ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

健康バトル

2006-05-26 14:25:55 | ニュース

花王 ヘルシア緑茶 1ケース(1L×12本)【共同購入0604ポイント3倍】  【送料無料!!】サントリー黒烏龍茶PET(350ml×24本)

ヘアケアバトルに続いて、健康飲料バトル…って、片方がどちらも花王で、花王が先行商品だってことだけの共通点だけど。

ヘアケアバトルは、アジエンスVS TSUBAKI。でも実はシャンプーの王様は、ラックス スーパーリッチだったわけで、こんなところで外資系に負けていたわけだ。だから花王、資生堂両社は、アジアだ、日本だとアプローチしていたのだと考えればわかりやすい。

健康飲料バトルは、ヘルシア緑茶シリーズVSサントリー黒烏龍茶。どちらも特定保健用食品(トクホ)であり、前者は体脂肪率低減、後者は中性脂肪の蓄積を防止する(脂肪の吸収を抑える)とうたっている。後者は新製品だが、花王もヘルシアウォーターをぶつけた。ヘルシア緑茶は発売直後から大ヒットしたが、最近では陰りが見えてきていたらしい。

味が問題ということだが、実際は最初値引きをせず、コンビニを中心に理想的な売り方をしていたが、ドラッグストア、スーパーと販路を拡大し、値崩れを起こし…と、典型的なプロダクトライフサイクルの軌跡をたどっているということだと思う。ホリエモンが逮捕前、取材を受けるデスクの上に1リットルボトルがよく乗っかっていたが、あれも逆風だったかも?逮捕された云々、本人のイメージの問題ではなく、あまりに効果がなさそうだったから!まあ、その堀江さんもお茶を飲みながらの取材を受けることもなくなり、ヘルシア緑茶もあとひと踏ん張りしたいところ。

でも今回は最初からドラッグストアの店頭で叩き売られている感じ(←ちょっと大げさな表現で書けば)で、ヘルシア緑茶発売当初の品の良い販売方法ではない。

それでも健康関連のコンセプトでは、今後も多くの商品が開発されると思う。何しろ、この世は高齢化社会まっしぐら。つまり今日より明日、明日より明後日と、みんな少しずつ衰えていく社会だということ。一人ひとりが1日でも長く、病院の世話にならず自力で健康を持続したいと思うのは当然のことで、そういう意思がなければ、この社会は持続しない。

おりしもマクドナルド定年制撤廃を発表し、賛否両論あるが、人材確保、人材の流動性を論じる以前に、人が1日でも長く健康で働き続けたいと思う気持ちに応えることが悪いこととは思えない。


プラスマイナスゼロは、マイナス

2006-05-25 03:18:31 | まち歩き

ふと、くだらないことを思い出した。よく大阪の人は、百貨店でも値切ると言うが、私も日本橋(←大阪)の電機量販店でも値切っていた。別に高額なものではなく、1万円以下のドライヤーとか。郷に入れば郷に従え…いいえ、雰囲気に流されやすいだけ。思い出したのはそのことではなくて、大阪のターミナルビル内の持ち帰り寿司屋で、詰め合わせ寿司として売っている商品の中に嫌いな干ぴょう巻きが入っていたので、店員にそこだけキュウリ巻きに代えてもらったという、もっとくだらないエピソードだ。店員は気持ちよく代えてくれたのだが、そのことを友だちに言うと、「私はそんなこと言えへん」という人もいれば、「当然の権利や」という人もいて、中には「鉄火巻きと違うんやから、ええやん」という人もいたりした。

何でそんな他愛もないことを思い出したかというと、某コンビニでの出来事とリンクしたからだ。そのコンビニでは、スピードくじをやっていて、たまたま規定金額を超える買物をしたので、1枚引いたら「ガリガリ君」が当たった…アイスクリームならともかく、アイスキャンディは食べない。ところがその「ガリガリ君」、品切れだった。

「ラッキー!別のものに代えてもらえる」(←注:心の声)と思ったのも束の間。「期間中に引き換えてください」ということで、当たりくじをもらって帰ってきた。多分引き換えないと思う。以前にも同じ店の同じプロモーションで、ある嫌いな乳酸飲料が当たった。「代えてください」とも「要りません」とも言えず(←大阪では言えたのに不思議だ)、結局賞味期限を過ぎても冷蔵庫で眠っていて、最後は500mlパックがそのままゴミ箱行き。もらった時には誰か来たヤツに飲ませるか、押し付けようと思っていたが、酒ならともかく甘い乳酸飲料を飲むような訪問者がうちに来るわけがない。ゴミ箱行きは最初から決まっていたようなものだ。食べるもの、飲むものを平気で捨てるほど鈍感ではないが、もったいないからと無理に口の中に入れるほどデキた人間でもない。せめてお断りすれば良かったと後悔した覚えがある。

私とコンビニとの関係では、何か損をさせられたわけではない。コンビニは顧客に付加価値を提供するためにプロモーションをやり、結果的に嫌いなものが当たってプラマイゼロになっただけだ。でも顧客心理としては、それは決してゼロではなくて、マイナスに作用している。それは自分勝手なマイナス気分で、たまたま拾った財布の中身がゼロ円だったようなもので、最初から得しなければならない予定などない。いや、いくら私だって、プロモーションそのものを批判する気持ちはない。ただ、何となく損したような気分になったり、物を捨てる後ろめたさを引きずったりしている。


まるごと韓国の月刊誌『Suッkara』

2006-05-23 01:55:20 | アート・文化

月刊スッカラ(Suッkara)Vol.6

外国を紹介した雑誌の特集や雑誌風のガイドブック(MOOKという)はよくあるが、1冊まるごとひとつの国の情報を掲載した月刊誌は珍しい。『Sukara』は今年創刊された、日本で発行されている韓国がテーマの月刊誌。雑誌名の『Sukara』は、ビビンバとかを頼むと出てくる銀色のスプーンのこと。内容は、日本の情報誌と同じで、食や映画、エステ、アート、観光情報など。政治的な要素はない(よ~く読むと、一部あるかも)、軽い内容だ。なかなかおもしろいが、国内の韓国的なものは基本的にとり上げられていないので、雑誌に掲載されているエステやレストランを体験したければ韓国に行かなければ話にならない。そういう意味ではディープな旅行ガイドマガジンだ。

政治的・歴史的な問題を外においておけば、モダンカルチャーに関してはもっと仲良くなってもいい。

でも最近は韓流ブームも下火で、ロケ地ツアーは閑古鳥が鳴きつつあるという。ロケ地はソウル中心部からは離れているケースが多いので、なお厳しいだろう。韓流なんて言っているうちは、一過性のブームだと評した人がいたけれど、結局日本人は韓流ドラマや映画、俳優に何を求めていたのだろうか。人のことは言えないが、映画を国家という括りで観すぎているのかもしれない。日本映画、ハリウッド映画の中にも秀作も駄作もあるし、好みに合うもの合わないものもある。それと同じように、アジアの映画も観られるようになれば、韓流が少しは日本文化に溶け込んだことになるのかもしれない。最近韓国ドラマは、海外ロケブームなのだという。そうするとますますステレオタイプに考える韓国ドラマからは離れてくるのだけど…。でも私が初めて韓国に行った頃は、まだ韓国では海外旅行が自由化されていなくて、迎えてくれた韓国人の女性は、日本語を器用に操りながらも日本に出かけることは夢のまた夢だと言っていた。

1989年に海外旅行は自由化されたが、それでもこれまでは日本人が出かけるほどには気楽なものではなかったようだ。いかに近い国で、肌の色が同じでも、外国には違いがないわけで、だからこそ相手国の事情を慮ることは大切だと思う。そういう意味でも『Sukara』はおもしろい試みだけれど、いま一歩ガイドブック的コンテンツから抜け出しきれていないのが残念だ。飽きられないうちに、コンテンツを充実させないと、廃刊にならないかちょっと心配。


マクドナルドの490円サラダ

2006-05-22 03:51:26 | まち歩き

アメリカンミニポスター(McDonald's)0325アップ祭10 0330アップ祭10

マクドナルドがイメージ刷新に躍起である。健康志向が先進国の食トレンドのスタンダードになりつつある今、ジャンクフードの代表格のようにとり上げられるものだから無理もない。アンチマックの典型的な映画「スーパーサイズ・ミー」は以前観たけれど、毎日同じようなものを食べ続けたら何だっておかしくなる。アメリカ人の自己主張や表現は極端。全国民を一括りにはできないが、「よい塩梅」なんて言葉はないのかも(日本人もいまやあまり使わないか)…。まあ、要は食べ方の問題だと私は思う。

とはいうものの、企業としては批判に対応しないわけにもいかず、もともと赤とゴールドがコーポレートカラーのマクドナルドが最近緑っぽくなっている。テレビ、新聞でも緑色の広告を展開している。「緑モス」ならぬ緑マック化現象?

広告や店内販促は、意味もなくやるものではなく、その背景に伝える事実とメッセージが一体になってはじめて成立する。今回のマックにある事実は、新商品である「サラダ」。「健康志向=サラダ」、とってもわかりやすいが、マックがこれまでもトライしながら苦手としていた分野だ。今回はこのサラダを武器に一大キャンペーンを展開している。

ところがこのサラダ、2種類しかない。しかも上に載っているチキンを焼いているか、揚げているかの違いだけ。び、微妙…。サラダの内容、ボリューム感、カロリー控えめなのはいいが、単品で490円は100円マックのイメージが頭にこびりついている消費者には高すぎる。

ファストフードの「ファスト」にこだわり、大量仕入れ・大量生産でコストを落として成長しているマックは、メニューを急激に増やすことは難しい。だからといって、今回のキャンペーンは、些細な事実、膨大な広告という感じがする。でもまあ、マックの良いところはたくさんある。早い、安いはもちろん、夜も比較的遅くまでやっている。サービスはよくマニュアルの権化として批判されるが、若いアルバイトを一定の水準にきちんと育てているともいえる。マックのバイトを良い経験として、社会に巣立っていく人の数も世界的に見れば桁違いに多いはず。

企業が巨大になれば必ず批判されるということだと思う。

…って、これも批判?

いいえ、単なる感想です。


こんなところにも席朝族が…

2006-05-17 00:37:48 | ニュース

モーニング好きの名古屋は知らないが、少なくとも朝だけは家庭の食卓が健在だった日本人のライフスタイルも今は昔なのか?席朝族が増えているらしいということを以前に書いたが、大人だけの現象にとどまりそうにない。なんと学校給食で朝食に牛乳やチーズを好きなだけ食べさせる試みを岡山県美咲町で始めるという。別に牛乳余りの解消ではなく、目的は朝食抜きの子どもへの対応、食育の一環だという。

子どもの朝食抜きの問題は、昨日今日始まったことではなく、朝食に学校給食導入という議論もされていたが、反対意見が多く、実現してこなかった。簡単に言えば「朝ぐらい家で食って来いよ」「何でもかんでも学校に押し付けるな」ってことだと思う。至極真っ当な気がする。少なくとも、朝食を学校が与えることが食育とは思えない。ただ、一方で給食費(←昼の)を払わない・払えない親が増えている現状の中、親に子どもを任せておけないという地域や学校の思いを否定しきれない。ましてや家族や地域の関係が濃密であるはずの地方で、こうしたことをやる必要性があるという現況だとしたらなおさらのこと。

給食費さえ払わない親っていうのはどうなのだろう?こうしたことと格差社会が必ずセットで論じられるが、もし格差が生んだ結果だとしても、それは社会や政治だけの問題ではなく、人が生活の中での優先順位を変えてしまったからではないだろうか。私が子どもの頃でも生活に困窮していた人はいた。ただ、それでも食費や住居費だけは捻出する、子どものために離婚や転職はしないという大人も多かったように思う(そういう選択が必ずしも正しいことばかりとは思わないですが)。

今は日々の収入の多寡よりも自分らしい生き方を望み、あるいは人間関係で生じる我慢を回避し、フリーターを選択したり、離婚をしたりする人も増えている。以前もそういう人はいたが、それでも食べること、食べさせることは最優先して守っていたような気がする。だからこそエンゲル係数がクローズアップされた。今は社会全体を計るジニ係数は論じられても、個々の生活水準を計るエンゲル係数はあまり出てこない。これはプライバシー重視だけでなく、必ずしも今の個人の生活水準を食費では計れない時代になってきたということだと思う。おそらく給食費を払わなくても、塾には通っている子どもとか、あるいは子どもにお金をかけなくても親が贅沢をしているとか、そういう家もあると思う。そこまで極端ではなくても、親が選んだ人生のなかで、子どもは食べることに貧しさを強いられている。食育は何を食べなさいというレベルではなく、食べることそのものへの関心を高めることにまで立ち戻って考えていかなければならないテーマになってしまっている。