山がいっぱいあるのに山梨県と妻が孫に教えていた。ここは何処ってね。
山梨と言えば甲斐の国、戦国武将、武田信玄で有名だ。
噂では信玄餅を袋に詰め放題で有名らしいが、甲斐の国を治め、世が世であれば天下人だったかもしれない。
風林火山、と四字熟語で有名な戦国武将と言えば? 武田信玄。
武田信玄の戦いの旗に書いていた「風林火山」(はや) きこと風の如く、徐 (しず) かなること林の如く、侵 (おか) し掠 (かす) めること火の如く、動かざること山の如し」の略で、中国の孫子の句らしい。
さっそく、武田神社が実在していると言うので向かった。武田神社に通じる武田道りがあった。山梨大学があり、さすが両側は武田家ばかり、不動産、公園とみんな武田さんだ。
本殿までは長い階段だったが手すりがあったので自力で上った。
父親の武田信虎、おじさんの武田信縄の家督を引き継いで武田信玄が登場した。この家督の歴史は歴史学者が詳しいからお任せした方が賢明だ。
戦って勝てる相手には向かっていき、負けそうだなあと思う相手には戦いを挑まない。
人間だもの、判断を誤ることだってある。
「実力に関係なく、あのタイプにはよわいんだよなあ。ってことだってある」
武田信玄も本家と分家で苦労はお互い様、南に今川と北条がいたので北(信州)に向かった。
運命の上杉謙信との川中島での4度の戦いも引き分けに終わった。
子供のころ、武田信玄も強そうだったが、上杉謙信の方が強い気がした。武田信玄も上杉謙信も凛々しい名前だがお寺の和尚様の名前のようだ。
武田信玄は天下人を狙って織田信長を目出したのだろうが病には勝てなかった。
聞くところによると上杉謙信も病に勝てなかったようだ。
織田信長も本能寺の変にあった。
初めて訪れた甲斐の国は四方山に囲まれ、山にはフルーツの丘もあり、ワインでも有名だ。
武田信玄が武田神社からどのようなルートで北に向かったのか想像するだけでも武田信玄になれた。
武田信玄と上杉謙信と川中島で4回も戦い引き分けに終わった。
武田信玄も上杉謙信もお坊さんの名前を想像する。
武田信玄は天下を取ったのだろうが病には勝てず没した。
上杉謙信も病に倒れたと聞く。
ここは、甲府盆地で周りが山で囲まれていた。笛吹川フルーツ公園もあり、世界中の果物を楽しめる温室ハウスがあると言う。山梨と言えば甲州ワインもあるが私は飲めない。
山の麓から頂上までハウスが点在していたが急な登坂は移動に大変だった。
甲府の山々を見ながら武田信玄は風林火山のようにどのように山を移動したのか甲府の町を眺めた。
ことわざにこんなことがあった。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
強い風によって砂ぼこりがたつと、砂ぼこりが目に入ったために盲人がふえ、その人たちが三味線で生計を立てようとするため、三味線が多く必要になり、三味線の胴に張る猫の皮の需要も増え、そのために猫がへり、その結果、増えた鼠が桶(おけ)をかじるので桶屋が注文が増え桶屋が儲かる。ということわざ。
風が吹いたら、なぜ桶屋が儲かる。まったく関係ないことだが、武田信玄の敵であった南の今川義元を桶狭間で織田信長が今川の首を落とした。
こんなことが武田信玄に功したのか、織田信長も天候が味方して今川の首を取れたのか?
天下人になるには何かがあるのかなあ。
古いふるーい昔の歴史をかじっていたおかげで、旅の面白さも倍増した。
ここまで生きてこられたのも運がよかった面もあった。運って何なの? といわれても運だよ。
山梨と言えば甲斐の国、戦国武将、武田信玄で有名だ。
噂では信玄餅を袋に詰め放題で有名らしいが、甲斐の国を治め、世が世であれば天下人だったかもしれない。
風林火山、と四字熟語で有名な戦国武将と言えば? 武田信玄。
武田信玄の戦いの旗に書いていた「風林火山」(はや) きこと風の如く、徐 (しず) かなること林の如く、侵 (おか) し掠 (かす) めること火の如く、動かざること山の如し」の略で、中国の孫子の句らしい。
さっそく、武田神社が実在していると言うので向かった。武田神社に通じる武田道りがあった。山梨大学があり、さすが両側は武田家ばかり、不動産、公園とみんな武田さんだ。
本殿までは長い階段だったが手すりがあったので自力で上った。
父親の武田信虎、おじさんの武田信縄の家督を引き継いで武田信玄が登場した。この家督の歴史は歴史学者が詳しいからお任せした方が賢明だ。
戦って勝てる相手には向かっていき、負けそうだなあと思う相手には戦いを挑まない。
人間だもの、判断を誤ることだってある。
「実力に関係なく、あのタイプにはよわいんだよなあ。ってことだってある」
武田信玄も本家と分家で苦労はお互い様、南に今川と北条がいたので北(信州)に向かった。
運命の上杉謙信との川中島での4度の戦いも引き分けに終わった。
子供のころ、武田信玄も強そうだったが、上杉謙信の方が強い気がした。武田信玄も上杉謙信も凛々しい名前だがお寺の和尚様の名前のようだ。
武田信玄は天下人を狙って織田信長を目出したのだろうが病には勝てなかった。
聞くところによると上杉謙信も病に勝てなかったようだ。
織田信長も本能寺の変にあった。
初めて訪れた甲斐の国は四方山に囲まれ、山にはフルーツの丘もあり、ワインでも有名だ。
武田信玄が武田神社からどのようなルートで北に向かったのか想像するだけでも武田信玄になれた。
武田信玄と上杉謙信と川中島で4回も戦い引き分けに終わった。
武田信玄も上杉謙信もお坊さんの名前を想像する。
武田信玄は天下を取ったのだろうが病には勝てず没した。
上杉謙信も病に倒れたと聞く。
ここは、甲府盆地で周りが山で囲まれていた。笛吹川フルーツ公園もあり、世界中の果物を楽しめる温室ハウスがあると言う。山梨と言えば甲州ワインもあるが私は飲めない。
山の麓から頂上までハウスが点在していたが急な登坂は移動に大変だった。
甲府の山々を見ながら武田信玄は風林火山のようにどのように山を移動したのか甲府の町を眺めた。
ことわざにこんなことがあった。
「風が吹けば桶屋が儲かる」
強い風によって砂ぼこりがたつと、砂ぼこりが目に入ったために盲人がふえ、その人たちが三味線で生計を立てようとするため、三味線が多く必要になり、三味線の胴に張る猫の皮の需要も増え、そのために猫がへり、その結果、増えた鼠が桶(おけ)をかじるので桶屋が注文が増え桶屋が儲かる。ということわざ。
風が吹いたら、なぜ桶屋が儲かる。まったく関係ないことだが、武田信玄の敵であった南の今川義元を桶狭間で織田信長が今川の首を落とした。
こんなことが武田信玄に功したのか、織田信長も天候が味方して今川の首を取れたのか?
天下人になるには何かがあるのかなあ。
古いふるーい昔の歴史をかじっていたおかげで、旅の面白さも倍増した。
ここまで生きてこられたのも運がよかった面もあった。運って何なの? といわれても運だよ。
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