ネットを見ていて、ふと思い出したことがあります。無名の個人が書いたコメントでしたが、欲という言葉を非常に悪いイメージで使っていて、それに反応する人も「欲」に対しては、肯定的な言葉として捉えていませんでした。多くの日本人の性質の一つだと思います。
昔、仕事でもある記事の見出しに「欲望」という表現を使ったとき、「ニーズ」に変えたらどうかとアドバイスを受けました。言葉が弱くなるからと、そのまま「欲望」で通し、最後まで修正は入らずに済みました。
そもそも「ニーズ」と「欲望」では、まったく意味が違います。マーケティングの世界でも「顧客ニーズを捉えなければ、消費者の支持を得られない」などと、よく言われますが、ニーズを捉えてもたまたま買ってもらえることはあるかもしれませんが、少なくとも支持は得られません。「ニーズ」は「満たされない何か、そのピースを埋めること」ということだと思いますが、満たされず物を買うのは当たり前の行為です。そんなものを捉えたところで、価格競争になるか、立地の利便性や商品プラスアルファのサービスなどを付随するか、とにかく必要以上にマーケティングコストをかけなければ、競合優位に立てません。
極論すれば、ニーズのないものを売るのがマーケティングです。人間の持つ欲というものを否定的に捉えること自体が、モノを売れにくくしているだけでなく、「消費する」という先進国、あるいは一定の所得以上ある個人の役割認識を委縮させているのだと思います。
マーケティングの世界では、欲望に替わる概念を表す言葉として「ウォンツ(Wants)」があります。しかし、景気の悪化、東日本大震災をはじめとした幾多の自然災害を経て、日本人の特性以上に「欲望」を表現することに後ろめたさが増しているような気がします。盛んに消費をする人も、投資をする人もいるにはいますが、皆ひっそりと目立たぬようにやっているように思います。
世界同時株安や爆買いのニュースで、中国人がテレビカメラに向かって「○○元も1日で吹っ飛んだよ」とぼやいたり、炊飯器をどうやって持って帰るんだってくらい買っている様子を見るにつけ、確かに格好悪いのですが、このむき出しの欲望に今の世界経済が支えられている側面があることは否めません。
成熟した日本社会で、中国人の中間層のような立ち居振る舞いはもうないでしょうし、中間層そのものが減っているのが、欧米先進国も含めた実態です。純粋な「モノ」に強烈な欲求反応を示すには、すでに満たされている面もあります。複数の炊飯器なんてどうやったって売れませんし、1人に1個の炊飯器を売るのも至難の業です。
しかし、今日本で売れているものやサービス、評判になっているものを見れば、それは巧みに人間の欲を刺激しているものなのだと思います。
少なくとも近年のヒット商品を見ても、なければ困る商品なんて一つも出てきません。たとえば、2015年日経MJ上半期ヒット商品番付なんて、モノらしいモノは出てきませんし、「男気・黒田」に至っては広義での商品とも言えません。広島ファン、日本プロ野球ファンの思い入れのある選手にはこうあって欲しいという欲望が、男気という言葉で表現することで昇華したのではないでしょうか。
とはいえ、近年ボランティアとか、チャリティとか、エシカル消費とか盛んだよねという意見もあると思います。人の役に立ちたいというのは、人間の欲求の最たるものだと思いますし、日本がますます高齢社会となるなかで大事なキーワードになります。日本人はとくにまじめですから、少なくとも元気なうちは、歳をとったからって、むやみに人の世話になりたいと思う人はいません。社会に恩返ししたいとか、役に立ちたいという欲求は、むしろ若い人より強いかもしれません。人が人の役に立て、その人も人からの恩恵を受けられる社会の仕組みづくりをこれからは真剣に考える必要があると思います。