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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

セカンドライフ

2006-12-28 00:58:45 | デジタル・インターネット

退職後の第二の人生ではなく、来年早々に日本語版リリースが発表されているオンラインゲームのこと。これは文字通り、現実に近い仮想世界がネット上で展開され、事業開発などビジネスができる(詳しくはこちらから*)。通常仮想通貨は換金できないが、現金化できるため、ゲームに参加することで稼ぐ人もいる。アフェリエイトやドロップシッピングとは意味性が異なる生産手段であり、私は古い人間なのか、すっとそのロジックに入っていけない。

以前このブログでもとり上げた子どもにビジネス体験をさせるテーマパーク「キッザニア」に少しだけ近い発想かもしれない。仮想世界にも現実の企業が出店し、広告・販促の拠点とする。「キッザニア」は入場料がリアル通貨で必要だが、こちらは無料だとすれば流通する資金や事業者の利益は、企業のスポンサードで賄うのだろう。現在IBM、サンマイクロシステムズ、ホテルチェーンなどが進出し、日本語版には当然国内企業も参加することになる。既に世界で200万人近く参加し、日本人も多いという。

ところで私はゲーム機を今は持っていないが、今年の年末商戦は妙に気になった。任天堂のDS Liteくらい買ってみようかと思ったけれども、3月には発売されていたものにかかわらず、今でもそう簡単に手に入るものではない。WiiPS3は言うに及ばず、常に売り出すと行列ができている。ゲームがさかんなのは日本だけではない。アメリカも欧州も先進国における、ソニーとX-BOX(マイクロソフト)、ニンテンドーの影響は大きい。

いま、ICTやバーチャルの世界を否定することはもはやナンセンスだとは思う。でも富める国の大人の文化や子どもの遊びがいわゆるコンピュータゲームやインターネットに席巻されることには少し抵抗を感じる。

自分のために過ごす時間を持てることは素晴らしい。その時間にゲームをしようが、マンガを読もうが、映画を観ようが、本を読もうが、それは個人の自由であって、人に迷惑をかけるわけではない。本人にとっても、本を読んで過ごした人の方が、ゲームをして過ごした人より、大成するかどうかなんてわからない。ただ、自分のために過ごす時間を持て余して、もう一つの人生を仮想世界で過ごすのだとしたら、ちょっともったいないような気もする。いずれにしても、ブログやSNSの世界はバーチャルといってもコミュニケーション、オンラインゲームはある種競技の世界。ここまではリアルな日記やコミュニケーション、ゲームの延長線上という理解もできるが、「セカンドライフ」は現実の人生の延長線上で理解可能なのだろうか。そもそも参加するのかな、私。結構難しいらしいので、技術的に無理かもしれない。


グッドデザイン賞のSUIHANKI

2006-12-23 01:51:39 | ニュース

Rizo

同じ消費財電機製品でも白物家電というと、華やかなホームシアター系やエンターテインメント系に比べ、地味ぃな印象だったのも今は昔。進化するエレクトロニクスやICT技術が白物家電にも波及。多機能冷蔵庫や急速に普及を伸ばしている洗濯乾燥機、健康志向のトレンドを捉えたウォーターオーブン(代表的なものはヘルシオ)など、地道な商品開発で買い替え需要を喚起しているものも少なくない。

個人的には洗濯乾燥機なんかはわりと早々と買ったのだが、キッチン回りの商品にはあまり手が出ない。ブームになった食器洗浄機も場所をとるうえ、何だか却って面倒くさそうで買いたいと思ったことは一瞬たりともなく、冷蔵庫も最低限の機能でOKな感じでもう10年くらい同じものを使っている。もちろんヘルシオも持っていない。そして炊飯器も実家から独立してから一度しか買い換えていない。さすがに最初のいかにも一人暮らしビギナーのような2合炊きは、今はもうないが、その後自分で買ったものも単機能の平凡なものだ。炊飯器でいろいろな調理ができる最近の機種をほしいと思わないわけではないが、どうもデザインがごつくなるばかりで強くひかれるものがなく、食指が動かなかった。

でも来年発売されるSUIHANKI象印のRIZOは、スタイリッシュさと機能性(今時にしてはシンプル機能だが…)を両立しているようで、これはほしい。発売前なのに既に2006年度のグッドデザイン賞を受賞している。なぜ炊飯器ではなくSUIHANKIなのかは世界同時発売だから。日本では家電量販店では売らず、デパートやインテリア専門店での限定発売らしい。外国では日本食ブームだが、これまでは欧米風のキッチンに合う炊飯器、使用方法がシンプルでわかりやすい(言葉や文化の壁を超えた)炊飯器がなかったようだ。ただ、ちょっと心配なのは国によって食べられている米の種類が違うと思うが、対応してうまく炊けるようになっているのだろうかということ。日本で購入するとしたら、デザイン重視であとは目をつむるべきか…。

日本の家電も最近は随分デザインは良くなってきていると思う。でもどうも日本の家電デザインは、まだその製品単体で考えられている気がする。つまりインテリアとの調和や、日本の標準的なキッチンの広さに見合った使い勝手の良いサイズといったことまではあまり考えられていないような…。最近ようやくカラーリングでは、インテリアとの調和をコンセプトとしたものも出てきてはいるが、まだ進化の余地はありそうだ。例えば掃除機なんかでも、できれば使わないときは隠しておきたいデザインだし、にもかかわらずやたら大きかったりする(これじゃ、隠れない)。だから私はいまだにスリムタイプの吸い取るだけのものにしている。


CM表現と企業倫理

2006-12-18 01:30:17 | デジタル・インターネット

ケータイのキャリア事業に参入する前のソフトバンクという会社は、わりと好きな会社だった。他の新興ICT企業より大人の会社の印象があった。ポータルサイトは今でもYahoo!がまず立ち上がるようになっている。天気や路線、映画のコンテンツはしょっちゅうアクセスしているし、ニュースサイトのチョイスの仕方も他の有名ポータルサイトのようにおバカな感じではないので安心できる。

ところが巨額の有利子負債を抱えて、ボーダフォンを買収したあたりから、焦りが出てきたのだろうか。ちょっとどうなのか…と思うことが多くなってきた。それでも他社に先んじてダブルブランドで訴求するアクオスケータイは魅力的に感じるし、前にここにも書いた自宅にアンテナをつけてくれるサービスも少々やりすぎと思わないではないが、受信難民にはうれしいアイデアだ。

でも今やっているケータイのCMは不快な感じがする。女子高校生がみんなソフトバンクのケータイなのに、1人だけが違って、通話料がかかるからかけなくていいと、その子がみんなに謝るCMだ。挙句に「あなたが悪いわけじゃない」と他の子に慰められるシーンまである。あのCMをつくった人は昨今のニュースに鈍感すぎるように思う。

もちろんあのCMが「いじめ問題」に直結するというと、やや飛躍しているかもしれない。でも制服や学校で決められたものでもない限り、持ち物や考え方は一人ひとり違って当たり前、むしろ違いを認めることこそ、大人が子どもや若い人に教えなければならないはず。DoCoMoauかソフトバンクモバイルかということ以前にケータイを持たない高校生だっているだろうし、持たせない教育をしている親もいるだろう。少数派が謝る筋合いはない。それなのにマイノリティに謝らせ、挙句に嫌味っぽく慰められるなんて…。お嬢様学校の設定なら、通話料くらいスマートに気持ちよく払えよって感じがする。

表現の自由と、CMの世界の表現は基本的に違う。CMはビジネスが前提である以上、企業倫理が問われる。芸術家やジャーナリスト、思想家による表現ではない。もちろんそれらにも倫理は必要だが…。政治的立場や思想や宗教、私的な美的感覚やこだわりが軸になるものではない以上、まずは視聴者や消費者の倫理観に則したものでなければと思う。

ところで比較広告でも意外と憎めないのが、今のアップルコンピュータの広告。マック君とワーク君のギャラは知らないが、制作費は安そうなのに何気に洗練されている。シェアでは明らかに低いマック君だから許される範囲だと思う。批判もあるらしいが、もろ生身の人をいたぶる感じのCMから比べれば、ご愛嬌では?と思う。でも本当にマックはウィルスにかからないの?そんなことはないような気がするが。


人との距離感

2006-12-16 01:22:04 | まち歩き

「馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人」という本をアマゾンのユーズド価格で、1円で買った。1円という気軽さのあまり中を確かめず、実は捕鯨問題にも関心があった私は、食文化論と思っていたのだが、内容は生活習慣や文化的背景など、日常的な人の営みのさまざまな点について両国の国民性の違いをエッセイ形式で書いた軽めのものだった。その中で印象に残ったのは、両国の国民性における人との距離のとり方の違いだ。

どっちがいい悪いというのはナンセンスだが、少なくとも今の私にとっては日本の方が住みやすい。例えば一人での外食や映画鑑賞は、「寂しい人だ」と奇異な目で見られるそうだ。もちろん日本でもフルコースや鍋料理を一人で食べていたら、そう思われても仕方ないが(前クールのドラマ「結婚できない男」で、阿部寛のそんなシーンが話題を呼んだ)、韓国ではそんなレベルではないらしい。映画に至っては、私的には観たい映画を誰かの好みと合わせて、無理やりに一緒に連れて行く、あるいは連れて行かれたらたまったものではない。それだけではなく、男同士、女同士でもよく手をつないだり、腕を組んだりするとか。あるいは韓国では親子関係が密接で、結婚まではパラサイトが当たり前らしい。正直日本の方が大人だし、洗練されているよな、と思ってしまう記述もいくつかあった。

でも逆に言えば、日本人は戦後おそろしいスピードで、欧米のある一部分の個人主義的なメンタリティを受け入れ、人との距離感が急速に変わってしまったのだなとも思う。ならば欧米人の家族関係がそれほどクールかといえば、実際には違うことも多い。治安が悪い、戦時下にある、大陸の地方であれば商店や病院などと距離があり不便極まりない、そういう地域では特に家族や地域の人と人とが密接に助け合って生きている。

日本のこうした現象の一因として、コンピュータゲームやモバイルやネット社会が槍玉に上がることも多いが、世界各国先進国はこれらの普及率に大差はない。おそらく物的要因だけでなく、政治や教育や生活環境など、さまざまな複合要因で、人との距離感が離れた、あるいはとりづらい社会になったのではないかと思う。人との距離感のとり方が難しい社会は、多くの歪みを生む。クールでありたいと思う半面、人間臭い人との付き合いやせめぎ合いあってこそのバランス感覚といえるかもしれない。

馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人 馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人
価格:¥ 860(税込)
発売日:2002-08


代官山の日常食~SEIJO ISHII Select

2006-12-09 00:26:56 | まち歩き

たまたま仕事で出かけたので、帰りに久しぶりに代官山を少し歩いた。代官山という街にはファストフードやコンビニが少ない。青山よりもないかもしれない。何をそんなに気取る必要があるのかと思うが、駅から旧山手沿いヒルサイドテラス周辺、さらにR246に向かうあたりは本当に高級住宅街だし、それを少し外れると中目黒、渋谷東の交差点寄りは、恵比寿か渋谷かいずれかの駅から歩ける。このあたりに住んでいるほとんどの人は、代官山駅をあまり使わないのではないかと思う。まもなくつながるらしいが、今は渋谷からの直通電車がなく、駅が狭いということが大きいが、駅周辺に生活のためのショップがあまりないということもある。

それでも6年くらい前に代官山アドレスができ、地下に食品スーパーが開店したことで、そんな住民の不満は一気に解消した…そしてそのスーパーは安泰と思いきや、今はごっそりテナントが入れ替わり、大丸ピーコックに変わった。最近ではなく、1年半くらい前だ。もちろん大丸ピーコックもスーパーだから、何ら不便はないが、都心でスーパーが5年未満で撤退、しかもすぐに次の店に入れ替わらなかったというのはなぜだろう。それはともかく、大丸ピーコックになって、何だか普通の街の食品スーパーに近づいた。一緒にエノテカ(ワインショップ)やイートインがあるベーカリーもなくなり、高級感や個性は随分抑えられている。代官山住民といえども、普通が日常という結論なのかもしれない。

さらに渋谷東の交差点寄り八幡通り沿いに成城石井のコンビニ業態ともいわれているSEIJO ISHII Selectが今年の4月にできている。実際にはコンビニというより、成城石井が駅や駅前に出店しているミニスーパーをやや広げた感じのミニ食品スーパーで、成城石井らしいバラエティに富んだお高めワインや輸入品のラインナップが充実している。これが24時間買えるというのは、便利には違いない。真夜中にいきなりワインが飲みたくなっても、ホームパーティを始めることになっても、コンビニの安いワインではなく、本格的なシャンパンやワインやチーズ、惣菜が手に入るわけだ。確かに六本木や西麻布にもフードマガジンSEIJO ISHII Selectがあって、そういう需要に応えてくれる。でも代官山は夜中にそれほど人が集まる街ではない。隠れ家的な深夜営業の店はあるが、六本木などに比べると圧倒的に少ない。夜は意外に静かな街だ。シネコンも大きなレンタルショップもない。白金近辺ほど住宅街そのものに広がりもない。極論すれば代官山住民だけから、深夜にホームパーティをする人や本格的な食を求める人を集めるのは、結構大変なことかもしれない。