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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

チャンスを生かすマーケティング力

2016-01-27 22:48:52 | マーケティング

曜日のめぐりがあまり良くなかったこともあり、今年の年末年始は何年かぶりにずっと東京にいました。そんな大みそかの夜に何と宅配便が届きました。大規模な集合住宅に住んでいますが、年末年始はかなり静かです。地方出身の東京暮らしの人が多いということでしょう。私もその1人。大みそかに荷物が届いたことなど、過去に一度もなかったように思います。

それはふるさと納税の返礼品でした。からすみをセレクトしたので、一瞬はそのタイミングが嬉しかったのですが、ふと疑問に思いました。送った人は私が大みそかに自宅にいることは知るよしもありません。

荷物はクール宅急便で、日持ちのするからすみのほかに、サービス品なのか、私がよく見ていないだけで最初からセットになっていたのかわかりませんが、しらすや干物まで入っています。しかも大量に。そのうちのしらすの消費期限は1月5日です。冷凍するなどで少しは延ばせても、それも限界がありますし、そもそも1人や2人で食べきれる量ではないのです。

幸い、元日の来客に半ば強引に半分引き取ってもらいましたが、その人は食べきれたでしょうか。私は毎日少しずつ食べるようにしましたが、無理でした。

目当てはからすみだったのでいいのですが、この情報化が進んだ時代に「地方の感覚だから微笑ましい」というわけでもないと思います。

もちろん、通販で買ったものではないので、文句を言うほどのことはないです。でも送ってきた事業者は、地方自治体から商品を買い上げられているのです。彼らはどこの地域でも、それをチャンスとしてとらえ、送る荷物にサービス品を入れたり、商品カタログ(リピート通販喚起)や地域の観光案内を入れたり、様々な工夫をされています。

最近は地方の企業も東京やほかの日本の大都市を目指すのではなく、直接外国に進出したり商品を売り込んだりする例も出てきました。それは素晴らしいことですが、簡単なことではありません。同じ日本人のマーケティングができずして、外国人のマーケティングはできません。それなりの資金、行政やプロの支援、その経営者のバイタリティや能力がなくてはなりませんし、そこまでできるのは中小零細企業や一次産業ではまだまだ少数派です。

地域内の地産地消だけでビジネスが成り立たない場合は、まずは身近な巨大マーケットを目指すのが自然ですし、しかも最近は何も支店や営業所を構えなくても、ネット通販で物を売ることも可能です。

ふるさと納税の返礼品競争は批判対象にもなっていますが、一方で地方の農作物や産品のPRやマーケティング機会にもなっているのです。

「まるでお取り寄せ品のネット通販」と言った人もいましたが、現象だけを見ればそういう側面もあります。ただ、政策でやっているという性格上、永遠にこの制度が続くかどうかはわかりません。せっかくの見込み顧客との出会いを今のうちに積み重ね、本物の顧客を1人でも多く獲得していかなければ、一過性のものに終わってしまいます。

小売りなどの顧客との一対一のマーケティングの基本は、顧客を知ろうとすることだと思います。何も調査をすることだけではありません。テレビを観ていれば、「年末年始ふるさとに帰る人で高速道路の渋滞は……」と必ずニュースをやっているでしょう。少しの想像力を働かせれば、大みそかにクール宅急便を送ることはしないはずです。3日あるいは4日に東京に戻り、不在票を発見し、翌日届けてもらった商品の消費期限が1月5日なら、もらった人も送った人も幸せではありません。

たぶん送ってくださった方は「お正月に食べてもらいたい」という親切心だったのだと思います。それならメール1本入れてもらえれば、受け取れても食べきれない大量のしらす問題以外はOKなのです。実際、通販と同じシステムで発送の案内をメールで送ってきていた自治体もありました。どんな政策や仕組みでも乗っかればそれでいいというものではありません。ビジネスチャンスを生かすも殺すも事業者次第の部分はあると思います。

ちなみに一昨年納税をした自治体から、その地域の美しい風景写真の絵葉書が新年に届きました。地方行政にも経営感覚を、というのは何年も前から言われていますが、ふるさと納税のような仕組みができると、その感覚の差がはっきり出てきます。人気の高い自治体は、ただ返礼品が豪華というのではなく、きめ細かい心配りが行き届いているのだと思います。


公共交通にひそむリスク

2016-01-23 00:09:55 | ビジネス

若い命が一瞬にして失われる痛ましい事故が起きました。被害者の方と人間的関係のない世間は、喉元過ぎれば熱さを忘れますが、定期的にこの手の事故は起きています。観光バスだけではありません。記憶に新しい、また重大事故という意味では、JR西日本の福知山線でしょう。あれは、まさに通勤通学という日常生活の中で起きました。

事故が起きるとさまざまな要因が取りざたされますが、基本的にはヒューマンエラーが原因です。仮に車体そのものに問題があったとしても、点検時に発見できなかったという意味ではヒューマンエラーでしょう。

ヒューマンエラーが他人の命を危機に晒すリスクの高い職業は、運転手やパイロット以外にも多数存在します。すぐに思い浮かぶのは、医者や看護師などの医療関係者、介護従事者、保育従事者。刑事罰でも業務上過失致死罪が適用され、経営責任はない1サラリーマンであっても、アルバイトであっても、罪を背負うことになります。仮に刑事罰を免れても、生涯消えない心の傷と、社会的制裁は受けます。

ところが、こういう仕事の賃金は、一部医療専門職を除いては、通常より安く、労働時間やその環境は過酷です。今回の軽井沢の事故でも、経験の浅い60代の人がハンドルを握っていたようです。経験が浅い若い人ならまだわかりますが、本来経験と技術が加齢をカバーすべき年齢の人に若い命を任せていたわけですから、背筋が凍りつきます。それだけ労働条件が悪く、人手不足だったという証左でもあります。

バス会社もツアー会社も、人件費を削り、古い車体を使い、その結果大儲けしていたわけではないと思います。約1万円のツアー料金の中には、バス運転手2人分の人件費、バスの管理費用、保険料、その会社の経費と利益、宿泊料、広告料、その会社の管理経費、利益と、ざっと思いつくだけでも、そこまでの費用が含まれているわけです。高いツアーより安いツアーの方がリスクは高いという認識は必要です。

だからといって、安いツアーだからしょうがないという話ではないのは確かです。規制により、ツアー会社のバス会社に対する発注費用の下限が決められていたようですが、守られてはいませんでした。過度に競争を阻害し、業界を寡占化させるのはよくないですが、陰で取引されるバス会社への発注費用ではなく、エンドユーザーに出す小売価格の下限を決めないと、規制の効果は上がりません。ツアー料金のデフレ化を止めないと、リスク要因の一つを排除することはできないということです。

さらに労働環境の改善は必要です。人手不足であれば、能力が劣る人でも雇わざるを得なくなります。また、雇われた人も、仮に朝起きたときに「体調が悪いなあ」と思っても、会社内の風通しが悪く、経営者に理解がなければ正直に言い出せません。まじめな人ほど、代わりの要員がいなければ、出勤せざるを得ないと考えます。

顧客至上主義から、従業員満足なくして顧客満足なしという考えにかじを切っている企業も少しずつ増えてきましたが、まだ一部に限られますし、そういう会社はもともとそれなりに優良企業です。大多数はそうではないのが実態ではないでしょうか。しかし少なくとも人の命を預かる業種の会社や病院は、ヒューマンエラーが起こりやすい環境や労働条件を改善しなければ、こうした問題はなくなりません。


全豪オープンテニスの放送とライフタイムバリュー

2016-01-21 01:47:22 | カルチャー

SMAP報道はもうさすがに飽きて、この話が出てくると、テレビを変えるようになっていますが、テレビを変える理由の一つには、ちょうど全豪オープンテニスが開催していることもあります。(こちらも八百長問題というダークサイドの話題が出てきていますが、それはまた別の問題として…)

有料放送のWOWOWを契約している動機の半分はテニスのためですし、GAORAに至ってはテニス以外観ていません。グランドスラムはWOWOWでしか基本的に放送していません。最近はスポット的にNHK等が放映権を買っていますが、メインはWOWOWです。そのWOWOWは錦織の2014年全米準優勝を機に加入者を大幅に増やし、株価も上げています。彼を大事にする分には、民間の有料放送局ですから理解できなくはありません。しかし、最近は世界的な人気はなく、国内でも無名の選手でも、日本人というだけで優先的に放送されるようになりました。錦織登場以前、特に男子は日本人がほとんど出場すらしていなかった時代から、テニスを観るためにWOWOWに受信料を払ってきている人が、日本人選手の登場を待ち望んで我慢して毎月お金を払ってきたと本気で思っているのでしょうか。

マーケティングには「ライフタイムバリュー(=顧客生涯価値)」という言葉があります。この企業、商品に対して、1人の顧客が生涯どれだけお金を払っているのか、所謂ロイヤリティーの高い顧客は、ライフタイムバリューの高い顧客であるということです。docomoがこのほどスマホ等端末価格を引き上げ、加入年数の長い顧客に対する冷遇をやめると発表しましたが、まさにこのことを言っているわけです。ライフタイムバリューの高い顧客が恩恵を受けられない、キャリア乗り換え客に対する端末実質ゼロ円の業界慣習は、もともとおかしな話だったわけです。

WOWOWのテニス中継試合の選択の問題点は、マーケティングの手法に対する不快感だけにとどまりません。ことスポーツなだけに、ナショナリズムの煽りとナショナリスト優遇の側面も持っています。もちろん、日本人選手を応援する=ナショナリストと決めつけるのは偏重です。私自身も日本人が頑張ったり優勝したりすると嬉しいという気持ちがないわけではありません。一方で、スポーツそのものがナショナリズムを煽る装置でもあります。そういう側面がなければ、オリンピックがこれほどまでのビッグイベントとして定着することはなかったと思います。

しかし、テニスは個人競技であり、日本の場合は自らもプレーをして楽しみながら、観戦もするという人が大半のスポーツです。ナショナリズムやグローバリズムの概念とは無関係に、自立した個人として楽しむ、あるいは人生の一部として熱中している対象であるはずです。どこの国の選手のファンであってもいいし、イデオロギーとはできるだけ遠いところにいたい。本来、文化的であるとは、そういうことでしょう。誰が1円の得にもならないばかりかお金を払って、「日本のため」と思いながら趣味でテニスコートに立つでしょうか。そういう人たちが観戦もしているという点が、観戦文化だけでも成立する野球、サッカー、格闘技、相撲等との違いです。

テニスに限らず、日本がスポーツ後進国といわれるのは、選手育成が前時代的かつドメスティックで、その前時代の中で育ってきた人が観戦をサポートすべき中継解説をしているからです。ようやくそういうものを公然と否定する引退して間もないアスリート出身の著名人が出てきましたが、元来相撲や武道、あるいは部活教育が根っこにある縦社会の日本のスポーツ界では、なかなか中継解説のメインストリームになれません。

彼らに仕事を発注するメディアの問題も大きいと思います。本来、メディア、特に有料メディアならなおさら、個人の力だけでは到達できない広い世界を見せてくれる窓であるべきです。しかし現実は、小さな箱庭や狭い価値観の中に閉じ込めて、政府や各スポーツ協会の思惑を慮り、日本の誇りを押しつける存在になっています。国への誇りや愛国心は、個人の内から湧き出て初めて本物です。これは何もスポーツメディアに限った話ではありません。


国立科学博物館のワイン展

2016-01-20 01:24:48 | カルチャー

少し前の話になりますが、正月休みの最終日に上野の科博に行ってきました。ワイン展を観るためです。正直、あまり美術館や博物館の催しには詳しくないのですが、詳しい人に言わせると『チョコレート展』(2012年~13年)の好評で味をしめたのではないかとのことでした。

その真偽のほどははかりかねますが、少子高齢社会で子どもや子連れのファミリー客だけをターゲットにした催しでは、なかなか大人のみには足を運んでもらえません。たとえば、大英博物館など、来場者の半数以上が外国人で、規模や展示物も幅広く老若男女の観覧を見込んだ内容です。入場無料なのも、歴史や文化、考古学、教育を大事にする国らしく、さすがとしか言いようがありません。

最近はそうでもありませんが、日本の場合、美術館はともかく、博物館と名の付くところは、子どもの学習のための場所というイメージが長年強かったように思います。また、いまだ劇場には女性客が圧倒的といった具合に、男女が生涯にわたり、芸術を愛で、教養を育むことを続けるという意識がまだ乏しいと言わざるを得ません。しかし、最近では男性も会社員生活が終わった後の長い人生を考える人が増えましたし、供給側も少子高齢社会のなか、女性と子どもだけにこだわったビジネスではたちゆかないことにも気づいています。

そもそも生涯未婚率も増加しているうえ、男性の方が収入が多い状態から抜け出していない日本社会です。男性も積極的に消費し、人生を楽しんでもらわなければ、モノやサービスの市場は活性化しません。

ようやく最近、様々な場所で男性客を見かけるようになりましたが、ワイン展にも結構、男性グループや男性1人客がいました。もともと美術館や劇場に比べ、博物館は科学や歴史への関心が高い男性に親和性が高い場所ですから、こうした変化球を投げることで足を向ける機会をうまく作った感じでしょうか。

内容ですが、良くも悪くも国立の博物館。全方位的で過ぎたるは及ばざるがごとしといった感は否めません。個人的な感想ですが、ワイナリーを再現するコーナーを犠牲にしても、歴史の部分をもっと深めてもらえれば良かったです。

 


SMAP騒動と音楽の力

2016-01-19 01:56:45 | カルチャー

SMAP騒動の流れが何だか一気に嘘くさく(創られたものっぽく)なってきましたが、真偽はともかく、なぜここまでニュースバリューと影響力が大きいのでしょうか。

彼らをアイドルグループと称するには、はっきり言って年をとりすぎています。現にスマスマでも彼らは年齢的にもキャリア的にも十分大人なのに、もっと大きな力のあるものに「言わされている感」「操られている感」があり、彼らと同じ中年の域にある私としても、何とも言えない悲哀を感じました。そう思いながら見ていた組織の中にいる同じ年代のお父さんたちもいたかもしれません。現にニュース報道で、街角でインタビューを受けていた人が「中年の星」と彼らを称していましたから。

嵐など彼らの下の世代のグループにないSMAPの価値の一つは、いまやテレビ視聴の中心世代のアンダーゾーンとなった30代後半から上の世代、まさに彼らと同世代以上の人たちからの共感力なのかもしれません。社会の目にさらされ、組織に縛られ、さらに個人でなくグループであるがゆえの息苦しさ、不自由さもあるでしょう。そういう悲壮感が見え隠れする中年の「男性アイドルグループ」は、ほかにいないと思います。嵐の人気も絶大ですが、彼らに同じストーリーを乗せても少なくとも世の男性陣の心はざわつかなかったでしょう。

以前、彼らの中の一人が六本木で裸になり、警察に捕まった翌日、たまたま至極まじめなメーカーに仕事で行ったのですが、初めて会う先方の担当者が合間の雑談の際に、しみじみ「彼、何であんなことをしたんだろうね、一般人なら騒ぎにならないのにかわいそうだね」と言っておられたのが印象的でした。非難でも軽蔑でも嘲笑でもなく、大きなストレスと絶望的な孤独に対する同情や、その先に発露した行動への驚きがあったのでしょう。

もう一つ、ほかのジャニーズのグループになく、SMAPだけが持っているのは、誰もが知っている楽曲の数々です。私のようにJ-POPはほとんど聴かず、テレビの音楽番組(そもそもやっているのか?)、バラエティ番組を観ない人でも、「世界に一つだけの花」「夜空ノムコウ」「らいおんハート」程度はすぐに思い浮かぶはずです。人によっては、それ以外に「これが好き」という音楽を1曲や2曲、あるのではないでしょうか。ほかのグループも楽曲は持っていますし、歌唱力ではもっと上手いグループもあるでしょう。でも子どもから高齢者まで誰もが知っている曲を複数は持っていない。これは大きい。

仮に解散し、彼らがドラマや映画に出てこなくなっても、熱烈なファンという人以外は、どうでもいいと言えばどうでもいい。でも著作権等の縛りで、彼らの持つ楽曲のすべてが公に流されることがなくなり、リアルタイムで歌われることがなくなる方が喪失感は大きいでしょう。

ビジネスのスキームで考えても、グローバル展開を図る原動力となるのは、音楽(ライブと音楽配信、CD販売)であって、ほかのスキルは優先順位では低いはずです。いくらCDが売れなくなり、音楽業界が厳しい時代とはいえ、数多くの人を繋ぐエンターテインメントとして成立しやすく、熱狂のコンテンツとなり得るポテンシャルが高いのは、音楽とスポーツだと思います。とくに音楽は、国の自由度を担保する最後の砦です。書籍や映像作品は、例えば中国のような国は何でも持ち込めるわけではありません。平時でも規制が厳しい国は多い。そもそも日本語は日本以外ではほとんどが通じません。貧しくてもできるスポーツというのも限られています。しかし、音楽でなら繋がることができる国や人はあるのです。

個人的には、J-POPに限らず音楽の趣味はなく、スポーツや映画、読書と比べれば二の次、三の次なのですが、今回のことで改めてカルチャーやマーケティングの分野での音楽の力の大きさを感じました。