<宮城保育士絞殺>屋根から転落、重体の学生死亡
4月4日11時21分配信 毎日新聞
宮城県登米市米山町、保育士、及川梨恵さん(22)が自宅2階で首を絞められて
殺害された事件で、及川さん方脇の路上に倒れ意識不明の重体だった同県栗原市瀬
峰、私立大4年、高橋大輔さん(22)は4日午前5時ごろ、搬送先の病院で死亡
した。県警佐沼署は司法解剖して死因を調べるとともに、高橋さんが事件にかかわ
った可能性が高いとみて捜査している。
調べでは、高橋さんは3日午前5時10分ごろ、頭から血を流して倒れているのを
新聞販売店従業員に発見された。同署は梨恵さんの部屋から高橋さんの衣服や携帯
電話を発見、高橋さんが窓から屋根に出た痕跡も確認したことから、高橋さんはそ
こから転落したとみられる。及川さんと高橋さんは約1年半前から交際していたが、
最近別れたばかりだった。
・・・
2人に何があったとしても、殺人はいけません。
・・・
亡き彼女に私の過去のことを聞かれたことがあります。
そのときは、いつ、どのような人とお付き合いしていたか話しました。
彼女は、ふんふんと聞き入っていました。
・・・
22歳の保育士と22歳の大学生。
未来のある2人。
人生これからの2人。
若い社会人と学生のお付き合いというのは、男性が社会人なら何とか気力と体力
で、どんなに忙しくても彼女に時間を割き、そばにいてくれる有難さを胸に、シン
ドイときでも会いに行けば、何とかお付き合いを続けられますが、男性が学生で女
性が社会人となると、とても難しいことと思います。
なぜ、そのような「知ったようなこと」が言えるのか。それは・・・
私が大学院へ入るとき、当時お付き合いしていた人は公立保育園の保育士でした。
私が昼間税理士事務所でパート職員として働き、夜に立命館の夜間主コースに通っ
ていた頃、9月にその人には黙って大学院を受験しました。
なぜ秘密にしたのか。それは、
1つは、「私も銀行員のとき、スーツを着たまま布団に倒れて寝ていたくらい社会
人になってとてもしんどかった。社会人(正職員)で忙しいだろうから、自分のこ
となので自分のうちに秘めて頑張ろう。」と思ったことと、2つめは「大学院を受
けるといって仕事以外に心配事を作り、受験を応援してもらって、結果落っこちた
ら、カッコ悪いし、騒がせただけになってしまう。」と思ったからでした。
大学院に無事合格し、その結果を税理士事務所で働いているときに聞き、その夜連
絡を入れました。
そうしましたら、
「(何も話さなかったなんて)信じられない。」
「頼ってほしかった。」
「一人で悩んでいて、私には話をしてくれなかった。」
なんて、言われまして、
「まだ授業料や入学金を払うのは来年の3月だから、辞める事だってできる。」
「心配かけちゃいけないからと思って。。。」
と言いましたが、結局はそのことが原因で別れることになりました。
ですから、大学院に合格したことの喜びは。。。
どこかへすぐ飛んでしまったような感じでした。
このような話も、亡き彼女が生前色々と聞いてきたときに、そのままのことを話し
ました。
亡き彼女は、そのとき、
「あんたも若いねぇ」「私はおるよ♪」と言ってくれてとても嬉しかった。
・・・
ですから、女性が社会人(保育士)、男性が学生と聞いて、
他人事のようには思えなかったのです。
その人とは、大学の同級生の友人から紹介された、同系列の学園の短大を卒業した
人でした。
銀行員を辞める少し前くらいからお付き合いしたように覚えています。
どのようだったのか。
銀行員を辞めた後、私は京都に来ましたが、
京都市内から広島市内まで高速はほとんど使わず、
国道171を通り、西宮から須磨海岸→加古川バイパス→姫路バイパス→
相生から岡山市外までは2号線を走り→岡山の備前を過ぎたところから、バイパス
2号線を→倉敷から笠岡・福山までは、また2号線を走り→松永道路→そして、
広島市内まで会いに行っていました。
何キロあったでしょう。京都の太秦中筋を0時に出て、4時過ぎ頃には、岡山を
走っていて、広島市内に8時前くらいには到着していました。
人の気持ちなんて、すれ違いばかりです。
私は結婚歴はありませんが、たとえ夫婦となったとしてもそうではないでしょうか。
・・・
「わかってもらえない」「(私の)気持ちをわかってくれない」
・・・
そんなことなんて、山ほどありました。
どうしても諦めきれない、諦められない。
そういう気持ちと葛藤しながら、乗り越えていかなければならないことが、人生に
おいていっぱいあります。
・・・
その前の人は、学生時代→銀行員1年目の終わりまで。
高校時代の元彼と同級生数人で会うなんていうから、それは駄目(でも結局は許し
ましたけど)なんて言ったら。。。もうそこから終わりに向かっていきました。
私も、当時社会人1年生で仕事で振り回されていて、反省することは多々あるので
すが。
・・・
その前の人は、大学受験に失敗し浪人することとなり「私自身のことだから」
と。。。合格するまで応援すると言いましたが、オフコースの「さよなら」を口ず
さんでいたのには、勝てませんでした。すでに、自分の世界に入ってる・・・。
(その後、合格したと銀行の寮に電話がありましたが)
・・・
とにかく、色々です。
・・・
私は何が言いたいのか。
それは「『愛深き故に』このような事件を起こしてしまう」
という、気持ちは理解できます。もちろん殺人は当然駄目です。
ただ、悩み苦しんだ気持ちは察することができます。
しかし、この亡くなった男性は、やはり
「その(相手に)伝わらない想いと葛藤しつつも、その愛の届かなくなった今の
二人の関係を乗り越えなくてはならなかった。」と、そして「自分の想いだけでは
どうにもならないことを知る勇気をもってほしかった。」ということを、言いたい
です。
・・・
もちろん、私も彼女が先立ってしまい、
「糸の切れた凧」のような状態と今向き合っています。
乗り越えられるかどうかは、まだ分かりません。
しかし、乗り越えないといけないと思っています。
私の目標は、
「今世を生き抜くこと。それが一番の近道だから」
「もう二度とこのような辛い思いは繰り返さない」
そして「先立った最愛の彼女と、再会すること」です。
あの世が存在し、本当に江原啓之氏や飯田史彦教授がはっきりと言われる通り、
「再会」「必ず逢える」なら、今度こそ私がずっと先立った彼女を守ってみせます。
彼女に見守られるのではなく、私が見守りたかったのですから。
亡き彼女だけなんです。私が自然体でいることができて幸せを感じられ、そして最
期の最期までお互いが笑って過ごせた人は。
それは、大らかなそして優しい本当に優しかった彼女だったからこそ、私は今まだ
この世で頑張ろうとすることができているんです。
事故当時、電子レンジの上に、残されていた私用に作った彼女の手作りの料理。
そして、冷凍保存された手作りのおかず。
私がこの世を去るときに、食べようととって置いています。
あの世が存在してたら、真っ先に彼女のそばに行きたいですから。
・・・
私は、少しだけ大人になって思ったことがあります。
それは「偲ぶ愛」も「溺愛することと変わらない」ということです。
「結ばれない愛」「叶わない愛」もあるでしょう。
しかし、相手を想い、相手を一番に、本当に一番大切に思えるのなら、
「愛深き故に」手を離してあげることもできるのではないでしょうか。
苦しみや悲しみは、全部自分が背負ってあげて。。。
「好きな、大好きな人を手放したくない」という思いを、自我の欲求とまでは、
私は言いません。愛しているのは確かな事実ですから。
しかし、自分が全ての苦しみも悲しみも背負ってあげられたなら、それは「自分の
思い、思う『愛』」を超えた、(坂本政道氏でいうところの)SUPER LOVE
にまで超越することができるように思います。
どうでしょうか。
4月4日11時21分配信 毎日新聞
宮城県登米市米山町、保育士、及川梨恵さん(22)が自宅2階で首を絞められて
殺害された事件で、及川さん方脇の路上に倒れ意識不明の重体だった同県栗原市瀬
峰、私立大4年、高橋大輔さん(22)は4日午前5時ごろ、搬送先の病院で死亡
した。県警佐沼署は司法解剖して死因を調べるとともに、高橋さんが事件にかかわ
った可能性が高いとみて捜査している。
調べでは、高橋さんは3日午前5時10分ごろ、頭から血を流して倒れているのを
新聞販売店従業員に発見された。同署は梨恵さんの部屋から高橋さんの衣服や携帯
電話を発見、高橋さんが窓から屋根に出た痕跡も確認したことから、高橋さんはそ
こから転落したとみられる。及川さんと高橋さんは約1年半前から交際していたが、
最近別れたばかりだった。
・・・
2人に何があったとしても、殺人はいけません。
・・・
亡き彼女に私の過去のことを聞かれたことがあります。
そのときは、いつ、どのような人とお付き合いしていたか話しました。
彼女は、ふんふんと聞き入っていました。
・・・
22歳の保育士と22歳の大学生。
未来のある2人。
人生これからの2人。
若い社会人と学生のお付き合いというのは、男性が社会人なら何とか気力と体力
で、どんなに忙しくても彼女に時間を割き、そばにいてくれる有難さを胸に、シン
ドイときでも会いに行けば、何とかお付き合いを続けられますが、男性が学生で女
性が社会人となると、とても難しいことと思います。
なぜ、そのような「知ったようなこと」が言えるのか。それは・・・
私が大学院へ入るとき、当時お付き合いしていた人は公立保育園の保育士でした。
私が昼間税理士事務所でパート職員として働き、夜に立命館の夜間主コースに通っ
ていた頃、9月にその人には黙って大学院を受験しました。
なぜ秘密にしたのか。それは、
1つは、「私も銀行員のとき、スーツを着たまま布団に倒れて寝ていたくらい社会
人になってとてもしんどかった。社会人(正職員)で忙しいだろうから、自分のこ
となので自分のうちに秘めて頑張ろう。」と思ったことと、2つめは「大学院を受
けるといって仕事以外に心配事を作り、受験を応援してもらって、結果落っこちた
ら、カッコ悪いし、騒がせただけになってしまう。」と思ったからでした。
大学院に無事合格し、その結果を税理士事務所で働いているときに聞き、その夜連
絡を入れました。
そうしましたら、
「(何も話さなかったなんて)信じられない。」
「頼ってほしかった。」
「一人で悩んでいて、私には話をしてくれなかった。」
なんて、言われまして、
「まだ授業料や入学金を払うのは来年の3月だから、辞める事だってできる。」
「心配かけちゃいけないからと思って。。。」
と言いましたが、結局はそのことが原因で別れることになりました。
ですから、大学院に合格したことの喜びは。。。
どこかへすぐ飛んでしまったような感じでした。
このような話も、亡き彼女が生前色々と聞いてきたときに、そのままのことを話し
ました。
亡き彼女は、そのとき、
「あんたも若いねぇ」「私はおるよ♪」と言ってくれてとても嬉しかった。
・・・
ですから、女性が社会人(保育士)、男性が学生と聞いて、
他人事のようには思えなかったのです。
その人とは、大学の同級生の友人から紹介された、同系列の学園の短大を卒業した
人でした。
銀行員を辞める少し前くらいからお付き合いしたように覚えています。
どのようだったのか。
銀行員を辞めた後、私は京都に来ましたが、
京都市内から広島市内まで高速はほとんど使わず、
国道171を通り、西宮から須磨海岸→加古川バイパス→姫路バイパス→
相生から岡山市外までは2号線を走り→岡山の備前を過ぎたところから、バイパス
2号線を→倉敷から笠岡・福山までは、また2号線を走り→松永道路→そして、
広島市内まで会いに行っていました。
何キロあったでしょう。京都の太秦中筋を0時に出て、4時過ぎ頃には、岡山を
走っていて、広島市内に8時前くらいには到着していました。
人の気持ちなんて、すれ違いばかりです。
私は結婚歴はありませんが、たとえ夫婦となったとしてもそうではないでしょうか。
・・・
「わかってもらえない」「(私の)気持ちをわかってくれない」
・・・
そんなことなんて、山ほどありました。
どうしても諦めきれない、諦められない。
そういう気持ちと葛藤しながら、乗り越えていかなければならないことが、人生に
おいていっぱいあります。
・・・
その前の人は、学生時代→銀行員1年目の終わりまで。
高校時代の元彼と同級生数人で会うなんていうから、それは駄目(でも結局は許し
ましたけど)なんて言ったら。。。もうそこから終わりに向かっていきました。
私も、当時社会人1年生で仕事で振り回されていて、反省することは多々あるので
すが。
・・・
その前の人は、大学受験に失敗し浪人することとなり「私自身のことだから」
と。。。合格するまで応援すると言いましたが、オフコースの「さよなら」を口ず
さんでいたのには、勝てませんでした。すでに、自分の世界に入ってる・・・。
(その後、合格したと銀行の寮に電話がありましたが)
・・・
とにかく、色々です。
・・・
私は何が言いたいのか。
それは「『愛深き故に』このような事件を起こしてしまう」
という、気持ちは理解できます。もちろん殺人は当然駄目です。
ただ、悩み苦しんだ気持ちは察することができます。
しかし、この亡くなった男性は、やはり
「その(相手に)伝わらない想いと葛藤しつつも、その愛の届かなくなった今の
二人の関係を乗り越えなくてはならなかった。」と、そして「自分の想いだけでは
どうにもならないことを知る勇気をもってほしかった。」ということを、言いたい
です。
・・・
もちろん、私も彼女が先立ってしまい、
「糸の切れた凧」のような状態と今向き合っています。
乗り越えられるかどうかは、まだ分かりません。
しかし、乗り越えないといけないと思っています。
私の目標は、
「今世を生き抜くこと。それが一番の近道だから」
「もう二度とこのような辛い思いは繰り返さない」
そして「先立った最愛の彼女と、再会すること」です。
あの世が存在し、本当に江原啓之氏や飯田史彦教授がはっきりと言われる通り、
「再会」「必ず逢える」なら、今度こそ私がずっと先立った彼女を守ってみせます。
彼女に見守られるのではなく、私が見守りたかったのですから。
亡き彼女だけなんです。私が自然体でいることができて幸せを感じられ、そして最
期の最期までお互いが笑って過ごせた人は。
それは、大らかなそして優しい本当に優しかった彼女だったからこそ、私は今まだ
この世で頑張ろうとすることができているんです。
事故当時、電子レンジの上に、残されていた私用に作った彼女の手作りの料理。
そして、冷凍保存された手作りのおかず。
私がこの世を去るときに、食べようととって置いています。
あの世が存在してたら、真っ先に彼女のそばに行きたいですから。
・・・
私は、少しだけ大人になって思ったことがあります。
それは「偲ぶ愛」も「溺愛することと変わらない」ということです。
「結ばれない愛」「叶わない愛」もあるでしょう。
しかし、相手を想い、相手を一番に、本当に一番大切に思えるのなら、
「愛深き故に」手を離してあげることもできるのではないでしょうか。
苦しみや悲しみは、全部自分が背負ってあげて。。。
「好きな、大好きな人を手放したくない」という思いを、自我の欲求とまでは、
私は言いません。愛しているのは確かな事実ですから。
しかし、自分が全ての苦しみも悲しみも背負ってあげられたなら、それは「自分の
思い、思う『愛』」を超えた、(坂本政道氏でいうところの)SUPER LOVE
にまで超越することができるように思います。
どうでしょうか。
私のブログで
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。よかったらご訪問くださいね!
紹介記事は
http://quickrecipe.blog81.fc2.com/blog-entry-412.html
です。
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