蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

在来種(5)

2011-11-05 | '11 SOBA

ソバの乾燥は決定的に重要であるにも関わらず、あまり語られることがないので、少し長くなってしまったが私見を書いた。「手刈り・天日乾燥」の他にも、美味い蕎麦の条件として「焼畑のソバはうまい」などよく耳にするが、こうした響きのよい言葉にも、「こと」はそう単純ではないので身構えて受け止めた方がよいと思う。

 

③  「自遊人」(2011.9月号)で、私にとって最も興味深かったのは、この特集の実質的な企画者である片山虎之介さんの、井上直人(信州大教授)さんへのインタヴュー記事である。本当に貴重でたくさんのことを教えられた対談である。

 

ところで、このお二人が、「絶滅寸前」の在来種について、どんな見解をお持ちなのかが、私の最大の関心事であった。まず、片山さんがどのようなお考えをお持ちなのか。氏は「在来種の個性と、その美味しさを、・・・知ってもらうことができたなら、蕎麦好きの人口は、・・・

多くなる・・・それには蕎麦屋さんで、本当に美味しい蕎麦を出していただかなければいけない。」(p.59)と発言されている。まさにその通りなのだが、氏がこの特集の実質的な企画者ということなので、掲載されたそば店の選定に中心的に関わったはずである。氏が「選んだ」多くの店の蕎麦を食べた人は、在来種の蕎麦に落胆して、再びそれを好んで食べるようにはならないのではないかと私は考えてしまう。(この項の2,3回、および①で詳述)

                                                                      

④  井上直人さんは、それぞれの地域が生み出す玄ソバに含まれる成分の違いや各地の歴史的特性から様々な蕎麦がある。「どこの地域も、みんな東京のような細切りが蕎麦だと思ってしまったら、郷土食も食文化も意味がなくなってしまいますね。」と述べられている。私は、日本全国には、例えば、太く短い蕎麦があってそれを美味いと感じる人がいると思う。そうしたら、そのような蕎麦はそれ自体存在価値をもつ。いろいろな蕎麦があることが蕎麦の文化の多様性を保証することになる。

 

しかし、今多くの蕎麦愛好家が好んで食べるのが、細切りの洗練された蕎麦である。これはどう見ても太いぼそぼそした蕎麦よりも美味い。私は、現代の蕎麦の流れを、第1期が片倉康雄さんによって築かれ、現在は片倉さんの蕎麦が内包した問題を止揚した高橋邦弘さんによって切り開かれた蕎麦発展の第2期にあると考えている。現在はこの高橋さん、藤岡優也さん、阿部孝雄さん、小川宣夫さん(私はこの4人を現代における蕎麦界のいわば「四大蕎麦名人」と判断している)ら、さらに多くの蕎麦職人の方が、細打ちの真に美味い蕎麦を提供してくれている。この流れを逆転させることはできない。

 

蕎麦発展第2期に共通するキーワードは、自家製粉である。先に述べた彼らは、いい玄ソバを手にし自家製粉により理想的な蕎麦粉を得て、細切りのいい蕎麦を打つ。この先は、彼らの仕事を先に進めるしかない。それは自家栽培である。私は、ここから先は栽培がキーワードになると考えている。栽培が何よりも大切で、在来種をより純化させ、細切りの蕎麦を打つという形態が蕎麦発展の第3期となる。(もう小川さんなど少数の方の仕事が次の時代に向かいつつある。)


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