善きサマリア人化計画 I wanna be Anpanman.

救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

被災地より

2011年04月12日 21時52分40秒 | 救命普及・災害活動記
今日は久しぶりに気仙沼に来ました。

気になる街の様子なんですが、前回3月24日に一旦東京に戻りましたが、その時と比べてあまり変化が見られないです。

それどころか、あれだけ居た自衛隊が半分くらい?しか居ない。多分よその被災地に転戦しているからと思うけど。

あと、火災の処理や生存者救助が終わったので、東京の消防隊も居なくなったいました。

それと、社協が移転していて社協関係者のインタビューは出来ませんでしたが、集積場で仕分けを担当していた市の職員に聞いたら、相変わらず市内のボランティアしか来てもらえず、仕分け作業で手一杯状態だそうです。

同じ県内の被災地である、石巻市との違いに愕然としました。

石巻では専修大キャンパスの学生が、大勢ボランティアとして活躍しているそうですが、気仙沼には大学無いし…。電車も不通だし…。

これじゃ市外にボランティアを希望してる人がいたとしても、現地入りが出来ない状態のままですよ。

今日は消防団の屯所や市の集積場を廻ってきましたが、どこも人手は足りていないようです。

今日わかったこと、それは、この市ボランティアセンターが行っているのは、「救援活動」であって、「復旧・復興支援活動」ではないということ。ニーズ調査などもやれていないのではないかな?

災害が発生すると、まず行われるのが「救助」であり、その救助に続いて、生存者や被災者へ医療や衣食住を支援する活動が「救援」であり、その混乱が収まる3日目~遅くとも1週間後からは、被災者の生活再建に向けた「復旧」活動期であり、街の再生につながる「復興」となるはずです。

大震災から一カ月経ちましたが、阪神大震災の時でさえ、この時期は「復旧・復興」に移行していたはずです。

実際、被災から1カ月後には、当時の我々の活動も、避難所から自宅に戻る人や仮設住宅に転居する人の引越しなどの支援活動がメインだった。

なのに先月離れた時と状況が全く変わっていません。このままじゃヤバいんじゃないの?

人の集まりやすい地域であれば、すでに復興に移行してるけど、仙台などの県中心部から離れた場所との格差を目の当たりにして、少々戸惑っています。

気仙沼市内では、辛うじて津波による流失を免れた住居などは、まだ泥まみれのまま。

災害ボランティアとしての仕事が無い訳じゃないのですよ。

このまま気仙沼沿海部を放置してていいの?マスコミは大勢いるのに、この現状をどのように理解しているのかな?

この実情を東京に帰って、早くしかるべき機関に報告しないと…。

「被災地が広範囲にわたるからしょうがない」じゃなくて、広範囲な被害だからこそ、徹底的に支援すべき災害なんじゃないかな?

困りましたね。いやマジで。

でも、状況が改善されていたこともありました。

ガソリンは、ほぼ何処でも並ばずに給油可能です。

コンビニにも、お弁当やおにぎりは沢山ありました。

こんな当たり前のことが良かったことになるのもおかしなことなんですがねぇ。

今回改めて思いました。
被災地でない場所の我々が、自粛ムードで経済を停滞させることには絶対反対ですが、
被災地の現状を忘れていいという事ではないのです。

2万7千人以上が亡くなったという事実を、無かったことには出来ないんですから。

通常の経済活動を続けながら、被災地の支援を続けるということ。

つまり、残された我々は、二つの活動をしていかなくてはならないのではないかな。












コメント (2)
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