善きサマリア人化計画 I wanna be Anpanman.

救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

白バイぢゃないよ、汁バイだよ

2013年03月28日 12時45分03秒 | バイクとツーリング
アドベン號(R1200GS-ADV)が追突事故に巻き込まれて1ヵ月半が経ちました。



追突された衝撃で、シートフレームが曲がってしまったので交換となりましたが、国内に予備パーツがなくて、ドイツ・バイエルン州の本社工場に部品を注文中だとかで、いまだに退院できていません。(;´Д`)

いつもはアドベン號でボランティアに行くのですが、それもかなわず会社の災害救援車(ハイエース)で東北を往復しています。



いつもバイクで通いなれた東北道ですが~、


車で行くとこんなに楽チンだとは!(*^_^*)

ディーゼルなので燃費いいしね。


なんかバイクに乗るのを忘れそうです。




で、



実は、我が家にはもう一台大型バイクがあるんです。





Kawasaki KZ1000 POLICE



アメリカの警察で白バイとして使われていた、払い下げ車両です。

なぜか友人達からは「白バイ」ではなく汁バイと呼ばれています。(ノ∀`)アチャー


事故る前の月に、車検を延長したばかりでした。



ここ1年以上放置しており、そろそろ手放すかなぁ~なんて考えていましたが、アドベン號の失脚?により、ようやく日の目を見ることにwww。


手放すとか考えていた割りには、特装パーツを注文していたりして…(*^_^*)



ウインドシールドを、昔のタイプに変更するキットです。



これをサクッと





バラして






ヘッドライト付け~の





カウルを交換しーの



で、完成。





そそそ、自宅駐輪場で汁バイをイジっている時のこと、


ウチのテナントのカラオケボックスの可愛らしい女子店員さんが、駐輪場横のごみ置き場に、ごみを捨てに来ました。


で、この店員さん、しげしげとコチラを見て、

「カッコいいバイクですね!」とかって…
(註:なぜか「バイク」って言葉を小さくしていますが気にしないでくださいw)


ぎょうざ「そそ、そーお?(*^_^*)」


店員さん「いつもどんなバイクかって気になっていたんですよぉ~」




え?


キタ━━━(゜∀゜)━( ゜∀)━(  ゜)━(  )━(  )━(゜  )━(∀゜ )━(゜∀゜)━━━!!!!!




あまりに突然の告白に、一瞬背中を向けて次の言葉を考えながら、振り向きざまに…




ぎょうざ 「お嬢さん、よろしかったら今度、タンデムしませんか?」 後ろにシートないけどw。


と言おうとしたら、すでにおねーさんはごみ置き場から立ち去った後でした(ノ∀`)アチャー


アフォですねwww


でも実話なんですよぉ。(;一_一)




でもって、先日、試運転をしに相模湖まで行ってきました。





うん、これもまたアリだなwww。


でもね、このバイクでは被災地には行きません。


白バイと間違われるのも困るし、なによりこのバイクは



汁バイなんですからwww


おしまい♪

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また気仙沼でボラってきた件について

2013年03月24日 22時39分22秒 | 徒然日記

23日に、気仙沼へ行ってきました。






気仙沼復興協会には、100名を超えるボランティアが集まってきました。



その大半が高校生。

春休みになり、参加したそうです。

茨城の私立高校の野球部の部員や、神奈川県からボランティアのツアーバスに乗って参加したという、女子高校生や女性グループも。

それと、数日前から泊まり込みでボランティアをしているという、京都の大学生グループとかって。


なんか、偉いな。キミたち。(^ω^)


おぢさんも負けていられないw。




今回は、市内の小泉海岸の清掃活動でした。

冒頭の画像の建物が、海に突き出るように建っています。


変な場所に建てたんだなぁ~などと思っていたら、復興協会の人が説明してくれました。


「あれは南三陸シーサイドパレスという、レジャー施設の廃墟です。昭和50年代で廃業して、そのあと放置されていたんです。」

「で、今は海の上に立っていますが、震災以前、この辺りは平地で、建物の後ろの海側に松林があったんですよ。」




え?



だってここ、フツーに砂浜じゃん。


「ここは気仙沼でも最大級の高さの津波に襲われて、松林はおろか、建物や駐車場のアスファルトまで根こそぎ持っていかれました。」



震災直後の気仙沼を見ていましたが、海に飲み込まれて消えてしまった場所は初めて見ました。






なんつー破壊力でしょう。





堤防も、沖の部分が100メートルほど無くなっているし…




しかもこの小泉地区っていえば…



震災直後に、救援物資の輸送で通過した場所ですよ。


↓当時は、消防団や自衛隊による行方不明者の捜索が行われていました。


道路沿いには毛布にくるまれたご遺体があり、自衛隊の回収を待っている状態でした。

国道45号線も、橋が津波で流されて、自衛隊の応急道路でかろうじて通行できるようになっていました。



そんな場所で今回、清掃活動に参加することになるなんてね。


ちなみにこちらのサイトで、シーサイドパレスの震災前の画像が見れます。

ほんと、うっそうとした緑豊かな場所が、海になっちゃってるのが分かりますよ。







で、今回のボランティアは参加者が多いので、6班に別れて活動しました。


自分も班長役を仰せつかり、イガクリ頭の高校生やうら若き乙女(*^_^*)

と一緒になって、浜の清掃を行いました。




乙女さんたちに話を聞いたら、なんと0泊3日の弾丸ボランティアツアーなんだとか。(@_@;)

前の晩に横浜を出て、移動中のバスの中で仮眠して朝現場に到着。で、作業したらそのままバスに乗って、翌朝には横浜に到着とかって…


スゲーな。


つーか、偉いよ。マジで。









おぢさん、恥ずかしくて、前の晩に一関で焼肉食ったなんて言えなかったしw。(;一_一)





2年前から気になっていた、一関インターそばの焼肉屋。

震災直後は断水で休業していたけど、今回ようやく食べれた。




しかも本場の盛岡冷麺も!(ノ∀`)アチャー









来るたびに、ボランティアの皆さんの心意気に感動してしまう。



復興協会のスタッフさんが、終わりのあいさつで言っていましたが、「ボランティアさんに、いつも元気をもらっている」って。



でもね、僕らボランティアも、皆から元気と感動を貰ってる。



今回も参加してよかった。そんなボラ活動でした。







昼休みに海岸を歩いていたら、砂浜に埋もれたチューリップ柄のスカーフを見つけました。




これもきっと誰かの思い出の品なんだろうな~。







津波さえなければ、ねっ。





質量より、はるかに重みのあるものを拾い上げるって、津波の清掃活動はヘビーだなっ!








おしまい。







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東北へ~

2013年03月22日 12時38分38秒 | スマホから投稿(速報日記)
今日は午後からお休み~。

で、被災地へ向けて出発なう。( ^o^)

つーか、今週末はモーターサイクルショーだったのを完全に忘れてた(;´Д`)
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今年も3.11は気仙沼で

2013年03月19日 22時23分03秒 | 救命普及・災害活動記
ようやく日記が書ける環境になりました。


事故って以来、バイクに乗れない代わりに、毎週のように防災や救命関係の活動~



が入っていて、週末の時間つぶしにはなりましたが、今日あたりは気温も高めなので、そろそろバイクにも乗りたいですね~。(^^♪




っても、BMWのアドベン號はまだ入院中~(;´Д`)







それでは、今年の3.11に関する日記です。





去年は妻と二人で気仙沼へ行きましたが、今年はボランティアとして、単身で行ってきました。





会社の車も借りて、市役所でボランティア(災害救援活動)に従事する旨の高速道路通行証の交付を受けて、9日の土曜日に出発です。



この日は東北道を7時間かけて、気仙沼の隣町の一関まで来て、ビジホ(東横イン)にチェックイン。




夜は近所の居酒屋で、翌日の重労働に備えて、一関ホルモンでガッツリと充電します!





で、翌朝(3月10日)の8時半に気仙沼へ向かい、気仙沼の復興協会さんで受付&作業内容の説明を受けて作業開始!



この日の作業は、高台移転に備えての斜面を整地する為に、竹林を伐採する作業でした。




伐採された竹を下の広場に運ぶんですが、これが結構な重労働!

急な斜面を登ったり降りたりで、運動不足の効果もあって?ひざはガクブルですよw(;´Д`)。






最後は参加者全員で集合写真w。


総勢50名でしたが、特筆すべきは、この中の25名は中国からの留学生でした。



日本語がメチャ上手なので、在日中国人の学生かと思ったけど、話を聞くとみんな中国本土からの留学生で、関西方面各地の有名私立大学に留学してるんだとか。(^ω^)


彼らは今回、被災地を支援したいという気持ちでマイクロバスに乗り、関西方面からやってきたそうです。


こんな彼らの純粋な気持ちに、マジで嬉しくなりました。(*^^)v




ボランティアをするともらえるという、レア物ステッカーを貰って解散です。





で、翌日の3月11日。


一関は積雪の朝を迎えました。



この日は、気仙沼市内のNPO法人の方と打ち合わせでした。

打ち合わせの前に、NPOの皆さんが、近所の漁港で3回忌法要を手伝うというので、飛び入りで参加してきました。





曹洞宗のお坊さんの読経のなか、焼香を捧げました。


思えばこの浜は、2年前の救援活動で、何度となく通った場所。


今日、こうして偶然にも同じ場所で、焼香をしている不思議な縁を感じずにはいられませんでした。


しかもウチの菩提寺と同じ曹洞宗とかって…




自然と涙が頬をつたいます。




法要が終わった後、時間がないのでコンビニ弁当をほおばりながら、NPOの事務所で打ち合わせ。


気仙沼の現状や、被災地での活動の問題点など、貴重なお話を聞かせていただきました。


打ち合わせのあとは、単身で気仙沼港へ向かいました。


この日は市内各所で渋滞が発生しており、なんとか震災発生時間の午後2時46分の直前には、去年と同じ場所で黙祷をすることが出来ました。


ここは気仙沼港が一望できる場所。


そして震災のあった時間に、市民に黙祷を知らせるサイレンが鳴り響きました。



黙祷している最中、この時も涙が止まらなくなりました。



震災から2年が経過しているのに、市内は去年見たのと同じような有様。



去年涙を流した時とは別の感情が、心を揺さぶります。


2年前に気仙沼で活動した際に、地元の学生ボランティアへ話した言葉を思い出しました。

「戦後、日本は数多くの自然災害に見舞われてきたが、どの街も再生して、もっといい街に生まれ変わってるんだ。
生き残った君たちが頑張れば、必ず街は再生する。
その為には俺たちも手伝うからね。」




一向に進まない復興。そしてややもすると、被災地のことを頭から追い出そうとしている自分。



前日の復興協会で出会った、地元スタッフの皆さんの努力や、今でも被災地に残り、活動をつづけるNPOの皆さんに対して、申し訳ない気持ちと、自分のふがいなさを悔やんでの涙だったのかも。


黙祷のあとは、津波被害の酷かったエリアを廻りました。



この大型船は、震災遺構として保存されるそうです。




瓦礫が片付いただけで、去年と変わらない南気仙沼駅。




2年前の今日まで、ちゃんとしていたはずの駅の水飲み場。




南気仙沼駅そばの保育園があった場所に、花束が添えられていました。



ラジオから流れていた、天皇陛下の追悼式でのお言葉が身に沁みます。
「これからも常に見守り、この苦しみを、少しでも分かち合っていくことが大切だとの思いを新たにしています。」




出来ることを少しづつ、そして永く。そんなことを心に誓いました。




おしまい。
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ホワイトデー

2013年03月14日 22時43分22秒 | スマホから投稿(速報日記)
我が家のホワイトデーは餃子ですがなにか?

(ノ∀`)アチャー
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3.11

2013年03月13日 22時09分12秒 | 救命普及・災害活動記


今年も3.11を迎えるに当たり、3月9日の土曜日から12日まで、宮城県気仙沼市へ行ってきました。



去年は夫婦で、気仙沼で3.11を迎えましたが、今回は災害ボランティアとして、単身の気仙沼行きです。
(去年のレポート)





震災から2年。



変ったもの



変わらないもの




この目に焼き付けてきました。







そして、嬉しかった出会い



悲しい思い出。




今回の気仙沼行きで、多くのことを心に刻みました。






まだ、心の整理がつかないので、レポートはしばらく先になりそう。



「あの日を忘れない」




なにより、撮ってきたデジカメの画像フォルダーを開くのが辛過ぎるし。






気晴らしに、アンパンマンのDVDでも観よっとw。





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I wanna be Anpanman.

2013年03月09日 01時06分08秒 | 徒然日記

ブログのサブタイトルを変更しました。



きっかけは、この予告編を見て、マジで泣いたからです。


つーか、全米が泣いた。(たぶん)





「困っている人を助けた時に心が温かくなって、

その時に分かったんだ、

ボクは何の為に生まれてきたのか

何をして生きていくのか 

何がボクの幸せかって。」


正義の味方史上、最弱のヒーローであるアンパンマンのことばです。



カッコよすぎるぜっ、アンパンマン。



I wanna be Anpanman.



明日より、気仙沼へ行ってきます。(^ω^)






「アンパンマンのマーチ」
作詞:やなせ・たかし

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為







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