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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

エステの憂鬱

2004-12-22 23:07:04 | まち歩き
esute

年末恒例の「頑張った私へのご褒美」の定番の一つは間違いなく『極楽エステでうっとり』ってヤツだと思う。ジュエリーやブランド時計ほど高くなく、ショコラよりはかなり高い。でも何も形には残らない。そういえば最近めっきりエステに行っていない。行かなくなると、「アレってホントに極楽だったの?」と思わなくもない。

高級エステに行く。仰々しい出迎えを受け、ロッカールームに案内される。厚手の高級そうなバスローブに着替えるが、なぜか下着は紙パンツのみ。一見するとオムツカバー。ロッカーを閉めて暗証番号を入力。暗証番号とロッカー№を忘れないようにとちょっぴり緊張。サウナに入る。他のお客さんと居合わせるとちょっと気まずい。無言のままあられもない姿(タオルは巻いているけど)で暑さに耐えて、シャワーを浴びる。体を拭いて、リラクゼーションルームという名の待合室へ。エステティシャンの出迎えを待つ空虚な時間。その後個室に入る。個室ではキレイなおねえさん(私より若いと思うが)と二人きりで、一方的に諸肌をさらす。ボディコースだと本当にきわどい場所以外は、すべて触られると思っていい。ケアそのものは気持ちいいのだけど、たまにやたら話しかける人に当たると、それはそれで結構面倒だったりする。ある人は寝たふりをしてやり過ごすそうだが、大抵は本当に寝てしまう。そしてあっという間(寝ているから)に終わって損をした気持ちになるのだそうだ。

終了後はハーブティと店長クラスのマネージャーが待っている。ここで化粧品を勧められて買ってしまう人も多い。気持ち良かったかどうか尋ねられ(悪かったとは言えない)、気取った世間話を2、3言。着ている服や持っているバッグをムリムリ褒められることも…。次の予約の有無を聞かれ、エレベーターまでお見送り。そこでやっと解放。これって、極楽?

それでも日本はいい。海外だとこれに言葉の壁が立ちはだかる。リゾート地やアジアの街の観光人・日本人慣れしている有名店はまだイイが、ヨーロッパ都市部のエステは最初からこちらも現地語(英語とは限らず)を話せるという前提としか思えない調子で、いろいろなことを聞かれる。これはもはや拷問に近い。ああ、エステって!それでも行ってしまう一種の魔物かも。



日用品のブランドスイッチ

2004-12-20 01:43:31 | 日記・エッセイ・コラム
toire年の瀬は大掃除の季節。洗剤類をはじめ、日用雑貨を買う機会が増え、店頭ではお決まりの目玉品が出てくる。年末に限らず、日用雑貨はスーパー、ドラッグストアの目玉品の中心になる。定価の曖昧さは電化製品の比ではない。近くのドラッグストアで、5箱入りティッシュが200円を切ると、マンション周辺でティッシュを持って歩いている人とたくさん行き交う。消耗品でどのブランドを選んでもさして代わり映えがない商品、消費者にしてみれば安い方が良いが、メーカーはまさに消耗戦の様相。

話は変わって、プラスティック容器などのリサイクル意識が進んで、詰め替え用販売が標準化している。別にライオンの容器に花王の詰め替え用を入れてもいいのだが、なんとなく同じブランドを続けて買うようになっているのは私だけだろうか。あの仕組みは環境対策を推進するだけでなく、ブランドスイッチを阻止することにも少しは役立っている。ファンデーションなど化粧品のレフィルなどはまさにそう。容器の形が違うので別のブランドだと組み込めない。

最近珍しくトイレ用洗剤を変えた。トイレマジックリンのオレンジバージョンが発売されたからだ。使ってみたが、オレンジの匂いがちゃんとして新鮮な感じだった。どうも洗剤というと、薬品臭か、ミントかレモンの香りが一般的で、バリエーションに乏しい。日本製は容器のデザインもあまりオシャレとはいえない(海外のものはたまにカッコイイものもある)。洗剤類は収納に入れる場合、あまりデザインは気にならないが、収納の少ない家だとむき出しで置くときの姿かたちも一つの判断基準になると思う。メーカーによるが、ティッシュの箱のデザインは悪くない。私はスコッティかネピアのデザインが結構好き。あれは表に出しておくことが前提にデザインされているのだろう(実際にはカバーをつけているので、あまり関係ないが)。近頃はみんな買物を楽しまなくなったといっても、洋服や食べ物を買うのは多少なりとも気持ちが弾むと思う。でも日用品を買うのは嵩張るし面倒くさい。値段で気を引くのも大事なことだけれど、もう少し楽しく商品を選べるような工夫があってもいい。



地産地消とブランド戦略

2004-12-19 01:38:56 | 日記・エッセイ・コラム
京のサラダセット
地産地消(地域生産・地域消費)というキーワードをよく見かけるようになった。「地域で生産された農林産物をその地域で消費する」という意味で、その背景には消費者の食に対する安全・安心志向の高まりがある。消費者と生産者の相互理解を深めるためには、実質的にも両者に距離感がないことがいちばんということだろう。また、実際に地産地消が実現されれば、流通の間接経費が軽減される。

半面、地域活性化を狙う農作物のブランド化もさかんだ。これは主に首都圏をはじめ、大消費圏に向かい、地域の生産物に信頼と親しみを持ってもらい、販売力を強化しようとする取り組みだ。もちろん地域内においても効果があると思うが、実際に「京野菜」や「紀州梅」を有難がるのは、東京をはじめとした遠隔地の都市圏の生活者だ。現実的に多少の距離感があった方が生活者の想像力をかきたて、憧憬の情を抱きやすくなる。

ブランド戦略で都市圏での販売力を強化し、さらには生産地域でもその地域の産物を購入してもらえれば、マーケティング戦略上はある意味パーフェクト。しかし日本の食料自給率は低下の一途を辿り、現在は40%前後しかない(昭和35年→約80%)。野菜は比較的高いが、それでも約80%。食肉は55%程度である。食肉などの生産に深く関連する飼料用を含む穀物類の自給率はわずか30%にも満たない。

このように自給率が諸外国に比べ著しく低い現状で、概念ばかりが一人歩きしても、現実性に乏しい。また、農作物のブランド化には否定的な声も多い。全体消費量に満たない「日本産」に、ブランドというさまざまな化粧を施し、希少価値を強調するあまり、いたずらに価格を引き上げることがあるとすれば問題だと思う。それに伴い、形状の規格を厳しくし、美しく整った大きさ、形の商品ばかりが店頭に並ぶ様子も異様。今後はイメージと実態が伴った農作物の適正量の生産を目指した総合的な戦略性が求められている。

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【お中元】京野菜 昔なつかしの味上賀茂トマト



加工食品は料理人のブランド力を高めるか

2004-12-16 01:54:51 | まち歩き
0208food37最近やたらラ・ベットラの落合務シェフを見かける。雑誌はもちろん日経新聞にも出ていた。TV-CFにも出ている。プロデュース商品(SBピアット「予約でいっぱいの店シリーズ」)のパッケージにも顔が出ている。そんなことを思いながら本店の前を通ると、なぜか一人で店の前に立っていた。

料理人や美容師などをマスコミがやたらもてはやし始めたのは「料理の鉄人」「シザーズリーグ」の頃からか。もちろんそれ以前にも料理番組には料理家が出演していたし、美容師やヘアメイクアーティストは雑誌記事を飾っていた。けれどもショーアップはされていなかった。マスコミにひっきりなしにとり上げられていると、とても儲かっているように見られがちだ。でも店舗を1店舗だけやって、テレビ出演や雑誌記事にとり上げられても、本人たちは大した儲けにはならない。後者は一過性で終わるリスクがあるし、本業も労働集約型のビジネスで、しかも相手は一般消費者。多少高いサービス料や飲食代であっても、当然だがイコール利益ではない。マスコミのギャランティは、一部の大物芸能人以外には大して出ない。特に本業を持つ人たちはPR効果も見込めるので、持ちつ持たれつの要素が大きい。そこで冒頭の落合シェフ、古くは道場六三郎さんや神田川、三國シェフのように多店舗・多角化か加工食品という形での商品化の道を辿る。

別に料理人が多店舗化や商品化で儲けてもそれは個人の自由で彼らに文句はない。でもレトルトはレトルトだと思う。日本の加工食品はレベルが高いし、有名シェフの名前がついていなくても、適正価格であれば買うだろう。それよりも店舗で日々客を迎え入れ、包丁を握っているシェフの個人ブランドをレトルト商品の冠にしてしまった時点で、その店舗のブランドが霞んでしまうような気がする(もちろんレトルトと店でいただく料理とは違うのだが…)。ケンタロウのような料理研究家やコーディネーターがコンビニ商品の開発をすることとは少し意味合いが異なるような気がする。特にSBピアットは、カゴメが出したデリシリーズの追随商品だ。ただ、普通に出したのでは、先を走っているカゴメに負けてしまう。だからSBのオリジナリティとしてシェフの監修が欲しかった。よくある手ではあるが、個人の才能や独自性が軽く見られているような気がする。ロブションやマキシム・ド・パリ、サン・パウは少なくともこれほど軽くはブランドを売らない。



子育て世代を支える親の財力

2004-12-14 01:39:26 | ニュース
onibaba「負け犬」の次は、「オニババ」らしい。負け犬はいいけど、オニババは嫌だ。だからといって、「子供を産まなきゃ」とも思わない。折しも紀宮さまのご婚約内定で、経団連会長は「これで結婚ブームが来るかも。独身女性は早く結婚して子供を」みたいな楽観的な発言をしていた。批判するほどの内容ではないが、発言のレベルは以前話題になった森前首相の失言と変わらない。

現在日本で一般的な子育て世代は30代。この親の世代は60代であることが多い。まだ十分に若く、財力も豊か。おそらくリッチシニアのまま人生を終えられる可能性のある最後の世代。この世代の祖父母が孫に経済的援助をしていることは、高い服を買い与えたり、私立の学費を肩代わりしたりといった、華やかな部分がとり上げられることが多い。実際に20代、30代がマンションを買おうとデベロッパーに相談すると、開口一番両親からの贈与免税の限度額の説明から始まる。でもその影には祖父母と親世代が力を合わせなければ、1人2人の子供を育てることがままならない家庭がある。経済面だけでなく、子育ての労力も依存しているケースも多い。それでも親に頼れれば恵まれている。私の友人の夫が先ごろ急死した。幼い3人の子供を抱え、親のいない東京で暮らしているが、公営住宅にすら入れない。こんな状況の家族は東京にはあふれていて、いちいち面倒を見切れないらしい。よく公的保護対象のボーダーラインで、そこから外れた人がいちばん苦しいという。親の援助を受けている同世代たちも、親はいつか亡くなる。その先、自分たちの子供に親から与えられた同じものを与えられるだろうか。かといって、子なし独身なら一生安泰というほど、今の女性を取り巻く雇用環境は恵まれてはいない。私たちは八方ふさがりの中にいる。

論点は変わるが、少子化の原因は女性にだけあるわけではない。若い男のセックスレス傾向や、NEETやひきこもり、フリーターの増加だって、立派な要因の一つだろう。ひきこもりの約7割は男性だと統計結果を出している公的機関もある。経済面ばかり強調しているようだが、女は男の経済力のなさが嫌なのではなくて、そんな彼らの弱さや覇気のなさが嫌なのだ。だってフリーターでも実現可能な夢を持って頑張っている素敵な男性には、恋人や妻がいるケースが多い。

この際、子持ちも子なしも仲良く入れる育児&女の老後保障の複合保険みたいなものができないかな。介護保険みたいに、女性は一定の年齢で必ず加入して、子供を産んだ人は下の子供が一定年齢になるまで保険料は免除され、所得によって逆に育児保険がもらえる。子供がいなかったり、裕福で保険がもらえなかったりした場合は、老後に旦那が死んだ後、支給されるような…。だって、大抵女の方が長生きしているから、損はないと思うけど。