ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

さよなら、「雪国」

2021-05-15 23:07:41 | 暮らしあれこれ
210512.wed.



雪の下で春を待つみどりの命。井山計一さんが、カクテル「雪国」に託した思いだ。
2年前の4月10日夜、差し出されたグラスは、その店を始めた時にダースで揃えて、
今たったひとつ残っているものだと93歳のバーテンダーは言った。



ドキュメンタリー映画「YUKIGUNI」が話題になり、
雑誌の取材で出かけた酒田市のバー ケルン。

日本人が作ったスタンダードカクテルとして有名になった「雪国」を求めて、
全国からカクテル巡礼と呼ばれる人々が引きも切らず訪れていた。

 
昭和34年全国バーテンダーコンクール創作カクテルの部で第一位を受賞した時の雑誌や、
自ら作詞をした庄内歌謡集のCDなど、嬉しそうに見せてくれた井山さんのにっこりとしたお顔が蘇る。
カウンター背の自作の川柳は毎日書きかえておられた。
この日は 10日前に発表された新元号と亡き母のお名前(梅)を合わせた句。
自然体で、器用な方なのだ。
戦中戦後、たくさんの偶然に命を救われて、北の地で我が道を生き通された。

 

「足腰が立たなくなったら車椅子に乗ってカクテルを作りますよ」
そう言われた時の目は真剣だった。
95歳。老衰だという。空の上でもきっとバーテンダーの正装で、
カクテルシェーカーを振られるのだろうな。
合掌。

 
・・・・・


昼間は喫茶店、夜はバーに。
奥様がご存命中は奥様が、今はご長男が喫茶部門を担当されているようでした。

 
奥様がまた素晴らしく献身的な女性で、ずっと感謝していらした様子が思い出されます。
お母さまの決めた方だったようですが、当時ダンス教師だった井山さんの技術についていけず、
パートナーとしては落第。でもそのおかげで井山さんはバーテンダーの道へ。
無鉄砲のようで、親思いで愛妻家の人生。素晴らしい大往生ですね。


ウォッカ、ホワイトキュラソー、ライムジュースというシンプルな材料だからこそ、
スタンダードカクテルとして定着した。それにミントチェリー。
オーソドックスな材料だからどこでも飲めるというのが、
スタンダードカクテルの条件です。やっぱりご本人作は格別でした。
周囲の雪を模したのがお砂糖という意外性もまた雪国の雪国たるものなのでしょう。
白砂糖は砕いて粉にしてつける。なぜ砂糖か、理由を聞きそびれてしまった(__;) 
ライムジュースにしたのは、
当時、生のライムが山形にはなかったからだと仰ってました。

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