ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

大鹿村探訪記・その2

2011-05-20 03:41:59 | 暮らしあれこれ
110503.tue.-2


いよいよ、大蹟(おおせき)神社へと向かう。
自由席で、どこに座っても、出入りも自由だという。
駐車場には「マスコミ関係」の立て札がある。
どれだけ取材にきているわけ?
坂道(参道?)を上っていくと、出店のおばさんが
「今ねえ、岸辺一徳さんの挨拶をやっとるよ。早く早く」と教えてくれる。
どうやら第2部が始まる前の中入りのようだ。

幟の数が相当数立つ向こうに舞台が見える。
原田芳雄さんがしゃべっている。
「僕は2年前にここで大鹿歌舞伎を見て、惚れ込んだのです」と。
「去年の11月に2週間で撮った映画ですが、本当に村の皆さんおかげです」
「大好きなしだれ桃が咲いていて、うれしい」なんて言っている。
次に大楠道代さん、阪本順二監督、最後は長野県知事まで!
観客は1000人ほど。
当然立ち見を覚悟したが、いい場所を見つけて腰かけることができた。
    (たぶんこれがしだれ桃?)

演目は「六千両後日文章重忠館(ごじつのぶんしょうしげただやかた)の段」。
これは、平家滅亡の後日談。
落ち武者・悪七兵衛景清が源氏に戦いを挑む話で、
大鹿村にのみ伝わる外題だそう。(ってことは歌舞伎座では見られないのね)
六千両は6人の千両役者の意であるとされ、
できるだけ多くの村人が主役になれるよう工夫されたものだという。
役者だけでなく、太夫(浄瑠璃弾き語り)はお一人でこなされるし、
下座、黒衣、化粧、着付、床山などすべて
大鹿歌舞伎愛好会のメンバーによって行われる。

最初に役者紹介のアナウンスがあったが、
村役場勤務だれだれ、消防団だれだれ、なんて
本当にこのあたりの人なわけです。
小学3年生の役者(これがまた重要な役どころ)もいて
それがまた、皆さんお上手なんですよ。
驚いた!
 

新緑を背にして、朗々と口上を述べ、見得をきる。
おひねりが花吹雪のように、舞台を埋め尽くすほど投げられる。
なんてすばらしい景色なんでしょう。
いいものを見せていただきました。

大西公園に寄ったら、さすがに桜はほとんど散ってしまっていたが
「六千両後日文章重忠」桜が植えられていた。
  
昭和36年6月下旬の集中豪雨でこの大西山がが崩落、
39戸が土砂に飲み込まれ、42人が犠牲になったという。
(その直後に生まれて、ヘリコプターの爆音など気にもせず
 すやすや眠っていた赤ん坊は、…わたくしです(笑))
 生々しい傷跡を背に観音様が。


帰りに「ディア・イーター」という看板を見つけたが
それがどうやら映画の中で、原田芳雄さんが経営する食堂のようだった。
7月16日、全国ロードショーです。楽しみ。
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110505-OHT1T00001.htm


ああ、信州再発見。
充実した連休でした。

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