映画と音楽そして旅

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(シネマ雑記帳)(87)「戦艦バウンティ号の反乱」

2006-08-02 00:04:26 | 映画
 今日の記事はカテゴリーもタイトルも違いますが、内容は前号に書いた記事の続きです。
 この物語は戦前や戦後を通じて、すでに三回も映画化されていますが、最新作でも20年近く前のことです。
 この映画化作品の製作年代やキャストを記して見ますと、
 1935年 クラーク・ゲーブル チャールズ・ロートン ドロシー・ラムーア 
 1962年 スロロン・ブロンド トレバー・ハワード
 1984年 メルー・ギブソン ローレンス・オリヴエ
 これらはすべて輸入公開されているはずですが、我が国でもあまり大きい話題のならなかったようです。このうち1935年版は戦前に我が国で公開されましたが、帝国海軍には反乱などはあり得ないという軍の意向により、内容もカットだらけの映画になり映画としての評価はは不明です。
 私が先日買った著作権切れの「大特価DVD」の一本は、この戦前のアメリカ映画「バウンティ号の反乱」ノー・カット版でしたが、この映画は戦前には「南海征服」と云うタイトルに変更して公開されたそうです。

 ここまで書いて買ってからお預けになっていた大特価DVDをやっと見ました。 ストリーは私が書いたのと大差ありませんが、ブライ艦長(チャールズ・ロートン)の規律違反に対する懲罰は、半端なものでありませんでした。反則者には鞭打ち数十回はごく日常のことで、暴風雨のマストのてっぺんへ気絶するまで縛ったり、こりゃ暴動が起きてもあたりまえでっせ…
 しかしその恐い艦長が現地人の酋長とか島民に対しては、打って変って柔軟に対応するのには驚きましたが、それは過去においてマゼランやクックのように、現地人と戦って生命を落とした冒険者が多数いたので、多分本国の指示があったものと思われます。
 その後ブライ艦長たちは苦闘の末に、現在のインドネシアあたりにに辿りついてイギリス本国への帰国を果たします。彼がボートで航行した距離は4000kmでしたが、星と磁石だけを頼りに、これだけの距離を無事に陸地に着いたのは、彼が優秀な航海術を身につけていたからのようです、

 本国から追われる身のクリスチャン副長(クラーク・ゲーブル)たちは、漂泊の果てに南太平洋で海図に載っていない孤島を発見して、この島で隠遁生活を送ることを決めます。二度と祖国の土は踏まないとの強い意志の元に、乗ってきたバウンティ号を焼却してしまいます。
 やがて本国から反乱者追求の軍艦が現れ、タヒチ島に残留していた元乗員たちは、全員逮捕され本国へ送還されることになりますが、この軍艦も座礁沈没します。その時に反乱者の一部は見捨てられて水死します。
 ブライ艦長のボートに乗り遅れた士官は無罪になって終わります。
 
 映画ではこのあたりは駆け足でいとも簡単に通り過ぎて、スカみたいな結末でしたが最後まで丁寧に描いてほしかったですね。
 重点的に描写されたのはブライ艦長の「いじめ」の部分と、タヒチ島での島民たちとの甘い交流…特に永遠のプレイ・ボーイ…クラーク・ゲイブルが、あちこちの女の子にモテモテの羨ましい場面を延々と写していましたが、このあたり冒険映画なのか恋愛映画なのかよく判らない感じがして感動も薄かったようです。
 それに新発見!ドロシー・ラムーアが出ていたって?…彼女は私が若い頃ビング・クロスビーといっしょに「バリ島珍道中」などのシリーズに出ていた女優だったがな…さては酋長の娘になってたのがそうだったのかな??
 うーん も一度しっかり見てみよう…!

 あとは映画はアレで終わって仕舞ったので、全く描かれていませんが反乱者たちのその後です
 実際には裁判で反乱者3人が処刑されているのですが、映画ではこのあたりは曖昧だったようです。孤島ビトケアン島に逃げ込んだグループが、後年になってイギリス軍艦に発見されましたがその頃には、反乱に参加した乗員が一人だけ生き残っていましたが、後は白人とタヒチ島民の混血の青年や娘そして子供ばかりだったと云われます。
 南太平洋に浮かぶこのビトケルン島には、今も百人足らずの反乱者の子孫たちがひっそりと暮らしているそうです。
 
 少年時代から今までの数十年間…ずっと心の片隅に引っかかっていた「バウンティ号事件」について、やっと総括することが出来ました。
 これで今夜はよく眠れると思います。
 ご協力感謝致します。

 
 


 



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