「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『お姫様とジェンダー』

2007年04月27日 | Gender
『お姫様とジェンダー』(若桑みどり・著、ちくま新書)
  「鏡よ、鏡よ、この世で一番美しいのだれ」のセリフは「白雪姫」のなかに出てくる言葉で最も有名なものだろう。「白雪姫」の物語を知らなくても、このセリフだけはどこかで聞いたおぼえがあるという人も少なくないにちがいない。白雪姫の継母である妃の問いかけに対して鏡は「それはあなたです」と答える。ところが、白雪姫が年頃になり美しい娘に成長すると「それは白雪姫です」と答えるようになり、それを聞いた妃は激怒し白雪姫を亡きものにしようとする。このあらすじを知っている人も多いにちがいない。しかし、この鏡が何を象徴しているのかを考えてみた人はどれだけいるだろうか。実は、鏡は「男」の目であるという。鏡は男性社会(家父長制社会)から見た女性の美しさを判定しているのである。また、老婆(妃)が白雪姫に食べさせようとした毒リンゴは、女性の女性に対する嫉妬を象徴しているという。これもまた女性を分断化する男性社会の戦略であるとされる。
  このような物語の「読み」はジェンダー論の周辺では―いろいろとバリエーションはあるのかもしれないが―かなり知られたことである。とはいえ、ふつうの人たちがこのような「読み」をすることはなかなかむずかしい。ジェンダー論的な「読み」をすることによってもっとも利すると思われる若い女性や女子大生たちも同様である。この本は、そのようなふつうの女子大生(川村学園女子大学)に対して行なったジェンダー学の講義がもとになっている。著者である若桑さんの解説や分析もさることながら、教材として使用されたディズニーアニメ(「白雪姫」、「シンデレラ」、「眠り姫」)を見た女子大生たちのナマの感想がとても興味深い。いまだプリンセスの「夢」からさめず、たとえば「永遠の女の子の夢」であるといった感想を書く学生も少なくない。他方で、シンデレラのガラスの靴の透明さを処女性と結びつけて解釈する学生や、シンデレラの小さな足に着目して「王子が愛したのはひとりの人間ではなく、彼の好みの肉体である」と指摘する学生もいて、若桑さんを驚かせる。
  さらに、プリンセス・コンプレックスにかかっているのはむしろ男のほうであると指摘し、視点を男性側へとシフトさせる学生もいる。世間でいうところの“女子大生らしい女子大生”に接する機会もけっこうあるのだが、彼女たちは誰のためにオシャレをしているのだろうかと思うことがある。もし彼女たちに聞いたとしたら、男性のためではなく自分のためにオシャレをしていると答えるのではないだろうか。それは、オシャレしている自分が、どのような“まなざし”の中におかれているかを意識していないからだろう。自分のためにオシャレしていると答える女性たちに対して、「男を誘うためじゃなかったのか」などと大きな疑問符を付ける男性もまた同じである。当然のことだが、ジェンダー論の射程は女性で終わるものではなく、男性をも収めるものでなければならない。
  昨今、為政者たちによる「バックラッシュ」がますますあからさまになってきているが、このような時代だからこそ、この本のようなわかりやすいジェンダー論の本がもっと書かれるべきである。同様に、若桑さんのように学生に興味を持たせるようなジェンダー論が教えられるべきである。ジェンダーに関する話はややこしいが、学び始めるとなかなかやめられないおもしろさがある。だから、とにかく気楽に学んでみることだと思う。少なくとも本書は、その入り口の一つに値する本であるといえるだろう。

参照『グリム、アンデルセンの罪深い姫の物語』
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