善きサマリア人化計画 I wanna be Anpanman.

救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

都心はすごい風でした!

2012年03月31日 22時20分30秒 | 徒然日記
今日は物凄い強風でしたね~。


午前中は天気も良さそうなので、ヤフオク商品を宅急便の営業所に持ち込むついでに、バイクで近場をちょろっと走ってきました。


でもそこでハプニング。


今年2度目の立ちゴケをやらかしました。(ノ∀`)アチャー


宅急便営業所の駐車場にバイクを止めて、エンジンかけたまま降りようとしたら、ギアペダルに一瞬つま先が触れて、バイクがエンスト。


その弾みでスタンドも外れてゴロリン。(;一_一)


今回は舗装路面だったせいで、起こすのは楽にできましたが、前回の立ちゴケとは反対側のエンジンガードに擦り傷が~。(T_T)


でも、アドベンチャーバイクにとっては、傷は勲章。


悲しくなんか無いモン。www


そんなハプニングがありましたが、その後高速に乗り首都高をぐるりと走ってきました。


しかし、強風でレインボーブリッジは通行止め。


その後アクアラインや出来たばかりのゲートブリッジも通行止め。


湾岸線の風速計も20メートルを越えていました。(;´Д`)


ちょっとした台風みたいな強風です。


実際、バイクで何度も風に煽られて、死ぬかと思いました。


洗ったばかりのバイクもホコリまみれ。


しかも帰り際に雨もパラついて、汚れに拍車がかかりました~。(T_T)




あぁ、こんなことなら家でおとなしく片づけでもしてればよかったと、反省しきりな土曜日でした~(ノ∀`)アチャー


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福島プチツーリング

2012年03月30日 12時00分36秒 | バイクとツーリング
ども。

鼻血ブーの原因が判りました。

どうやら、寝ているときに無意識に鼻をほじっているみたいです。(;一_一)

(目撃者の証言によるwww)

ほじらないようにマスクをして寝ていたら、ここの所3日間は出ていません。

変な病気かとビビりましたが、大丈夫みたいですwww。




さて、先週の日曜日、東北・常磐道の無料措置が今月で終了するので、その前に走ってきました。

といっても、常磐道を走って終点まで行って帰ってくるだけですが…

なるべく無料区間のみを走りたかったので、成田~稲敷経由で圏央道から常磐へ。



稲敷で見かけたカオスなオブジェwww。


前から通る度に気になっていたんですが、ようやく撮影できました。



なんか、ミサイルとかあるし…



正体は電気屋さんのようですねw。




そして、つくばジャンクションから常磐道へ入りました。

常磐道はガラガラでしたが、ものすごい強風でバイクが飛ばされそう!

しかも、北茨城のあたりでヒョウにも降られるし~(;一_一)

うひょー!


で、現在の常磐道の終点、広野インターへ到着。

ここから先は原発事故警戒区域で立ち入り禁止です。



高速を降りたところに有名な施設が有りました。



ちょうどお昼時だったので、飛び込みでインターそばのラーメン屋さん「白土家」へ。

この近所で災害活動されたおりおりさんの情報によると、地元でも有名なラーメン店だそうです。


豚モモチャーシューラーメンを注文。(煮卵トッピング)

肝心の味についてですが、麺は手打ち太麺、スープはさっぱりした濃口しょうゆ味ですが、コクがあって旨い!


また食べに行きたくなる味です。


駐車場も広いので、マスツーリングでも大丈夫そうですよ。




なにより、警戒区域に一番近いラーメン店が営業を続けていることを応援したくなりました。(*^^)v

実際、ここから数百メートル先は、警察の検問所が置かれていて、原発警戒区域の最前線です。

ホント、大変な地域ですが、がんばってほしいですね。



帰り道は高速を使わずに、国道6号を南下してきました。


いわきや北茨城の津波の跡とかを見ながら、ホームレイクの北浦・潮来マリーナへ帰り?ます。



北浦大橋の夕焼け。


そそ、東北や房総の帰りは、いつも北浦に寄ります。


潮来マリーナへ行けば、いつも誰かしら仲間がいるもんで、日曜日の夜はお泊りで宴会です。(^^♪


週明け月曜日は仕事ですが、毎週のように北浦から通勤してますですw。


この日もお気に入りの焼肉屋さんへ繰り出して、ガッツリ呑んできましたwww。






来月から福島県での除染ボランティアが再開しますので、日曜の帰りは潮来マリーナで休憩?してから自宅に帰りま~す。





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鼻血ブー

2012年03月28日 12時33分41秒 | バイクとツーリング
え~っと最近、くしゃみすると鼻血がよく出ますwww。

別にモーターサイクルショーで、エッチなカッコのキレイなおねいさんを見たからではありませんwww。

今月初めより花粉症がひどくなり、かかりつけの医者から点鼻薬を処方されていたのですが、どうやら刺激が強すぎて、鼻血ブーになっちゃうみたいです。

なので、眠くならないアレルギー薬に変えてもらいました。

そーしないと、ヘルメットの中がスプラッター状態になってしまうのでwww。

まま、そんなB級ネタはさておきw、今日は先週末のバイクにまつわる日記をご披露申し上げます。



先週末、土曜日の夕方から仕事が入ってしまい、しかも天気予報も悪かったので、仕事の時間まで家でおとなしく震災の片付けをしようかと、引き籠る予定でした。

ってか、去年の震災で崩れた、2年前の引っ越しの段ボールを片付けようとしていたんですね。

実は、自分の部屋は2年前の引っ越しの時以来、物置と化しており、しかも震災で荷崩れをおこしてそのまんまだったのですw。

リビングやベッドルームなど、夫婦の供用部wはきちんとしているんですが、自分のホビールーム(かっこいいネーミングですが、単なる納戸ですw)はゴミ屋敷と化しております。

まま、とりあえず外部からゴミは持ち込まないし、ゴミはゴミでちゃんと捨ててるので、嫁からはゴミの山と言われますが、ワタシにとっては宝の山です。

って、ゴミ屋敷の住人の模範解答のようなコメントですが~www。

そそ、またB級ネタでしたね、スンマセン。


そんな土曜日でしたが、天気予報を見ると、天気が急速に回復するとか…

そんじゃ、ちょっくらビックサイトのモーターサイクルショーでも行ってくるか~と、バイクにまたがりましたが、首都高は大渋滞。通常1時間で到着するのに、2時間半も掛かってお台場へ。

しかも雨まで降ってくるし。(T_T)

結局時間がなくて、モーターサイクルショーの滞在時間は30分だけになりました。

しかしながら、会場を小走りで見て回り、福島県のブース前で有名ブロガーのおくさんと
ご挨拶までできました。(*^^)v


頂いた名刺のウラには、イラストがっ!


屋上の駐車場です(雨模様なのにバイクで来る人がいっぱい~)


はじめてモーターサイクルショーに来ましたが、会場は大勢の人でごったがえしており、すごい熱気に包まれていました。

しかもキャンペーンガールがいるブースは、カメラ小僧がイッパイ!

でもちょっと皆さん、レンズを向ける被写体が違うんじゃまいか?(-_-;)

しかも至近距離であのズームレンズとは…「どこ見てんのよっ!」ってキャンギャルに怒られますよ~www
(ノ∀`)アチャー



それでは、色物バイクの大好きなワタシの趣味に合ったのを紹介しますね~



ワイルド7の撮影で使われたバイク達。写真がブレてます。すんませんw



トイレットバイク。これで我が家のカレー皿をコラボすれば完璧ですねwww。


なんか巨大なサイドカーが!


よく見たら、側車は人が寝ることができる仕様でした。
何用?と思ったら、なんと霊柩車だって!



そろそろ時間が無くなってきたので、ホールの外に出たら、ちょうど会場のイベントステージで福島のPRをやっていました。



そんなこんなで僅か30分の滞在でしたが、行ってみてよかった♪


つーか、前売り買ってたんで、単なる消化の為?って意見もありますが~www。


おしまい
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渾身のパワーポイント!

2012年03月23日 00時36分14秒 | 救命普及・災害活動記
さきほど、私の所属するライオンズクラブの例会がありました。


パワーポイントで、先日の気仙沼で撮影した画像を紹介しながら、ブログの気仙沼追悼の旅の日記を朗読いたしました。


発表している途中から、感極まって涙が出そうになりましたが、花粉症を偽って、なんとか無事に発表を終えました。


そして、3月11日にクラブメンバーが行った街頭募金の寄付先も、私の提案した福島県相馬市への震災孤児支援金として寄付することも決まりました。


例会発表後、多くのメンバーから握手を求められて、まさに万感の思いです。






今日のお酒は、ちょっとしょっぱいけど、美味しいお酒が飲めました。






みんな、ありがとう。

















追伸:お酒がしょっぱかったのは、花粉症で鼻水が出ていた可能性については不明です。(ノ∀`)アチャー





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みんながんばろうよ!

2012年03月16日 23時19分30秒 | 徒然日記

震災直後から盛んに言われていた「がんばろう日本」について。

あの頃思ったのが、被災をしていない我々が何を「がんばる」というのだろうか?と、自問自答していました。

そして、この「がんばろう」に込められた意味は、被災地へのエールと、それを支えるために「がんばろう」なのだと理解しました。



その一方で、震災直後に放射能がやってくるとか言って、被災者そっちのけで首都圏のスーパーで
食料品を買い占めることを「がんばった」人は大勢居たがwww
(しかも買い占めた物をブログでさらして、「これでおれは4週間は引き籠れる」とかってもう…「自分だけ」って気持ちになれる人って素敵ですwww)



そして合言葉のように「がんばろう」の言葉だけが独り歩きしていた去年の今頃。



被災地の救援活動から戻り、地元のスーパーで我先に食料品を買い占める人達の姿を見ていて、やるせない気持ちになりました。



そんな状態じゃ、東京の人間が軽々しく「がんばろう」なんて言うべきじゃないとも思いました。




私は被災者と会話するときには、決して「がんばって」とは言いません。


被災者はマラソンランナーじゃないんだから。


ゴールが無いマラソンを応援するような、無責任なことはしたくないし。


それに彼らは十分がんばってますし。


その代わりにいつも言う言葉は、「おれも頑張るから、一緒にがんばろうよ」でした。


被災していない自分は、決して被災者にはなれないのだから、ならば寄り添って支えるという意味を込めて。


なのでこれからも、ますます一緒にがんばるつもりであります。




そしていま、3月11日を迎えて多くの人の心には、再びあの「がんばろう」の気持ちが蘇っているかもしれない。

ならば、日本全国が瓦礫受け入れなどを通じて、「がんばる」べき時が来ているのではないかな。

被災地の苦悩を分かち合い、受け入れること、それこそが被災していない我々が「がんばる」べきことではないのかな?

瓦礫が安全というエビデンスがあるのなら、受け入れをがんばろうよ。


そう強く思いました。





さて、話変わって、もうじきバス釣りトーナメントが開幕しますね~。

自分もトーナメントは大好きです。

でも、今年も真剣に
支援活動をがんばるので、トーナメント活動は休止
にしました。

それに今後は被災地支援だけでなく、地元での防災組織強化にも乗り出すので、週末の時間もなくなるし。

用意していた今年度分のプロ登録料も、全額被災地への義援金として寄付しました。事実上のバスプロ引退ですね。

まぁプロとしての実力があれば、獲得賞金の全額を寄付!とかって言えるけど~。それは無理なのでwww。

在籍していた間、良い選手といっぱい知り合いになれて、ホントに楽しいトーナメント生活でした。


でも、とりあえず放射能の心配もないし、東北の福島桧原湖だけは忘れないでねっ。


ただし釣り自体は大好きなので、やめるつもりはありません。ボートも売りませんしフリーダムも辞めません。


大切な仲間がいっぱいいるし、たまには息抜きしないと死んじゃうからwww。








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気仙沼市へ追悼の旅(その3)

2012年03月15日 12時59分23秒 | 救命普及・災害活動記
その2の続きです。

街の現在の様子を一通り撮影し終えたので、追悼式会場であるケーウエーブ(市民総合体育館)へ向かいました。

前日もそうでしたが、街では喪服姿の人を大勢見かけました。

気仙沼市だけで、1,300人以上の方が亡くなられたので、その数だけの1周忌があるわけですから当然ですね。

私も追悼式に参列するにあたり、背広に着替えて会場に向かいました。

事前の市の呼びかけによると、市民やご遺族に限らず、多くの方々に参列していただきたいと有り、礼服平服を問わず、ぜひお越しくださいとのことでした。

プログラムによると、2時30より式典開始、地震発生時間の2時46分より1分間の黙とうの後、政府主催の追悼式典の生中継を放送してから、気仙沼市長の弔辞で閉会、献花という流れでした。

式場のケーウエーブには、救援活動で何度も通った場所。そして多くの被災者が避難所として生活していた場所です。

自分にとっても思い出深い場所での追悼式となりました。

(去年のケーウエーブにて。自衛隊の炊き出し部隊が常駐して活動していた。)

会場の駐車場はすぐに満車になるとのことだったので、参列するご親族の迷惑にならぬよう、離れた場所にある第2駐車場からシャトルバスを利用しようと、指定された気仙沼西高校へ向かいました。

しかし、すでに第2駐車場も満車。路上も参列者の車両であふれかえっておりました。

開場まではあと30分しかありません。このままでは2時46分を車の中で迎えてしまうことになります。

そこで追悼式典の会場に入ることを諦め、ほかの場所で黙祷の時間を迎えることとしました。

向かった先は気仙沼港を一望できる高台の駐車場です。

去年の救援活動中、昼食のカップラーメンを食べるために見つけた場所です。

それというのも、被災者の前では食事を摂ることは控えていたので、人けのない場所で持参したカップめんをこっそりと食べておりました。


(去年の気仙沼港の様子。火災で黒焦げになった船や転覆した船、流されてきた家や車が散乱していた場所です。)

その場所に向かったところ、同じことを思った人達が大勢集まっていました。

中には喪服姿の方も。




そして午後2時46分、黙祷を知らせる、津波警報と同じ音のサイレンが気仙沼市に響き渡ります。

その音を聞いた瞬間、思わず涙があふれてきました。

去年のこの瞬間まで、街は活気にあふれていたことでしょう。

亡くなられた方々も、元気に暮らしていたことでしょう。

この地震さえ起きなければ。

そう思うと、人目もはばからず涙が止めどなく溢れてきました。



黙祷の最中に胸に去来するのは、茨城県で発見したご遺体のこや、気仙沼では家族を津波により失ったという方々のお話、自分の家は津波に流されなかったからと、被災しているにも関わらずボランティアに来てくれた市内の若い人たちのこと。そういった去年の出来事が、鎮魂のサイレンとともに脳裏によみがえりました。

できることなら、震災発生の1時間前に、たった5分間でいいからタイムスリップしたい。みんなそう思っていることでしょう。



やがてサイレンが鳴りやみ、天皇陛下の追悼のお言葉がラジオから流れてきました。



そのお言葉が亡くなった方々にも聞こえるように、ラジオを海に向けている喪服姿の方もいらっしゃいました。



しかし、海は何ごともなかったかのように、とても静かで穏やかでした。

自分も、震災以後、海が怖い存在でしかありませんでした。この海が大勢の命を奪ったと思うと、憎しみすら覚えておりました。

しかしどんなに憎んでも、災害は無くなりません。亡くなった人も戻りません。

いま海を見て思うこと、それは今後起きる災害には、少しでも被害を少なくする努力を怠らない、そして被災地の一日も早い復興を願う気持ちでした。



こうして気仙沼での追悼を終え、津波襲来の午後3時30分に、海に向かって黙礼をして気仙沼を後にしました。



帰りは東北道で大雪に遭遇し、11時間も掛かりましたが、無事に自宅に帰りつきました。





最後に、東日本大震災で亡くなられたすべての方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。

また、被災された方々には、一日も早い復興ができますことを、心より祈念いたします。

自分もできる限り、復興に尽力をさせていただくことをお誓い申し上げます。




そして今回、一緒に気仙沼へ行ってくれた妻に感謝しつつ、この日記を終わらせていただきます。




長文にお付き合いくださり、感謝申し上げます。

ありがとうございました。






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気仙沼市へ追悼の旅(その2)

2012年03月14日 18時23分22秒 | 救命普及・災害活動記
一夜明けた3月11日の朝です。

ニュースでは、多くの人たちが海から昇る朝日に向かって、手を合わせていた様子を流していました。


昨晩遅くにチェックインしたので、部屋の外の様子は見えませんでしたが、朝になってカーテンを開けたら、気仙沼港が一望できる部屋でした。

窓を開けると、肌に突き刺すような寒風とともに、潮の香りが漂います。

まるで亡くなった人を偲ぶように、海は穏やかで街は静まり返っていました。


手前の空き地は、津波以前はボウリング場やファミレスがあった場所です。

その奥側にある青い建物がリアスシャークミュージアムです。

気仙沼を津波が襲った瞬間の映像が公開されていたので、記憶されている方も多いと思います。

ミュージアムも閉鎖されたままですが、その向かい側に建つ、同じく津波に飲み込まれて破壊されたはずのローソンが再建されていました。

ホテルで朝食を済ませ、10時にチェックアウト。

サービスや設備は申し分なく、値段も満足のいくホテルでした。

フロントの方々も、今日という日を、笑顔の中にも神妙な面持ちで迎えていられるのが印象的でした。



追悼式典まではまだ時間があります。そこで津波被害のあった場所を、1年ぶりに訪れてみました。

実は、私の所属する立川ライオンズクラブでは、この3月11日に合わせて街頭募金を行うこととなっており、また、今後も継続して被災地支援を続けていくことが例会で決定されておりました。

そして継続支援を続けるために、今度の例会でメンバーに対して被災地の現状を紹介する役を仰せつかっており、そのための写真撮影を依頼されておりました。

今回は、その一部を紹介させていただきます。
(撮影日 平成24年3月11日)



気仙沼中央公民館付近
強烈な腐敗臭が漂っていた。


南気仙沼駅周辺
放置されたままの市バス


津波の破壊力により、フロント部分がむき出しになっていた。


南気仙沼駅周辺には、同じようなバスが多数放置されていた。
この乗客たちは、津波の時にどうなったのであろうか。


同所
駅前のパチンコ店


南気仙沼駅前の商店街跡
高台に写るのが、宿泊したホテル観洋。


今も当時のままの姿の焼失建物。
津波で流されたコンビナートから流出した重油が、水没した街に流れだし、引火。
気仙沼港から鹿折地区にかけては火の海となった。


南気仙沼駅へと続く線路
目的地の駅は、津波で無くなっている。


気仙沼市役所
3月11日は半旗を掲げて、亡くなられた人に弔意を示していた。


津波で流された住居跡の土台部分に、花がたむけられていた。
街中の至る場所で、このような花を見かけた。





ここからの写真は、震災直後に現地で撮影した場所を、1年後に同じ場所で撮影したものである。





気仙沼市鹿折地区(平成23年3月19日撮影)


同所の現在




気仙沼市鹿折地区(平成23年3月19日撮影)


同所の現在




気仙沼市鹿折地区(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在





気仙沼市鹿折地区(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在





気仙沼港お魚市場付近(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在
観光バスや他県ナンバーの車がたくさん集まって、気仙沼の海産物を買い求めていた。





気仙沼大橋付近(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在
川に沈んていた住宅の瓦礫や自動車などは撤去されていた。





気仙沼市上田中の瓦礫置場


現在は仮設住宅が建ち並んでいた





南気仙沼駅周辺(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在





気仙沼市最知周辺(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在




同所同日


同所の現在
はるか遠くの海が、巨大津波となって駆け上ってきた。





気仙沼市最知周辺(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在





気仙沼市最知周辺(平成23年3月19日撮影)


同場所の現在


少しずつではあるが、瓦礫の撤去は進んでいるようだが、地震により地盤沈下したために、海岸沿いの街は住むことができない状態になっていた。

道路も50センチほど盛土をして舗装してあるが、それでも高潮の時は、水没してしまう場所も多いと聞く。
気仙沼の繁華街や水産加工場エリアなど、街の基幹産業の半分以上が住めない場所になっているようでした。

瓦礫置場もほぼ満杯の様子で、県内での処理だけでは追いつかないのは明らか。

持参した線量計での数値は、東京とほぼ同じレベルである。

ここ、宮城県に限っていえば、

津波の瓦礫=放射能汚染廃棄物ではないことを、多くの人に知ってもらいたい。

そして全国の自治体で瓦礫処理を分担し合い、一日も早く片付けが進むように協力していただきたいと、切に願います。


もちろん、受け入れる際は厳格な残留放射能チェックを施したうえで、安全ならば、ね。



しかし、訳も分からず、ただ闇雲に瓦礫受け入れを反対する人たちもいます。


「小さい子供がいるから、絶対に嫌!」っていうのも解ります。


国や自治体も、ただ被災地の心情に訴えて、地方に瓦礫受け入れを迫ることには反対です。


でも、もっと科学的に、冷静になって調べてみれば受け入れを理解できないことはないと思う。


自分も放射能被曝のリスクを覚悟して福島で除染ボランティアに行きますが、それは健康に影響のない程度の被曝であることを理解しているから行けるのです。





瓦礫は産業廃棄物ではありません。

必要が無くなったので捨てられたものでもありません。

人の都合で廃棄されたゴミでもありません。




津波さえなければ、人々の暮らしの中で役立って、それぞれの営みを支えていた物たちなのです。



そう、津波さえなければ。

 




ビルの4階建てより高く積み上げられた、行き場のない瓦礫の山を見て、遣りきれなさが募りました。







その3へ続く

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去年の3月13日

2012年03月13日 23時54分05秒 | スマホから投稿(速報日記)
そういえば去年の今日は、こんなことしていましたね。

「鹿行大橋崩落事故現場」の記事

その後に行った東北の被害があまりにも衝撃的だったもんで、記憶が薄れていました。

茨城県もひどい有様だったんですね。

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気仙沼市へ追悼の旅(その1)

2012年03月13日 15時37分59秒 | 救命普及・災害活動記
   (少々長文になりますが、お時間のある方はお付き合いください。)

先週末の3月11日は、みなさん思い思いの場所で、東日本大震災の節目となる1年をむかえられたことと思います。

私もかねてより、1周年の追悼は、気仙沼市で行われる追悼式に出席することにしていました。

それまで気仙沼市には、震災以前に行ったことはなく、特に知り合いが住んでいたわけでもありませんでした。

しかし去年の発災後、たまたまウチの商店街の関係者から預かった救援物資が、宮城県気仙沼市の唐桑中学校あてだったことが切っ掛けで、緊急輸送車両の進路を気仙沼に向けたことにあります。

輸送の道中、茨城県でも潮来マリーナから救援物資を受け取り、食料品や簡易トイレ、ブルーシートを満載にして東北を目指しました。

宮城県に入り、東松島高校で3分の1の物資を降ろして気仙沼へ向かいました。

東松島からは石巻~南三陸町と、津波の被害で壊滅的な被害の酷かった場所を通りました。

気仙沼市の職員から言われて知ったのですが、海沿いのルートは、その日まで通行ができなかったそうでした。

ラジオでは、自衛隊により国道45号線が応急復旧により開通したとの情報が流れていました。

東松島からはカーナビが決めたとおりルートを進むと、そこにはあったはずの街並みが、まるで大空襲に遭ったかのような街並みに変わっておりました。

回収を待つためなのか、道路上のいたるところにブルーシートや、あるいは毛布や布団にくるまれたご遺体が置かれておりました。

世界に誇れるほど安全なはずの我が国において、まさかこのような光景を見るとは、その場にいても目を疑う思いでした。

そして自衛隊による開墾された、延々と続く応急道路を走り切り、気仙沼市役所へ到着。



救援物資を無事に引き渡して、さらには商店街関係者から預かった支援物資も、唐桑中学へ引き渡しました。

前出の市職員に「どちらのルートで気仙沼へ?」って聞かれたので、国道45号線で来た旨を伝えると、「あの光景を見たんですね。この被害現状を多くの人に知ってもらいたいので、このルートで来ていただいたことを感謝します」と、目に涙を浮かべながら言われました。

ここで知り合った市の職員の中に、なんとウチの地元立川で青春時代を過ごした方が居たりして、思わぬところで縁が有ったりしました。

その後6日間、気仙沼市役所の行政支援のボランティアとして、災害ボランティアセンターが立ち上がるまでの期間、活動させていただきました。
その時の記事「東日本大震災への支援活動報告」



また、昨年は10月にこれまた潮来マリーナのご縁で、支援物資の復興漁船を輸送するボランティアで気仙沼へ日帰り強行軍を敢行したりしました。
その時の記事「東北日帰り往復!」

それまで縁のなかった気仙沼ですが、自分にとって生涯忘れえぬ街となりました。




そして今年の3月11日。そんな忘れられない街、気仙沼へ行ってきました。

今回も一人で行くことにしていたのですが、妻に気仙沼行きのことを話したら、自分も行きたいとのことで、夫婦で追悼の旅となりました。

妻は3.11以降、忙しくしている私に代わり、震災関連の新聞をスクラップして私に見せてくれたり、自分でも被災した企業へのファンド支援などをしたりして、被災地とは彼女なりにつながりがあるようでした。

そして今回はボランティアではないので、前日の3月10日より気仙沼市の温泉ホテル「気仙沼ホテル観洋」に宿泊しました。
このホテルは、震災後は避難所として解放し、多くの被災住民を受け入れていました。

そんな粋な計らいをするホテルに、ぜひともお金を払って宿泊したいと、選ばせていただきました。

そして出発前夜、天気予報を見るとなにやら雪マークが…

やばい、自家用車のエクスプローラーだと、タイヤの滑り止めがないや!

ってことで、翌朝早くから会社の倉庫を物色。

サイズ表記が違いましたが、なんとかぴったりはまる非金属チェーンを発見。
朝から装着の練習ですw。



チェーンの練習後は、愛犬をペットホテルへ預けたり、妻に急な仕事が入ったりして、なんだかんだと出発は昼遅く過ぎた時間でした。


そのおかげか、朝の東北道の雪が解けて、私たちが通る頃はチェーン規制は解除になっていました。

自宅を出発してから8時間ほどで気仙沼へ到着。ホテル観洋にチェックインして、ラストオーダー寸前の館内和食レストランで一杯。


しかし去年の今頃、このホテルのすぐ前を何度も通りましたが、1年後にここでお酒が飲めるなんて夢にも思いませんでした。

ちなみにホテルのすぐ前は、津波で壊滅した気仙沼港です。


苦手なはずのサンマもテーブルに並びます。



このほか刺盛やマグロ頬肉焼き、ふかひれラーメンなどを食べました。

結構飲んで食って、2人で7000円ほどと、良心的な価格でした。

その日は到着も遅かったので、外出もせずに部屋で震災特番を見ながら寝落ちしてしまいました。



その2に続く
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ハイパーレスキュー見学

2012年03月08日 22時34分34秒 | 救命普及・災害活動記
今日は某奉仕団体の移動例会で、地元の消防署に行ってまいりました。

消防署の地下体育館をお借りしての例会です。



この地下体育館には、消防ボランティアの資機材が保管されていて、私も年に1回はここで訓練を受けています。


そのそばには、ナニやらあやしいモノが・・・



血糊とダミー用人工血管と皮膚ですね。

救命士の訓練用ですね。一度でいいから、これで訓練してみたいwww。



例会の後は、ご存じハイパーレスキュー隊の見学です。



数年前に、私がこの奉仕団体の東京本部に出向していた時、代々木のオリンピック会館を借り切って防災フェアを企画したことがあり、

その基調講演ってことでウチの地元の英雄である、ハイパーの隊長さんの講演を依頼しに行ったことがあります。

その時の隊長さんは中越地震で土砂に埋まった乗用車の中から、幼児2名を救出した張本人で、その救助の様子を講演していただきました。

今は異動されて、ハイパー隊にはいらっしゃいませんでしたが、今回はわれわれの訪問を受けて、ハイパー隊が特別に訓練の様子を披露していただきました。


ハイパー隊にしてはちょっと古い放水車ですが、これの後継車両が、先の福島第一原発に出動して注水作業に従事していたら汚染されてしまい
持ち帰ることができずに、今でも原発の敷地に放置されているため、もともと保管していた予備の旧型車を現在は使用しているとのこと。


ハイパーらしい装備の、重機運搬車。


ラフター(クレーン車)とか。


リモコン放水車とか。


航空機火災用の高圧放水車とか。


移動手術車とか。


とにかく1台でいいから欲しくなる車ばかりですwww。

で、屋内訓練場に移動すると、電車が…






よく見ると、人(緑色のダミー)が下敷きになっちょる!


で、救助活動開始!



映像に出てくる天井からぶら下がっているゴンドラは、ヘリコプターのダミーで、ヘリのローターの擬音を出しながらグラグラ揺れています。

オレンジの服を着たレスキュー隊員に交じって、水色のジャケットを着た隊員がいますが、彼は救命士の資格を持つレスキュー隊員。

過酷な現場で応急処置を行います。頚椎の保持に細心の注意を払っているのが見て取れますね~。




とにかく迫力があり、すごい組織なんだと改めて感心いたしました♪
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酒池で釣りな週末www

2012年03月05日 17時26分07秒 | 釣り(バスボート・ブラックバス)
え~っと、ワタシの所属するチームフォーセット(バスプロチーム)の決起集会が北浦で開催され、参加してきました。



企画してくれたONOリーダーの話だと、広い宴会場でカラオケもあるらしい…(*^^)v



ってことは、今年4回目のステージですね?!ってことで、カラオケの練習をしながら、車で向かいました。




歌は何とかイケるんですが、ダンスがイマイチなんですよね~。ってか、アフォですねwww。



で、潮来マリーナに到着して早々、事件発生!



ワタシの3つ隣の艇庫に、泥棒が侵入して、友人の釣竿セットが盗難にあいました!


被害総額は時価40万円ほどだそうです。(;一_一)



さっそく北浦警察(チームフォーセット警察部隊www)を招集して、捜査会議。
防犯カメラに二人組の族がバッチリ写っていました!



車両ナンバーもバッチリで、犯人逮捕は時間の問題と思われます!



犯人に告ぐ。洗面用具と着替えを用意して待っていなさい!(首を洗って待っていろ!)



と、事件が片付いたところで、宴会場のホテルから、バスが迎えに来ました~。




バスの中でも異様に盛り上がってます!


宴会場は潮来の大きなホテルです。


チーム監督のセットさん。いつもお茶目な無茶振りを仕掛けてきますので、気が抜けませんwww。


で、宴会スタート。総合司会はワタクシが担当いたしました。



で、ここで悲しい事実が判明。



宴会場のカラオケマシーン、古すぎてKARAとか少女時代といかが入って無いし。(;一_一)


せっかくヒップダンス用のサスペンダーとか用意したのに…(ノ∀`)アチャー


そそ、最近地元の飲み会でKARAを披露することが多いので、小道具なんかも充実していますwww。


練習の成果を披露できなくて残念無念。(*^_^*)

「でも簡単には、行かないのよ♪」


しかしその分、総合司会で楽しませていただきましたぁ!


地元での宴会では、ヒップダンスを披露しているだけではなくw、ちゃん司会業もこなしてるんです。


なので司会進行はお手の物っ♪


今回は葬儀場の司会を演じてみましたwww。


古いカラオケを無茶振りして強制的に歌わすセットさんと、紅白歌合戦の司会ばりのコラボレーションで大盛り上がり。


兄弟船は~♪

お別れは尽きませんが、ご出棺の時刻となりw、盛会のうちに〆させていただきました。

すんません、前列でビールをラッパ飲みしているのが自分ですwww。後ろには裸の弟が写ってるしwww。
でもよく覚えてないや(ノ∀`)アチャー

今気が付きましたが、ハングルの看板があるので海外旅行の宴会みたいですね~。(*^_^*)

この後はバスで潮来マリーナに戻ったのですが、なぜかほぼ全員が途中下車して、2次会の居酒屋へ突入!

そこからの記憶が全くありません。まま、いつものことですが…。




で、翌朝。

この日はフリーダムのマンスリートーナメントの日です。

二日酔いもなくwww、さわやかな朝を迎えて、18艇でスタート。

自分も4か月ぶりにボートを出しましたが、魚の気配が全くしないので、3時間で上がってしまい、マリーナで熱燗を飲んでました(ノ∀`)アチャー


例年、その年の最初のバスをゲットするのは、だいたい4月ごろですので、焦らずゆっくり、ちびりちびりwとやらせていただきます♪



いや~それにしてもよく飲んだ週末でしたっ。



おしまい。




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