蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

石臼 (37)

2006-05-27 | 石臼
溝を太くすれば、多くのソバを臼内に含み込み、さらには、多くの粒子が溝を流れ、見かけ上の単位時間当たりの能率は上昇する。しかし、粒子は細かくならない。溝を細くすれば、逆になるだろう。従って、溝の太さを決定することは、実に重要である。

しかし、溝の太さを決定する理論的根拠は、どう考えても私には考えつかない。ただ単に今まで見てきた石臼から決めざるを得ない。
ちなみに、私達の1つの臼は次の通りである。

3号臼(2004年作製)
溝幅が約5mm、台地の部分が約15mmで1対3の割合、従って、臼面全体に対して溝が25%である。溝の深さは約5mmである。

石臼 (36)  

2006-05-26 | 石臼
② 溝について

三輪先生の著作によれば、溝には「V字型」、「丸溝」、「丸山型」、「山型」などがある。蕎麦には、「V字型」と「丸溝」のいずれかが適していると考られているが、前者はV字の底に入った粒子は移動がスムーズに行われないので蕎麦用の臼には適していない。従って、「丸溝」を選択することになる。

次に、溝の左右の角度についてである。
私は、左右対称がよいと考えている。粒子を掻き上げられる側の角度が急であれば、掻き上げられる粒子は少なくなる。これは、本来、粒子の細粒子化のために臼を回しているという事実に反しているので、不自然である。逆に、角度が小さ過ぎれば、掻き上げられる量が多くなり、粒子が細かくならない。

さらに、溝の太さについてである。
溝は、中心から外に向かって同じ太さであることが重要である。すでに述べたように、溝がなくなる「平滑周縁型」や溝が細くなる「刻み周縁型」は、粒子が接合部に至る部分で動きが大きく制御されてしまうので好ましくない。
溝の太さを外に向かって変えるのもよくない。外に向かって細くする方がよいなどの意見もあるが、細くしなくても接合部で粉の動きは鈍くなるのだ。私は、逆にそこで自然に流れるようにすることが重要であると考えている。

石臼 (35)

2006-05-25 | 石臼
前回述べた、粉受けに粉が貯まらない部分は、臼の摩滅が激しく、溝が浅くなっているということである。この部分の溝を深く掘り直すことが必要なのだが、ここの溝を深く掘っただけでは、臼のアンバランスは少しも修正されない。

そこで、第2点目になるのだが、臼のアンバランスをなくすには、最初の溝の深さが等しいことを条件にしてだが、溝の深いところと浅い部分を比較し、確定する。次に、溝の深いところの台地を、コヤスケなどの道具で低くし、全ての溝の深さを均一にする。しかる後に、溝を所定の深さに掘り直すのである。従って、臼の不均等をなくすことは、難しい作業である。

なお、あまりにもアンバランスになった臼については、始めからやり直した方がよいと思う。

石臼 (34)

2006-05-24 | 石臼
(三) 目立てについて

目立ては、石臼作りで最も大切な部分である。
三輪先生の『臼』という著作より、目立てとは何かを考えることから始めよう。石臼が常用されていた頃には、目立て(目とり)職人が巡回して、目立てをしていたという。その職人の仕事の内容は次の3点であったという。 
① 臼面が不均等に減って、ガタが生じている部分を修正する。 
② 溝を深く掘り直す。 
③ 山の部分を全面にたたき、臼面に微妙な粗面をつくる。
次には、この3点を順次考察することにしよう。

① 不均等の摩滅部分の修正について

私が、石臼を作った数は少ない。その上、古い石臼の再生の経験はないに等しい。それゆえ、①についてはほとんど発言できない。だだ気づいた2点について書き記しておきたい。

まず不均等に減っている部分を探すことから始める。(目測でアンバランスになっている部分が判るようでは重症すぎる) 石臼を長く使用していると、粉の排出が少なくなる部分が出てくる。すなわち、粉受けに粉が貯まらなくなる部分が出てくるのである。その部分の摩滅が激しくアンバランスになっている。そこをまず見極める。
ちなみに、臼の回転と共に粉が回収される臼では、これがすぐには判らない。従って、回収するハケをはずして、どの部分に粉が貯まらないかをよく観察してみる必要がある。

石臼 (33)

2006-05-23 | 石臼
通常の「8分画」や「6分画」には、短所がある。
主溝が臼の中心から直線で外に伸びているために、上下の臼の主溝同士が回転の途中で一時重なる。重なれば、粒子を送り出すことを、一時中断することになる。だから、主溝同士が重ならない目のパターンを考えた方がよいことになる。

ではどのようにしたらよいか。
それには主溝を臼の中心からずらして切り始めればよい。そうすれば、左回りの臼は、主溝が重ならない。ところで、主溝同士がつくる角を交叉角という。その交叉角の最小値を大きくすれば、臼が粒子を外に押し出す力が大きくなる。だから、交叉角の最小値を何度にするかが大きなポイントになる。私は、15度くらいが適度な値ではないかと考えている。

以上の考察から、私は、主溝同士が重ならない「8分画7溝式」の「切線主溝型」の目のパターンが、蕎麦用の臼には適していると考えている。
ただし、幾つもある目のパターンの中で、溝が絶えず一定の角度で回転する目のパターンについては検討する価値があるかもしれない。

石臼 (32)

2006-05-22 | 石臼
小麦を挽く臼にはドイツの石臼の方が適しているし、蕎麦を挽くには日本の石臼の方が適しているというだけだ。ドイツの臼は、長い歴史の中で小麦をひくのに適するように、工夫に工夫を重ねて作られてきたのである。だから、ドイツの臼はその地域の穀物を製粉するために実に合理的にできているはずである。日本の臼も事情は同じである。長い歴史は簡単にひっくり返すことはできない。

ある地域、国が食す食べ物、それを加工する道具類も全てを含めて、私達は食文化という。その食文化のなかに、優劣を持ち込むことはできない。それは広く文化という概念に優劣がないのと同じである。文化といえば、文化を最も色濃く体現しているのが言語であるが、優れた言語などはない。例えば、「英語は論理的だが日本語は曖昧な言語だ」と言われることがある。しかし、日本語には、心の機微を表す豊かな表現がある。それぞれの言語が、独自性をもっているのである。

小型で手軽に扱えるドイツの石臼が、日本に何十台も輸入され使用されていると聞く。これでは日本に伝わる石臼の文化を断ち切ってしまうことにならないか。私は、日本の石臼を精査し、改良していけば本当に優れた蕎麦用の石臼ができると考えている。
安易に石臼を外国から輸入するのではなく、日本独自の石臼をより進化させていくことが、現代の私達に託された課題なのではあるまいか。

石臼 (31)

2006-05-21 | 石臼
『そば打ちの哲学』の著者がとりあげているドイツ製の石臼の目(溝)のパターンは渦巻き状をしており、半径の何倍もある。ここで少し乱暴な比較をしてみたい。もし目の長さが、半径の3倍もあるならば、日本の直線の臼には3回通すことができる。3回も通せば、蕎麦の香りなどほとんどなくなってしまう。それでは、外皮部分が少しくらい多く含めても、香りは補いきれない。さらに、3回も通せば、日本の臼の方が製粉能力は遙に高くなろう。
蕎麦用の石臼は、目(溝)の長さを短くすることが極めて重要なのである。

では、なぜドイツの石臼は、渦巻き状の長い曲線の目になっているのか。
それは、主食がパンであり、小麦を製粉するための臼として発達してきたからである。ここで、2つのことを指摘しておきたい。すでに述べたように、ソバより小麦の方が堅く遙かに粉にしにくい。それゆえ、ドイツ製の臼は小麦を曲線の長い目を利用し、少しずつ臼内で細かい粒子にしていったのである。
また、小麦は、製粉によって香りが失われることを考慮する必要がない。例えば、私達が、蕎麦を食べるときには香りを問題にするが、うどんでは問題にしない。小麦の製粉では、製粉能力のみ考えればよかったのである。

石臼 (30)

2006-05-20 | 石臼
私は、通常の「8分画」や「6分画」には、メリットとデメリットがあると考えている。最大の長所は、溝の長さが最短であることである。なぜ溝が短いのがよいのか。臼内では挽かれる蕎麦の粒子は、溝に沿って流れ、台地に掻き上げられ砕かれ、次の溝に落ち、再び溝に沿って流れる。これが繰り返される。溝が短ければ、この繰り返し回数が少ない。少ない回数で、所定の大きさの粉が得られさえするならば、熱の影響を受けることは少ない。従って、粉焼けが少なくて済む。それゆえ、溝が短い通常の「8分画」や「6分画」の目のパターンは、蕎麦用の臼に適していることになる。

ところで、『そば打ちの哲学』(ちくま新書)の著者は、その著作のなかでドイツの石臼の優越性について述べている。ドイツ製の石臼は、目が曲線を描き、より長く、滞留時間が長くなる結果、日本の臼より製粉能力が高い。そのため、歩留まりが高くなり、外皮に近いところも挽き込まれるので、香りも高くなると説明されている。

ここには幾つかの問題点がある。次にそれを検討してみよう。
第1に、この著者は、長い曲線の目の臼では、香りの損失が甚大であることを考慮していない。第2に、日本の石臼の方式で、歩留まりの高い臼ができたら、どう批判するのか。
私は、日本の伝統的な臼を改良することによって、製粉能力の高い石臼ができると考えている。それをこのブログで明らかにしようとしているのだ。
さらに、容易ならざる問題が含まれている。

石臼 (29)

2006-05-19 | 石臼
(二) 目のパターンについて

私は、蕎麦は香りとコシにつきると考えている。蕎麦は所定の大きさの粒子になりさえすれば、素早く臼の外に排出された方がよい。長く臼の中に留まり熱の影響を受ければ香りは失われてしまう。そうした観点から、蕎麦用の臼にはどのような目のパターンが選択されべきか。

重要なことは、臼の中を蕎麦の粒子がいかにスムーズに移動できるかである。移動が止まるのはどこか。明らかに、「ふくみ」から接合部に移る所である。ここをいかに精巧につくるかである。すなわち、いかにうまく接合部に蕎麦の粒子が噛み込まれるようにつくるかである。ここには2つのポイントがある。1つは、実際につくる時の技術の問題があり、もう1つは、どのような目のパターンがよいかという問題がある。

すでに述べたように、接合部付近で溝がなくなる「平滑周縁型」や太い溝が細い数本の溝になる「刻み周縁型」は、接合部で蕎麦の粒子の動きが大きく制限されてしまう。だから、蕎麦の臼には不適切極まりない目のパターンなのだ。通常の「8分画」や「6分画」の方がはるかによい。前述したように、私は、これを自らの失敗から学んだ。

では、通常の「8分画」には、どのような問題点があり、どのような利点があるのか。

石臼 (28)

2006-05-18 | 石臼
下臼が上に凸であればあるほど、挽かれる材料は素速く臼から排出される。これは明白なことだ。完全な平面であればじっくり挽かれてゆっくり排出される。

私は、かつて、自分でビールをつくった。小麦のビールが気に入り、小麦を炒って石臼で挽いた。ソバは適度に小さい粉になる臼なのに、小麦は粒子が小さくならない。小麦は硬い故に細かくならないのだ。これは、挽かれる材料の硬軟に応じて、臼は変えなければならないことを意味している。

私は、今まで述べた上臼についての考え方、また後述の目立てに則り臼を作れば、下臼が平面では粒子が小さくなり過ぎる。さらに、ソバの滞留時間はより長くなり、香りはさらに多く失われてしまうと考えている。

半径20cmの3号臼(04年)は、臼の中心で8mm上昇させている。