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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

有楽町にマルイスタイル

2007-10-23 20:52:11 | まち歩き

遅ればせながら有楽町イトシアに。最近オープンスポットのリサーチがいつも出遅れ気味だけれど、それでも1ヶ月くらいは込み合っている。職務で見に来ました風スーツのオジサンたちもまだいるし、それに交じって必ず出没しているのが買物をせずに、通路が狭いだの、買いたいものがないだの、施設を批評している物見遊山風年配の主婦数人のお友だち同士。新丸ビルにも東京ミッドタウンでも遭遇した。別に悪いとは言わない。そういう楽しみ方(?)をする消費者が今は大勢いるということだ。

そもそもマルイに年配者の買いたいものはない。私にもない。だから新宿三丁目の新しいマルイもバルト9以外見向きもしていなかったのだけど、そこは有楽町(≒銀座)。品揃えがややオトナ。若いOLブランドという最低限のトーンは外していないのだけど、品揃えに落ち着きがある。INDIVIとかNATURAL BEAUTYとか、私も時々買っているブランドもシックなラインナップを揃えて出店している。

有楽町エリアになかった食品は、地下のレストラン街だか、食品フロアだかわからないゾーンでどうにか補っている。ここに例のクリスピー・クリーム・ドーナツも入っているわけだが、新宿の行列に比べるとかなり短いような気がした(今、新宿がどれくらいか、最近通らないので知らないが)。ちなみに同じフロアにナチュラルハウス(オーガニックスーパー)も入っているが、ここをデパ地下代わりに考えると心許ない。

全容が見える前には、有楽町のマルイはシティタイプか、ファミリータイプになるかと予想する向きもあった。食関連があることで趣が異なるように見えるが、食はイトシアがやっているようなので、あくまでマルイとしてはシティを有楽町立地に合わせつつ踏襲したといったところかも知れない。

マルイを百貨店と捉えるかどうかは別として、他の百貨店は囲みのあるブランドインショップ型の展開にするか、平場の自社編集型売場づくりにするかと、時代のトレンドや経営環境に応じた揺らぎが見られるが、マルイはどこに出ても、いつ出てもマルイ。赤いカードがエポスカードに名前は変わっても、カードビジネスを核に若い人のライフスタイルに切り込むという戦略は健在のよう。

ところで意外な驚きは何げに有楽町の地下がつながっていることだ。JR有楽町駅からイトシアへ、イトシアから地下鉄銀座駅へと。もちろんずっと工事していたのだろうが、地上を通っている限り、はっきり気づかなかった。それともう一つシネカノン有楽町2丁目がイトシア内にオープンしていた。駅をはさんでわりと良質な映画を上映するシネカノンが2館あるのはちょっとうれしい。


宗教との向き合い方

2007-10-21 23:19:57 | アート・文化

ある時、宗教という言葉が出ただけで、眉をひそめ、批判的な言葉を発した人がいて、驚いたことがある。もちろん日本でのこと。私自身、無宗教といっても過言ではないレベルだが、信心深い人に対しては尊敬をすることはあっても、批判することはない。でも確かに一方では、戦争の原因のほとんどは宗教が絡んでいるという事実。また、伝統的な宗教と同一視して語ってはいけないが、狂気の事件を起こす新興宗教団体の数々。宗教にアレルギーを持つ人がいてもおかしくないのかもしれない。

でも私たちは、いずれ死ぬわけで、自分の死はともかく、だいたいは両親の死に先に立ち会う。既に少子化時代の子どもたちである私たちの世代は、その後の弔いや墓のお世話、寺との付き合いを他の誰かに任せておいていいということもないだろう。いずれ何らかの形で、宗教やお墓、寺と向き合う日が来る。ところが今の若い人で、信心の深浅はともかく、寺とスマートに付き合う術を知っている人は少ないのではないだろうか。

ということに、危機感を持ったからというわけではないだろうが、癒しスポットとしてお寺が人気らしい。今日のYahoo!ニュースにも載っていたし、何かの雑誌にも載っていた。単に観光地として日本各地の有名な寺院や宿坊に泊まることが人気という話だけでなく、寺自体も期間限定のカフェを開いたり、「TOKYO BOUZ COLLECTION(東京ボーズコレクション)」といどう評していいかわからない名称の僧侶のファッションショーを開いたりしているらしい。確かに私の古い知人の住職(家の寺を継いだ)は、寺にクリスマスツリーを飾っていたし、今時驚くことでもない。宗教を根源とした戦争に苦しむ国や、僧侶が殺されるミャンマーに比べれば、日本はつくづく平和だとは思うけれど…。

でも一方でお寺は信仰の継承と、檀家との継続的な関係性を保つためには、不透明でわかりにくいお布施の制度をわかりやすくしたり、住職の良い意味でのカリスマ性を保ったりすることも重要だと思う。うちの実家が檀家となっている寺の後継の住職は、スピード違反か何かで事故を起こして新聞沙汰になっていた。法事のあとの説教もあまりうまくない。まず宗教家が宗教と向き合ってこそ、伝統は守られる。時代の流れに対応することも大切だけど、本物であることや深みが損なわれたら逆効果と思う。