大王が紀元前332年に建設した古い都市です。
大王の死後、その将軍の一人プトレマイオスが即位し、かのクレオパトラ7世まで
275年間プトレマイオス王朝の首都として栄えてきました。
今では当時の繁栄の跡は無いようですが、今でも近くの海底からは当時の遺跡が
発見されております。
ただ、地中海に面し「地中海の真珠」と呼ばれ、夏の避暑地として栄えているようです。


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ポンペイの柱
丘の上にコリント式の円柱が一本そびえています。傍らには一対の小さなスフィンクスがあります。
これは3世紀頃の建造物で、その後キリスト教徒によって破壊され、一本が残るのみです。



一対のスフィンクス
 


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国立博物館
貴族の別荘を利用した博物館で、地階にファラオ時代、1階にグレコ・ローマン
時代、2階にコプトおよびイスラム時代の収蔵品を展示しています。


国立博物館の正面



中にはいるとローマ時代の彫像が



ファラオ時代
アクエンアテン(アメンヘテプ4世)像
ツタンカーメンの父親でアテン神に宗教改革を行ったが、神官に暗殺され、
ツタンカーメンが幼少で即位することとなる。

   

その他ファラオ時代の貴重な収蔵品が沢山展示されています
  



グレコロマン時代
アレキサンダー大王
  


 


海底から発見され貝が付いた物もある
  


博物館の庭には多数の出土物が雨ざらしになって放置してあります。
もし日本に来るとメインの展示物になるのではないでしょうか。
  


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カイトベイ要塞
スルタン・カイトベイが15世紀頃に建造した要塞。地中海につきだした半島の
先端にあります。
ここは世界七不思議の一つ、ファロス島の灯台があった場所。紀元前3世紀頃に
建造された高さ約120mもあった巨大な灯台。



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アレキサンドリア市内

 アレキサンダー大王の像        中東戦争の無名戦士の墓
  


路上にパンを並べて売っています    右は政府系のパン屋で安いためものすごい人です

  


果物屋(果物は豊富なようです)   野菜を運ぶロバの馬車(よく見かける光景)
  


昼食後、高速道路を使ってカイロに向かいました。

高速道路の入り口は神殿造り     高速道路では故障車もよく見かけます
  


夕刻大渋滞の中をギザに到着。バスの車窓からピラミッドが望まれました。
初めて見るピラミッドに感激です。夕食はピラミッドの側のレストランで
ピラミッドを眺めながらの食事でした。

夜はオプションでピラミッドの「音と光のショー」を見学する予定でしたが
申込者が我々二人だけで中止になりました。でも何とか個人的にも行きたいと
添乗員や現地ガイドに言っていたのですが、食事が終わると、もはや行く時間が
無くなっていました。もしオプションツアーが成立していたらどうなっていた
のでしょうか。添乗員もガイドも全く気にかけてくれる気配もありませんでした。
同じような「音と光のショー」はアブシンベル神殿でもありましたが、ここの
ショーは写真には撮しにくく、写真的にはピラミッドのライトアップを撮した
かったのですが。




エジプト紀行(Ⅰ)

2008-03-06 17:32:29 | 風景
2月22日(金)~3月2日(日)エジプトに行って来ました。
ピラミッド、古代神殿、彩色がきれいに残っている壁画や発掘物にふれ
5千年の歴史を肌で感じてきました。

特に、エジプト考古博物館ではツタンカーメンの黄金のマスク、黄金の棺
や玉座などの多数のツタンカーメンにまつわる遺品を見ることができ、
王家の谷ではツタンカーメンの墓にも入ることができツタンカーメンのミイラ
や石室内のきれいに彩色が残った壁画を見ることができたのは感激でした。

今回のツアーは関西発でしたが、北海道から沖縄まで、長野や神奈川からの
方々も集まって、総勢36人となりました。また、大学の卒業旅行の時期で
多数の学生さんが参加しフレッシュなエネルギーを吸収できた10日間でも
ありました。

第1日(2月22日)、 第2日(2月23日)
第1日目、第2日目は移動日です。
カタール航空で関空を23時55分に出発、翌朝6時30分ドーハに到着。
ドーハは昔サッカーで「ドーハの悲劇」があった地です。広い空港ですが
旅客機は少なく、バスでターミナルに移動です。


ドーハ空港(空港内部にはホテルのような家があります)


 広い待合室はきれいでした。ここで5時間も時間待ちです。


ドーハ空港で5時間待ちです。空港内は免税店も少なく時間を潰すのに苦労します。

11時50分ドーハ発、14時45分アレキサンドリア着。時差が1時間あり、
4時間のフライトです。
アレキサンドリアはエジプトではカイロに続く第2の都市ですが、空港は小さく
貧弱なものでした。設備も何もなく外国の観光客はほとんど来ないのでしょうか。
エジプトの入国には短期ビザが必要ですが、入国審査までにビザを売っている
ところもありません。我々のツアーは現地代理人が外で買って、入国審査の
内側まで持って来てくれました。パスポートに貼り付け、入国カードとセットで
審査を受けます。もし、個人で入国する場合はどうするのでしょう。


 アレキサンドリア空港(留まっている飛行機は少ない)



 アレキサンドリア空港の外部入り口


審査を出るとエジプトポンドに交換です。エジプトポンドは日本では交換できない
ためどうしてもこちらで交換せねばなりません。しかし、交換窓口は一カ所のみで
めんどくさがって小さな金額にも交換してくれません。トイレ使用には0.5~1LE、ホテルのチップには5LEが必要なのですが。

スーツケースを受け取りバスでホテルに直行です。今回は全員無事にスーツケース
が到着してまずはさい先良いスタートです。

今日の宿泊ホテルは地中海のほとりのリゾート地にありますが、冬の時期は
人も少なくガランとしてます。


初めて見る地中海