ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

止まる技術-中国の新幹線

2011-07-25 00:53:29 | ニュース

外国で鉄道を利用すると現地の人びとの暮らしを感じ、車窓から見える景観も楽しみの一つ。ただ、これまでの旅行経験で地下鉄以外の鉄道を使ったのは中国を除いてはフランスとシンガポール・マレーシア間だけ。比較的長く滞在したアメリカ・カナダも、NYなどの地下鉄以外はバス。イギリスに至っては「鉄道は危険だからやめろ」と、当時ロンドン郊外に住んでいた人に言われ、やはり郊外からはバスでの移動だった。

他国で利用しなかった理由は、いつ来るかわからず、本数が少ないから。ちなみに技術が進んでいるらしいドイツは行ったことがない。

今回事故を起こした中国の『和諧号』には昨秋乗っている。その時の話は「こちら」に詳しく書いている。日本では先日の上海-北京間の新型導入後の、まるで新型の事故のように誤解される表現をとっている報道機関もあるが、和諧号は以前から走っている。

すべてではないが、和諧号には日本の新幹線技術(今回の車両はカナダらしい)が使われている。乗り心地も車体もよく似ていた。だから私もよもや事故を起こすとは思わず安心して乗った。だから事故のニュースを聞いた時は、よけい嫌な感じがした。

しかし今回起こったのは走る技術の問題ではなさそうだ。止まっている別の車両にぶつかったのが原因だそうで、止まる技術、つまり制御技術はもちろんだが、運行管理技術と安全に対する意識の違いにも問題がある可能性が高い。

東海道新幹線に乗ると、密な運行ダイヤと時間の正確さがすばらしいと思う。一方で上海からの運行本数はもっと少なく間隔がある。ところが日本のように1本の大動脈を走っているのではなく、系統が途中で一部枝分かれしている。国土が広いので仕方ないことだが、余計複雑になり、日常的にも遅延が増える要因になっている。

速く走る技術は基本で必要。でもそれがすべてではないと、乗り合わせた人には気の毒だが、今回の事故で世界は再認識させられたと思う。安全を守る技術やサービスは、地味で平時はあまり陽が当たらない。安全は危険を知らなければあたりまえのものと考えがちだけど、その陰に高い技術と携わる人の地道な毎日がある。


地デジと水戸黄門

2011-07-23 23:18:00 | テレビ番組

アナログ放送終了までカウントダウン状態の今、まもなくうちのセカンドテレビが1台無用の長物となる。小さい液晶テレビなので「ジャマにならないでしょう」と、引っ越した時に「リサイクル費用がもったいない」と業者の人にアドバイスされた。

こういう捨てるに捨てにくい、無用の長物がまた増える。ノートパソコンも歴代の使っていないものがある。余談だが、前回引越し時にすっかりトランクルームの荷造りを忘れていて、勢いで全部捨ててもらったが、いまだに何も困っていない。ゴルフクラブを捨てたので、もし再開することがあれば困るくらい。

そんな感じで、テレビを「観ること」も捨ててしまう人がいるように思う。

私自身はWOWOWとGAORAを高画質で観たいので随分前に地デジ対応したけど、NHKが契約数が減ると危惧しているという記事をみた。今日何気にNHKをつけていたら「テレビはなくてはならない、楽しいもの」とタレントに言わせていた。

家族であれば親の確固とした教育方針でもあれば別だが、テレビは買うだろう。固定電話と同じで、問題は単身者。都市部を中心に増えている老若男女の単身者に今のテレビ番組はどうなのだろう。

偶然かもしれないが、40年以上続いた水戸黄門が終了することが決まった。時々番宣で出てくる配役を見ている限り、由美かおるの入浴云々以前に厳しいだろうなと思う。孫ができて以来、自分たちのことを「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び合っている両親も、水戸黄門は観ていないはずだ。うちは70歳前後だが、7時か8時頃夕食を食べ、日付が変わる手前まで起きている。高齢者のライフスタイルや好みは変化している。

ただ個人的には視聴率10%で打ち切りという目安には問題があるとは思う。水戸黄門に限らず、これだけ娯楽が増え、DVDや有料放送もあり、録画もできる今、生の視聴率10%はすごい。NHKで時々良質なドラマをやるが、大河ドラマなどを除くと概ね視聴率は1ケタ。この時代に15%超えを望んだ時点で、軽薄だろうがなんだろうが、その時々の流行や人気タレントに乗っかるしかない。あるいはライブに価値があるメジャースポーツの世界大会くらい。先日終了したTBSの『JIN』のようなケースもあるが、稀なこと。

地デジを契機にテレビ番組づくりへの考え方も変わらないと、難しくなるのではないだろうか。近年『FREE』という本が話題になったが、FREEの元祖は民放。だから「スポンサーメリット=視聴率」と、尺度は必要になる。「視聴質」など人によって評価が分かれるものが面倒なのはわかる。

しかし制作予算を削りながら、一方で視聴率を追いかけることで、各局横並びでつまらないものになり、テレビそのものを観ない人が増えたら、まさに負のスパイラル。視聴率が10%でも5%でも、その番組を好きな人が明確で、その人たちがほしい商品を売ること(CM)ができればいいのではないだろうか。

「つまらないお笑いをなくす」とか「安いタレントのバラエティをなくす」とか、そういうことではない。そういうものを好きな人もいる。まずは横並びをどこまで緩和し、局の個性を出せるかだと思う。有料放送のようにニュース専門とか、スポーツ専用チャンネルにするのはムリだろう。でも例えば他局が絶対にニュースをしていない時間帯に、ニュースがあれば、それだけでも随分違う。首都圏で『ミヤネ屋』の視聴率が高いのは、関西人が観ているからではなく、同時間に他がドラマの再放送ばかりしているからだ。プロ野球中継は、首都圏では各局ほぼ一斉に極端に減っているが、せめて日本テレビとTBSくらい頑なにやればいいのに。7時くらいにのんびりテレビを観られる主婦や子どもたちが野球離れしているということだと思うが、東京ドームに行けば自営業者風のおじさんたちが平日でもエキサイトしている。

本物のファンほど、強い視聴者、消費者はいない。GAORAでテニス中継を観て、合間のCMで何度も紹介されたサプリメントをうっかり買った私のように。多くの「ながら視聴者」より、少数でも限られた時間でも確実に観ている人をつかむ方が、テレビのビジネスチャンスは広がる気がする。


服とベンツと東京と

2011-07-17 22:52:59 | アート・文化

ファッションの世界三大コレクションといえば、パリ、ミラノ、ニューヨーク。

世界三大料理はフランス、中華、トルコ。もともとこれは宮廷料理の流れを汲むもので、実質的にはトルコじゃなく、イタリアだろうという論もあるようだ。韓国が慎ましく(3のいずれかに取って代わるのではなく)、五大料理に入れてほしいということで、キムチの大PRを3年前からしているらしい。いずれにせよ、日本料理はない。

もっとも「世界三大何とか」に入ることには意味がないのかもしれない。大陸の一角で常に陸続きの国と戦闘や交流、競争の歴史が繰り返された欧州とは異なり、「ナンバー1」より「オンリー1」…とSMAPも代議士までもが言っている。

個人的にはオンリー1も、異なることに価値があるのではなく、ナンバー1になってこそ、そこに独自性が見出せると思っている。少なくとも感性やパーソナリティでなく、企業活動や科学技術、国力の世界で、日本が本当にオンリー1の価値で生き残っていくためには、せめて日本人がその価値を認め投資する必要がある。

とはいえ、文化・芸術やそれを支える企業については、財務視点の業績に順位はついても、内容に優位性はつきにくく、オンリー1を追求しやすい分野だと思う。ファッションや食はその代表格かもしれない。

さて三大コレクションに入れない「東京コレクション」だが、次回より事業仕分けで補助金が大幅にカットされる。そのこと自体は、コレクションに政府がかかわることに賛否両論があるだろうからよしとして、「メルセデス・ベンツ ファッションウィーク東京」と名称が変わるそうだ。事業費の大半をメルセデス・ベンツジャパンの協賛金で賄うからだ。もちろん初の外資系冠スポンサーとなる。協賛する事業費そのものは5億円程度だが、それにさきがけ、今月六本木にカフェ・レストランを併設した「Mercedes-Benz Connection」を期間限定でオープンし、そこが情報発信拠点ともなるようだ。

メルセデス・ベンツ(ダイムラー)は、日本に限らず世界のファッションウィークを支援しているし、その他の文化芸術支援活動にも熱心だ。今年の秋には原美術館と共同で日独芸術家による共同展覧会を開催する。

ダイムラーはグローバルカンパニーとしての投資をしているだけで、東京コレクションの冠がベンツになっても、東京のファッションや文化をドイツ色に染めることはしないと思う(ドイツ色のファッション自体イメージできない)。世界に名だたるブランドがいまだに日本市場と東京に期待しているというのは悪いことではない。日本のクルマメーカーが、特に都市部のクルマ離れにうんざりしているというのに…。

とはいえ、グローバリズムに反して、内向き志向になりつつある日本人の感性やライフスタイルを、日本政府も企業も守ろうとはしていないことは確か。ファッション文化に限ったことではなく、基幹事業としてかかわる企業が少ないスポーツや芸術分野はさらに厳しい。

近い将来、日本はどんな分野でもナンバー1でもオンリー1でもない国、三大何とかどころか、10にも20にも入れない国になるかもしれない。人口が1億を超える国で、欧州の小国のような高福祉国家は望みにくいし、現在の中福祉を維持し続けるのも簡単ではない。

日本人は移民を受け入れるのも簡単ではなく、特別な能力なしにどこかに出稼ぎに行くのも難しい。言葉の問題だけではない。

今のうちに、「守る」だけでなく投資や挑戦を続ける気持ちを持ち続けなければ。

※いつまで続くかわかりませんが、またブログを再開しました。