ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

初秋~飯田ゆかりの地に親しむ

2018-09-12 10:01:42 | ふるさとまわり
180908.sat.(長いけど、メモ)

8日土曜日。
朝から、「東京の飯田ゆかりの地を歩こう会」秋の部の下見会。

 

千駄ヶ谷駅集合。
だいぶ様子が変わってきた。
着々と2020国立競技場が建設中です。
聖火台はどこにできるのかしらん?

 

青山墓地〜有名墓地に眠る飯田ゆかりの名士を訪ねる、
これはこの会のテッパンです。
予め調べておいた番地を元に、あっちへ行ったりこっちに戻ったり。

 

大久保利通の巨大な碑には端正な文字がびっしり彫られている。
当時政府の書記官だった日下部鳴鶴(1838-1922)の字だという。
大久保暗殺後、政界を退き、
書の道に進んだ彼は日本で最初の書道の本を刊行し、
書の世界に大きな影響を与えたのだとか。
飯田から著名な書家が多く輩出されているのは、そうした素地もあったのか。

 

この碑の横に斎藤茂吉の墓も。
(北杜夫さんは入られてませんでした(;^_^A)

 初代中村吉右衛門のお墓はひっそり。。。



画家の島村洋二郎(1916-1953)は、
大きな桜の樹の下で、親類と一緒に眠っていた。
去年、NHKファミリーヒストリー一般の部で、姪の直子さんが、
幼い頃にアメリカ軍人の養子となって行方知れずだった
洋二郎の次男の鐡さんを探し出して、
ここに墓参にこられたことも聞いていたので、
そんなストーリーを思うと、より感慨深い。

 

少し草取りなんかもしちゃったりして。
草取りを終えたM先輩、しばし洋二郎さんと語らっているご様子でした。
「お墓はねえ、楽しいよ。こんなきれいな場所はない」と。

潮田千勢子(1844-1903)は飯田藩医丸山龍眠の次女。
夫の死後上京し、廃娼運動や足尾銅山被災者の救援等をしたという社会運動家。
知らなかったけど、立派な女性がいるものです。

 

他に洋学者の田中義廉(1853-1932、博物学者・田中芳男の弟)、
陸軍大将・安東貞美の墓など。(男爵! 立派すぎる~)

 

旧制中学卒の大先輩で今年米寿を迎える隊長・M氏の、
淀みない素晴らしい解説(恐るべし記憶力!)を聞きながら、
六本木ヒルズを眺めながらのお墓の散歩。

六本木〜国立新美術館でランチと思ったら、めちゃ混み。
予想外の暑さの中歩いてきたのでお腹ぺこぺこー。
で、中華料理店でビールを一杯。冷やし担々麺とともに。

六本木ヒルズの脇を通り、
長大な中華人民共和国日本大使館の壁沿いを歩いて、有栖川公園へ。

 

木陰でひと休み。池では長閑に亀が泳ぐ。

 



広尾 東江寺/祥雲寺〜なんと!ここは飯田藩堀家の菩提寺で、隣が下屋敷跡だったのですね。
知らずにこの辺りではよく飲んでたし、お寺にも絵本の会などで行ったりもしたのだった。

 

ここは福岡藩黒田家、秋月藩主黒田家、久留米藩主有馬家、狭山藩主北条家など
多くの大名の江戸菩提寺となっている。黒田長政のお墓の見事なこと!

 


  堀家墓群

祥雲寺の鐘楼は飯田藩主堀家初代親良が寄贈したもので、
元は下野国那須烏山城から来たということがたしかに掘ってありました。
M先輩の解説、素晴らしい! 健脚ぶりも!!

  


ここから恵比寿まで歩いて、本日2度目のビールにありつく。
21600歩!でした。

 



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