フルート吹きのほっと一息

フルートのこと、音楽のこと、作曲家のこと。そして愛犬トム君との日々。
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ロマン派は江戸時代

2015年07月02日 | flute 2015

バッハの生誕は1685年プロコフィエフの没年は1953年でその間268年。

この数字に近いのは江戸幕府なのだわ。およそ250年強。

 

バッハは5代将軍綱吉の時代に生まれ

ベートーベンは11代将軍徳川家斉のあたり。

明治時代の生まれはラフマニノフ、ラヴェル辺りなので

それより前のロマン派の作曲家はみーんな、江戸時代の人達なのね。

 

家康の鎖国の前に多少は何かが入って来ていたかもしれないけど

西洋音楽って明治時代下の文明開化の中でも、とても異文化だったんだろうな。

鎖国のおかげ?で邦楽の世界じゃ現在、当たり前に

平安時代の作品が演奏されている。これもすごいことだよね。

などとつらつらと考えたりしている。

 

明治の頃わかりやすい讃美歌やスコットランド民謡辺りが

教育現場に入って来たようだけど

大正時代には浅草オペラなんかもあったようだけど

ラジオの普及した昭和初期以降の時代は外来の演奏家が来日すると

そのコンサートはラジオで放送されたりしていた。

1963年かな。ランパルなんかその1人。

 

そんな感じで少しずつ浸透して来たクラシック音楽だけど

今と50年前とじゃ、当然だけど、ずいぶん変わっている

当時は異空間の特別な感覚を覚えさせるようだった気がする。

(ドイツの音楽が優先的に入って来たのは政治的な要素が大きかったんだって)

昭和の時代の音楽教育のあり方って高度成長期のピアノの普及とともにあったりして

その辺りはヨーロッパでの産業革命以降のピアノの普及にかぶる感じがする。

 

バブルの頃に20代だった身としては

フルートが多くの人達に行き渡る時代を生きて

底辺が広がって演奏技術の水準は上がったようにも思えるけれど

飛行機じゃなく船に乗ってテープを切ってヨーロッパに留学していた

今は70才を超える世代の大先輩方の得て来たものとは意味がちがうんだな。

 

ギリシャがユーロ圏でガタツイているこのごろ。

ECのグループ化はいいとしても通貨の統一はつまんないなと思っていたけど

昨今のネット社会は音楽文化のグローバル化を推し進めてしまって、

恩師は(20年位前の話だけれど)

ドイツのフルート音楽の特色が失われつつある事を残念がっていた。

今や音楽は特色の違いよりレベルの違いとしてしか捉えられていないんじゃないかな。

 

そうは言ってもパソコン通信も携帯電話も普通に使う世代になっちゃった以上、

このグローバル化はいやいや拒否しながらも、受け入れざるを得ない

そして社会での音楽文化は細分化もしている

 

私の憧れていたあのフルート音楽は古式ゆかしき物となっているのか?

クラシック音楽に流れている時間や時代、空気感が

経済社会の移り変わった日常の中ですっかり消失してしまっていて

せっかくコンサートに足を運んでもなんだかちがうんだな。

トムちゃんに留守番させて

ヨーロッパの空気を吸いに行かないとダメかなこりゃ。

 

みんなどう感じているんだろう?

 

 

 

 


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