蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

在来種(4)

2011-11-02 | '11 SOBA

「自遊人」が、在来種が「絶滅」することがあってはならないという立場から、在来種を特集した。私の考えも全く同じである。ソバが持っている他家受粉という性質上、栽培する側での強い意志がない限り、間違いなく絶滅に向かうだろうし、一旦絶滅すればその復権はまずもって不可能である。

 

こうした、重大な事態の中で、「自遊人」の特集はどんな意味をもつだろうか。私は以下の4つの観点からいささかの危惧を覚える。

 

①  この項の第2,3回で述べたように、在来種の良さを十全に伝えるそば店が紹介されていない。本誌p.38で「丸抜きをきちんと製粉」すれば「旨い蕎麦ができる」と言いながら、紹介されているほとんどの店のそばきりが黒い。これでは、在来種=黒いそば=田舎そば(3色盛りの1つ)なる等式が成立するかの如くである。いったい本誌で紹介されたそば店を訪問したお客は在来種の蕎麦を食べ美味いと感じ、再び訪問するだろうか。私には「否」と答えるしかない。もちろんすべてのそば店がそうであると主張しているわけではない。

 

②  本誌p.39に「島立てにして天日乾燥した」蕎麦が「むちゃくちゃ旨い蕎麦」になったとある。私は、一般に「手刈り、天日乾燥」さえすれば、蕎麦はすべて旨くなるという見解にはにわかに賛同しがたい。むしろ、その言葉が独り歩きすることに危険を感じている。では、どこが問題なのか。

 

蕎麦の世界は、引き算の世界である。最高に美味いソバが実っても、そこから味を劣化させる要因は数限りない。乾燥も貯蔵も製粉(方法も含めて)も蕎麦打ちも茹でも盛りもすべて。ここでは乾燥について考えてみる。もちろんコンバインによる刈取り乾燥では、最高の玄ソバは得られない。後熟の観点からそれについてはすでに書いた。やはりいいのは「手刈り、天日乾燥」である。この「天日乾燥」は、蕎麦の美味さを決める絶対的条件の1つである。ではそれはどのようにしたらよいのか。

 

美味い蕎麦にするには、刈取り直後からの天日乾燥の際、絶対に水分にさらさないことである。雨にかけないだけでなく、夜露にもかけないことである。特にこの夜露にもかけないことが肝要である。ソバは無限花序の性質を持つゆえ、成熟にはいわば「時差」ができてしまう。過熟となったものにひび割れが生じるのが避けられない。このひび割れから、空気が入り込み酸化し、水分が入り込み色を黄色から、さらに進むと赤茶けた色にてしまう。

 

コンバインでは、刈取り後すぐに屋内で乾燥するため水分にさらされることはない。「天日乾燥」では水分にさらされ易い。これでは「コンバインの刈取り乾燥」にはかなわない。したがって、天日乾燥の際には、屋根下で乾燥させるとか、あるいはハサ掛けの上などに覆いをかけて乾燥させねばならない。私は基本的にはハサ掛けによる乾燥をするので、その上にビニールをかけて水分の進入を防いでいる。

 

さらに、天日乾燥では、日中の高温と夜の低温の差によって、果皮にひびが入りやすくなる。だから、今年は、ビニールの下に「不燃布」を一枚張った。これで昼間の強い日差しが避けられる。これは、畑でソバを譲ってもらった農家で屋根つきの「干場」(沢庵漬をたくさん作り販売していたので、専用の干場をもっていた)を借りて、ソバを乾燥させた時の蕎麦がほぼ最高の味の蕎麦となったことを契機に思いついた。

 

ここで②の初めに引用した「島立て」に戻ることができる。もう自明なことなのだが、「島立て」による乾燥方法は、ベストな方法ではない。むしろ、ありえぬほど例外的な天候が続かない限り、大きな問題がある乾燥方法である。蕎麦における乾燥は、極めて重要であり、単なる「島立て」で美味い蕎麦が保証されるわけではないことを考慮しておく必要がある。

 

 

 

 


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