ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

長野善光寺~松代へ 3

2020-03-10 18:04:01 | ふるさとまわり
2020.01.12.sun.

2日目は、先生の案内で松代探索。
 

松代は大河ドラマの舞台に何度もなっている歴史のある町だ。
蔵と泉水路の廻らされた城下町を歩いて、まずは象山地下壕跡へ。
第二次世界大戦末期、本土決戦に備えて大本営を移すべく、
ここ松代の舞鶴山、皆神山、象山を掘削したのだという。

 

 

現在見学できるのは象山に掘られた地下壕。
皆、ヘルメットを被って中に入ると、まるで広大な蟻の巣のよう。
内部は暖かく(夏は涼しいらしい)、突貫工事とはいえ、立派なもの。

 

固い岩を粉砕したという削岩機ロッドの跡も生々しい。
短期間でこれだけの施設を作るために、日本人はもとより
大勢の朝鮮の人たちの強制労働があったわけで、
戦争遺跡に行くと日本中こんな話ばかりです。
出てから、慰霊碑に黙礼。


象山といえば佐久間象山先生(県歌「信濃の国」でも歌われている)。
この明治維新の志士らの師をはじめ、
松代の三山(鎌原桐山、山寺常山)といわれた学者、思想家を輩出している松代です。
地形的にもこの土地に住む住人の人柄を考えても、
大本営を移すのに適していたのでしょうかね。

 

次は六文銭の家紋の誉高い真田宝物館。
大河ドラマの真田丸より、お父さんと長男の方がここではメイン。
江戸に行くのに中山道を通ったとか、
ただいま五街道の本を作っているのにタイムリーな資料もあったりして。

   折り紙のコマ

そのあと松代城跡へ。
 

天守閣はないが、
大小組み合わせて質実剛健といった感のある石垣がどーんと迫ってくる。

  

 

戦国時代は海津城と呼ばれていたそうだが、
この辺りは海沼地区とか海野さんとか海のつく地名や苗字が多い。
海無し県なのになぜ? 安曇野は博多から安曇氏が移り住んだから、
穂高神社は海の神様を祀り、船の祭りや海藻の食べ物があるのは知っていたけれど、ここは? 
どうやら湖のことを海とも呼んだらしいと、
最初の赴任先が小海だったというS君情報を後から入手しました(^^;;

 

 

城下町松代には、家々の庭園ををつなぐ泉水路があり、
全国でも珍しい存在らしい。
生活用水だったのか、その用途はわからないが、
お屋敷の白壁や板塀に沿ってゆるゆると流れる泉水は静かだ。
島原の町を流れる湧水には華やかな錦鯉が泳いでいるのだが
松代の泉水路の鯉は黒。(たまたまか?)
同じ城下町でもこのあたりからして違うようだ。やっぱり質実剛健。

 

さて、ランチは奥様の待つ先生宅へ。
(この項、さらに続く)

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