善きサマリア人化計画 I wanna be Anpanman.

救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

うつくしま福島

2011年04月30日 13時14分06秒 | スマホから投稿(速報日記)
大型連休で福島に来てます。

磐梯吾妻スカイラインの雪の回廊にて。


満州ぎょうざ(^ω^)
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たまには釣りネタ

2011年04月27日 11時17分09秒 | 釣り(バスボート・ブラックバス)

震災の被害で休業していたイタコマリーナの富士見池が、4月24日より復興してオープンしました!

当日は入場料4000円のうち、1000円を義援金として募金するということなので、私も朝2時半起きで潮来までいってきました。

そうそう、この潮来マリーナも震災で大きな被害を受けました。

しかし、関係各位の努力により、駐艇場の液状化も復旧し、いまでは通常営業しております。

しかしながら周辺の道路陥没や住宅の屋根瓦が落下しているなど、震災の影響を色濃く残し、やはりここも被災地なんだなぁという思いを新たにします。

さて、そんな富士見池ですが、長期休業を余儀なくされていたので、バス君達は休養十分!元気いっぱいなので、もう、アホみたいに釣れました。

たぶん1年分以上のバスは釣ったでしょうwww。

なので今年はバス釣りお休みにします。













ウソですwww。





自粛ムードや余震の影響でレジャーを控えている方も多いと思いますが、今なら富士見池で爆釣が体験できるいい機会だと思いますよ~。

GW初日が狙い目ですね!



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首都圏がヤバそうですね

2011年04月22日 23時21分42秒 | 救命普及・災害活動記
あぁ、放射能の事じゃないですよっ。見えない物はオバケ以外は怖くは無いですからwww。

そそ、首都周辺の大地震の可能性が高まっているそうです。



「(2011年4月22日22時11分 読売新聞)
東日本大震災で起きた地殻変動の影響で、首都圏の広い範囲の地盤に力が加わり、地震が起きやすい状態になっているとの解析結果を、東京大地震研究所のグループが22日、発表した。


 解析結果は、大震災後に発生した地震の分布ともほぼ一致している。同研究所では、国の地震調査委員会が今後30年間に70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震が誘発される可能性があるとして、注意を呼びかけている。

 同研究所の石辺岳男・特任研究員らは、首都圏で過去24年間に起きた約3万の地震で破壊された領域が、東日本大震災でどのような影響を受けるかを解析した。その結果、地震が起きやすくなる力が働く領域は約1万7000で、起きにくくなる領域の約7000よりも多いことが分かった。

 震源が30キロよりも浅い地震は伊豆・箱根を含む静岡県東部から神奈川県西部で、30キロよりも深い地震は茨城県南西部、および東京湾北部から銚子に至る範囲で起きやすくなっていることが判明した。」



と、いうことです。

放射能問題なんかぶっ飛ぶような記事ですね。

そして、「今後30年間に70%の確率で起きると予測しているマグニチュード7級の南関東の地震」

         ↑たしか、この辺の内容が防災士の試験で出たような??

つまり、ずいぶん前から発生の可能性は70%と高まっていたので、東日本大震災の影響で、これが「30年間」から「近いうち」に変わったってことですね。

東京の大地震で注意すべきは火災です。揺れが収まったら先ずは消火。初期の火災であれば、消火器で対応可能です。

ちなみに揺れている最中は、コンロやストーブの火を無理に消そうとしないでね。大火傷を負う可能性大。

そそ、防災グッズには消火器も加えておいてくださいねっ!

まぁ、用心に越したことは無いですよ。つーか、東大地震研が首都圏に対して、こんなガチ警告を発するのは初めてじゃないかな?

いつ起こるかは分かんないけど…。やっぱGWは福島に行こうwww。



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結構身近にある原発被害

2011年04月18日 22時48分17秒 | 救命普及・災害活動記
私の住む自治体では毎年、アメリカの姉妹都市から交換留学生を受け入れていました。

私もその受け入れ委員会に所属していて、今年の夏休みの受け入れの際に、一日観光バスツアーを企画するように言われていました。

しかし、アメリカ側から、福島の放射能が心配なので、今年の派遣は見送りたいとの連絡が…

せっかくアメリカ人の高校生が喜びそうなアキバツアーとか考えていたのに。これもレベル7の影響ですかね。



それともう一つ。

近所に行きつけの中華料理屋があります。そこは経営者を始め、コックやウエイトレスまで全員が中国人。

先日久しぶりに紹興酒でも飲みに行こうとしたら、年中無休のはずなのに休業してました。

気になったので、数日後、明るい時間に店に行きましたが、案の定営業していないし、ガラス扉には何の張り紙もしていない。

ガラス越しに店内をのぞくと、1枚の新聞が、店のテーブルの上に大見出しをさらして放置してありました。

その大見出しとは…












なるほど。逃げたのねwww。


ネタではなく、マジ話です。


で、考えました。

現在のままの放射能濃度であれば、今年のGWは福島へプチツーリングに行ってきます。

福島がかわいそ過ぎますので、ちょこっと散財して来る予定で~す。



一緒にがんばろう!東北・北関東・甲信越!


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木曜日に提出したボランティアに関するレポート

2011年04月18日 15時01分14秒 | 救命普及・災害活動記
政府機関で暫定的に働いている友人の議員に、下記の文章(一部抜粋)を託しました。
内容は気仙沼市の被災地の現状と、ボランティアの活動状況についてです。

金曜日に辻本なんちゃらとかいう首相補佐官が現地入りしたそうですが、ちょっと遅すぎませんかね。
県南部のボランティアが集まりやすい場所しか視察してないみたいだけど、ボランティアに恵まれている自治体に行っても、「あぁ、ボランティアがいっぱい居すぎて、仕事にあぶれてるのね」って理解にならなければいいですがね。

現状の社会福祉協議会の職員主体でのセンター運営では、被災者からのニーズの掘り起こしまでは手が廻りません。彼らも被災者なんですからね。

補佐官はもっと現状を知るべきだし、もっと柔軟に対応すべき。ボランティアの自主性を強調しすぎて何もしないなら、何のための首相補佐官なのかね?
まぁ、あの「首相」にしてこの「補佐官」ですからねぇ。最初から期待してませんけど。

革新系的な考え方で自主性を重んじるのは結構ですが、ぜひボランティアが集まりやすい環境構築もお忘れなく。国が予算を付けないと、NPOに丸投げでは、どこも疲弊してしまいますよ。

より多くの人が現地入りしやすいように便宜を図ること。
国はボランティアを希望して被災地に入る人に対して、交通費の一部免除や宿泊補助を支援してほしいですね。
まぁ、その場合、行く側の人も、高い志の人限定でお願いしたいですがね。(迷惑ボラにならないでね)

以下レポート(抜粋)
…次に市内の災害ボランティアの状況についてご報告いたします。
気仙沼市は3月26日に災害ボランティアセンターが立ち上がり、市内在住者のみを対象としたボランティアスタッフを募集しておりました。
しかし、物流が徐々に回復し、ガソリンの補給にも問題が無くなったことや、市内でのボランティア派遣要請の増加に伴い、私がインタビューを行ったその日(13日)の夕方には、市外(全国から)のボランティア募集に踏み切りました。
ボランティアに来られる方は、自分の食事や宿泊、移動手段を用意して、自己完結で現地入りすることが前提ではありますが、今後増加する派遣要請をこなす為には、より多くのボランティアさんに集まってもらう必要があります。
また、今まで現地で活躍していたボランティアは、市内の学生たちが中心でしたが、みなさん新学期を迎えるにあたって、それぞれ復学して、やがては人が集まらなくなるという事情もあります。
これほどまでに広大な地域が被災している訳ですから、今までの震災と違い、1カ月やそこらでボランティア活動が終息するとは思えません。
通常であれば被災後一カ月もすれば、避難所での支援活動より、被災者の生活再建に向けたボランティア(家の片付けや仮設住宅への引っ越しの手伝い)などがメインになるのですが、この時期においても尚、避難所での被災者救援活動が主な役割となっており、従来の尺度でボランティア対策に対する考え方では、到底対処できません。
こういった事情から、今後はますます人出が不足していくと思われます。
今回は気仙沼の現状についての報告ですが、同じような自治体は沢山あると思います。
当初ボランティア運営が上手くいっていた石巻市社会福祉協議会のボランティアセンターでさえ、長引く被災者支援に対して、組織が疲弊してきているとの話も聞かれます。
今回初めて、政府がボランティア担当の首相補佐官を任命した訳ですから、より一層の風通しのいい体制構築と、国として各自治体のボランティアセンターの現状調査や対応について協議を行い、ボランティアが現地に行きやすい体制を構築して頂ければと考えます。
加えて、ボランティアを受けたいと考えている被災者全員が、みなさん平等にサービスを受けられるような体制作りに、関係機関のご協力をいただければ幸いです。


以上


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気仙沼市の現状写真

2011年04月15日 10時51分37秒 | 救命普及・災害活動記
救援物資を搬送中、街の様子をカメラに収めました。

写真を撮るとき、見慣れた光景なのに、なぜか手の震えが止まりませんでした。

それでも現状を伝えるために、シャッターを切りました。コンデジの画像ですので、画質についてはご容赦ください。

撮影日時は4月13日です。


気仙沼市社会福祉協議会だったと思われる建物


その建物に自動車が引っかかったまま


市内を流れる大川の様子


津波に流された住宅や自動車


手前にあるのは大型トラック


津波により河原に流れ着いた住宅


沈んだままの自動車やトラック


先月、この場所を通った時と同じ状況でした


この大川だけで、数十台の車が沈んでいます


赤岩地区のスーパー


届くことのなかった積荷


沿岸部の平坦な場所である川口町付近


かろうじて建物は残っているが、波の力で傾いている


神山川橋付近 津波に襲われたココスとすき屋


海とは十分な距離があるのに、大川をさかのぼって来た津波に襲われた商店


遺体を捜索中の自衛隊員 写真中央の隊員が持つ赤い目印の付いた棒は、遺体発見時にその場所に刺す目印


はるか先に見える海なのに、津波はここまで登って来た






沿岸部の被害の酷さは、写真ではどうしても伝えきれません。

実際は見渡す限りの瓦礫の山です。マスクをしていないと息が出来ないほどの悪臭が立ち込めています。

そんな状況のまま、すでに1カ月以上放置されています。



どうか今後も被災地のことを忘れないでください。




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買って食って支える

2011年04月14日 16時22分10秒 | 救命普及・災害活動記
気仙沼より、9時間かけて昨夜東京に戻りました。自宅に到着したときは日付が変わっておりました。もうクタクタ。

さて、13日には気仙沼ボランティアセンターで、担当者に貴重なお話を聞くことができました。

市外のボランティアに関しては、まだ募集していないとかって話していましたが、インタビューしたその日の夕方には方針転換してくれました。

今日から正式に市外(全国)のボランティアも受け入れるそうです。

行かれる方は、くれぐれも自己完結で。

ただし、燃料、食事に関しては心配いりません。コンビニには大量におにぎりやお弁当が売ってますし、被災した飲食店が、仮営業とかやっていますので、支援するつもりで現地にお金を落として下さい。燃料も市内のスタンドで普通に給油出来ます。

なので、宿泊だけ自分で段取りできれば、特に問題はありません。
市内の宿は復旧関連作業員でどこも満室ですので、テントや寝袋持参、車中泊が出来る人は重宝がられます。

また、一関まで行けば、まだ若干は宿が取れるようですが、往復で80キロ以上はあります。

ボランティアセンターも、ニーズ調査はまだ本格的に行っていないようですが、今後運営がお手伝いできるボランティアスタッフが増えれば、多くの被災者からのニーズが集まると思いますので、人手はいくらあっても困ることはないでしょう。
行ける方は是非お願いします!

さて、今回いろいろな方から話を聞いてまいりましたので、これを役立てない手はないと思い、街の現状やボランティアの問題などを早速レポートにまとめて、友人の前防衛政務官の議員事務所に届けてきました。

彼は現在、原発対応でアメリカ軍の協力を取りつけている最中だそうで多忙を極めていますが、先日も気仙沼市から電話したら、「何でもいいんで現地の情報を送って!」って言ってたので、レポートを渡すことにしたのです。

これが少しでも被災者の暮らしに役立てればいいなぁ。


さて、表題の件ですが、今回の被災地入りで、避難所で流れていたラジオから耳にした言葉です。

風評被害に遭った食材について、「買う」それを「食う」ことによって風評被害や被災地を「支える」ということらしい。

先日も書きましたが、通常の経済活動を続けながら被災地を支えるって事と、同じ意味だと思っております。

「募金しろ」とか「ボランティアしろ」とかいう意味では決してありません。

普通に暮らしながら、心の中では被災地のことを忘れずにいること。これこそが長い支援に繋がると思っています。

個人個人が無理のない範囲で、被災地のために何ができるかを考える。

それだけでも立派な支援活動だと思いますよ。

今回も被災地入りに際して、大勢の皆さんから励ましのお言葉を頂きました。
一人で寂しい時もありましたが、みなさんの励ましのお陰で、それなりの活動が出来たと思っております。
本当にありがとうございました。

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被災地より

2011年04月12日 21時52分40秒 | 救命普及・災害活動記
今日は久しぶりに気仙沼に来ました。

気になる街の様子なんですが、前回3月24日に一旦東京に戻りましたが、その時と比べてあまり変化が見られないです。

それどころか、あれだけ居た自衛隊が半分くらい?しか居ない。多分よその被災地に転戦しているからと思うけど。

あと、火災の処理や生存者救助が終わったので、東京の消防隊も居なくなったいました。

それと、社協が移転していて社協関係者のインタビューは出来ませんでしたが、集積場で仕分けを担当していた市の職員に聞いたら、相変わらず市内のボランティアしか来てもらえず、仕分け作業で手一杯状態だそうです。

同じ県内の被災地である、石巻市との違いに愕然としました。

石巻では専修大キャンパスの学生が、大勢ボランティアとして活躍しているそうですが、気仙沼には大学無いし…。電車も不通だし…。

これじゃ市外にボランティアを希望してる人がいたとしても、現地入りが出来ない状態のままですよ。

今日は消防団の屯所や市の集積場を廻ってきましたが、どこも人手は足りていないようです。

今日わかったこと、それは、この市ボランティアセンターが行っているのは、「救援活動」であって、「復旧・復興支援活動」ではないということ。ニーズ調査などもやれていないのではないかな?

災害が発生すると、まず行われるのが「救助」であり、その救助に続いて、生存者や被災者へ医療や衣食住を支援する活動が「救援」であり、その混乱が収まる3日目~遅くとも1週間後からは、被災者の生活再建に向けた「復旧」活動期であり、街の再生につながる「復興」となるはずです。

大震災から一カ月経ちましたが、阪神大震災の時でさえ、この時期は「復旧・復興」に移行していたはずです。

実際、被災から1カ月後には、当時の我々の活動も、避難所から自宅に戻る人や仮設住宅に転居する人の引越しなどの支援活動がメインだった。

なのに先月離れた時と状況が全く変わっていません。このままじゃヤバいんじゃないの?

人の集まりやすい地域であれば、すでに復興に移行してるけど、仙台などの県中心部から離れた場所との格差を目の当たりにして、少々戸惑っています。

気仙沼市内では、辛うじて津波による流失を免れた住居などは、まだ泥まみれのまま。

災害ボランティアとしての仕事が無い訳じゃないのですよ。

このまま気仙沼沿海部を放置してていいの?マスコミは大勢いるのに、この現状をどのように理解しているのかな?

この実情を東京に帰って、早くしかるべき機関に報告しないと…。

「被災地が広範囲にわたるからしょうがない」じゃなくて、広範囲な被害だからこそ、徹底的に支援すべき災害なんじゃないかな?

困りましたね。いやマジで。

でも、状況が改善されていたこともありました。

ガソリンは、ほぼ何処でも並ばずに給油可能です。

コンビニにも、お弁当やおにぎりは沢山ありました。

こんな当たり前のことが良かったことになるのもおかしなことなんですがねぇ。

今回改めて思いました。
被災地でない場所の我々が、自粛ムードで経済を停滞させることには絶対反対ですが、
被災地の現状を忘れていいという事ではないのです。

2万7千人以上が亡くなったという事実を、無かったことには出来ないんですから。

通常の経済活動を続けながら、被災地の支援を続けるということ。

つまり、残された我々は、二つの活動をしていかなくてはならないのではないかな。












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再び東北へ

2011年04月11日 22時02分02秒 | 救命普及・災害活動記
先週、昔からの友人が突然亡くなりました。脳卒中だったそうです。

知らせを聞いてから、涙が止まらない日が続きました。

そして土曜日に、友人たちとお別れに行きました。

友人から聞いたのですが、亡くなる前日に友人たちと会っていたそうです。

しかも私達兄弟の災害ボランティアの話になり、亡くなった彼も消防団員だったので、
自分も被災地に行きたいが、体調の悪い今では行けなくて悔しいと…

彼とのお別れの時、この話を思い出してしまい、また涙が溢れました…

その時強く思いました。

それでは亡くなった彼の代わりに、被災地でがんばる消防団員を励ましてこようと!

被災地の消防団員は、ほとんどが被災者であり、家族を津波に流された人も多数います。

しかし、消防団員としての使命感が優先して、家族の捜索もままならないとか。

また、震災以来1カ月ですが、ほとんど全員が不眠不休です。がんばり過ぎているようです。

そんながんばってる彼らへ、若干の差し入れと共に、ビック兄さんの気持ちを届けてきます。




友よ、安らかに。そしてあなたの気持は、必ず被災地に届けます。






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裁判終わりました

2011年04月11日 18時13分47秒 | スマホから投稿(速報日記)
長いこと苦しめられた裁判も、ようやく終わりました。
2時間に及ぶ尋問に、最後はグダグダ。ホントに疲れはてました。今夜から被災地に向け出発しようとしてたけど、余震が連発中なんでとりあえず様子見で待機中です。
みなさんにはいろいろご心配かけましたが、これで気兼ねなく弾けられます!


ありがとうございました。

(^ω^)満州ぎょうざ


20:32 追記

出発準備始めて交通情報確認したら、那須から先の東北道が通行止めだって!

ホントに地震って頭に来るね!とりあえず今夜中に出発して、那須高原まで行ってみることにしよう。

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離れていても出来る支援

2011年04月08日 23時01分06秒 | 救命普及・災害活動記
私の住む地元自治体から、こんなお知らせメールが届いた。

「立川市では、東日本大震災により現地での居住が困難となった被災者の方と、福島第一・第二原子力発電所の周囲において、国からの避難指示等が出された避難者の方を対象に、市内の都営住宅と市営住宅への入居の受け入れを進めています。
 なお、入居に際しては、東京都と立川市で冷蔵庫、テレビ、照明器具、ガステーブル、寝具の5品目を無償でお貸しさせていただいておりますが、入居した被災者の方が通常の生活をするには、まだまだ電化製品が不足しているのが現状です。
つきましては、大変恐れ入りますが、市民の皆さまから次の電化製品のご提供を受け付けさせていただくことといたしました。
 皆さまのご支援、ご協力をよろしくお願いいたします。
 
○受付品目
・炊飯器
・洗濯機
・掃除機
・ポット(電気ポットを含む)
・電子レンジ
・電気ホットカーペット(2畳用)」



これを見た嫁が行動を起こした。

納戸をゴソゴソとして、炊飯器と電気ポットを出してきてくれた。

ウチでは数年前にIH炊飯ジャーの使用をやめて、ガスで炊く炊飯釜を使っていたので、一個余っている。しかも大して使っていないきれいな物。

また、ポットも使わなくなった物があるので、これも提供することに。

嫁も前々から被災地の人の為に何かをしたいと言っていたので、我が家の物でも少しは役に立つみたい。

こうした支援の輪は、おそらく全国各地で広がっているであろう。

被災者の皆さん、あなた方は決して一人じゃないのですよっ。

一緒にがんばろうね!




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震度6強ですか

2011年04月08日 01時25分08秒 | 救命普及・災害活動記
神はこれ以上、東北に試練を与えてどうするのか?

この地震のせいで東北地方が大停電。しかも火災が数件発生してるらしい。

朝にならないと被害の詳細は分からないけど、土砂崩れや建物崩壊などもあるかもしれない。

復興の兆しが見え始めた矢先なのに。

2回目の被災地入りを4月下旬にしようと計画してたけど、被災地の様子が心配なので少し早めに行きたいな。

今はただ被災地の無事を祈ることしかできない。それがもどかしくてしょうがない。
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