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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

クレームの軋み

2004-12-13 00:09:55 | ニュース
このブログでは小売・サービス業をとり上げることが多い。だから実際に店を利用するときにもよくクレームを言っているように思われるかもしれないが、そんなことはない。許しがたい実害を被った時(糊を塗ったように髪が固まり取れなくなったヘアムースとか)や、舌戦が明確な勝敗をもたらす時(賃貸の敷金返却交渉とか)は別だけれども、弁当の中身が片寄っていたぐらいでは何も言わない。でも私の周囲にも男女問わず、そんなに細かいことで…と思うぐらい、いろいろなことを言う人がいる。そんな他愛ない日常が殺人事件に発展した。
*北千住の牛丼屋店長がクレーム客を殺害

ここからはあくまで世代論とキャリア形成の見地に立った推測で、事件への直接的な感想ではない。被害者は私と同じバブル世代の会社員。この世代はある程度能力があれば、自分の望む職業に就けて、そこで上の世代のおこぼれで贅沢なことを経験したことがある人が多い。被害者は牛丼も食べていたみたいだが、おそらく一流のサービスが提供されるホテルや高級飲食店に行った経験もあるのだろう。そこで自分が受ける扱いと牛丼屋での扱いを同一視していた可能性がある。その上、今から思えば厚顔無恥な話だが、私たちの世代は新卒の頃、飲食店やスーパーの店頭スタッフに正社員として就職することを一段低くみる傾向にあったのは事実だ。大学を出ていればなおさらで、「人と接するのが好き」などの希望や家業の影響などの事情がない限り、まずはメーカー、商社、銀行等、サービス業にしても内勤職を目指した。その中でも国際部門が良いだの、広報や企画でなければ嫌だの、好き勝手言っていた。ところが加害者の店長の世代(20代半ば過ぎ)は、そんなことを言おうものなら世間知らずと笑われ、よほど力と運がなければ希望の職種には就けなかったはずだ。おそらく彼は望まず、今の仕事をしていたのではないか。母親が「おとなしい子」とインタビューで評していた通り、職のミスマッチだった可能性が高い。

職の歪んだヒエラルキーは、現在も残っている。でも実際には事務職の単純作業は、IT化によって縮小し派遣社員にとって代わられている。高度なマネジメント能力を持った人か、特定のスペシャリスト以外は受け皿がない。代わりに人にしかできない接客や教育、介護、看護などの仕事の比重や重要度が増している。にもかかわらず、とりわけ求人の絶対数が多い小売・サービス業の実務を教える高等教育があるだろうか。商業高校はもはや風前の灯火で、大学の商学部は会計や金融学を教えてもそれはあくまでマネジメント教育であって、学卒ですぐに役立つかは疑問。かといって、大学が接客のロールプレイングをするわけにはいかないだろうが、消費者心理を応用したコミュニケーション学のような分野がもっとあっても良い。少なくとも職業の実態や価値意識をもっと明確にして、歪んだ認識を少しでも変えられるよう努力することは必要ではないかと思う。



三越の包装紙

2004-12-12 00:06:36 | まち歩き
mitsukochi以前のブログで「新宿三越の変貌」という記事を書いた。先日知人から突然電話がかかってきた。その人はこのブログの存在は知らない。開口一番「新宿三越、なくなったんだね。LOFTとヴィトンになっている」と言う。確かにLOFTやジュンク堂書店が入居し、三越の様相は随分変わったが、別に三越でなくなったわけではない。でもおそらく店の前に立ちながら、三越がなくなったとケータイで訴えている相手には、そんなことより今そこにいる理由を聞く方が重要だ。すると歳暮を買うために立ち寄ったと言う。中元歳暮だけは三越と決めているらしい。東日本以外の方にはピンと来ないかもしれないが、まだまだ伝統的贈答品に三越の包装紙は威力を発揮する。大阪、京都の大丸、高島屋、名古屋の松坂屋のような存在といえばわかりやすい。例えば東京日本橋には、三越、高島屋両店あり前者は本店で後者は東京本店であるが、ギフトセンターの込み具合は雲泥の差がある。

電話の相手は新宿三越では歳暮が買えないのかと訴えている。私は別に社員ではないので実のところは知らなかった。だが三越の看板をあげている以上、歳暮ビジネスを捨てるわけはない。通常ギフトセンターは上の方の階にある。つまり催事場の一部をその時期だけ利用しているからだ。しかし上の階はジュンク堂だからそれはあり得ない。多分…と前置きをして「地下にあると思うから食品売場で聞いてみたら」と答えた。結局のところ、新宿三越のギフトセンターはB3Fにあったが(後日私が出かけて発見)、電話の相手は地下に行かず諦めて銀座三越に出かけた。向かいの伊勢丹ではなく、銀座まで引っ張ったわけだから、三越の包装紙の威力はすごいと言わざるを得ないが、新宿三越に関しては、三越であることを捨ててはいないが、三越ブランドは捨てたと言える。ブランドは当事者がそれを主張するものではなく、他者つまり消費者に認められてこそ成立する。新宿では三越ブランドはティファニーやルイヴィトン、LOFTの影に隠れ、プレゼンスを失ってしまっている。

かくいう私も、今日久しぶりに新宿に買物に行った(それでギフトセンターを発見)。まずLOFTでカレンダーを買い、ヴィトンでスケジュール帳のレフィルを買った。TSUTAYAでDVDを借り、伊勢丹で靴を買った。最後に伊勢丹のデパ地下に立ち寄り帰ってきた。三越が昔のままなら、多分建物にすら入らなかった。新宿三越は改装して良かったのだ、きっと。



引き算ができる贅沢

2004-12-11 01:44:30 | ニュース
nensyu確かに携帯電話にカメラは要らないと思っていた。メールもPCが中心で、ケータイでのやりとりはたまに。迷惑メールが嫌で、アドレス指定受信にしている。もはや私も熟年世代の仲間入りなのか?でもさすがに今さかんに宣伝している単機能携帯電話「ツーカーS」には魅力を感じなかった。でも昨日の日経新聞には通常の機種より売れているという。しかもほとんどが新規加入。いまどき新規加入者の大幅増は快挙と言えるだろう。

ある時からシンプルライフだの、スローフードだの、「捨てる!」技術だの、とにかくあふれ出したモノや余計な暮らしの贅肉をそぎ落とすことが、一つのかっこよさになってきている。また、生き方そのものも清貧ブームにはじまり、最近では節約番組や「年収300万円を生き抜く経済学」などが脚光を浴びている。

引き算ができるということは、実はすごく贅沢なことだ。開発者が知恵を絞り、少しでも便利に、魅力的な商品にするためにさまざまな機能を付加したものを、消費者の拒否という意思で排除した結果が今のシンプルケータイだ。また、私たちの上の世代が発展のために汗を流し、多くのモノやサービスを開発し、あるいは外国から買い漁り、いったんは飽和状態にした。だからこそ、中には要らないものがあることがわかってきた。開発者や大人たちを批判しているのではなくて、私たちがかっこいいとしている引き算の美学は、そうした人々の努力の上にあるということ。誰もが年収300万円で良いからと、野心を失い、生産することに手を抜き出したら、この国が活力を失うばかりか、現在の私たちが300万円で幸せとしている生活すら守れなくなる。いや、別にケータイや身なりがシンプルなのはかまわないのだけど、頑張らないことがかっこいい国は結構ヤバイ。その延長線上に子供の学力低下やNEETの問題があるというのは、ちょっと飛躍しすぎかもしれないけど。



商店街のコンシェルジュ

2004-12-10 01:58:14 | まち歩き
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地方出身者の流民は、東京では意外と自分の動線以外の場所を知らない。家の近くであっても、駅からマンション、よく行くスーパーとマンションなど、決められた通り道があって、散歩好きでなければそこから外れた場所にはあまり行かない。うちは最寄り駅から商店街をまっすぐ通り抜け、5分で住まいにたどり着く。5分に通り過ぎる場所が近所との接点のほとんど。だから、突然イレギュラーなことを思いつくと困ってしまう。

駅前の銀行で振り込みを済ませた帰り、うちの照明の電球が一つ切れていることを思い出した。どこにでもある標準的な電球ではない。最近街の電器屋がめっきり減った。それでも電球ごときにわざわざ電車に乗って、量販店に行く気にはなれない。どうにか商店街で済ませられないかと、100円ショップ、コンビニ2軒回ったが、結局目当てのものはない。2軒目のローソンで置いていないことをわかりながら、いつもいる(勝手に私がオーナーと決め付けている)オジサンにわざと聞いてみた。案の定「同じものはありません。電器屋に行かれたら?」と言われたので、「この辺に電器屋は?」と問い直した。すると店の柱に近隣の詳しい地図が貼ってあり、それを指し示しながら近くの電器屋への行き方を教えてくれた。

これはコンシェルジュ機能と近いものがある。コンシェルジュとは、元は「門番」の意味で、ホテルで幅広い案内をするガイドのことだ。デパートでも店内や近隣店舗、地域情報まで案内するサービスを行うコンシェルジュが10年近く前に西武百貨店に出現して話題になった。当初は、「ボタンはどこに売っていますか?」と渋谷西武で聞くと、間をあけずに「東急ハンズにございます」とにこやかに答えてくれたが、最近別のデパートで「近くに東京三菱銀行はありますか」なんてどうってことない質問に、かなり手間取って結局要領を得なかったことがある。(デパートで銀行の場所を聞くって、基本のような気がするが、最近はクレジットカードを使うから関係ないのかな?)

話は戻って、ある種コンビニも街のコンシェルジュ機能に近いものを果たせるような気がする。以前は防犯のためとかで使えなかったトイレも、普通に許可なく入れる店も増えている。これはとても助かる。ローソンは郵便ポストがあるし、クリーニングの取次ぎをするコンビニもある。営業品目を増やす目的での多機能化と並行して、サービス機能も増えればいいと思う。薬はある程度売れるようになるが、例えば近所で急患を診てもらえる病院リストを持っているとか、出張してくれる安心なマッサージ屋を紹介してくれるとか、そういうこともあっていい。ネットでは網羅できないご近所情報は、結構貴重だと思う。



出身地はブランドシティ

2004-12-09 00:33:37 | まち歩き
image008先日イメージ先行型のブランドタウンの住み心地というテーマのブログを書いたが、ここ数年もう少し大きい領域(県とか市とか)での地域ブランド論が盛んになってきている。ニュースとして話題になったのは、長野県田中康夫知事が「長野県」をブランド力のある「信州」に名称を変更しようと提言したことか。2004年から日経リサーチは、民間企業向けのノウハウを活用して、公的分野のブランド調査を開始し、その第一弾として「地域ブランド」の測定・分析を試みた。その中で47都道府県の順位が発表された。

東京では知り合ったばかりの人に他愛のない話題として、出身地を聞かれることが多い。どこの都道府県であっても、答えるほうはどうってことないのだが、相手の反応は微妙に違う。「驚き」「羨望」「意外性」みたいな反応を引き出せる場所と、普通にやり過ごされる場所がある。前者でも実質的なメリットはとりたててないのだが、悪い気はしない。地域ブランド戦略は、どうしても行政に経営視点をとり入れるということで名産品の販売力強化や観光収入増を目指した集客力アップが目的の軸になりがちだが、住む人や生まれた人が誇りを持てるということが本当はいちばん大切。一過性の観光収入やモノが売れることももちろん大事だが、定着して生活を営み税金をおさめる人がいなければ地域は成り立たない。観光にしろ、工業にしろ、産業を支えるのは、当たり前だがその地域に住む人なのだから。

生まれた場所にはよほどのつらい思い出でもない限り、誰にでも最低限愛着や深い思いはある。けれども、だからといってそのことがその地からの移転を食い止めるだけの力になるかどうかは別問題。高等教育があり、産業があり、文化・レジャーがなければ、多くの人を引き止めることはできない。そういう意味でもブランド調査の上位都道府県のほとんどは、大都市を抱える地域。地域がブランド戦略を考えることは、都市化の推進という側面を持たざるを得ない。けれども自然と人心の豊かさが田舎町の魅力でもある。不便さを知らない都市生活者のエゴイズムかもしれないが、画一的な都市化とは異なるベクトルの地域づくりを進めないと、多くの地域が独自の表情を失ってしまうのではないかと思う。
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2004年日経リサーチ 地域ブランド総合得点・都道府県ランキング
1位:北海道/2位:京都/3位:沖縄/4位:大阪/5位:東京/6位:神奈川/7位:長崎/8位:福岡/9位:兵庫/10位:鹿児島