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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

この社会は劣化しているのだろうか

2007-12-31 03:59:42 | スポーツ

今年の漢字日本漢字能力検定協会)「偽」が1年間をもっとも表すのだとしたら、誰もが今の社会を嘆く気持ちはわかる。それにしても、例年わりとムリムリにでもポジティブ、あるいはどっちにでもとれるような漢字が選ばれたことが多かったのに、今年は随分ストレートだったと思う。単にマスコミ報道が同質化しているだけでないか。

この社会は言われるほど劣化しているのだろうか。確かに環境やエネルギー問題は深刻さを増しているが、ほんの20年ほど前は多くの人はそれをテーマにすらしなかった。子どもたちはゲームやマンガばかりで、活字を読まず学力が落ちているというが、私の子どもの頃からファミコンはあったし、今の大学生は以前よりマジメに勉強しているように思う。

こと日本だけを見れば戦争の歴史に目を背けてはいけないが、その時代を生きた人より幸福だし、今のこの国の風景のほうが幾分いいはずだ。高度成長期やバブルを知らない若い人が堅実に生きる、あるいはひたむきに自分の能力を高みにあげようとする姿には、むしろ教えられることもある。スポーツが団体球技や伝統を重んじる相撲などが中心だった時代から、個の精神と向き合うマラソンやスケート、レスリングなどの個人競技に秀でた人が増えてきている。団体競技でもイチローやサッカーの中田のように孤高の人が称えられるようになってきた。和を重んじる日本独自の精神性も嫌いではないが、むやみに何かに寄りかからずわが道をゆき、戦う強さも尊いと思う。

音楽ではここ数年抜きん出て売れる曲、評価される曲には、命や人生を切々と歌い上げたものが多い。コブクロの「蕾」「千の風になって」「涙そうそう」(←古いか…)も。命の尊さを蔑ろにする時代の反動だと言われればそれまでだが、このままではいけないと誰もが思っているとしたら、まだ現時点ではこの国には余力や温かみがあるのだろう。

私はバブルの頃をギリギリ少し知っている世代だが、少なくともあの頃より今の日本や人々の心は健全なように思う。もちろん今、進みゆく格差や悪化する治安や環境、IT社会の歪、質の低い政治をあるがままに受け入れることはできない。けれどもただ嘆くのはあまり意味がなく、一筋の希望を持って生きたほうが、絶望して生きることと比べれば少しは人生や世の中はマシになると思う。

今日は大晦日…。


飛ぶか、走るか

2007-12-30 23:58:10 | ニュース

1ヶ月ほど前に、羽田から航空機(ANA)に乗る際に驚いたのは、プリントアウトのバーコードを搭乗口にかざすだけで乗れるようになっていたことだ。予約をお願いした人にメールで送ってもらった予約確認をプリントアウトしただけ。半信半疑でカウンターに出すと、チケットに変える必要はないと事も無げに言われ、「私はなんて遅れているのだろう」と恥ずかしくなったが、11月から始まったサービスだと聞き、ホッとした。気づかないうちにどんどん便利になるが、何だかキツネにつままれたような気もする。ところが帰京便に乗る空港には同じサービスはなく、さらに言えばその後別の機会に乗った別の航空会社にもそのサービスはない。ややこしい…。

ちなみにANAに乗った時は陸路だと7時間かかる場所に行ったので、問答無用で飛行機を選んだが、新幹線の路線がある地域だと迷うこともある。私はだいたい関西だと新幹線、岡山くらいから飛行機にする。わりと平均的で合理的な選択だと思うのだが、なんで大阪に行くのに飛行機に乗らないのだと真顔で尋ねられて「なんで飛行機に乗るの?」と逆に聞き返したことがある。逆に四国だろうが、九州だろうが、新幹線で(四国の場合は岡山あたりで降りるのだろうが)行く人もいる。きっと飛行機が苦手なのだろうと勝手に解釈している。

東京から大阪あたりをボーダーラインだとすると、その場合私は新幹線を選ぶが、それは飛行機のほうが面倒くさい気がするからだ。新幹線だと10分前の駅到着で余裕、仮に乗り遅れてもすぐに次が来るイメージだが、飛行機の場合はそういうわけにもいかないし、気持ちも落ち着かない。空が怖いわけではないが、陸路のほうが安全な気もする。定刻どおりに着く確率も高く、急な欠航も少ないような気もする。早い話、プリントアウトの紙1枚では解決しない心のバリアがある。しかし相次ぐ地方空港開港で場所によっては航空機のほうが確実に時間短縮が可能になり、一部の便では新幹線を利用するより安い場合もある。一概に新幹線優位とは言えなくなっている。新幹線の「のぞみ」が品川、新横浜に、すべて停まることに決めたのは、当然の決断だろう。

年末には忘れた頃に出てくるリニアモーターカーの話題が紙面に出ていた。でも速さだけがリニアの価値なら、巨額のコストを投入して急ぐ必要もないと思う。今後の中長距離移動に必要なのはコストパフォーマンス。早いことより、多くの人が頻繁に移動できることが、生活者やビジネスマンにとっての価値になるのではないだろうか。少子高齢化時代、離れている家族同士、頻繁に会いたい。介護や見舞いなど通う必要のあるケースも多く出てくるだろう。海外ではECの連携強化や欧米間の移動網の競合激化の影響などで、国際間の移動も安価で気軽な時代になろうとしているのに、日本だけが国内移動ですら高コストならビジネスの競争力も覚束ない。


ほしいような、そうでもないようなモノ

2007-12-19 01:30:18 | デジタル・インターネット

今年ももうすぐ終わる。年末になっても、会社員生活をやめて10年近くボーナスが出るわけでもなく、自分へのご褒美を買うほどがんばっているわけでもなく、もちろん12月に急激に儲かるわけではない。むしろ税金などをまとめて払うので物入りだったりする。

でも何かがほしくなるか、旅行に行きたくなるのは、街のちょっと浮かれた雰囲気に感化されているのかもしれない。この前、お歳暮を買うため、久しぶりにデパートに行くと、ほとんどどこが何の売場かわからないくらい混雑していて、ああ、クリスマスだと実感した。

それで今、気になっているのは、やや流行に乗り遅れた感はあるが、iPod touchなのだけど、この商品、買うのにやや抵抗がある。なぜか?それは使い道がいまいちわからない。もちろん音楽を聴くものだというのはiPodを持っているのでわかる。でもそのiPod、1年くらい使っていない。ジョギングもしないし、外で音楽を聴く習慣がない。今日雑誌を読んでいたら、touchならビデオ機能を使っていつでもどこでもプレゼンができるらしい。一瞬、「おっ」と思ったが、絶対にあり得ない。プレゼンをする職業ではあるけれど、いつでもどこでもするわけじゃない。写真のスライドショーに至っては理解不能。それ以外のスケジュール機能などはケータイでもついているけど、使っていないし、結局「要らないじゃない」ということで、これまで踏み切らなかったわけだ。

でもなんとなくほしいという気持ちは、ずっとある。そういう変な心理的付加価値のある商品って、あんまり他にないなぁ~と思う。私は決して買うことで満足する方ではない。服も靴もバッグも買えば絶対に使い倒すし、他のものも目的が明確だから買う。読んでいない本や観ていないDVDもあるけど、それはたまたま時間を作れなかっただけで、いつか読もう、観ようと思っている。

ところがiPodはなんとなく持っていたら使えそうとか、楽しそうとか、オシャレじゃないかとか、そこに明確な必然性はない。子どもがほしがるおもちゃの類ともちょっと違うし、インテリアでもない。あえて言えばアクセサリーなのだろうが、Apple、おそるべし。でも日本でもiPhoneが発売されたら、本当にヒットするのか。これまでなんとなく日本メーカーの製品で寡占状態に近かったケータイ市場が動くのか、興味深い。


ローティーンのしょこたんワールド

2007-12-08 16:16:15 | テレビ番組

最近では以前に比べて、加齢とともに味覚や趣味が歳をとらないようになっている。つまり極論すれば、日本人の精神年齢は低くなったという人もいる。

ところがやっぱりローティーンとなると、隔たりというか、理解不能な世界観があると思ったのは、ローティーン向け雑誌を読んだ時。テーマとされているもの、つまりファッションや恋、アイドルの話などは、そんなにオトナが読むものと乖離していない。むしろオトナと変わらない印象。ところがそれを表現する言葉がよくわからない。また誌面構成、デザインも、ごちゃごちゃしていて、オトナが見るとかなり疲れる。

でもよく見ると誌面上のわけのわからない言葉は、しょこたん語だったりするわけで、元は商流の中の大人の都合で作られ、広められたものだ。もちろん自然発生的にできた若い人の表現をメディアがとり入れているケースもあるだろう。でもそもそも雑誌や商品を作っているのは、大人であり、その結果こうした商品がリアルなローティーンと隔たりがあるのかないのか、それは私にはわからない。案外リアルな子どもたちは、こういう大人が作った擬似世界をバカにして、自分たちの価値観で自分たちなりの世界を持っているのかもしれない。

とはいうものの、今の子どもたちが圧倒的な数の(大人が作った)メディアや商品の中で生きていることは間違いない。もちろんそこから何かを選び、何を生活や自分の成長にとり入れるか、選択の手助けをするのは親や教育者なのかもしれないが、商品を製造したり情報を発信したりする大人もまた、子どもの選択に無責任であってはいけないと思う。それは別にまじめに正しい日本語だけを使った雑誌を発行することでも、遊戯色の強いゲームや玩具の発売を止めることでもないとは思う。子どもの成長に必要なものは学業だけではなく、感性を磨き、同世代の子どもたちとコミュニケーションを図ることもあるのだから。

しかしその頃合が難しい。流行のコンピュータゲームの存在を完全に否定しにくいが、子どものゲームのやりすぎに困っている親は多い。携帯電話のように月ごとの使用上限付きのゲームを作ったら案外親はそれを選ぶかもしれない。実際に学習系のゲームソフトを数多く出している任天堂は成功している。企業や企業が行うビジネスと、社会活動との密接性が求められ、企業の責任を問われる時代になってきているが、意外と製品づくりそのものの中でも考えるべきことはあるように思う。

※Xboxでは可能になるそうです