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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

IR法案を成熟した文化を根づかせるきっかけに

2016-12-11 00:11:49 | カルチャー

競馬というと、日本では堂々農水省管轄にもかかわらず、なんとなくダーティなイメージがつきまといます。イギリスだと八百長問題などがあるにもかかわらず、ゴルフと並んで伝統的人気スポーツのイメージがあるのに。

パチンコ・パチスロに至っては、全国各地にホールが乱立していることからギャンブル依存症の温床とされています。でもIR法案をその延長線上で、ギャンブル依存症の増長になると反対する意見には違和感があります。

カジノを単体で開発するのは問題があるにしても、限定された場所で総合リゾート開発を行うのであれば、ギャンブル依存症の温床にはならないのではないでしょうか。依存症というのは、ギャンブルに限らず、自分の本業や寝食を惜しんでのめり込んだり、健康や経済的破綻を顧みずその一点に集中することをいうのでしょう。自宅のそばに毎日でも通えるギャンブル施設(パチンコはギャンブル施設と規定はされていないようですが、実際はそうでしょう)があるのに、バスや電車に乗って、あるいは新幹線や航空機を使ってまで行くでしょうか。とはいえ、違法カジノで才能をふいにしたアスリートがいましたが、違法だからこそ誘惑があり、地下に潜っているので顕在化したときには手遅れになっているという側面は否めません。

今は立法の段階ですが、合法カジノを違法カジノやパチンコと大差がないものにしないためには、本当は施設コンセプトやしつらえ、演出が重要です。

まだ20代のころ、モンテカルロのカジノに足を踏み入れたことがあります。街全体がリゾートのような所ではありますが、確かカジノそのものは総合リゾートの1施設ではなく、カジノ単体だった記憶があります(食事くらいできたかもしれませんが、それは日本のアミューズメント施設でもできます)。それでもドレスアップした大人の社交場で、そんじょそこらの旅行者では入れない雰囲気があります。

目的や国の成り立ち、文化が違うので、ここは目指せないにしても、せめてシンガポールのマリーナベイサンズくらいのクオリティに、日本らしいオリジナリティを付加しなければ、よけいな心配以前に継続的な繁栄はないでしょう。

ちなみにマリーナベイサンズは、シンガポール人は結構な額のチャージ(入場料?)をとられるようです。ここまでできるのは、こちらもお国柄外国人だけで十分な集客と収益が見込めるからで、日本では難しいかもしれません。でも無策では、特に大阪や横浜のような生活圏に近い大都市のカジノは、客層を制限できません。そうすると、施設のイメージ自体が荒んだものになり、やがて本当に来てほしい客が寄り付かなくなりますし、総合リゾートのほかの要素の集客まで怪しくなります。

カジノだけを目当てにしない外国人の集客が確実に見込める場所数カ所でまずは開発し、早期の乱立をしなければいいのではないでしょうか。継続的な繁栄と収益性がない施設は、おのずと荒れていきます。最初はあった品位やルールがなし崩しになるのです。

今はインバウンドが盛り上がっていますが、実際にカジノリゾートがオープンするのは、オリンピック以降です。何が何でもカジノである必要はありませんが、インバウンドの尻すぼみに歯止めをかけるコンテンツ創造は重要なことです。カジノリゾートがその一端を担えるかどうかは、まさに成熟した文化として根づいていけるかどうかにかかっているように思います。


Amazon Goは大きな自動販売機として成長できる?

2016-12-07 21:58:28 | マーケティング

Amazonが元気です。元来のネット通販事業も好調ですが、次々新機軸を出し、話題性の意味でも、他のEC事業中心のIT企業の一歩先をいく感じを醸し出しています。

日本ではダッシュボタンの発売とサービスが始まり、本国アメリカではAmazon Goの実験店舗がオープンするそうです。

ダッシュボタンは注文を簡単にするという意味で、リピート品のヘビーユーザーには便利でしょうが、消費者視点で画期的かといえばそこまでではない気もします。kindleもワンプッシュで電子書籍の注文が可能ですが、熟考せずに買ってしまい、時々後悔しています。簡単に注文できれば、その分注文を取り込むことはできるでしょうが、電子書籍と違い、即時荷物が届くわけではありません。すぐ欲しい日用品なら、近くのコンビニがの優位性はまだ脅かすことはできません。

だからというわけではないでしょうが、Amazon Goは実店舗でありコンビニです。アメリカはカード社会の歴史も古く浸透していますから、そんなに消費者に抵抗がないかもしれず、ここではあくまで日本にできたら、という視点で考えてみます。

日本で小売りの現場での自動化やIT化は、思ったほどまだ浸透していないように感じます。いまだ現金社会であるということもひとつですが、これはクレジットではなくプリペイドカードの普及で、ある程度は解消されてきています。カタログ通販はECに取って代わられようとしていますし、亀の歩みであってもIT化は着実に進行しているようにみえますが、この普及を加速させているエンジンは、皮肉なことに実店舗にあります。

その代表格がセブン-イレブンやローソンなどのコンビニでしょう。たとえば、コンサートやスポーツ観戦のチケットは、今ほとんどネットで注文されています。でもそのチケットはコンビニで発券してもらえ、現金で買う場合には精算もしてもらえます。配送よりも発券時期を自分でコントロールできるので、私は結構利用していますし、現に今一番日本でチケットを売っているのは、プレイガイドでもIT企業系チケット販売でもなくローチケだそうです。プリペイドカードを広く普及させたのも、コンビニの力によるところが大きいと思います。

コンビニというのは、接客に関しては大型スーパーマーケット以上にアナログな店です。多くのスーパーが省力化しているレジの袋詰めもしてくれますし、箸やフォークのサービスもセルフではありません。

コンビニは黎明期から成長期こそ、若い人や男性がターゲットの中心でしたが、人口動態の高齢化もあいまり、大型スーパーより親切で身近だという点が受けて、今ではむしろ高齢者に人気が高いのです。

また近くのスーパーにはセルフレジがあります。でも無人ではなく、20台ほどに2人以上は人がつき、マシントラブルや空いたレジへの案内、使い方の相談など顧客対応をしています。

そう考えると、Amazon Goはコンビニの代替にはならないし、大型スーパーはさらに厳しい。日本でもICチップによるレジ通過実験はずいぶん前から行われていますが、実用化に至らない理由は技術的なことだけではないのかもしれません。

だからといって、Amazon Goが日本に進出の余地がないかといえば、大規模な駅のキオスクや自動販売機に代わるものとしてはあり得るのではないでしょうか。私自身、あまり自動販売機は利用しませんが、新幹線など長時間乗車する駅では別です。売店はお土産やお弁当を買う人で混雑しているので、飲み物だけ買うには自販機の方が便利だからです。最近は交通カードで精算でき小銭も不要です。飲料に限らず、電車に乗り遅れないように早く買いたいと考えるのが多いのが駅ですが、人件費の問題かキオスクを設置できる駅やその軒数も限られてきています。

まったくの無人店舗にするには課題はありますが、駅や空港なら親切な接客や豊富な品そろえより、利便性とスピードを重視する出張客には重宝される気がします。Amazonなら現時点でも、そうしたターゲットにささる品ぞろえは豊富ですから、マーチャンダイジングでもキオスクや駅内コンビニとは違うポジショニングを築けるでしょう。


ネット社会でリアルシーンの価値は上がっている

2016-12-05 23:16:04 | トレンド

ダリ展がまもなく終わるので、土曜日夜の観劇の前に行こうと、国立新美術館に立ち寄ったら50分待ちということで断念しました。かといって、開演時間まで3時間は長いということで、さほど関心は薄かったのですが、近くの六本木ヒルズまで行き、マリーアントワネット展を、と思ったら、ダリ展ほどではないまでも、10分以上の待ち時間で大混雑。土曜日とはいえ、かつて美術館がどこもかしこも大混雑ということがあったでしょうか。

そのあとに出かけた決してメジャーとも言いきれない本多劇場の舞台もおおかた満席。ちょっとでもメジャーな俳優(といっても、元来テレビ俳優ではない井上芳雄さんあたりでも)が出る舞台なら、チケットを取ることも難しい状況です。

2週間ほど前に所用ついでに立ち寄った京都は、テーマパーク並みの混雑で、駅前の喧騒は違う街に来たようで、東京の丸の内口の方がよほど落ち着いて感じました。

この写真の後ろには、老若男女、多国籍の人・人・人……これは外国人観光客の急増が理由と説明もつきますが、美術やあるいは日本語力が問われる舞台に関してはなおのこと、観客のほとんどが日本人です。私は行きませんが、寄席もなかなか流行っているようです。

秋口に友人に誘われて行ったTOKYO FMの音楽ライブも大盛況。ラジオ×ライブなんてアナログの極みですけどね。さらにスポンサーがJALで、飛行機に乗って旅に出ましょうという企画物ですから、いわゆるすべてがコト消費に結びついています。その友人とももとを正せば、旅先で出会いました。コトが人と人とのつながりを生む。まさにアナログな感じはしますが、その後のつながりはLINEをとおして、です。

最近はネットでまじめな出会いを求め、結婚する人もいるみたいですが、それにしても実際にどこかで会わなければ結婚には至らないでしょう。

モノ消費からコト消費へと、今さらながら時々物品が売れなくなった言い訳のように出てきますが、この現象はすでにバブル景気が陰りを見せ始めたころ、つまり四半世紀前から言われていました。そのころは身近にインターネットはありませんでした。もし本当に現代社会でコト消費が結実しているとしたら、それはIT社会がもたらした効用だと思うのです。

エンターテイメント業界は、マスメディアもメディアミックスや提携で情報力を高めていますが、それがネットで拡散することで、格段に情報量が増え、人々に共有されはじめたことで、ここに行きたい、これを見たい、という欲求に直結するようになりました。最初からこれを見たいと思っている人にとっても、その情報を簡単に得られ、ぽちっとすることでチケットが買えます。

Google Earthやストリートビューが流行り出したころに、それで満足して旅に出る人が減るという人もいましたが、そんな人は何もなくても旅には出ません。旅行をしないほかの理由があると思います。人は経験や感性の中で、リアルとバーチャルの違いをわかっているはずです。知れば、より体験したくなる方が健全であり、子どもに対してはそういう教育、大人に対してはそういうマーケティングが必要です。

若い人に車が売れなくなった理由を社会のIT化に求める向きがありますが、それは違うでしょう。社会構造や環境が変わったからです。明日必ず給料が上がる保証がない不安定化した雇用のなかで、住宅費はさほど下がっているわけでなければ、都市部の若い人が車というローンや固定費(駐車場代、保険代)がかかるものを買おうと思うわけがありません。

心が動く体験を伴わないモノや、買うことで何か我慢を伴うモノは、この先もなかなか売れないのではないでしょうか。


スーパーフライデーと行列

2016-12-02 19:30:43 | マーケティング

今日出かけた帰りに近所のミスタードーナツの前を通ったら、その場所では見たことがない行列ができていました。平日の夕方なので、ほとんどが女性と子ども。最初は何事かと思いましたが、これがテレビCMでやっているソフトバンクの「スーパーフライデー」なのかと気づきました。吉野家もやっていたと思いますが、そのときは普段からの吉野家ユーザーの方々は迷惑だったのではないかと、ちょっと思いました。ドーナツはまあどうしても食べたければいまどき、セブン-イレブンでもローソンでも売っていますからね。でも吉野家の近くにすき家があるとは限りません。

ミスタードーナツにしても、ミスド好きの人が急に「食べたい」という欲求をおさえきれず、長い距離(徒歩3分にあるとは限りません)を経てたどり着いたら、この行列っていうのはどうなのでしょうか。ミスド側に自社の本業を大切にする気持ちがあれば、せめて行列は「買う人」と「もらう人」に分けるべきでしょう。他社の顧客のために、自社の顧客を置き去りにするのは、マーケティングではないと思います。

アルバイトのスタッフも気の毒です。会社はソフトバンクと金銭のやりとりはあるにしても、無料でドーナツを配るために、1日中行列客をさばかなければいけないし、中には行列にクレームを言う客や近所の店もあるかもしれません。

並んでいる人も、自分の意思で並んでいるならまだいいですが、お母さんに付き合わされている子どもはちょっと気の毒です。別の日に普通に買ってもらいたいと思います。1時間も待って、普段なら待たずに食べられるドーナツ1つを食べるより、勉強やスポーツや遊びをしていた方がいいでしょう。まあ、確かに行列か勉強かを選べと言えば、行列を選ぶ子も多いかもしれませんが、親だって本当は勉強を選んでほしいはず。教育上もあまりいいようには思えません。

マーケティングや販促の手法はいろいろでいいし、時に奇をてらったことをやらなければ、いまどき注目されません。でも企業は、マーケティングでもCSR活動同様に、最低限ステークホルダーに配慮しなければ、一時的な収益にはなっても、長期的に利益を上げる仕組みにはならないと思います。特にミスタードーナツは、ソフトバンクに協力し、自社CMで投下する広告量の何倍も宣伝され、認知促進という意味でのPRの費用対効果は莫大だったかもしれません。けれども本業の顧客、自社の従業員(アルバイトスタッフ)という最も大切なステークホルダーを慮らず、小売りサービス業の本分を逸脱しているように思います。

伝統的な小売業は、バーゲンハンターを上客とはみなさず、年間を通じて購入頻度や額の多い客を大切にします。それでもバーゲンハンターはお金を払っていますから、間違いなくお客様です。他社のキャンペーンに乗っかって、無料のドーナツをもらいに来る人は、その小売業にとってお客様ではないですから、本物のお客様と平等に扱ってはいけないのです。