相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

高野山 (連載―第549号)

2024年04月26日 | 経験・体験
私は54年前に、山奥から大都会東京に出て来た。史上最低の学力を引っ提げて出てきたが、日比谷公園内にあった。日比谷図書館に入館したが、静まりかえった図書室には厚い本を開いて若者が物音もたてずにいた。
翌日、漫画の厚い本に表紙をし、隣席の学生との間に置いて、賢く見せ勉学をした。
 あれから、まだシブトク生きている。高野山は弘法大師空海の霊山だ。霊山は青森県の恐山、滋賀県の比叡山、和歌山県の高野山と聞く。
私の和歌山の生まれ故郷から、龍神温泉を通り、平家の落人の村を眼下に見て、奈良県との境のスカイラインを過ぎれば高野山だ。
大好きな高野豆腐も売っていた。
空海は四国香川県のご出身で、なんで高野山なのかと尋ねたら、
余談だが、香川県から偏西風に乗って白い布が舞い上がり、その布が高野山の木に舞い降りた。というおとぎ話のような、本当のような話を私は信じていた。
弘法大師空海の高野山は真言宗でお寺だ。日本仏教は、インドからネパールの高い極寒の山脈を超え、極地の砂漠を歩いて、当時のシルクロードを玄奘三蔵によって、中国に渡り、中国全土に広がり朝鮮半島から日本に伝来した。
飛鳥時代の初期、聖徳太子が冠位十二階、十七条憲法をつくり国づくりに人力した。
 中国の隋にして見れば、日本はまだ、赤子のような国なのに、聖徳太子は、2回目、3回目の遣隋使に国書に持たせた。「日出づる処の天子日没する処の天子」これは2回目。「東の天皇西の皇帝」これは3回目。 当時、中国の煬帝は韓国の百済と戦っていたので事無をすんだ。日本は対等に貿易をしたかったのだろう。
 聖武天皇は国家の安泰を願うため鎮護国家として全国に国分寺を建立し、奈良の東大寺を総国分寺として大仏を創りました。
道鏡のように、政治に介入してくる僧侶の影響力が強くなりすぎて、桓武天皇は癒着を断ち切るために平安京へ都を移した。

 平安時代は、貴族の時代、カナも考え出され、女性の優美な姿を想像されよう。
 それにしても、中国の唐は世界の中心といわれる先進国で、日本は遅れている。唐に留学して学ぶことが多いのだろう。
 平安時代に、最澄と空海が遣唐使に任命され唐に渡り、お経の書物 や仏像を持ち帰り、日本に新たな、いぶきもたらした。
 空海は唐に20年間の留学予定が2年で帰国した。空海の才能がうかがえる。
空海は、高野山に金剛峯寺を瞑想の修行場所にし唐から持ち帰った密教を確立していった。
空海は宗教家は勿論、土木技師、書家としても才能を発揮し、また、温泉の湧き出る場所もあてた。
 密教は中国の国教で、中国の恵果が密教の基礎を築き上げ、日本から空海が訪れるのを予言していたのか空海に教えをすべて伝えた。その後、恵果は亡くなられたらしい。
 密教に関して、最澄は未完であり、一時は、8歳年上の最澄が、空海の弟子になり、密教の書物を借りようとしたが、空海に断られた。
 真言密教は経典を読むだけではなく実践が伴うと説いている。
修行によって、悟りに至るもので、師匠と一対一の伝授でなければ理解できないと、空海は悟っていた。
 空海は、山伏の山岳修行を会得し
さらに、深く密教を知った。
 大乗仏教、小乗仏教と聞くがいろんな経典があるようだが、私は簡単に解釈している。大乗仏教は、多くの人の為に、自分を犠牲にしても人のための仏教で、中国、韓国、日本などに伝来した。
 小乗仏教は出家者の、個人の為の仏教で、タイ、カンボジアなど東南アジアに伝来した。涅槃(ねはん)の仏像を思い出す。
若い人たちは、バンジージャンプに興じていたが、その時に、人の死と空(くう)を感じたかも知れない。
  空海の高野山には、3回お参りさせていただいた。寺のほとんどが宿坊にで、早朝に起き、お経を唱えた。
山道の両側には石碑が立ち並び、木々が高く聳え立ち、山道を2キロほど歩いて奥の院に着いた。奥の院では、1200年前から、弘法大師空海が今も瞑想しておられ、毎朝には、僧侶が、お食事をお運びしていた。
奥之院には、比叡山を焼き討ちにした織田信長の墓から、浄土宗開祖・法然の供養塔や、浄土真宗開祖・親鸞の霊屋まで。敵も味方も異宗派も、何者をも大らかに受け入れる真言密教の思想と空海への信仰が、いまも静かに息づいている。
護摩礼は密教の代表的な儀式で、御本尊の前で僧侶がさまざまな供物を炊き上げ厄や災を払い、ご本尊のご加護を願っていた。
それにしても、空海は史上最高の学力と能力を遺憾なく発揮している。今も高野山の奥の院で瞑想しておられると聞く、世界の彼方此方で人が迷走している。何とか収められないものか。
杉花粉症で目を赤くして、くしゃみをしていた若い僧侶が印象に残っている。
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