110515.sun.
シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥーセンター所蔵作品による―
2011.02.09-05.15 国立新美術館
震災の影響で、会期が延びたシュルレアリスム展へ足を伸ばす。
最終日。どの作品の前にも二重三重の人だかり。
あの時代の奇抜なものたちが、ひっそりと自己主張している。
昨年、同じ場所で見た「マン・レイ」展。
http://blog.goo.ne.jp/ezn03027/e/620fb48f0b8dbc056fbd17c9e57493d8
このときも、これだけでおなかいっぱいになったのに、
今回は、彼を含む芸術たちが一堂に会しているわけで、
まあなんて盛りだくさんなこと。
予想通り、満腹になりました。
常識では考えられない、ありそうもないものを見たり聞いたりしたとき
「シュールだなあ」、とつい口をついて出てしまうほど
すっかり日常になじんだ言葉だ。
超現実。
親分、いや帝王(法王とも?)アンドレ・ブルトンが
「シュルレアリスム宣言」をした1924年から彼の死の1966年まで、
第1次大戦中に起こったダダ時代を加えると
実に45年もの間続いた超現実主義運動だったんですね。
会場を年代別に4つに分けた、わかりやすい展示。
最初の部屋でまっさきに、目についたのが
マン・レイが撮ったというミシンと雨傘。
あの有名なロートレアモンの詩を、そのまんま!(笑)
「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の出会いは美しい」
デ・キリコ、マックス・エルンスト、マン・レイ、
マルセル・デュシャン、サルバドール・ダリ、ポール・デルヴォ―、
ルネ・マグリット、フランシス・ピカビア、イヴ・タンギー、
ジョアン・ミロ、アルベルト・ジャコメッティ、・・・・・
名だたる芸術家のオンパレードだ。
そうそう、ポロックもいた。(わりと具象画を描いていたのにビックリ)
2つの大戦の間の、ある意味、綺羅星のような時代。
人間の意識の裏に隠された想像力を自在に引き出し、
偶然や瞬間の出会いに新しい芸術性を求める。
無意識の中に潜む世界を、それぞれ独自独特な方法で表現した
彼らとその作品、運動は、世界中に一大ムーヴメントを起こした。
パリの詩人たちがちょっと変わったことをして始まった、
なんてものではない広がりを
4つの部屋を行き来しながら、どっぷり感じた2時間。
普段あまり目にしないこの二人に注目。
ドラ・マールの写真作品(パラジウム・プリント)が2点。
彼女の作品を見たのは、実は初めてだった。
いわずと知れたパブロ・ピカソの愛人で、
黒髪に黒い瞳の個性豊かなこの写真家は、
ピカソが「ゲルニカ」を制作しているときの記録写真を残している。
そしてピカソの「泣く女」のモデルとしても
彼女的には(おそらく)不名誉な姿で残された。
ピカソはドラ・マールを愛し
捨てた
そして「泣く女」は
永遠に訴えている
愛された印を
(「泣く」という題詠でかつてこんな五行歌を出したこともある)
すべての部屋に少なからずの作品が展示されていたのは、アンドレ・マッソン。
ネームプレートを見なければ、絶対に同一人物とわからない。
それだけ多様な手法で、文字通りシュールな絵から抽象的な作品まで
描ききったという感じ。
ポロックら初期抽象表現主義に影響を与えたそうだが
オートマティスム(自動記述法)ってそもそも
ポロックのドリッピングに近いかも。(あれ?逆か?)
見終わってから、外のテラスでお茶を飲む。
手に持っていないとカップも飛ばされてしまうくらい
めちゃくちゃ風が強い。
それにしてもこのご時世、
現実に起こっていることこそシュールそのものでしょう、
なんてことを考えながら。
シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥーセンター所蔵作品による―
2011.02.09-05.15 国立新美術館
震災の影響で、会期が延びたシュルレアリスム展へ足を伸ばす。
最終日。どの作品の前にも二重三重の人だかり。
あの時代の奇抜なものたちが、ひっそりと自己主張している。
昨年、同じ場所で見た「マン・レイ」展。
http://blog.goo.ne.jp/ezn03027/e/620fb48f0b8dbc056fbd17c9e57493d8
このときも、これだけでおなかいっぱいになったのに、
今回は、彼を含む芸術たちが一堂に会しているわけで、
まあなんて盛りだくさんなこと。
予想通り、満腹になりました。
常識では考えられない、ありそうもないものを見たり聞いたりしたとき
「シュールだなあ」、とつい口をついて出てしまうほど
すっかり日常になじんだ言葉だ。
超現実。
親分、いや帝王(法王とも?)アンドレ・ブルトンが
「シュルレアリスム宣言」をした1924年から彼の死の1966年まで、
第1次大戦中に起こったダダ時代を加えると
実に45年もの間続いた超現実主義運動だったんですね。
会場を年代別に4つに分けた、わかりやすい展示。
最初の部屋でまっさきに、目についたのが
マン・レイが撮ったというミシンと雨傘。
あの有名なロートレアモンの詩を、そのまんま!(笑)
「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の出会いは美しい」
デ・キリコ、マックス・エルンスト、マン・レイ、
マルセル・デュシャン、サルバドール・ダリ、ポール・デルヴォ―、
ルネ・マグリット、フランシス・ピカビア、イヴ・タンギー、
ジョアン・ミロ、アルベルト・ジャコメッティ、・・・・・
名だたる芸術家のオンパレードだ。
そうそう、ポロックもいた。(わりと具象画を描いていたのにビックリ)
2つの大戦の間の、ある意味、綺羅星のような時代。
人間の意識の裏に隠された想像力を自在に引き出し、
偶然や瞬間の出会いに新しい芸術性を求める。
無意識の中に潜む世界を、それぞれ独自独特な方法で表現した
彼らとその作品、運動は、世界中に一大ムーヴメントを起こした。
パリの詩人たちがちょっと変わったことをして始まった、
なんてものではない広がりを
4つの部屋を行き来しながら、どっぷり感じた2時間。
普段あまり目にしないこの二人に注目。
ドラ・マールの写真作品(パラジウム・プリント)が2点。
彼女の作品を見たのは、実は初めてだった。
いわずと知れたパブロ・ピカソの愛人で、
黒髪に黒い瞳の個性豊かなこの写真家は、
ピカソが「ゲルニカ」を制作しているときの記録写真を残している。
そしてピカソの「泣く女」のモデルとしても
彼女的には(おそらく)不名誉な姿で残された。
ピカソはドラ・マールを愛し
捨てた
そして「泣く女」は
永遠に訴えている
愛された印を
(「泣く」という題詠でかつてこんな五行歌を出したこともある)
すべての部屋に少なからずの作品が展示されていたのは、アンドレ・マッソン。
ネームプレートを見なければ、絶対に同一人物とわからない。
それだけ多様な手法で、文字通りシュールな絵から抽象的な作品まで
描ききったという感じ。
ポロックら初期抽象表現主義に影響を与えたそうだが
オートマティスム(自動記述法)ってそもそも
ポロックのドリッピングに近いかも。(あれ?逆か?)
見終わってから、外のテラスでお茶を飲む。
手に持っていないとカップも飛ばされてしまうくらい
めちゃくちゃ風が強い。
それにしてもこのご時世、
現実に起こっていることこそシュールそのものでしょう、
なんてことを考えながら。
ニンニク、生姜!
なるほど~。たしかにそうしたほうがグンと美味しそう~
野菜も冷蔵庫になるもの中心でよさそうですね。
あれから 早速野菜カレー作りましたよ。
セロリ なす きのこ等を加えてニンニク 生姜でよーく炒め 美味しかったです。
次の日は鯵のムニエルに添えて・・・
ありがとう!
いえいえ、キョロキョロしているだけでござりまする~~
探しものばかりに時間がとられて、肝心なことがいつも後まわし・・・。
こんなスカスカ密度の生活、ふくろんさんに比べたら全然!です~~
(私の生活こそシュールかも・・・とほほ)
多方面に超詳しく いかに密度の濃い 日々をお暮らしなのだろうかと・・・
あの大津波で、ビルの上に乗り上げた船を見た
ある現代アーティストは言いました。
「僕らがこの世にないものを作ろうとしてきたことを
自然はいとも簡単にしてしまった。不謹慎な言い方だけど」
でもそんなところだけではない、日常にだって
超現実的なことがあふれてますよね。
超現実が現実になったら、超超現実的なことが起こって、
そしてまた・・・???
今の、この世の中に起こっている事こそ
シュールですよね~