「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』

2008年01月22日 | Ecology
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節・著、講談社現代新書)
  たしかにキツネにだまされたことはない。日本人は1965年頃を境にキツネにだまされなくなった、と内山さんはいう。それは、戦後の経済発展により、自然の価値も経済的価値で判断されるようになったからだ。科学的真理が唯一の真理と考えられるようになった時代でもある。テレビや電話が普及し、情報のあり方やコミュニケーションが変化したことも、その延長線上にある。伝統的な共同体による教育がすたれ、合理主義的な教育へと変化し、日本人の死生観や自然観も変化していった。たしかにそういわれてみると、多かれ少なかれ自分にも当てはまる話である。1965年はとうに過ぎていたが、中高生のころには公害問題が大きな注目を集めていた。それでも、いまの生活をむかしの状態にもどすことは考えられなかったし、公害に歯止めをかけるのは科学技術であると疑いもなく思っていた。基本的には、近所のオジチャンやオバチャンの話よりも、マスコミの流す情報を信じていた。町内の祭りや伝統的行事からは逃避して、より偏差値の高い大学の理工系学部へ進学することが、とりあえずの至上目的でもあった。家族や親戚の死に哀しみは感じても、神仏や霊の存在を受け入れることはできなかった。乏しい能力を省みずに科学者になる野望をもっていた自分にとって、自然とは未知の合理的法則を探求する対象だったといえる。こんな自分がキツネにだまされるはずはなかったのだ。同時にキツネにだまされる人や、そんな話を了解することもできなかった。
  内山さんによれば、キツネにだまされるとは、生命的世界を仮託することである。豊穣な生命的世界である自然と人間とのコミュニケーションの歴史的象徴の一つともいえるだろう。しかし、1965年以前の日本で日本人がキツネにだまされていた話を、いまのわれわれは信じようとしない。それは、われわれが客観的、合理的(因果的)な歴史観に立っているから、キツネにだまされた歴史が「見えなく」なっているのだ。われわれが歴史として捉えてきたものは、知性によって物語られた歴史にしかすぎず、そのまわりには広大な「見えない歴史」が存在する、と内山さんはいう。これは「過去とは現在から照射された過去である」とする立場以上のものである。ましてや、文献や史料によって過去を描写し再現しようとする歴史学は、それこそ過去の歴史学というべきだろう。
  話をもどせば、1965年頃を境にして、身体性や生命性と結びついて捉えられてきた歴史は衰弱し、知性による歴史のみが肥大化したという。身体性の歴史は、たとえば技の伝承などによって受け継がれていくが、生命性の歴史は、何かに仮託されなくては受け継がれていかない「見えない歴史」である。その仮託が神仏であったり、キツネにだまされたことなのであろう。知性によって世界を構築する科学にロマンを感じている自分が、いまもたしかにいる。その一方で、それだけでは充足できない自分もいる。科学は基本的に発展史観に立った営為である。スリルにあふれたゲームのおもしろさがあるが、それは止まることをしらない。自らを改め、自らを駆り立てていく。自然(ジネン=オノズカラシカリ)をよしとしない。それは自らの生命性や障害の当事者性とも無関係ではないのかもしれない。まだうまく表現(言語化)できないが、自分が環境問題やサイエンス・コミュニケーションに関心をもった原点もそこらにありそうな気がしている。自分はキツネにだまされることはなかった。しかし、キツネにだまされたい自分もまたいるように思う。
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